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男爵家の末裔①

 広瀬は雅恵をストーキングしていた。

 そこは分かったが、分からないのは、何故、ストーカーがストーキングをしていた相手の部屋で死んでいたのかだ。ストーキングされていた雅恵が殺害したのなら分かる。襲われ、抵抗のあまり殺害してしまった――というのは無理もない話だ。だが、雅恵にはアリバイがあった。捜査は行き詰まってしまった。

「広瀬個人に対する恨みによる犯行なのではないでしょうか?」

「人に恨まれていたから殺されたのだ」と柊は言う。

 それは分かっている。広瀬の身辺を洗ってみることになった。

 広瀬は明治期に軍国主義の隆盛と共に男爵となった広瀬治五郎という人物の直系の子孫に当たることが分かった。広瀬治五郎は阿波国と言うから今の徳島県の出身で、慶應義塾大学に学び、卒業後に広瀬汽船という海運会社を創業した。

 日本が坂道を転がるように軍国主義へと傾いて行くに時代の流れの中で、軍需物資や兵員の運搬の必要性が高まり、海運業は活況を呈した。広瀬汽船は最盛期には資産三千万円、所有船籍数は百隻を超え、定期航路は郵船、商船に譲るものの不定期航路に於いては他の追随を許さない一大海運業者となった。

 広瀬治五郎は晩年に新華族、勲功華族とも言われるが、明治期に制定された華族制度の規定に従って「国家に勲功ある人物である」と見なされ、男爵の爵位を授かっている。

 広瀬治五郎の死去と歩を合わせるかのように海運業は衰退を始める。

 太平洋戦争突入後には戦時海運管理令が施行され、船舶運営会が船舶の運航・管理に当たるようになり、広瀬汽船も国家の管理下に置かれた。広瀬汽船はこの時点で事実上、政府に徴用され消滅している。

 敗戦後の昭和二十二年に発布された日本国憲法の定める法の下の平等のもと、家族制度も廃止となった。戦後の混乱期の中で男爵家としての対面を必死に守っていた広瀬家だったが、その面子さえも失ってしまった。

「華族の末裔か。そのプライドが事件を引き起こしたのかもしれないな。形骸化した特権意識が、いびつな形で子孫に伝えられたのだ」と柊は言う。

「ですが、実家は普通の農家ですよ」

 戦時中に疎開した群馬県で広瀬家は根を降ろし、今では農家のひとつとして暮らしている。往時を忍ぶ面影はない。都内の有名私立大学を卒業した広瀬は九鼎商事に入社し、都内にアパートを借りて一人暮らしをしていた。

 広瀬の過去からは、事件に結び着きそうなものは出て来なかった。

「さて、困りましたね」と茂木が愚痴ると、「困ったことなどない! 広瀬がストーカーだったのなら、平沢さんのマンション周辺で目撃されているはずだ。今日は土曜日だ。平日の昼間、家にいない人間が在宅していて、話を聞くことができるかもしれない。虱潰しに当たってみるぞ」と柊は闘志満々だった。

 良くも悪くも柊は柊だ。

 すると、直ぐに付近の住人から有力な証言を得ることができた。平日、家にいない住人から新たな情報を聞くことができるかもしれないという予想が見事に当たった。

 クレスト桃青の近くに住む藤田雄一(ふじたゆういち)という人物が在宅していて、二週間程前に、クレスト桃青の前で怪しい人物を見かけたと言う。藤田曰く、「警察に届けようかどうか迷っていたところだった」そうだ。

「確か、日曜日だったと思うよ。クレスト桃青の、それこそ事件のあったあの部屋を電柱の陰からじっと見つめている男を見た」と藤田は言った。

「平沢さんの部屋を見つめていたのですか?」

「ああ、絶対にあの部屋を見ていた。間違いない。最近は、ほれ、ストロンカーとか言う変な奴が多いそうじゃないか。あいつもそんな変態の一人だと思った」

「ストーカーですね」と茂木は小さな声で訂正する。

「ストロンカーだかストーカーだか知らないけど、近所を変な奴にうろうろされてはかなわないからな。うちにも若い娘がいるし。『何かあのマンションに用事ですか?』とそいつに声をかけたんだ」

 藤田には中学生になる娘がいた。

「男に声をかけたんですね!」

「そうだよ、声をかけてみた。そしたら、そいつ、『いえ、何でもありません』って慌てて逃げて行った。でもな――」

「でも、何でしょう?」

 茂木が尋ねると、藤田は意外なことを言った。「インターネットのニュースで被害者の顔写真を見たけど、その時に見た若い男とは違う気がする。俺が見た男は、もっと冴えない青年だった。いかにも若い女を付けまわしていそうな感じで、ニュースに出ていた男性みたいに、きりっとした二枚目じゃなかったように思う」

 藤田は都内に本社のある建設会社に勤務しているそうで、毎日、仕事で帰宅が遅くなり、家でのんびりとテレビを見ている暇がないそうだ。会社のパソコンでインターネットのニュース記事をたまに見る程度で、事件のことは詳しくないと言う。たまたま家族から自宅近所で殺人事件があったと聞いて会社のパソコンでニュースを確認した時に、被害者の顔写真を見た。「目撃した男は被害者とは違うと思うが、はっきりとしたことは言えない」と自信がなさそうだった。

 広瀬の顔写真を見せると、藤田は「やっぱりこの男じゃなかった。間違いない」と言い切った。

「似顔絵だな」と柊が言う。

 藤田に県警まで足を運んでもらって、「似顔絵の作成」に協力してもらった。藤田は「市民の義務ですから」と、興味津々の様子だった。

 藤田の証言でストーカーの似顔絵が出来上がった。柊は似顔絵を覗き込むと、「これだ!」と意味不明な声を上げた。何がこれなのか?

――あの男だ!

 茂木は似顔絵の男に見覚えがあった。

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