正解が先にある町
門をくぐった瞬間、空気が変わった。
静か――ではない。
だが、うるさくもない。
人は多い。
荷も多い。
声も動きも、すべてが一定の速度で流れている。
「……整ってるな」
ガルドが率直に言った。
「整いすぎています」
ミーナが訂正する。
通りは広く、舗装も新しい。
露店は並ぶが、呼び込みは控えめ。
掲示板は数が多いのに、紙は少ない。
「貼られた瞬間に剥がされる」
レオルが目を細める。
「……達成が早い?」
「達成というより」
ユウキが言った。
「“処理”が早い」
ギルドの建物は、正面から見てすぐ分かった。
大きくない。
だが、入り口に人が滞らない。
入る、出る、報告、受注。
すべてが止まらない。
「判断窓口、こちらです」
「回収済み、次工程へ」
「保留は不要、既定手順で」
声が交錯するが、混線しない。
「……すげぇな」
ガルドが小さく笑う。
「完璧じゃねぇか」
ユウキは、答えなかった。
受付の奥。
リィナが事前に話を通していたらしく、
一行はすぐに応接スペースへ通された。
待たされない。
説明も短い。
「こちらが問題の案件です」
担当官が、迷いなく書類を置く。
《回収対象:破損武具一式》
《処理方針:分解・素材化》
《判断:適正》
「……どこが問題だ?」
ガルドが聞く。
担当官は即答した。
「ありません」
ミーナが視線を走らせる。
「反論点は?」
「ありません」
担当官は同じ調子で言う。
「基準通りです」
ユウキは、書類を一枚だけ手に取った。
軽い。
紙も、判断も。
「この短剣」
ユウキが言う。
「分解の理由は?」
「刃欠け」
「魔力劣化」
「再利用効率、低」
三つ、即答。
「じゃあ」
ユウキは続ける。
「使わない理由は?」
担当官は、一拍止まった。
「……同じです」
「違う」
ユウキは言った。
「それは“分解する理由”だ」
場が、わずかに静まる。
「使わない理由は?」
ユウキは繰り返す。
担当官は、少し困惑した顔で言った。
「……規定にありません」
ミーナが、静かに言う。
「“使う”という選択肢が、最初から存在しない」
「存在しなくていい」
担当官は言い切った。
「正解は決まっていますから」
ユウキは、短剣を机に戻した。
「ここは」
そう前置きしてから言う。
「判断が早いんじゃない」
全員が、ユウキを見る。
「判断が、先に終わってる」
沈黙。
担当官は、ゆっくりと息を吐いた。
「……それが、何か問題で?」
ユウキは、即答しなかった。
代わりに、ギルドの外を見る。
人は動いている。
事故も、停滞も、混乱もない。
「今日は」
ユウキは言った。
「何もしない」
リィナが、少しだけ驚く。
「視察だけ、ですか?」
「視る」
ユウキは訂正した。
「使われなかった選択肢を」
ガルドが肩をすくめる。
「また厄介な仕事だな」
「掃除屋は」
ユウキは立ち上がりながら言った。
「正解の裏に溜まるゴミを拾う」
装備は、まだ沈黙している。
だが――
この町では、
“使わない”という選択が、最初に捨てられていた。
それが何を生むのか。
ユウキは、確かめに来た。
最初に案内されたのは、南区の簡易鍛冶場だった。
規模は小さい。
だが、人の出入りは多く、作業も途切れない。
「ここも、問題なしです」
案内役の職員が淡々と言う。
炉は稼働中。
工具は整列。
素材の在庫も、帳簿と一致している。
「……綺麗だな」
ガルドが言った。
「ええ」
職員は誇らしげに頷く。
「回収班が優秀ですから」
鍛冶師の男が、槌を止めてこちらを見る。
汗を拭いながら、気さくに言った。
「依頼かい?」
「それとも視察?」
「視察です」
リィナが答える。
「なら安心だ」
