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そして、呪いの雨が降りしきるだろう

作者: ヤスゾー

 相手の体勢が崩れる。


「今だ!」


 少女は目を光らせた。

 これは「ガキとジジイ」と馬鹿にしてきた奴らに、一泡ふかせるチャンスだ!


「ひぃ!」


 相手の男は両目をつぶり、頭を抱えて、身を縮める。

 少女は愛用の剣を一気に振り下ろす……はずだった。

 が。


「っ!」


 突然、痛みが襲った。

 熱く、

 鋭い、

 容赦のない痛み。


 視線を落とすと、ダガーが自分の脇腹に刺さっていた。

 ぬるり、と何かが脚を伝う。

 生温かい。じっとりと濡れている。

 それが血だと気づいた瞬間、脚から力が抜けた。

 身体が崩れ落ちる。


「な、なんで……?」


 手から剣が離れ、少女は顔を上げる。

 ダガーを握る手。

 その主を見て、彼女は目を見開いた。

 そこにいたのは、自分の……。


「せ、先生……?」


 濡れた白い眉の下から寂しげな目が、こちらを見つめている。

 何も言わない。

 ただ、うつむいたまま。

 崩れた荒城の石壁に、滴る水の音だけが響いていた。


「せ……」


 少女は呼びかけようとして、言葉を止めた。


 あれ?

 この人は、誰だろう……?


 ▲▲▲


 その城は、常に雨に溺れていた。 

 太陽は厚い雲の向こう。光が差すことはない。

 雨、雨、雨……。

 勢いの有無はあるにせよ、ここ一帯には「晴れ」という概念が存在しなかった。


「うわ~、これはすげぇわ!」

「床というより湖ね」

「みんな、足を滑らせないように気を付けよう」


 水音を立て、男女十人ほどが城の中に入って来た。

 肩当て、籠手、鎖帷子。

 それぞれが防具を身に着け、手には長剣やダガー、弓矢など、武器を携えている。

 彼らは「賞金稼ぎ」だ。


「これじゃあ、ただのあばら家だな」


 顎髭を撫でながら、中年の男性が建物を見渡した。

 ここは「マントラ城」と呼ばれている。

 しかし、「城」とは名前ばかり。屋根も壁も、あちこちが崩れ落ちている。隙間からは、容赦なく雨風が吹き込み、床とおぼしき場所は水浸しだ。天井からは水が滴り落ち、いくつもの滝ができていた。

