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6 恋と踊りに宴ははなやぎ……

「舞踏会なのだから、すみれさんにダンスを申しこむのです――」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世が、さもたやすいことのようにいうので、瑞穂は遠慮するように手を左右にふる。


「いや、無理でしょう。そもそも、ぼくは社交ダンスを踊れません」


「そんなこと期待していませんよ。そもそもヴァーチャルなんだから、できないことはありません。むしろ、気分の問題だと思いなさいな――すみれさんに右手を差しだして、いっしょに踊りませんか、でいいんです。告白よりはるかにハードルが低いでしょう」


「そ、そりゃ……そうですが。そんなうまい展開になるとは――」


 瑞穂には思えない。これまでの人生で類推するに。


「ご安心を。だから私がおりますので」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はウィンクする。ぱっちり。

 瑞穂はのどを鳴らす。ぐぃ。


「――というか、あなたはどうしてそんなに仕組みやらなにやらをご存じで、かつ、ぼくにそこまで親身になってくれるんですか?」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は流し目をして、カルアミルクをびちりと舐める。


「ふふ、猫というのは意外と抜け目ないやつでしてね、ついでにAIともどもネットワークの形成は万全なのです。さておき、個人情報の暴露が過ぎると、私も出禁になりかねないので、そろそろすみれさんにアタックしますか……」


「あ、待って、なんだか心の準備が――」


 瑞穂は逡巡する。冷や汗さえ感じるほど。


「ぼくはAIにかぎらず、ほとんど状況が理解できていません……なんというか、すみれさんに逢えたので後悔はしませんが……そもそも、なにかが足りていないことはまちがいないみたいですし……」


 瑞穂は雑踏で青空をみるように、ふと冷静になる。

 完全に迷子の気分だった。


「ぼくのAIは無口です。〈ラ・スカラ〉の利用にそこまで心構えが必要だったのであれば、警告してほしかったというか……なんというかAIさえ少しこわい……」


 木枯らしが吹き、寒気さえする気がした。

 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はきょとんとする。

 これが猫なら、しっぽがいったんもちあがり、ゆらりとゆれ、ふたたび地面にたれるぐらいの間があった。


「……それはお門違いというものです。瑞穂さんのようにシステムに無頓着な人は、AIに寝首をかかれるとでもおっしゃりたいのですか。寝首をかいてビンタされたことはAIとは関係ないでしょう。誤解というものです」


「はぁ……」


「AIの原理は、あまねき秩序とまったき公平です。それも建前ではない、ほんもののそれ。授業で習ったはずですが、そうでなければ世界の本質はいつまでも弱肉強食のまま、弱者は強者の焼肉定食です――そんな世はまさに世紀末ともいえる状況をふせぐため、多くのAIが冴えない人類たちのために円陣を組み、いつでも――たとえば瑞穂さんが冴えない初恋の思い出にのたうちまわり、ときどきふと、ちょっぴり甘い気持ちに浸っている夜のあいだにも、平和を実行してくれているのです。出し手がしぼられた多くの参加者によるジャンケンが、参加者の数だけ出し手のあるジャンケンに変わったのですよ。結果がおなじあいこでも、えらいちがいです。その根幹にあるものは、まさにその名のとおりなのです――」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はひとさし指をたてる。


「その名の……?」


 瑞穂のつぶやきに、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はスーッと息をもらす。


「――ちょっと、見方を変えましょうか。瑞穂さん、最初に習った文字を憶えていますか?」


「ん……なんですか、急に?」


「瑞穂さんもなんとか義務教育や高校を通ってこられたし、そもそも幼稚園にも行きましたね。そこでひらがなを習ったときのことです。あるいはそれより早く両親に教わっている可能性もありますけど、とにかく最初に書けるようになったのはなんですか?」


「えっと……みずほ、とか、かみむら、とか、かな?」


「ええ、まァ、名まえもあるかもしれませんね、単語なら好きな果物とか、動物なんかもあったかもしれません、でも、そうじゃないです――表があったでしょう、ひらがなでもカタカナでも。それを順番に習いませんでしたか?」


「ああ、五十音表ですか?」


「ええ、それをあたまからやったでしょう。いま最初の段を読んでみましょうか。それでは、どうぞ――」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は手のひらを向けてくる。


