白い愛人2
「きっと今頃……ふふふ」
カサンドラは笑った。
「ええ、きっと今頃、陛下は文を読み心えぐられておりましょう」
侍女が言った。
「あら? 心えぐるような内容ではないでしょう」
カサンドラは小首を傾げる。
「そうですねえ……えぐるのでなく、心をグサッと一突き、いえ、グサッグサッグサッと串刺しにされておりましょう」
「そんなはずはなくってよ。単に事実をそのまま記しただけですもの。事実なのに串刺しなんてされないでしょう……うふふふ」
「事実だからですよ。クックッ、失礼しました。王后様もお人が悪い」
侍女が澄ました顔に戻る。
「何を言っているの? こおぉーーんなに善い后はどこにも居ないわよ。文句一つ言わず側室の宮を整えてあげて、側室を虐めることもなく、陛下が心置きなく休めるように宮まで明け渡した賢后でしてよ。どこに悪さなどあるのよ」
「はいはい、その通りでございますね」
侍女が適当に返す。
困った子だわねえ、的な返答である。
「とりあえず、陛下は一週間動けないから、『愛人』とのんびり過ごすわ」
明日からまた国王は、昼夜一週間埋まっているのだから。
「まず、明日は『第一愛人』と散歩でもしようかしら」
「ええ、そうしてくださいませ。本当に、王后様はお人が……秀逸でございますねえ」
国王には第一夫人から第七夫人までいるわけでして。
第一愛人なる呼び名を、侍女は秀逸と表したのだった。
翌朝、カサンドラは第一愛人と一緒に清らかな森を散策している。
「心の傷は癒えたかしら?」
カサンドラはエスコートしてくれる第一愛人に訊いた。
視線は清々しい木漏れ日に向いたままで。
「はい。王后様のおかげです」
第一愛人もまた緑きらめく森を見て返した。
「暮らしに不自由はなくって?」
「ありません」
二人の歩は止まる。
「十五年も経ったのね。いえ、あなたにとって十五年なんて一瞬の間でしょう」
カサンドラはそこで第一愛人に視線を移す。
その容貌は美しさの極み。
十五年前と変わっていない。
「確かに、エルフの血筋である私は人が時を刻む流れと同じじゃありません。だからといって、エルフと同じ永遠の時間も持ち合わせていません。人の血筋も入っていますから」
第一愛人は、いわゆるエルフと人のハーフである。
「この形で、齢百ですし」
「見た目は二十代、十五年前と変わっていないわ」
「ですが、歳だけ耳にすれば……腰が引けたのでしょう」
「そうね。あなたの元婚約者であった第一夫人は、八十五歳との婚約話に慄いたのでしょう。当時皇太子だった陛下に助けを求め、側室として王城に囲われてしまった」
森が鳴る。
風が草木を揺らしている。
半種族は、住まう世界を選択できる。いわゆる伴侶を選ぶことで。だが、一度選んでしまったら変更できない掟だ。それが、婚約破棄となってしまっても。
第一愛人はもうエルフの世界に籍はない。
「人との婚約で、エルフの森に戻れなくなった私を、王后様は救ってくださいました。この離宮の森に住まうことを許してくださり、私はこうして平穏な日々を過ごしております」
「その平穏を私の訪問が壊してしまったわね」
「とんでもない! 私は王后様とまた会えた喜びをかみしめております。いえ、この時が来るのを期待していましたから」
第一愛人がカサンドラの前で跪く。
カサンドラの両手を掬いそっと唇を添えた。
口づけではない何か。
カサンドラは全身を巡る不思議な感覚に身を委ねる。
「……王后様の十五年を吸わせていただきました」
「え?」
愉しげに言った第一愛人のニッとした笑みは、カサンドラの笑みとどこか似ている。
「王后様の見た目は二十代。十五年前と変わっていません」
カサンドラは小首を傾げた。
第一愛人が立ち上がる。
「若返っていただきましたから」
カサンドラはしばし考えて答えにたどり着く。
「私は三十五だけれど、あなたが十五年分の時を吸ったから、私の見た目は二十になったのね?」
「はい」
「……んっもうっ! そういうことは先に言ってちょうだい。あなたまで面倒事を増やすなんて!」
「すみません……嫌でしたか?」
「良いに決まっているわよ。ただ、衣装が合わないじゃないの。二十のピチピチちゃんが三十五の衣装を着ている状態なのよ!」
「ふ……ははは、その心配でしたか」
第一愛人が笑う。
木々も笑い出す。さわさわさわさわと愉しげに葉を揺らしていた。
翌日はお茶会。
第二愛人が若いカサンドラの姿に目を丸くした。
「第一愛人に十五年の年月を吸われちゃったみたいなの。ふふふ」
「……ああ、なるほど。愛の力でございますな」
第二愛人は第一愛人がエルフと人のハーフであることを知っている。
「ええ、愛人ですもの。愛を贈られて然るべきでしょ?」
カサンドラは思わせぶりに第二愛人を見つめる。
「ハードルを自分で上げてしまったか……参ったなあ」
第二愛人が頭を掻く。
「不敗神話を持つあなたが早々に降参しないでいただける?」
「一度、痛い負け試合を経験済みですけど」
「そうだったわねえ。結婚式当日に」
「『こんなむさ苦しい筋肉男に嫁ぐなんて嫌!』と絶叫されましたし」