 かつて、人が暮らしていたのだろう。随所に、家具が置かれている。だが、どれも長年水に浸かって、腐り果てていた。


「あまり長居すると、身体に障る。早めに仕事を終わらせよう」

「早めに……って、あいつらもいるのに?」


 金色の髪を一つにまとめた若い男性が、城の入り口に視線を送る。

 ちょうどタイミング良く、男女二人組が城に入って来た。


「わあぁ……。水浸しの城だ」

「おや? どうやら我々が最後のようですよ」


 入ってきたのは、目つきの鋭い十代の少女と、白髪を後ろに流した初老の男性。

 少女は短い茶髪を濡らしながら、あたりをきょろきょろと見回している。腰には長剣。柄に手を添え、いつでも抜けるように構えていた。

 一方、初老の男性は穏やかな笑みを浮かべ、少女の後ろに立っている。その手にあるのは、武器とは呼びがたい、一本の長い枝だけであった。


「おい。そこの、ガキとジジイ」


 金髪を束ねた若い男が、少女を見て笑っている。その笑みはいやらしく、あからさまに二人を見下していた。


「お前ら、仕事できるのか? 分かっているのかよ。俺達の「仕事」を」

「……」


 少女は柄を握る手に、力をこめた。

 瞳が鋭く光り、全身から黒い気配が立ちのぼる。

 すると。


「もちろん、承知しておりますよ」


 初老の男性が一歩前に出て、穏やかな笑みで割って入った。


「このマントラ城に棲む魔物、「ノロイ」の退治ですよね? 皆さん、経験豊富な賞金稼ぎのようで、頼もしいかぎりです。賞金のためにも、お互い頑張りましょう」


 腰が曲がっているわけではないのに、低姿勢のせいで彼が小さく見える。


「お前なんかに応援されたかねぇんだよ、ジジイ」


 金髪の男は鼻で笑うと、水たまりをわざと踏みつけてみせた。ぴしゃっと、汚れた飛沫が上がった。


 「賞金稼ぎ」とは、犯罪者の逮捕や魔物退治で報酬を得る仕事だ。当然、実力主義。腕に覚えがある者達が集まる。

 その中に、年寄りと少女が混じっていることが、彼らは気に入らないようだ。


「お前らと行動なんて、俺は御免だね」


 金髪の男は吐き捨てるように言い、勝手に奥へと進んでいった。

 それを皮切りに、他の賞金稼ぎたちも動き出す。


「私も嫌。自分の身は、自分で守ってちょうだい」

「じゃ、ある程度片付けたら、ここに集合ね」

「その頃には、あの二人の死体が転がっているかもな」


 嫌な笑い声が響きわたる。

 そして全員、少女と初老の男性を残して、濡れた廊下の奥へと姿を消していった。

 彼らの姿が見えなくなると、初老の男が静かに口を開いた。


「はい。もう我慢しなくて大丈夫ですよ」

「っだあああぁぁぁ!!」


 許可が出たとたん、少女が怒声をあげた。

 眉を吊り上げ、顔を真っ赤にして吠える。


「ふざけんなっ! 誰が、あんな奴らに守ってもらうかっての! あいつらの方こそ、死体になって転がっているか、見物だわ!」


 感情があふれ、怒りが爆発する。

 その隣で、師は表情ひとつ変えない。


「いやいや、彼らは間違いなく手練れです。そう簡単にはやられませんよ」

「チグ先生も言い返せよ! なんでヘコヘコしているのさ!」

「それで怪我したら、元も子もないでしょう?」

「でもっ!」

「……トンカ」


 チグは唇に人差し指を立てた。

 少女トンカは、その仕草にぴたりと口を閉じた。

 その空気が、愚痴の時間の終了を告げていた。


「来ましたよ。お仕事が」


 チグの血管の浮いた指が、ゆっくりと奥を指す。

 雨が視界を曇らせていた。

 確かに。

 何かが、いる!


「っ……」


 それは、小さな影だった。

 幼い子供のような形。

 ゆらり……

 ゆらり……

 左右に不自然に身体を揺らしながら、こちらに向かって歩いてくる。

 遅い。だが、近づいている。


「……あ、そぼ……ねえ……あそぼ」


 聞こえてくる声は、「人間の声」ではなかった。

 ざらついたノイズが混じった、壊れかけの機械音。耳の奥で、金属を引っかくように響く。

 よく見れば、それは人ではない。

 肌も、服も、髪も、すべてが真っ黒。

 顔すらない。顔の中央に二つ、ぽっかりと空いた穴が目のように開いているだけだ。

 腕は異様に長く、ぶらんと地面に引きずって歩いている。


「あれが「ノロイ」?」

「ええ。昔、この城の王子が城に呪いをかけたそうです」


 チグが、淡々と語る。


「それ以来、雨は止まず、「ノロイ」という怪物が生まれた。国が滅びた今でも、奴らは棲みつづけている。……そんな伝承が、あるんですよ」

「だったら、その呪いごと、ぶった斬ってやる!」


 トンカが長剣を鞘から引き抜いた。

 鋭く、獣のような目つき。

 無駄のない構え。

 全神経が、敵へと集中していた。

 チグはその気配を感じ取り、すっと一歩、距離を取った。


「気をつけなさい。「ノロイ」は、さまざまなものに化けることができます」


 チグの声は、あくまで穏やかだった。


「そこで問題です」

「ああっ!?」


 戦闘態勢で殺気立つトンカは、苛立ったように声を上げる。

 だが、師は構わず問いかけた。


「ここには、何体のノロイがいるでしょうか?」

「……!」


 その一言で、トンカの意識が一気に広がった。

 目の前にいるノロイだけじゃない!?

 ……いや、いる。

 見えないだけで、他にも「ノロイ」が!

 空気が揺れる。

 水音を蹴って、トンカが駆け出した。


「はああああぁっ!!」


 剣を振るう先は、「子供の姿をしたノロイ」ではない。

 その背後。濡れた石壁へと向かって、勢いよく斬りかかる!

