待っていた男③
被害者の名前は広瀬義和、高崎に支社がある「九鼎商事」という商社に勤めるサラリーマンだった。遺体発見時、広瀬は黒のジャージの上下を着ており、携帯電話に財布を持っていた。犯人に被害者の身元を隠す気はなかったようだ。
広瀬は独身、市内のアパートで一人暮らしをしている。
「痴情関係のもつれによる犯行だな。広瀬は、あの若くて美人のOLと恋愛関係にあった。別れ話がこじれて犯行に至ったのだ」という捜査員が多かった。
人物が独特過ぎるので、職場で浮いている感のある柊に代わって、茂木が仲間内から情報を収集している。捜査一課では、平沢雅恵と広瀬義和が別れ話のもつれから事件につながったと考えている捜査員が多いと伝えると、「くだらん!」と柊に一喝されてしまった。
天邪鬼な人だ。人が右と言えば左を向く。
「そうですよね。彼女の驚き方は演技には見えませんでした」と茂木が言うと、「違う! そんな感情的なことではない。現場を見れば分かるだろう‼」と怒鳴られてしまった。
「現場ですか・・・」はて? と考える。「そうか。現場には凶器となるスパナがありませんでした。平沢さんが犯人だと考えるには無理があります。いや、待てよ。警官と消防隊員が現場に到着する前に、凶器を始末してしまっただけかもしれませんね。いやいや、そもそも遺体が部屋にあるのに、凶器だけ隠しても意味がないはずだ・・・」
「そういうことだ」と柊は横柄に言う。
本当にそこまで考えていたのだろうか?
「空き巣――ですかね? 広瀬は空き巣目的で平沢さんの部屋に侵入した。そして、戻ってきた平沢さんに見つかってもみ合いとなり撲殺された」
「くだらん!」またも柊に一喝されてしまった。
「ああ、そうか。結果は同じですものね。遺体が部屋にあるのに、凶器だけ隠しても意味がない。それに空き巣なら、警察にそう言えば良い。平沢さんに凶器を隠さなければならない理由なんてありません。犯人が遺体を部屋に残して、凶器だけ持ち去った理由は何でしょう?」
「凶器から身元が割れるのを恐れたからだ」
平沢雅恵は犯人ではなさそうだ。茂木はどこかほっとしているようだった。
「人一人殴り殺したのですから、動顛して凶器を持ち去ったのかもしれませんね。凶器が手から離れなかった」
「ふん!」と柊は鼻を鳴らすと、「平沢雅恵の行動を洗うぞ!」と言った。
いずれにしろ、犯人は平沢雅恵の近くにいる。
雅恵から当日の行動を聴取してあった。会社を退けると駅前のフットネス・クラブでホットヨガの教室に参加し、ヨガを終えてから近くのファーストフード店で食事を済ませて帰宅したと証言している。
雅恵の証言にあったフットネス・クラブとファーストフード店で聞き込みを行った。
フットネス・クラブには雅恵の入出場記録が残っていた。ファーストフード店では、店員は雅恵の来店を覚えていなかったが、雅恵が伝票を取ってあったし、監視カメラの映像に店内で食事をする雅恵の姿が映っていた。
会社の出退勤管理システムに雅恵が退社した時間が記録されている。当日の雅恵の予定を書き出すと、
18時10分雅恵がトレンド・ツアーリズムを退社
18時28分ダイヤモンドクラブに入店
20時07分ダイヤモンドクラブを出る
20時28分ファーストフード店に入店
20時58分ファーストフード店を出る
となる。
警察に通報があったのが二十一時四十一分、十五分後には警察官と消防隊員がかけつけ、広瀬の死亡が確認され、殺人事件としての捜査が始まった。
現場で広瀬の遺体は死後、二時間程度経過していると鑑定された。死亡したのは二十時前後ということになる。雅恵がダイヤモンドクラブにいた時間だ。
雅恵の容疑は晴れた。
「平沢さんの線はなさそうですね」
「最初からそう言っている。住人のいない昼日中ならともかく、夕方から夜にかけて空き巣に入ったと言うのも妙だ」と柊は言う。
広瀬が空き巣だったとして、か弱い女性の雅恵が部屋で鉢合わせた若くて逞しい男を殴り殺したと言うのもおかしな話だ。
「となると、考えられるのはストーカーの線ですね」
雅恵は都内の旅行会社に勤務する二十七歳、整った顔立ちに均整のとれたプロポーションの美しい女性だ。変質者によるストーキングの対象となっても不思議ではない。魅力的な女性だった。
「広瀬が平沢雅恵のストーカーだったとしても、何故、彼女の部屋で殺害されていたのだ?」
その答えが分からない。
「それに、誰が広瀬を殺害したのか? という問題は残ったままだ」
その通りだ。柊に言われなくても分かっている。