選ばれた理由
昼前、鐘が鳴った。
警告音じゃない。
緊急招集でもない。
だが、
町にいる者なら分かる種類の音だ。
――人手が足りない。
ギルド前に、人が集まっていた。
掲示板には、簡潔な一枚。
《臨時対応要請
北側外環・廃水路逆流
対応遅延中》
詳細はない。
期限もない。
だが、
“今やらないと面倒になる”
という空気だけは、はっきりしている。
レインは、人混みの外で立ち止まった。
胸の奥が、
一瞬で熱を持つ。
《目的同調》
完全一致。
《止めろ》
《支えろ》
《間に合わせろ》
理由は単純だった。
誰かが困っている。
構造が崩れかけている。
しかも――
判断が遅れている。
「……っ」
足が、勝手に前へ出る。
考える前に。
選ぶ前に。
「おい、あんた」
ギルド職員が気づいた。
「行けるか?」
その一言で、
能力は確定した。
《受諾》
《割当完了》
《出力解放》
レインは、短く頷いていた。
「……行けます」
言った瞬間、
楽になった。
迷いが消える。
空白が埋まる。
これだ。
これが、王都で慣れた感覚。
「単独か?」
「はい」
「助かる!」
評価は、即座に上書きされる。
判断した者。
動いた者。
それだけで、
存在が正当化される。
北側外環は、
確かに面倒な現場だった。
廃水路の逆流。
完全な崩壊ではない。
だが、
放置すれば広がる。
「止水弁が……重い」
作業員が叫ぶ。
レインは、即座に状況を見る。
負荷。
流量。
支点。
《最適行動》が、
勝手に浮かぶ。
「……俺がやる」
止水弁に手をかける。
重い。
だが、能力が補正する。
「おお……!」
周囲がざわつく。
弁が回る。
流れが止まる。
町は、助かる。
拍手はない。
だが、
安堵の空気が走る。
「助かった」
「早かったな」
その言葉が、
胸に刺さる。
――ほら、役に立った。
――やっぱり、使えばいい。
レインは、息を整えた。
その時だった。
頭の奥に、
別の反応が走る。
《用途適合:高》
《再使用可能》
《配置候補:要確認》
王国の、それだ。
誰も来ていない。
誰も名を呼んでいない。
だが、
記録された。
使った瞬間に。
「……っ」
膝が、少しだけ震える。
作業員が気づかずに言う。
「次も頼めるか?」
「似た案件、まだある」
能力が、
歓喜する。
《連続対応》
《信頼確立》
《離脱困難》
「……少し、休みます」
そう言うのが、
精一杯だった。
現場を離れる。
背中に、
“期待”が張りつく。
それは、
評価より重い。
町の外れで、
レインは立ち止まった。
「……ああ」
分かってしまった。
これは、
救われたんじゃない。
ただ、
戻る道が敷かれただけだ。
選んだつもりで、
選ばされている。
自由を使った瞬間に、
自由が減る。
「……次は」
次は、
断れない。
はっきりと、
そう思ってしまった。
その時――
遠くで、
誰かがゴミ袋を引きずる音がした。
まだ、気づかない。
だが、
線は、確実に近づいている。
休むつもりだった。
本当に、そう思っていた。
だが――
町は、待ってくれなかった。
「北側、第二区画!」
「今度は水門が――!」
声が、遠くで上がる。
レインは、反射的に立ち上がった。
考える前に、
胸の奥が反応する。
《目的同調》
連続起動。
「……っ」
さっきより、
反応が早い。
迷いが、短い。
躊躇が、薄い。
「行けるか!?」
別の職員が、こちらを見る。
その目は、
もう“確認”じゃない。
前提だ。
レインは、喉を鳴らした。
「……行きます」
言ってしまった。
言った瞬間、
能力が一段、深く噛み合う。
《再使用確認》
《適応完了》
《出力安定》
楽だ。
あまりにも、楽だ。
第二区画は、
さっきよりひどかった。
水門は歪み、
応急処置が追いついていない。
作業員の数も足りない。
「また一人か!?」
誰かが叫ぶ。
「十分だ」
レインは即答した。
その言葉に、
自分で、ぞっとする。
止水。
補強。
誘導。
動きは、完璧だった。
考えていないのに、
間違えない。
「すげぇ……」
「早い……」
誰かが、呟く。
それが、
ご褒美だ。
王都で、
何度も聞いた声。
役に立った。
必要とされた。
だから――
《用途確定》
《継続配置》
《離脱非推奨》
頭の奥で、
はっきりと言語化された。
「……は?」
一瞬、手が止まる。
だが、
止まらない。
能力が、止めさせない。
「大丈夫か!?」
作業員が叫ぶ。
「……大丈夫です」
嘘だった。
視界の端が、
少し暗い。
使いすぎている。
だが、
“使える”状態である限り、
止める理由は、どこにもない。
最後の弁を閉じた瞬間、
レインは、膝をついた。
「おい!」
「座れ!」
肩を支えられる。
だが、
その手つきは、
もう“労わり”じゃない。
回収後の取り扱いだ。
「助かった」
「次も頼むぞ」
その言葉が、
胸に、深く刺さる。
「……次は」
レインは、笑おうとして、
失敗した。
「次は……少し、無理です」
言った。
はっきり、言った。
一瞬、
空気が止まる。
職員は、困った顔をした。
「……ああ、そうか」
「じゃあ、代わりを――」
その先は、言われなかった。
“代わりがいるなら、いい”
という前提。
それが、
レインを、さらに削る。
役に立った。
でも、不可欠じゃない。
王都と、同じだ。
「……帰ります」
そう言って、
現場を離れた。
背中に、
まだ《目的同調》の残滓が張りついている。
町の灯りが、
やけに眩しい。
宿に戻る途中、
道端で、足が止まった。
ゴミ袋が、積まれている。
誰も急いでいない。
誰も評価しない。
ただ、
放っておくと、邪魔になる。
「……あ」
胸の奥が、
反応しない。
《目的同調》が、
沈黙している。
ここには、
命令も、期待も、用途もない。
「……いいな」
思わず、そう呟いた。
だが、
次の瞬間――
頭の奥に、
冷たい感覚が走る。
《現在配置:民間支援》
《再召喚可能》
《呼び戻し条件、達成》
条件?