 音が歪んだ。

 斬られた壁の一部が、歪んで浮き上がった。

 そこに現れたのは、全身が墨のように黒い人型。ノロイだ。

 トンカは一瞬の迷いもなく、その首を断ち切る。


「ぎゃあああああ……!」


 咆哮のような悲鳴がこだまする。

 ノロイの体は、泥のようにぐずぐずと崩れ、足元で黒い液体に変わっていった。


「次!」


 振り返りざま、子供型のノロイへ斬りかかる。

 首を目がけて、鋭く剣を振り下ろす。

 さらに動きは止まらない。

 トンカは床を一閃。水を撒き散らすと、石材が砕けた。

 次に、ボロボロのドアを叩き割り、崩れかけのチェストを二つに斬り裂く。

 そのたびに、黒い影が呻くように現れ、崩れ、泥と同化して床へ溶けていく。


「はぁ……はぁ……」


 トンカは剣を支えにして立ち、頭を預けるように項垂れた。

 息が上がる。腕が震える。肩が重い。

 緊張の糸が切れ、身体が石のように動かなくなる。

 それでも、彼女は剣を鞘に収め、ゆっくりと師の元へ戻った。


「全部で五体だ」

「……見事です、トンカ」

「っ!」


 嫌な音が耳に刺さる。

 あの声だ。

 先ほどの「ノロイ」と同じ。

 ノイズが混じった、壊れた機械のような声。

 トンカが身構えた、次の瞬間。

 信じられない光景が、目の前で起こった。

 チグの体が、崩れ始めたのだ!

 髪が一束ずつ抜け、皮膚が溶け、肉が剥がれ落ちていく。骨がむき出しになり、眼球が飛び出した。


「うっ……!」


 あまりの光景に、トンカは顔を歪める。

 肉片が削げ落ちるたび、水しぶきがはね、膝を濡らす。そのぬるさが気色悪かった。


「ト、ンカ……」


 骨の姿になり果てたチグが、トンカに向かって手を伸ばす。


(しまった!)


 剣を構えている時間がない。

 トンカは思わず、目をぎゅっとつぶった。

 その時。

 頭上から、穏やかな声が降ってきた。


「はずれ。六体でした」


 黒い影が一直線に降下し、ノロイの足元へと落ちた。

 直後。

 ノロイの首が滑らかに、綺麗に切断された。

 まるで水に吸い込まれるように、首が沈んでいく。


「まだまだですね、トンカ」


 水音の中に、師の静かな声が混じる。

 手にしているのは、木の枝。

 彼はその枝一本で、ノロイを斬ったのだ。


「はいはい、分かっています! 先生は流石ですね!」


 助かった安堵感に悔しさが混じり、トンカは半ばやけくそ気味に叫んだ。

 そんな彼女に、チグは静かに告げる。


「その元気、保ち続けてくださいね」

「え」


 瞬間、トンカの全身が強張った。

 ノロイが来ている。

 無数の気配が、四方八方から迫っている。

 囲まれた!