カサンドラと第二愛人は互いに顔を見合わせる。
「十三年前だったわね。懐かしいこと」
その式には皇太子だった現国王も皇太子妃だったカサンドラも国王夫妻の代理で出席していた。
辺境伯家嫡男の結婚式だったからだ。
「狙いを皇太子に定めて泣き崩れたあなたの元婚約者は、見事側室第二夫人の座に収まり、反対にあなたは次期辺境伯の座を辞退したわね」
センセーショナルな状況が、辺境を治めるのに悪影響を及ぼしてしまいかねないと、身を引いたのだ。
「そのおかげで、自由な冒険者となれました」
「あなたの名声は届いているわ。負け知らずの勇者でしょ。私、あなたの活躍を誇らしく思っておりますから」
「王后様が別の身分をご用意くださり、かつ、最高の装備を支援し続けてくれたおかげです」
第二愛人が離宮の森を眩しそうに眺める。
「ときおり、森の加護がありました」
「うふふふ」
カサンドラは笑うだけ。
第一愛人がきっと力を貸していたのだろう。同じ境遇を知っていたから。
「私ももうそれなりの歳です」
「身を固める相手でも見つかったかしら?」
「はい、目の前に」
「うふふふ」
カサンドラは頷いた。
「勇者は引退し、王后様を一生涯お守りする矛楯となりましょう」
第二愛人がカサンドラの前で跪いた。
とまあ、
第三、第四、第五、第六……
『白い愛人』たちがカサンドラにもとに集結した。
おわかりだろう。伴侶になる予定だった者が、国王の側室になり人生を狂わされた犠牲者たちである。
皆でぼんやりと雲ひとつない青空を眺めている。
「それで、第七夫人の犠牲者は?」
第一愛人がボソッと言った。
「珍しく存在しないのよ」
その返答に『白い愛人』たちは興味が湧いたのか、続きを促すような視線をカサンドラへと向けた。
「あら、皆さん気になるようね」
カサンドラは侍女に目配せして、調査資料を手にする。
「じゃあ、説明するわ」
『白い愛人』たちは、カサンドラを見つめ耳を傾けた。
「第七夫人は聖女よ。陛下が神殿視察時に連れ帰ってきたみたい。『神殿で不当にこき使われています。どうか、お助けください。私、このままでは身も心もボロボロになって儚くなってしまいます』と訴えたのだそう。弱き者を救い出す状況は、あの陛下の好物ですから。いわゆる、庇護欲を掻き立てられたのでしょう」
「女性だけに限っていますがね」
侍女が小声でシレッと告げる。
カサンドラは肩を竦めてみせた。
「それで、その聖女の言い分が合っているか調べたの。本当だったなら神殿に改善を命じないといけないから。……ただ単に、聖女の能力が低かっただけだったのよ」
カサンドラは資料を捲る。
「片田舎の小さな小さな村の出でね。風邪や傷に打撲、捻挫や筋違いなんかを治癒してきたのだって。医者がいない村では女神のように称えられていたそうよ。やがて、王都神殿から聖女の召集がかかるの。本人は名声を手に入れられると意気込んで上京したのでしょうね。だけど、深手や重病を治すほどの力は持っていなかった。かつ、力の限度域も低い。片田舎では、月に数人を診る程度で良かったけれど、王都では一日に何人もの患者を診るのだから、圧倒的な能力の差だった。でも、伸び代はあったのでしょう。だからね」
カサンドラは第二愛人を一瞥した。
「剣の修業と同じ、能力は使う頻度経験で上げられるもの。神殿はただ聖女の力を伸ばそうとしただけ。それを不当にこき使われ、となるわけですな。聖女の言い分だと」
カサンドラの意を得て第二愛人がそう続けた。
「ええ、その通り。一日に二、三人程度の治癒を施し力が枯渇。片田舎ならそれでチヤホヤされていたから、それ以上を試す気がない。本人に力を伸ばす意識がないのだから、成果はいっこうに得られず。それで結局、薬草畑行きにしたそうよ。薬草の知識で、補助薬を使った治癒を行えると考えたの、神殿は。力の底上げは薬草を併用することでも可能でしょ。だけど」
その先は言わずもがな。
「聖女なのに、農婦のような畑仕事虐めをさせられ、心身ボロボロと変換されたわけですか」
第二愛人が苦笑しながら発した。
ものは言い様というか、なんというか。いや、聖女は本気でそう思っている節も感じられる。
「ならば、犠牲者は神殿ですね」
第一愛人が呟いた。
「うーん……」
カサンドラは思案する。
「……名声を手に入れたい聖女の罠にまんまと嵌った陛下が犠牲者かもね。聖女の名声を手に入れるより、簡単だもの、側室の座(名声)を手に入れることは」
カサンドラは肩を竦めてみせた。
「あら、そういえば、王城を出て七日めね」
その言葉の意味は、今日が第七夫人の日ということ。
「陛下は一日に一人を相手しますが、王后様は本日六人をお相手くださっていますから、陛下より上手でいらっしゃる」
カサンドラの十五年を吸った第一愛人がシレッと口にした。そのもの言いはどこかカサンドラに似ている。
「そうですそうです、陛下より我々の扱いが上手ですな」
と第二愛人。
「んっもうっ! 変な言い方をしないでちょうだい!」
頬を膨らませた若く可愛らしいカサンドラに、『白い愛人』たちからドッと笑いが起こったのだった。




