表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

そして、呪いの雨が降りしきるだろう

作者: ヤスゾー
掲載日:2025/07/23

 相手の体勢が崩れる。


「今だ!」


 少女は目を光らせた。

 これは「ガキとジジイ」と馬鹿にしてきた奴らに、一泡ふかせるチャンスだ!


「ひぃ!」


 相手の男は両目をつぶり、頭を抱えて、身を縮める。

 少女は愛用の剣を一気に振り下ろす……はずだった。

 が。


「っ!」


 突然、痛みが襲った。

 熱く、

 鋭い、

 容赦のない痛み。


 視線を落とすと、ダガーが自分の脇腹に刺さっていた。

 ぬるり、と何かが脚を伝う。

 生温かい。じっとりと濡れている。

 それが血だと気づいた瞬間、脚から力が抜けた。

 身体が崩れ落ちる。


「な、なんで……?」


 手から剣が離れ、少女は顔を上げる。

 ダガーを握る手。

 その主を見て、彼女は目を見開いた。

 そこにいたのは、自分の……。


「せ、先生……?」


 濡れた白い眉の下から寂しげな目が、こちらを見つめている。

 何も言わない。

 ただ、うつむいたまま。

 崩れた荒城の石壁に、滴る水の音だけが響いていた。


「せ……」


 少女は呼びかけようとして、言葉を止めた。


 あれ?

 この人は、誰だろう……?


 ▲▲▲


 その城は、常に雨に溺れていた。 

 太陽は厚い雲の向こう。光が差すことはない。

 雨、雨、雨……。

 勢いの有無はあるにせよ、ここ一帯には「晴れ」という概念が存在しなかった。


「うわ~、これはすげぇわ!」

「床というより湖ね」

「みんな、足を滑らせないように気を付けよう」


 水音を立て、男女十人ほどが城の中に入って来た。

 肩当て、籠手、鎖帷子。

 それぞれが防具を身に着け、手には長剣やダガー、弓矢など、武器を携えている。

 彼らは「賞金稼ぎ」だ。


「これじゃあ、ただのあばら家だな」


 顎髭を撫でながら、中年の男性が建物を見渡した。

 ここは「マントラ城」と呼ばれている。

 しかし、「城」とは名前ばかり。屋根も壁も、あちこちが崩れ落ちている。隙間からは、容赦なく雨風が吹き込み、床とおぼしき場所は水浸しだ。天井からは水が滴り落ち、いくつもの滝ができていた。