男は笑う。
「ここは回ってる」
ユウキは、炉の横に積まれた箱に目を留めた。
箱は三つ。
どれも封がされ、札が付いている。
《回収済》
《処理待ち》
《分解予定》
「……これは?」
ユウキが聞く。
「壊れた武具だ」
鍛冶師は即答した。
「修理向きじゃない」
「判断したのは?」
ユウキは重ねる。
「ギルド」
鍛冶師はあっさり言った。
「基準に合わなかった」
ユウキは、箱の一つを指で軽く叩いた。
中身は、古い槍の穂先。
刃は摩耗しているが、芯金は生きている。
「これ」
ユウキが言う。
「使えない?」
鍛冶師は一瞬だけ考えた。
「……使えなくはない」
「だが、新しい方が早い」
「早い、か」
ユウキは頷いた。
ミーナが、静かに言う。
「時間効率、最優先」
「そうだ」
鍛冶師は肩をすくめる。
「仕事は溜めない主義でな」
レオルが不思議そうに聞く。
「でも、困ってないですよね?」
「困ってない」
鍛冶師ははっきり言った。
「何も」
ユウキは、箱から手を離した。
「……ここでは」
そう前置きして言う。
「誰も困らない」
全員が、ユウキを見る。
「判断が速いから」
ユウキは続けた。
「全部、先に終わってる」
ガルドが腕を組む。
「じゃあ、何が問題なんだ?」
ユウキは、少しだけ間を置いた。
「困る前に、選択肢が消えてる」
職員が、眉をひそめる。
「それは……悪いことですか?」
ユウキは答えなかった。
代わりに、鍛冶師を見る。
「この槍」
ユウキが言う。
「もし、依頼がなかったら?」
鍛冶師は即答できなかった。
「……棚に置くな」
「だが、期限は決めない」
「決めない理由は?」
ユウキが聞く。
「決めなくていいからだ」
鍛冶師は苦笑する。
「判断は、上がやる」
その言葉に、ミーナが小さく息を吸った。
「判断の委譲」
彼女は低く言った。
「しかも、恒常的」
リィナは、視線を落とした。
「ギルドが、正解を出しすぎている……」
ユウキは、鍛冶場全体を見回す。
整っている。
無駄がない。
止まっていない。
「……でもな」
ユウキは言った。
「ここ、静かすぎる」
「え?」
レオルが聞き返す。
「音はある」
ユウキは続けた。
「でも、“迷う音”がない」
槌が鳴る。
炉が唸る。
だが、誰も立ち止まらない。
「迷わないのは、良いことでは?」
職員が言う。
「迷いは」
ユウキは静かに返す。
「判断が生きてる証拠だ」
沈黙。
そのとき、炉の奥で、小さな音がした。
カン、と軽い金属音。
誰も反応しない。
だが、ユウキだけが、足を止めた。
――残留反応。
弱い。
だが、確かにある。
「……まだ、溜まるな」
ユウキは呟いた。
ミーナが、即座に計測器を見る。
「微弱ですが……未決定反応」
「困ってないのに?」
レオルが小声で言う。
「困ってないからだ」
ユウキは答えた。
「判断が返ってこない」
箱の中の槍は、何も言わない。
使われも、捨てられもせず。
正解の裏側で、
“未使用の可能性”だけが静かに残る。
ユウキは、職員に向き直った。
「次は」
そう言ってから続ける。
「事故寸前の現場に連れて行ってくれ」
職員が驚く。
「事故は起きていませんが」
「だからだ」
ユウキは言った。
「起きる前に、見たい」
リィナが、はっきり頷いた。
「案内します」
この町は、壊れていない。
止まってもいない。
だが――
壊れる準備だけが、完璧に整っていた。
案内されたのは、町の東側――
物流路と住宅区の境目だった。
広くはない通りだが、往来は多い。
荷車、徒歩の商人、子ども連れ。
「ここで事故は?」
ガルドが周囲を見回す。
「起きていません」
職員は即答する。
「まだ」
