プロローグ
「呪い谷に降る雪は赤い」で主人公を演じた柊・茂木コンビを主人公にした短編小説。
一人暮らしのマンションに戻った平沢雅恵は、部屋の灯りを点けると「ひっ!」と悲鳴を上げて腰からその場に崩れ落ちた。
雅恵のマンションはワン・ルーム・マンションと言えば聞こえが良いが、六畳一間にユニット・バスにトイレ、それに台所が付いたアパートと言った方が相応しい。マンションの裏には小さな庭があって、雅恵は庭に面した一階部分に住んでいる。一階だと外部から侵入され易いことが嫌だったが、その分、家賃が少しばかり安いので仕方ない。フロアリングの床と収納が多い点が気に入って、このマンションを選んだ。
外観が垢抜けていて、「クレスト椿」という洒落た名前がついている。
雅恵は駅前にある「トレンド・ツアーリズム」と言う旅行会社に勤務している。毎週、水曜日の夜、仕事の帰り道に、会社の近くにあるダイヤモンドクラブというフィットネス・クラブのホットヨガのクラスに通っている。ホットヨガに興味があって、会員になったが、仕事が終わってから通うのは、疲れていて辛い時が多い。だが、週に二度、ダイヤモンドクラブに通わないと支払った会費のもとが取れない計算になる。
水曜日のホットヨガのクラスの他にもう一日、ジムに通うようにしているのだが、そちらの方はサボり気味だ。ホットヨガのクラスだけはサボらないようにしている。
久々、サボってばかりだったジムで汗を流した後、ファーストフード店で軽く食事を済ませてから帰宅すると、家の中に死体が横たわっていた。
ドアを開けた途端、部屋の中から風が吹いた。「嫌だ。ガラス戸を開けて行ったのかも。不用心な・・・」と思い、恐る恐る部屋に入った。
灯りを点けた途端、部屋の中央に長々と横たわる黒々としたものを発見した。
「ひいいいい――!」
一瞬、目の前にあるものが何なのか雅恵には分からなかった。やがて黒い物体の正体に気がついた時、雅恵は金切り声を上げて腰を抜かした。ぱくぱくと金魚のように口を開け閉めしながら、尻餅をついたまま後ずさりした。
闖入者はうつ伏せになって、頭をこちらに向けて倒れていた。頭部を殴打されたようで、ぱっくりと傷口が広がり、頭が真っ赤に血に染まっていた。顔は見えない。人相は分からなかったが、体格から男であることは間違いなかった。闇に紛れるためか、黒っぽい上下の服を着ていた。
――何故、私の部屋に男の人が倒れているの?
と言う疑問が、脳裏を過ったが、今の雅恵には物事を落ち着いて考えている余裕がなかった。
三和土まで座り込んだまま後ずさりした後で、腰を抜かした拍子にバッグを床に落としてしまったことに気が付いた。バッグの中に携帯電話があった。警察に通報したいのだが、バッグのある場所まで戻らなければならなかった。
雅恵は目を背けながら、四つん這いになってバッグを取りに戻った。