 かつて、人が暮らしていたのだろう。随所に、家具が置かれている。だが、どれも長年水に浸かって、腐り果てていた。


「あまり長居すると、身体に障る。早めに仕事を終わらせよう」

「早めに……って、あいつらもいるのに?」


 金色の髪を一つにまとめた若い男性が、城の入り口に視線を送る。

 ちょうどタイミング良く、男女二人組が城に入って来た。


「わあぁ……。水浸しの城だ」

「おや? どうやら我々が最後のようですよ」


 入ってきたのは、目つきの鋭い十代の少女と、白髪を後ろに流した初老の男性。

 少女は短い茶髪を濡らしながら、あたりをきょろきょろと見回している。腰には長剣。柄に手を添え、いつでも抜けるように構えていた。

 一方、初老の男性は穏やかな笑みを浮かべ、少女の後ろに立っている。その手にあるのは、武器とは呼びがたい、一本の長い枝だけであった。


「おい。そこの、ガキとジジイ」


 金髪を束ねた若い男が、少女を見て笑っている。その笑みはいやらしく、あからさまに二人を見下していた。


「お前ら、仕事できるのか? 分かっているのかよ。俺達の「仕事」を」

「……」


 少女は柄を握る手に、力をこめた。

 瞳が鋭く光り、全身から黒い気配が立ちのぼる。

 すると。


「もちろん、承知しておりますよ」


 初老の男性が一歩前に出て、穏やかな笑みで割って入った。


「このマントラ城に棲む魔物、「ノロイ」の退治ですよね? 皆さん、経験豊富な賞金稼ぎのようで、頼もしいかぎりです。賞金のためにも、お互い頑張りましょう」


 腰が曲がっているわけではないのに、低姿勢のせいで彼が小さく見える。


「お前なんかに応援されたかねぇんだよ、ジジイ」


 金髪の男は鼻で笑うと、水たまりをわざと踏みつけてみせた。ぴしゃっと、汚れた飛沫が上がった。


 「賞金稼ぎ」とは、犯罪者の逮捕や魔物退治で報酬を得る仕事だ。当然、実力主義。腕に覚えがある者達が集まる。

 その中に、年寄りと少女が混じっていることが、彼らは気に入らないようだ。


「お前らと行動なんて、俺は御免だね」


 金髪の男は吐き捨てるように言い、勝手に奥へと進んでいった。

 それを皮切りに、他の賞金稼ぎたちも動き出す。


「私も嫌。自分の身は、自分で守ってちょうだい」

「じゃ、ある程度片付けたら、ここに集合ね」

「その頃には、あの二人の死体が転がっているかもな」


 嫌な笑い声が響きわたる。

 そして全員、少女と初老の男性を残して、濡れた廊下の奥へと姿を消していった。

 彼らの姿が見えなくなると、初老の男が静かに口を開いた。


「はい。もう我慢しなくて大丈夫ですよ」

「っだあああぁぁぁ!!」


 許可が出たとたん、少女が怒声をあげた。

 眉を吊り上げ、顔を真っ赤にして吠える。


「ふざけんなっ! 誰が、あんな奴らに守ってもらうかっての! あいつらの方こそ、死体になって転がっているか、見物だわ!」


 感情があふれ、怒りが爆発する。

 その隣で、師は表情ひとつ変えない。


「いやいや、彼らは間違いなく手練れです。そう簡単にはやられませんよ」

「チグ先生も言い返せよ! なんでヘコヘコしているのさ!」

「それで怪我したら、元も子もないでしょう?」

「でもっ!」

「……トンカ」


 チグは唇に人差し指を立てた。

 少女トンカは、その仕草にぴたりと口を閉じた。

 その空気が、愚痴の時間の終了を告げていた。


「来ましたよ。お仕事が」


 チグの血管の浮いた指が、ゆっくりと奥を指す。

 雨が視界を曇らせていた。

 確かに。

 何かが、いる!


「っ……」


 それは、小さな影だった。

 幼い子供のような形。

 ゆらり……

 ゆらり……

 左右に不自然に身体を揺らしながら、こちらに向かって歩いてくる。

 遅い。だが、近づいている。


「……あ、そぼ……ねえ……あそぼ」


 聞こえてくる声は、「人間の声」ではなかった。

 ざらついたノイズが混じった、壊れかけの機械音。耳の奥で、金属を引っかくように響く。

 よく見れば、それは人ではない。

 肌も、服も、髪も、すべてが真っ黒。

 顔すらない。顔の中央に二つ、ぽっかりと空いた穴が目のように開いているだけだ。

 腕は異様に長く、ぶらんと地面に引きずって歩いている。


「あれが「ノロイ」?」

「ええ。昔、この城の王子が城に呪いをかけたそうです」


 チグが、淡々と語る。


「それ以来、雨は止まず、「ノロイ」という怪物が生まれた。国が滅びた今でも、奴らは棲みつづけている。……そんな伝承が、あるんですよ」

「だったら、その呪いごと、ぶった斬ってやる!」


 トンカが長剣を鞘から引き抜いた。

 鋭く、獣のような目つき。

 無駄のない構え。

 全神経が、敵へと集中していた。

 チグはその気配を感じ取り、すっと一歩、距離を取った。


「気をつけなさい。「ノロイ」は、さまざまなものに化けることができます」


 チグの声は、あくまで穏やかだった。


「そこで問題です」

「ああっ!?」


 戦闘態勢で殺気立つトンカは、苛立ったように声を上げる。

 だが、師は構わず問いかけた。


「ここには、何体のノロイがいるでしょうか?」

「……!」


 その一言で、トンカの意識が一気に広がった。

 目の前にいるノロイだけじゃない!?

 ……いや、いる。

 見えないだけで、他にも「ノロイ」が!

 空気が揺れる。

 水音を蹴って、トンカが駆け出した。


「はああああぁっ!!」


 剣を振るう先は、「子供の姿をしたノロイ」ではない。

 その背後。濡れた石壁へと向かって、勢いよく斬りかかる!