「さあ。お仕事、頑張りましょう」

「くっ! 休む時間が欲しかったのに!」


 トンカは剣を抜き、チグは枝を構えた。

 頭から雨水が滴り、足元の水たまりが波打つ。

 しかし、その中で二人の闘志は、熱く燃えていた。


 ▲▲▲


 それから、いったい何体のノロイを倒しただろう。

 剣を振るう腕が痺れ、膝は笑い、足元の泥に沈みそうになる。

 ずっと雨に晒され、体力はとっくに底をついていた。

 それでも、トンカは立ち続けた。


 やがて、ノロイの気配が薄れていく。

 ようやく、襲撃は収まったらしい。

 その時。


「なんだよ。あいつら、生きているじゃん」


 入口から声がした。

 濡れた床を踏みしめながら、賞金稼ぎたちが戻ってくる。

 どの顔も疲弊しているが、幸い、死人はいないようだ。


「どこを探し回っても、もうノロイの姿はない。……退治終了ってことでいいだろう」

「はあ~~、しんどかったぁ」

「みんな、お疲れ。賞金は、調査団が確認をしてからになる」


 顎鬚を携えた男性の言葉に、仲間たちはようやく安堵した。武器を収め、雨を拭いながら一息つく。

 脱力感と解放感がその場に広がる。


「……このままだと、賞金は全員で山分けか?」


 金髪を束ねた若者が、ぽつりと口にした。

 その言葉に、場の空気が一瞬で静まり返る。


「そういう決まりだ」


 顎髭の男性が間に入り、淡々と応じる。

 だが、若者の目は熱がこもったままだ。


「この人数で割ったら、端金じゃねぇかよ。こっちは命かけたってのに」

「それは、最初から承知の上で……」

「こいつら殺そうぜ」


 金髪の若者が、刃をトンカ達へ向けた。

 長剣の切っ先が銀色に光る。


「ノロイに殺されたって言えばいい。そうすりゃ、取り分が増えるだろ?」


 賞金稼ぎという生業は、常に死と隣り合わせだ。

 弱ければ、魔物か犯罪者の餌食になる。それが常だ。

 だが、今回はチグの言った通り、強者が揃いすぎた。

 誰も死なず、誰も脱落しない。

 当然、一人あたりの取り分が減る。


「こんなガキとジジイ、ノロイ倒すより楽だろ」


 金髪の若者が冷たく言い放つ。


「しかし……」


 顎髭の中年は止めたそうに眉をひそめるが、動かない。

 他の賞金稼ぎたちも同様だ。

 間違っていると分かっていながら、賞金の誘惑には勝てない。


「決まりだな」


 若者は悪魔のような冷たい笑みを浮かべ、トンカ達に身体を向き直した。


「お前ら、死ね!!」


 水飛沫を蹴り上げ、若者がチグに向かって突っ込んだ!

 だが。

 チグの体が、ふわりと宙に舞った。


「なっ……!」


 初老とは思えぬ跳躍。

 若者は一瞬、目を見開く。

 その刹那。


「ふんっ!」


 トンカの蹴りが、若者の腹を正面から打ち抜いた!


「ぐっ……!」


 重たい水音を響かせ、若者の体が派手に吹っ飛ぶ。

 背中から倒れ込み、水しぶきが大きく跳ね上がった。


「う、うそっ!?」

「あいつら、強ぇ……!」


 そんな言葉を背後に受けながら、トンカは口の端を上げた。

 これは勝った!


「今だ!」


 トンカは目を光らせた。

 これは「ガキとジジイ」と馬鹿にしてきた奴らに、一泡ふかせるチャンスだ!


「ひぃ!」


 相手の男は両目をつぶり、頭を抱えて、身を縮める。

 少女は愛用の剣を一気に振り下ろす……はずだった。

 が。


「っ!」


 突然、痛みが襲った。

 熱く、

 鋭い、

 容赦のない痛み。


 視線を落とすと、ダガーが自分の脇腹に刺さっていた。

 ぬるり、と何かが脚を伝う。

 生温かい。じっとりと濡れている。

 それが血だと気づいた瞬間、脚から力が抜けた。

 身体が崩れ落ちる。


「な、なんで……?」


 手から剣が離れ、トンカは顔を上げる。

 ダガーを握る手。

 その主を見て、目を見開いた。

 そこにいたのは、自分の……。


「せ、先生……?」


 濡れた白い眉の下からチグの寂しげな目が、こちらを見つめている。

 何も言わない。

 ただ、うつむいたまま。


「せ……」


 再び「先生」と呼びかけようとして、トンカは言葉を呑んだ。

 チグがいない。


「……え……」


 トンカは一歩、後ずさった。

 チグのいた場所に、別の誰かが立っている。


(あれ? この人は、誰だろう……?)


 そこには少女がいた。

 短く切った茶色の髪。吊り上がった瞳。十代半ばの女の子。

 顔に見覚えがある。

 いや、これは……。


 自分だ!!


「…………」


 あまりの恐怖に、喉が凍りつく。声が出ない。

 目の前の()()が髪から雫を垂らしながら、小さく呟いた。


「……もう、無理です……。給仕人達にまで手を出すなんて……」


 その声は、機械音ではない。

 涙に濡れた、人間の声だった。


「給仕人……?」


 トンカは慌てて周囲を見渡す。

 金髪の若者も、顎髭の中年男性もいた。

 だが、彼らは防具ではなく、白シャツに黒いスラックス、エプロンドレスを身にまとっている。武器も手にしておらず、怯えた顔でこちらを見ていた。


「な、なんで……?」

「もう……、目を覚ましてください」


 涙を浮かべながら、()()は手にしたダガーを落とした。


チャリン


 金属音が、乾いた音を響かせる。


「っ!?」


 トンカは顔をひきつらせた。

 水浸しの床から、そんな音が響くはずがない。

 気付けば、濡れている感覚がない。

 水の匂いも、湿り気も。

 いつの間にか、消えていた。


「……う、うわぁっ!!」


 理解が追いつかない。

 トンカはその場を這うように走り、バランスを崩して転倒する。

 水に落ちたはずの身体に、濡れた感触はなかった。


「なんで! なんで、こんな……!」


 景色が音もなく、ぐにゃりと変わっていく。

 水没していた床から水が引き、大理石の光沢が現れる。穴だらけだった壁は修復され、小花模様の壁紙の上にタペストリーが揺れている。天井から落ちていた滝はなく、立派な屋根が広がっていた。