その言い方に、ユウキは小さく頷いた。
道の脇には、仮設の資材置き場。
木枠、金属材、布で包まれた部品。
整然としているが――
一つだけ、違和感があった。
「……あれ」
レオルが気づく。
「置き方、雑じゃないですか?」
金属製のフレーム。
角度が甘く、僅かに傾いている。
今すぐ倒れるわけじゃない。
だが、人がぶつかれば――
「判断は?」
ユウキが職員に聞く。
「回収対象外です」
職員は迷わない。
「固定基準は満たしている」
「基準、か」
ユウキはフレームを見る。
その瞬間だった。
腕の金属板が、僅かに熱を持った。
――来た。
ミーナが即座に反応する。
「装備反応、上昇」
「拾得優先度、強制表示が来ています」
ガルドが歯を鳴らす。
「おい……」
フレームが、きしりと音を立てた。
ほんの数ミリ。
だが、傾きが増す。
「……今?」
レオルが息を飲む。
通りの向こうから、荷車が来る。
避ける余地はある。
だが、誰もこのフレームを“危険”として見ていない。
「……使う?」
ガルドが低く聞く。
ユウキは、一瞬だけ目を閉じた。
判断は、もう迷いじゃない。
「使う」
短く、そう言った。
腕の金属板に意識を通す。
――《回収対象:即時/局所》。
光は出ない。
音もない。
だが、次の瞬間。
フレームだけが、消えた。
消失ではない。
圧縮でもない。
“移動”。
誰も触れていないのに、
資材置き場の奥へ、正確に収まっている。
荷車が通り過ぎる。
何事もなかったように。
数秒遅れて、周囲がざわつく。
「……今の、何?」
「風?」
職員が呆然としている。
「……固定基準は、満たしていましたが」
「満たしてた」
ユウキは認める。
「でも、“今”じゃなかった」
ミーナが、数値を確認する。
「未決定反応、消失」
「事故発生確率、ゼロに近似」
レオルが、ゆっくり息を吐いた。
「……使わないと、駄目な場面だった」
「そう」
ユウキは頷いた。
「判断を待ってたら、誰かが怪我する」
ガルドが腕を組む。
「つまり――」
「拾う理由が、外にある時だけ使う」
ユウキは言った。
「便利だから、じゃない」
「早いから、でもない」
職員が、恐る恐る聞く。
「では……今までの回収は」
「間違いじゃない」
ユウキは遮った。
「でも、全部“安全側に倒しすぎ”だ」
資材置き場は、静かになった。
だが、さっきまであった“張りつく感じ”がない。
ミーナが、ユウキを見る。
「装備、学習しています」
「だろうな」
ユウキは腕を下ろす。
「今のは、“使うべき例”だ」
レオルが真剣な顔で聞く。
「じゃあ、次からは?」
「次からは」
ユウキは答える。
「俺が判断するんじゃない」
職員に向き直る。
「今の、見ただろ」
ユウキは言う。
「次、同じ状況があったら?」
職員は、少し震えながら答えた。
「……固定基準を見直します」
「“人の通行量”も含めて」
ユウキは、静かに頷いた。
「それでいい」
装備は、もう反応していない。
使った。
だが、引きずられない。
「……怖いですね」
職員が正直に言った。
「判断が、軽かったことが」
「軽いままでもいい」
ユウキは言う。
「戻せるならな」
リィナが、深く息を吐いた。
「ギルドとして、課題がはっきりしました」
ユウキは、町の方を見る。
ここは、ちゃんと動いている町だ。
だからこそ――
壊れる時は、早い。
「今日は、ここまで」
ユウキは言った。
「これ以上やると、“正解役”になる」
誰も反対しなかった。
装備は沈黙している。
だがその沈黙は、もう“空白”じゃない。
――使うべき時を、覚えた沈黙だ。
町は勝手に回り続ける。
だからユウキは、次の仕事へ向かった。