 音が歪んだ。

 斬られた壁の一部が、歪んで浮き上がった。

 そこに現れたのは、全身が墨のように黒い人型。ノロイだ。

 トンカは一瞬の迷いもなく、その首を断ち切る。


「ぎゃあああああ……!」


 咆哮のような悲鳴がこだまする。

 ノロイの体は、泥のようにぐずぐずと崩れ、足元で黒い液体に変わっていった。


「次!」


 振り返りざま、子供型のノロイへ斬りかかる。

 首を目がけて、鋭く剣を振り下ろす。

 さらに動きは止まらない。

 トンカは床を一閃。水を撒き散らすと、石材が砕けた。

 次に、ボロボロのドアを叩き割り、崩れかけのチェストを二つに斬り裂く。

 そのたびに、黒い影が呻くように現れ、崩れ、泥と同化して床へ溶けていく。


「はぁ……はぁ……」


 トンカは剣を支えにして立ち、頭を預けるように項垂れた。

 息が上がる。腕が震える。肩が重い。

 緊張の糸が切れ、身体が石のように動かなくなる。

 それでも、彼女は剣を鞘に収め、ゆっくりと師の元へ戻った。


「全部で五体だ」

「……見事です、トンカ」

「っ!」


 嫌な音が耳に刺さる。

 あの声だ。

 先ほどの「ノロイ」と同じ。

 ノイズが混じった、壊れた機械のような声。

 トンカが身構えた、次の瞬間。

 信じられない光景が、目の前で起こった。

 チグの体が、崩れ始めたのだ!

 髪が一束ずつ抜け、皮膚が溶け、肉が剥がれ落ちていく。骨がむき出しになり、眼球が飛び出した。


「うっ……!」


 あまりの光景に、トンカは顔を歪める。

 肉片が削げ落ちるたび、水しぶきがはね、膝を濡らす。そのぬるさが気色悪かった。


「ト、ンカ……」


 骨の姿になり果てたチグが、トンカに向かって手を伸ばす。


(しまった!)


 剣を構えている時間がない。

 トンカは思わず、目をぎゅっとつぶった。

 その時。

 頭上から、穏やかな声が降ってきた。


「はずれ。六体でした」


 黒い影が一直線に降下し、ノロイの足元へと落ちた。

 直後。

 ノロイの首が滑らかに、綺麗に切断された。

 まるで水に吸い込まれるように、首が沈んでいく。


「まだまだですね、トンカ」


 水音の中に、師の静かな声が混じる。

 手にしているのは、木の枝。

 彼はその枝一本で、ノロイを斬ったのだ。


「はいはい、分かっています! 先生は流石ですね!」


 助かった安堵感に悔しさが混じり、トンカは半ばやけくそ気味に叫んだ。

 そんな彼女に、チグは静かに告げる。


「その元気、保ち続けてくださいね」

「え」


 瞬間、トンカの全身が強張った。

 ノロイが来ている。

 無数の気配が、四方八方から迫っている。

 囲まれた!