 そこは美しく整った、荘厳な城だった。

 トンカはふと、壁の鏡に視線を向ける。

 彫刻の施された、重厚なフレームの大鏡。

 違和感を覚え、鏡を覗き込む。

 と同時に、背後から()()の声がした。


「お願いよ……。ジン……」


 背筋が凍る。

 鏡に映ったのは、茶色の短い髪を持つ……。

 少年だった。


「うわああああああああああああ!!!!」


 ▲▲▲


 マントラ国には、双子の王女と一人の王子がいた。

 双子の王女は顔がそっくりだったが、性格は正反対だった。

 姉のマンカ王女は、勉学を好む聡明な少女。

 妹のトンカ王女は、元気で笑顔の絶えない活発な少女だ。

 そして、末っ子のジン王子はやんちゃで好奇心旺盛な男の子。トンカとは仲が良く、いつも一緒に「冒険ごっこ」に興じていた。


「くそっ、魔物が強すぎるぞ!」

「他の賞金稼ぎたちは、私たちがやられるのを待っているんですよ!」


 中庭のガゼボを洞窟に見立て、二人は賞金稼ぎごっこに夢中だ。

 そんな彼らの良き理解者が、剣術の師・チグだった。


「こらこら、そんなところに登っては危ないですよ」


 ガゼボの屋根によじ登ろうとする二人に、穏やかな声がかかる。

 かつての騎士団長とは思えないほど、白髪の下はいつも柔らかな笑みが浮かんでいた。


「さ、訓練の時間ですよ。準備を」

「え〜! まだ冒険が途中なのに!」

「先生、呪いは!? 俺、呪いを使ってみたい!」


 トンカはすぐ素直に従うが、ジンはどこまでも落ち着かない。

 チグは苦笑しながら、話をそらす。


「マントラ国の王族男子は、呪いが使える。そんな伝承はありますが、実際に使った人は見たことがありませんね」

「でも、雨を降らせて、魔物を生み出すって……!」

「はいはい。話は後で。訓練場へ行きましょう」

「ちぇっ」

「仕方ありません。遊びの後は鍛錬ですよ」


 それはいつも通りの、穏やかで楽しい日常だった。

 雨は時折降るだけで、魔物はどこにもいなかった。


 ところが。

 国が揺れるような事件が起きた。

 ある日、ジン王子とトンカ王女が、こっそり城を抜け出してしまったのだ。

 それに気づいたチグは、憲兵に通報すると、すぐさま馬を走らせた。

 人気のない森の奥で、二人を見つけた時。

 彼らは、すでに人買いに捕らえられていた。


「おい。見ろよ、こいつらの服。どこの大貴族だ? 大当たりじゃねえか!」

「これだけで、しばらく遊んで暮らせるぜ!」


 王子は縄で縛られ、地面に押さえつけられていた。

 トンカ王女は担がれ、今にもどこかへ連れ去られそうだ。


「ジン様! トンカ様!」


 馬を飛び降りるなり、チグは二人の名を叫んだ。

 その声を聞いた瞬間、子供たちは縋るように叫ぶ。


「先生……先生!」

「助けて、先生!!」


 大粒の涙をボロボロと流している。

 すぐにでも駆け寄って救い出したい。

 だが。

 悪漢の一人が、トンカの首筋に短剣を当てていた。


「おっと動くなよ。こいつの命が惜しければな」

「くっ……!」


 チグの手が、剣の柄を探りかけて止まる。

 実力ではこちらが上だ。だが、人質がいれば、下手に動けない。


「先生……」


 不安そうに、トンカが震える声でつぶやいた。

 安心させるように、チグはおだやかな微笑みを浮かべる。


「大丈夫ですよ。もうすぐ憲兵たちが来ます。それまでは、私が……」


 その言葉の途中で、動きが止まった。

 チグの首が、音もなく地面に落ちた。


「え……」


 まるで糸が切れた人形のように、身体が崩れ落ちる。

 鮮血が噴き上がり、草むらを真っ赤に染めていく。

 転がった首が、ジン王子の前で止まった。


「……」


 目が合った。

 笑っていたはずのその顔が、もう何も語らない。


「いやあぁぁぁ!!!」


 トンカの絶叫が森の中に響く。

 それがジンに現実を突きつけた。

 先生は殺されたのだ。


