第十九章 死の吐息と、新たな始まりの狭間で
楽しんで読んでください。文章や言語に誤りを見つけた場合は申し訳ありません
――堕ちたその先、意識が再び芽吹くとき――
ロイドは動かなかった。
彼の身体は、倒れたその場所に横たわったまま――抵抗することもなく、身じろぎひとつせず、意識を失っていた。まるで崩れ落ちた瞬間こそが、彼自身の最後の選択だったかのように。
四肢は不自然に投げ出され、片方の手は力なく開き、指先は空を掴もうとすることすら忘れていた。もう一方の手は半ば握られたまま――そこに、もはや掴むべきものが何もないことを知らぬかのように。
彼の上に広がる空は、何も語らなかった。
さらに暗くなることもなく、
慈悲として明るむこともない。
そして、彼を支える大地にも、情けはなかった。
地面は冷たく、硬く、激突の余波でひび割れている。小石が露出した肌に食い込み、引き裂かれた衣服には砂塵が張りつき、本来の色を覆い隠していた。
腕や胸には痣が広がっている。
重なり合い、折り重なるそれらは、彼が理解しきれなかった一撃一撃の沈黙の署名だった。
古く沈んだ色のものもあれば、まだ落ち着かない濃紫の新しいものもある。
そして、開いたままの傷――それらは深さゆえだけではなく、戦いそのものが「終わり」を拒んでいるかのように、塞がろうとしなかった。
血は、なお流れていた。
激しく噴き出すこともなく、
命を奪う奔流でもなく。
ただ細く、執拗に、皮膚を伝い、土へと染み込んでいく。
まるで、誰にも読まれることのない「生存の証明」を静かに書き残すかのように。
命は、彼から去ってはいない。
だが同時に、彼の内に安定して留まっているわけでもなかった。
――竜が、彼の前に立っていた。
巨大なその身体は微動だにせず、翼は畳まれ、爪は地を捉え、呼吸は落ち着いている。まるで、つい先ほどまで戦っていたことなど、些事であったかのように。
爪を振り上げることも、次の一撃を構えることもない。
その必要が、もはや存在しなかった。
今のロイドは「敵」ではない。
ただの――結果だった。
竜の瞳は静かで、古く、この場所そのものよりも古い記憶を宿している。
同じように倒れていった無数の身体を見てきた。
砕け散った野心、消え去った名、なぜ進めなかったのかを最後まで理解できなかった魂。
「……人間か」
低く、ざらついた声。
そこに怒りも軽蔑もなかった。
それは侮辱ではなく、ただの分類だった。
「待つことを知らぬ世界に、投げ込まれた存在」
沈黙が落ちる。
空虚ではない沈黙。
判断が続いている沈黙。
竜の視線は再びロイドへと戻る。
苦しげに上下する胸。
完全には止まらぬ出血。
「……それでも――」
言葉は、そこで止まった。
意味がないからではない。
今、それを認める理由がなかっただけだ。
その背後で、空間が歪んだ。
爆発はない。
嵐も起きない。
ただ、世界そのものが境界を組み替えていくような、緩やかな変形。
虚無が引き伸ばされ、圧縮され、不安定な形を取り始める。
――門が、形成されていく。
それは「開く」のではない。
膨張するのだ。
音を立てることなく、光を飲み込む。
竜はそれを見据え、慣れた目で観察した。
この変化が、初めてではないと知っているかのように。
「……位置が変わったか」
苛立ちはない。
最後に、もう一度だけロイドを見下ろす。
「ならば、道は閉じていない」
ほんの一瞬の逡巡。
ほとんど気づかれぬほどの。
そして、さらに低く――独白に近い声で。
「待っていよう、少年」
それは約束ではない。
脅しでもない。
時間の中に吊るされた、ただの事実だった。
光が竜を包み、
空間が折り畳まれ、
門は閉じた。
ロイドだけが残される。
壊れた身体。
眠り続ける意識。
だが――生きている。
---