「さあ。お仕事、頑張りましょう」

「くっ! 休む時間が欲しかったのに!」


 トンカは剣を抜き、チグは枝を構えた。

 頭から雨水が滴り、足元の水たまりが波打つ。

 しかし、その中で二人の闘志は、熱く燃えていた。


 ▲▲▲


 それから、いったい何体のノロイを倒しただろう。

 剣を振るう腕が痺れ、膝は笑い、足元の泥に沈みそうになる。

 ずっと雨に晒され、体力はとっくに底をついていた。

 それでも、トンカは立ち続けた。


 やがて、ノロイの気配が薄れていく。

 ようやく、襲撃は収まったらしい。

 その時。


「なんだよ。あいつら、生きているじゃん」


 入口から声がした。

 濡れた床を踏みしめながら、賞金稼ぎたちが戻ってくる。

 どの顔も疲弊しているが、幸い、死人はいないようだ。


「どこを探し回っても、もうノロイの姿はない。……退治終了ってことでいいだろう」

「はあ~~、しんどかったぁ」

「みんな、お疲れ。賞金は、調査団が確認をしてからになる」


 顎鬚を携えた男性の言葉に、仲間たちはようやく安堵した。武器を収め、雨を拭いながら一息つく。

 脱力感と解放感がその場に広がる。


「……このままだと、賞金は全員で山分けか?」


 金髪を束ねた若者が、ぽつりと口にした。

 その言葉に、場の空気が一瞬で静まり返る。


「そういう決まりだ」


 顎髭の男性が間に入り、淡々と応じる。

 だが、若者の目は熱がこもったままだ。


「この人数で割ったら、端金じゃねぇかよ。こっちは命かけたってのに」

「それは、最初から承知の上で……」

「こいつら殺そうぜ」


 金髪の若者が、刃をトンカ達へ向けた。

 長剣の切っ先が銀色に光る。


「ノロイに殺されたって言えばいい。そうすりゃ、取り分が増えるだろ?」


 賞金稼ぎという生業は、常に死と隣り合わせだ。

 弱ければ、魔物か犯罪者の餌食になる。それが常だ。

 だが、今回はチグの言った通り、強者が揃いすぎた。

 誰も死なず、誰も脱落しない。

 当然、一人あたりの取り分が減る。


「こんなガキとジジイ、ノロイ倒すより楽だろ」


 金髪の若者が冷たく言い放つ。


「しかし……」


 顎髭の中年は止めたそうに眉をひそめるが、動かない。

 他の賞金稼ぎたちも同様だ。

 間違っていると分かっていながら、賞金の誘惑には勝てない。


「決まりだな」


 若者は悪魔のような冷たい笑みを浮かべ、トンカ達に身体を向き直した。


「お前ら、死ね!!」


 水飛沫を蹴り上げ、若者がチグに向かって突っ込んだ!

 だが。

 チグの体が、ふわりと宙に舞った。


「なっ……!」


 初老とは思えぬ跳躍。

 若者は一瞬、目を見開く。

 その刹那。


「ふんっ!」


 トンカの蹴りが、若者の腹を正面から打ち抜いた!


「ぐっ……!」


 重たい水音を響かせ、若者の体が派手に吹っ飛ぶ。

 背中から倒れ込み、水しぶきが大きく跳ね上がった。


「う、うそっ!?」

「あいつら、強ぇ……!」


 そんな言葉を背後に受けながら、トンカは口の端を上げた。

 これは勝った!


「今だ!」


 トンカは目を光らせた。

 これは「ガキとジジイ」と馬鹿にしてきた奴らに、一泡ふかせるチャンスだ!


「ひぃ!」


 相手の男は両目をつぶり、頭を抱えて、身を縮める。

 少女は愛用の剣を一気に振り下ろす……はずだった。

 が。


「っ!」


 突然、痛みが襲った。

 熱く、

 鋭い、

 容赦のない痛み。


 視線を落とすと、ダガーが自分の脇腹に刺さっていた。

 ぬるり、と何かが脚を伝う。

 生温かい。じっとりと濡れている。

 それが血だと気づいた瞬間、脚から力が抜けた。

 身体が崩れ落ちる。


「な、なんで……?」


 手から剣が離れ、トンカは顔を上げる。

 ダガーを握る手。

 その主を見て、目を見開いた。

 そこにいたのは、自分の……。


「せ、先生……?」


 濡れた白い眉の下からチグの寂しげな目が、こちらを見つめている。

 何も言わない。

 ただ、うつむいたまま。


「せ……」


 再び「先生」と呼びかけようとして、トンカは言葉を呑んだ。

 チグがいない。


「……え……」


 トンカは一歩、後ずさった。

 チグのいた場所に、別の誰かが立っている。


(あれ? この人は、誰だろう……?)


 そこには少女がいた。

 短く切った茶色の髪。吊り上がった瞳。十代半ばの女の子。

 顔に見覚えがある。

 いや、これは……。


 自分だ!!


「…………」


 あまりの恐怖に、喉が凍りつく。声が出ない。

 目の前の()()が髪から雫を垂らしながら、小さく呟いた。


「……もう、無理です……。給仕人達にまで手を出すなんて……」


 その声は、機械音ではない。

 涙に濡れた、人間の声だった。


「給仕人……?」


 トンカは慌てて周囲を見渡す。

 金髪の若者も、顎髭の中年男性もいた。

 だが、彼らは防具ではなく、白シャツに黒いスラックス、エプロンドレスを身にまとっている。武器も手にしておらず、怯えた顔でこちらを見ていた。


「な、なんで……?」

「もう……、目を覚ましてください」


 涙を浮かべながら、()()は手にしたダガーを落とした。


チャリン


 金属音が、乾いた音を響かせる。


「っ!?」


 トンカは顔をひきつらせた。

 水浸しの床から、そんな音が響くはずがない。

 気付けば、濡れている感覚がない。

 水の匂いも、湿り気も。

 いつの間にか、消えていた。


「……う、うわぁっ!!」


 理解が追いつかない。

 トンカはその場を這うように走り、バランスを崩して転倒する。

 水に落ちたはずの身体に、濡れた感触はなかった。


「なんで! なんで、こんな……!」


 景色が音もなく、ぐにゃりと変わっていく。

 水没していた床から水が引き、大理石の光沢が現れる。穴だらけだった壁は修復され、小花模様の壁紙の上にタペストリーが揺れている。天井から落ちていた滝はなく、立派な屋根が広がっていた。