「馬鹿か、お前! 殺すことねえだろ!」


 背後からチグを斬った男に、仲間が怒鳴りつける。

 血の付いた長剣を持った男の手は震えていた。


「だ、だって、憲兵が来るって言ったんだよ!? ここで捕まったら……!」


 パニックの連鎖が、さらに事態を悪化させる。

 大好きな先生が殺されて、トンカは混乱し、暴れ始めた。


「いやぁぁぁ! 先生! 先生!!」

「うるせえ! こいつ、騒ぐな!」

「っ!」


 急に、トンカは静かになった。

 彼女のドレスがだんだん赤く染まっていく。

 身体がぐらりと揺れた。


「やべっ! こっちも殺しちまったよ!」


 悪漢達の手によって、王女の身体がゴミでも捨てるように地面へ放られる。

 その瞳からは、光がすでに消えていた。


「トンカ姉様……。先生……」


 ジンは、血に染まった二人を見つめた。

 息をしていない。もう笑ってくれない。


 なぜ、こうなってしまったのだろう。

 外の世界を見たかったからだ。

 だから。

 姉を誘った。

 先生が心配して、後を追ってきてくれた。

 そしたら。

 二人とも殺されてしまった。

 すべて、自分のせいだ。

 自分が死んで、姉と先生が生きるべきだったのだ。

 ジンは心の中で、何度も何度も自分を殺した。

 死ね。

 死ね。

 死ね。

 死ね。

 死ね。

 死ね。

 何も聞こえない。

 風も、鳥の声も、血の匂いすらも、全部遠い。

 やがて、馬の蹄が土を叩く振動が伝わってきた。


「いたぞ! ジン様だ!」


 それは、チグが呼んだ憲兵達だった。

 到着した彼らが目にしたのは、王女と元騎士団長の死体であった。


「チ、チグ殿! トンカ様……!」


 誰かが叫び、誰かが泣いた。

 悪漢達は逃げ出そうとしたが、憲兵たちがすぐに取り押さえた。

 抵抗した者もいた。

 だが、王族に手をかけた罪は重く、処刑は即日行われたのであった。


 今回の事件で、国民は王女の死を悼み、王子の無事を喜んだ。

 だが、それは、あくまで表向きの話にすぎない。

 あの事件以来。

 ジンは姉の声色を真似し、姉の名を騙るようになった。


「私はトンカ。さあ、先生。冒険の旅に出よう」


 もう一人の姉、マンカ王女に向かって、笑顔で手を差し伸べる。

 その瞳には、……もう何も映っていなかった。


▲▲▲


 王城の最上階。誰も使わなくなった小部屋に、ジン王子は身を横たえていた。

 脇腹の傷は、まだ痛む。けれど、命に関わるものではないらしい。

 最近、自分が「トンカ」ではなく、「ジン」であるということを理解した。

 けれど、それに何の意味もなかった。

 姉はいない。

 先生もいない。

 その事実だけが胸を抉るように、居座っている。


「……」


 ジンは無言のまま、窓の外を見つめていた。

 広がる空はどこまでも青く、風は穏やかだ。

 こんな天気の下で、ジンはかつて先生と交わした言葉を思い出した。


「マントラ国の王族男子は、呪いが使える。そんな伝承はありますが……」

「雨を降らせて、魔物を生み出すって!」


 しばらくして、あれほど明るかった空に、黒い雲が広がり始めた。


「……」


 ジンが視線を横に移すと、ベッドのそばに大好きだった姉が立っていた。あの元気で明るい笑顔を浮かべて。


「ジン」


 けれど、その声は機械のようなノイズ混じりで、耳に不快さが残った。

 その間にも、空は黒く染まっていく。二度と太陽を拝ませまいと、重く垂れ込める漆黒の雲が、マンカ王女を、給仕人達を、そして国全体を飲み込んでいく。

 あまりに濃密な黒い雲の色に、国民の間に不安が静かに広がっていった。


 そして―――。





最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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