虚無が完全に静まったとき、その場所はもはや同じではなかった。
静寂は「止まった」ものではなく、「張り詰めた」ものへと変わる。
やがて、ロイドの傍らに淡い光が生まれた。
それは揺らぎ、躊躇い、まるで「現れること」自体に計算を要するかのようだった。
そして――形を成す。
小さな竜が現れた。
大きくはない。
威圧的でもない。
周囲を支配する存在感もない。
それでも、静かな均衡を保って立つその姿は、この残酷な世界に――渋々ながらも認められているかのようだった。
一歩、近づく。
さらに一歩。
その瞳は、終始ロイドから離れない。
頭から足先まで、無言で身体を調べていく。
その動きは無作為ではない。
明確な意図をもっていた。
開いた傷。
血の止まらぬ箇所。
戦闘中には見逃されていた小さな裂傷。
そして――目に見えない「何か」。
一瞬、身体が強張る。
首を傾げ、
やがて、まっすぐに戻す。
決断は、すでに下された。
短く息を吐くと、柔らかな緑の光がその口から溢れ出した。
それは鋭くも強引でもない。
ロイドの身体を包み込み、ゆっくりと傷を塞いでいく。
出血が止まる。
焼けつくような熱が引いていく。
痛みは消えない。
だが――耐えられる程度にまで、静まった。
しばらくして。
ロイドの呼吸が変わる。
深く、重く。
胸が大きく上下し、
まぶたが一度……二度……震え、ゆっくりと開いた。
世界は、まだぼやけている。
音は遠く、
光には輪郭がない。
動こうとして――拒まれる。
疲労は絶対的だった。
筋肉のすべてが、代償を求めている。
弱く息を吐き、ふと、傍らの小さな影に気づく。
残った意識を必死に集め、
その形を結ぶ。
――小さな竜。
それは首を左右に傾け、仲間が本当に戻ってきたのかを確かめるように見つめていた。
ロイドは、しばらくそれを見つめ返す。
笑うことはできない。
身体も動かせない。
それでも、言葉だけは――零れ落ちた。
「……ありがとう……」
それ以上は、言えなかった。
瞼が再び閉じる。
今度は、抵抗なく。
身体は闇へと沈んでいく――だが、それは先ほどとは違う闇だった。
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この闇は、空ではない。
内側の空間。
意識。
重み。
記憶。
――負けた。
その思考は静かに訪れ、最初は痛みを伴わなかった。
だが次第に広がる。
戦いが再生される――混沌ではなく、緩慢な流れとして。
理解できなかった一瞬。
無謀だった選択。
力に頼り、理解を欠いた判断。
「……力で戦っていた」
内なる声は、冷静だった。
「理解で戦ってはいなかった」
やがて、身体への感覚が戻る。
鋭い息。
確かな痛み。
歯を食いしばる――叫びはない。
ゆっくりと、身体を起こす。
頭は回り、腹が締めつけられるが、身体は従った。
震える手を見る。
だが――握れる。
「弱かったから負けたんじゃない……」
囁く。
「準備が、足りなかっただけだ」
紅の眼が、脈打つ。
爆発ではない。
閃光でもない。
――覚醒。
世界が変わる。
エネルギーの痕跡。
動きの軌道。
利用できたはずの「隙」。
父の剣に手を伸ばす。
握る。
その感触は、変わらない。
剣は、戦ってはくれない。
ただ――自分が誰かを、思い出させる。
立ち上がる。
困難を伴いながらも。
だが、確かな意志と共に。
視線を向ける――
あの大竜が消えた、地平の先へ。
「……変わらなければ」
静かに言う。
「また、負ける」
そして、少しだけ強く。
「だが――折れはしない」
遥か彼方で……
何かが、動いた。
そして、初めて――
ロイドは、
単なる生存者ではなくなった。
彼は、
成長し始めた脅威となったのだ。
――第十九章・了――
また近いうちにお会いしましょう