 そこは美しく整った、荘厳な城だった。

 トンカはふと、壁の鏡に視線を向ける。

 彫刻の施された、重厚なフレームの大鏡。

 違和感を覚え、鏡を覗き込む。

 と同時に、背後から()()の声がした。


「お願いよ……。ジン……」


 背筋が凍る。

 鏡に映ったのは、茶色の短い髪を持つ……。

 少年だった。


「うわああああああああああああ!!!!」


 ▲▲▲


 マントラ国には、双子の王女と一人の王子がいた。

 双子の王女は顔がそっくりだったが、性格は正反対だった。

 姉のマンカ王女は、勉学を好む聡明な少女。

 妹のトンカ王女は、元気で笑顔の絶えない活発な少女だ。

 そして、末っ子のジン王子はやんちゃで好奇心旺盛な男の子。トンカとは仲が良く、いつも一緒に「冒険ごっこ」に興じていた。


「くそっ、魔物が強すぎるぞ!」

「他の賞金稼ぎたちは、私たちがやられるのを待っているんですよ!」


 中庭のガゼボを洞窟に見立て、二人は賞金稼ぎごっこに夢中だ。

 そんな彼らの良き理解者が、剣術の師・チグだった。


「こらこら、そんなところに登っては危ないですよ」


 ガゼボの屋根によじ登ろうとする二人に、穏やかな声がかかる。

 かつての騎士団長とは思えないほど、白髪の下はいつも柔らかな笑みが浮かんでいた。


「さ、訓練の時間ですよ。準備を」

「え〜! まだ冒険が途中なのに!」

「先生、呪いは!? 俺、呪いを使ってみたい!」


 トンカはすぐ素直に従うが、ジンはどこまでも落ち着かない。

 チグは苦笑しながら、話をそらす。


「マントラ国の王族男子は、呪いが使える。そんな伝承はありますが、実際に使った人は見たことがありませんね」

「でも、雨を降らせて、魔物を生み出すって……!」

「はいはい。話は後で。訓練場へ行きましょう」

「ちぇっ」

「仕方ありません。遊びの後は鍛錬ですよ」


 それはいつも通りの、穏やかで楽しい日常だった。

 雨は時折降るだけで、魔物はどこにもいなかった。


 ところが。

 国が揺れるような事件が起きた。

 ある日、ジン王子とトンカ王女が、こっそり城を抜け出してしまったのだ。

 それに気づいたチグは、憲兵に通報すると、すぐさま馬を走らせた。

 人気のない森の奥で、二人を見つけた時。

 彼らは、すでに人買いに捕らえられていた。


「おい。見ろよ、こいつらの服。どこの大貴族だ? 大当たりじゃねえか!」

「これだけで、しばらく遊んで暮らせるぜ!」


 王子は縄で縛られ、地面に押さえつけられていた。

 トンカ王女は担がれ、今にもどこかへ連れ去られそうだ。


「ジン様! トンカ様!」


 馬を飛び降りるなり、チグは二人の名を叫んだ。

 その声を聞いた瞬間、子供たちは縋るように叫ぶ。


「先生……先生!」

「助けて、先生!!」


 大粒の涙をボロボロと流している。

 すぐにでも駆け寄って救い出したい。

 だが。

 悪漢の一人が、トンカの首筋に短剣を当てていた。


「おっと動くなよ。こいつの命が惜しければな」

「くっ……!」


 チグの手が、剣の柄を探りかけて止まる。

 実力ではこちらが上だ。だが、人質がいれば、下手に動けない。


「先生……」


 不安そうに、トンカが震える声でつぶやいた。

 安心させるように、チグはおだやかな微笑みを浮かべる。


「大丈夫ですよ。もうすぐ憲兵たちが来ます。それまでは、私が……」


 その言葉の途中で、動きが止まった。

 チグの首が、音もなく地面に落ちた。


「え……」


 まるで糸が切れた人形のように、身体が崩れ落ちる。

 鮮血が噴き上がり、草むらを真っ赤に染めていく。

 転がった首が、ジン王子の前で止まった。


「……」


 目が合った。

 笑っていたはずのその顔が、もう何も語らない。


「いやあぁぁぁ!!!」


 トンカの絶叫が森の中に響く。