何を?
レインは、
その場に立ち尽くした。
「……ああ」
理解してしまった。
“使える”と記録された。
それだけで、
条件は、もう満たされている。
王国に戻る必要はない。
命令もない。
だが――
いつでも戻せる。
それが、
一番残酷だった。
「……俺は」
ここにいるのに、
ここにいない。
自由を選んだはずなのに、
選択肢が、削られている。
その時。
背後で、
ゴミ袋を引きずる音が、
もう一度した。
今度は、
近い。
ゴミ袋を引きずる音がした。
レインは、反射的に立ち止まった。
この町では珍しくない音だ。
だが――
急いでいない音。
振り向かなくても、分かってしまった。
(……ああ)
逃げ場はない。
だが、追ってくる気配もない。
ゆっくり振り返る。
そこに立っていたのは、
以前にも会ったことのある人物だった。
相変わらず、最低限の装備。
相変わらず、立ち止まる理由の分からない間。
――名前は、分かっている。
でも、今は呼びたくなかった。
「……それ、重くないか」
声は穏やかだった。
心配でも、命令でもない。
レインは一瞬、言葉に詰まる。
「……平気です」
そう答えた瞬間、
自分が“いつもの返事”をしたことに気づく。
条件反射。
王都仕様。
相手は、少し首を傾げた。
「平気、か」
「じゃあ、無理はしてないな」
否定しない。
肯定もしない。
判断を返してくる言い方。
胸の奥が、ざわついた。
《目的同調》は、沈黙している。
珍しい。
こんな距離で、こんな会話なのに。
「……分からないものを、拾ってるんですか」
気づけば、そんなことを聞いていた。
相手は、ゴミ袋を持ち替える。
「そうだな」
「まだ分からない」
「分からないのに?」
「分からないから、だな」
その答えに、
レインは言葉を失う。
王都では、
分からないものは“後回し”だった。
後回しにされたものは、
だいたい切り捨てられる。
「……目的も」
「評価も」
「期限も、ないですよね」
レインは、一つずつ言葉にした。
相手は、全部に頷いた。
「全部ない」
それを、
欠点だと思っていない顔。
《目的同調》は、
やはり反応しない。
(……楽だ)
そう思ってしまった自分に、
少し驚く。
「不安じゃ、ないんですか」
聞いてから、
逃げだと思った。
答えを持っていそうな相手に、
投げている。
「不安だぞ」
相手は即答した。
「だから、急がない」
逆だった。
急ぐから、不安になる。
不安だから、誰かの判断に縋る。
「急ぐと」
相手は続ける。
「判断を他人に渡すからな」
胸の奥で、
何かが、音を立ててズレた。
「……俺は」
レインは、言葉を切る。
続きを言えば、
自分が壊れる気がした。
相手は、続きを待たない。
ただ、ゴミ袋を一度、地面に下ろす。
「使わないって判断するには」
「時間がいる」
時間。
王都で、
一番許されなかったもの。
「……使うと」
レインは、ゆっくり言った。
「戻れなくなるって、分かってても」
「使っちゃうんです」
ほとんど、白状だった。
相手は、静かに頷く。
「使うと、責任が増える」
「責任が増えると、期待が増える」
「期待が増えると、用途が固定される」
淡々とした声。
まるで、
ゴミの分別手順みたいに。
「……どうすれば」
口をついて出た言葉に、
レイン自身が驚いた。
相手は、首を横に振る。
「俺は、答えを出さない」
「判断を返すのが仕事だ」
仕事。
命令じゃない。
役割でもない。
「今日は」
相手は続ける。
「もう十分、使われた」
その一言で、
胸の奥が、少しだけ緩んだ。
《目的同調》は、
まだ沈黙している。
「……名前」
ようやく、口に出した。
「ユウキ」
相手は答える。
「掃除屋だ」
知っていた。
やっぱり、そうだ。
「……レインです」
「知ってる」
ユウキは言った。
「呼ばれてたろ」
背筋が、一瞬で冷える。
だが、
それ以上は、来ない。
「今日は、呼ばれてない」
ユウキは言った。
「それでいい」
ユウキは、ゴミ袋を引きずって歩き出す。
振り返らない。
レインは、
その背中を見送った。
胸の奥で、
はっきりと分かれたものがある。
――使われる道。
――使わない時間。
どちらも、まだ残っている。
ただ一つ違うのは。
初めて、用途を決められていない人間を見たことだった。