 それがジンに現実を突きつけた。

 先生は殺されたのだ。


「馬鹿か、お前! 殺すことねえだろ!」


 背後からチグを斬った男に、仲間が怒鳴りつける。

 血の付いた長剣を持った男の手は震えていた。


「だ、だって、憲兵が来るって言ったんだよ!? ここで捕まったら……!」


 パニックの連鎖が、さらに事態を悪化させる。

 大好きな先生が殺されて、トンカは混乱し、暴れ始めた。


「いやぁぁぁ! 先生! 先生!!」

「うるせえ! こいつ、騒ぐな!」

「っ!」


 急に、トンカは静かになった。

 彼女のドレスがだんだん赤く染まっていく。

 身体がぐらりと揺れた。


「やべっ! こっちも殺しちまったよ!」


 悪漢達の手によって、王女の身体がゴミでも捨てるように地面へ放られる。

 その瞳からは、光がすでに消えていた。


「トンカ姉様……。先生……」


 ジンは、血に染まった二人を見つめた。

 息をしていない。もう笑ってくれない。


 なぜ、こうなってしまったのだろう。

 外の世界を見たかったからだ。

 だから。

 姉を誘った。

 先生が心配して、後を追ってきてくれた。

 そしたら。

 二人とも殺されてしまった。

 すべて、自分のせいだ。

 自分が死んで、姉と先生が生きるべきだったのだ。

 ジンは心の中で、何度も何度も自分を殺した。

 死ね。

 死ね。

 死ね。

 死ね。

 死ね。

 死ね。

 何も聞こえない。

 風も、鳥の声も、血の匂いすらも、全部遠い。

 やがて、馬の蹄が土を叩く振動が伝わってきた。


「いたぞ! ジン様だ!」


 それは、チグが呼んだ憲兵達だった。

 到着した彼らが目にしたのは、王女と元騎士団長の死体であった。


「チ、チグ殿! トンカ様……!」


 誰かが叫び、誰かが泣いた。

 悪漢達は逃げ出そうとしたが、憲兵たちがすぐに取り押さえた。

 抵抗した者もいた。

 だが、王族に手をかけた罪は重く、処刑は即日行われたのであった。


 今回の事件で、国民は王女の死を悼み、王子の無事を喜んだ。

 だが、それは、あくまで表向きの話にすぎない。

 あの事件以来。

 ジンは姉の声色を真似し、姉の名を騙るようになった。


「私はトンカ。さあ、先生。冒険の旅に出よう」


 もう一人の姉、マンカ王女に向かって、笑顔で手を差し伸べる。

 その瞳には、……もう何も映っていなかった。


▲▲▲


 王城の最上階。誰も使わなくなった小部屋に、ジン王子は身を横たえていた。

 脇腹の傷は、まだ痛む。けれど、命に関わるものではないらしい。

 最近、自分が「トンカ」ではなく、「ジン」であるということを理解した。

 けれど、それに何の意味もなかった。

 姉はいない。

 先生もいない。

 その事実だけが胸を抉るように、居座っている。


「……」


 ジンは無言のまま、窓の外を見つめていた。

 広がる空はどこまでも青く、風は穏やかだ。

 こんな天気の下で、ジンはかつて先生と交わした言葉を思い出した。


「マントラ国の王族男子は、呪いが使える。そんな伝承はありますが……」

「雨を降らせて、魔物を生み出すって!」


 しばらくして、あれほど明るかった空に、黒い雲が広がり始めた。


「……」


 ジンが視線を横に移すと、ベッドのそばに大好きだった姉が立っていた。あの元気で明るい笑顔を浮かべて。


「ジン」


 けれど、その声は機械のようなノイズ混じりで、耳に不快さが残った。

 その間にも、空は黒く染まっていく。二度と太陽を拝ませまいと、重く垂れ込める漆黒の雲が、マンカ王女を、給仕人達を、そして国全体を飲み込んでいく。

 あまりに濃密な黒い雲の色に、国民の間に不安が静かに広がっていった。


 そして―――。





最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