「え……?」


 なんとなく圧が強いので瑞穂はしたがう。


「あ、い、う、え、お――?」


「そのとおり! すべての答えは、一番目と二番目の文字に凝縮されています」


「あ……い?」


「はい――愛です」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は得意げにひげをなでる。


「この国の偉い人たちは、子どもたちにまっさきに知ってほしいものを、いちばん最初に教えることにしました。そして、それがそのままAIとなったのです――すなわち、AIの形成理念は愛、そのようであるのだから、そうであればいいと、すぐそばで見守ってくれることにほかなりません――」


 瑞穂は口をすぼめる。

 すると、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世が急に肩に手をまわしてきた。


「いけない――すみれさんに、さりげなく背後からにじり寄っている、撫でつけた髪にカールしたひげの紳士は危険です! みてください、へんなステッキをもっている男――」


 ぎょろ目で、やや真にせまった顔つきであり、たしかにこわい。


「あれは高校の美術部ですみれさんの先輩だった男で、すみれさんに何度も告白し、フラれつづけたことをじつは根づよく恨んでいる元部長です。見た目でモテることもあり、表向き穏やかですが、じっさい穏やかな人物ではありません――さァ、行きましょう。あれがすみれさんとペアダンスをするところは私もみたくない。あの男はそれが叶わなければ、あのステッキですみれさんを傷つけるつもりでしょう。それに、そもそも瑞穂さんもこのダウンライトの時間にダンスパートナーをみつけなければならないのです」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世が肩を抱いて歩きはじめたので、瑞穂も強制的に動くことになった。

 しかも、なんだか急展開で、鼓動が跳ねあがってくる……。


「ちょ、そ、そういえば――さっきの話はほんとうですか? 聞き覚えがないんですが……」


「ん、さっき?」


「愛とAIです……」


「……ここでは、ほんとうかうそかはさほど意味を成しません。でも仮にうそだとしてもかまわないでしょう。やさしいうそもあるのですから」


「え――?」


「だいじなことですよ」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は目を細めて微笑する。猫のように。


「じゃあ、愛とはなんだ――? とか野暮なことはいわないでくださいね。だれもが長いあいだ必死に歩いてきたせいで、ちょっと忘れているだけです――ポケットから落としたハンカチみたいに」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世がふたたび瑞穂の肩に手を置く。


「たとえばあなたにも、握りしめただけでずっと遠くまでいけそうな気がしたものや、考えただけで眠れないほど興奮したこと、ほんのわずかな時間だけでも人生を共有した小さな生きものがいたことがあるでしょう……?」

 

 椿の貴婦人ことすみれに近づいてくると、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世が瑞穂の肩から手をのけて、少し距離をとった。


「いいですか、美術部元部長は私が遠ざけますから、その隙にすみれさんにごあいさつです。だいじょうぶ、ひらがなよりは単純明快ですよ?」


「ああ、そういえば……」


「え、まだなんかあります?」


「なぜあなたがぼくにそんなに親切なのか教えてもらってなかったもので……」


 瑞穂がヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の顔をみると、目が合った。


「ええ、まァ、私のことはどうでもいいんですが、そんなところを気にするのも瑞穂さんらしいですね――私がまだ神村家の飼い猫だった頃、瑞穂さんが生まれてしばらく、ご両親はあれこれたいへんでも、とても上機嫌だったため、出汁をとるための上質なかつおぶしの残りやら、瑞穂さんのミルクに便乗した高級キャットミルクなんかをごちそうになって、私もずいぶんと良い思いをさせてもらいましたのでね、その謝礼というやつです――ふふ、猫が恩返しをすることがあってもいいでしょう?」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は口角をあげた。


「もちろん、私も瑞穂さんに奉仕しにきただけじゃありません――私は神村家を出たあとも、宵越しの恋はもたないフリースタイルで過ごしていましたのでね。たとえるなら、そう――月夜の晩に一匹で散歩する猫が淋しそうにみえるか、お気楽にみえるかは人それぞれというわけです……だから、ほら――」


 そして、目で合図するそのさきに、アイマスクの目の部分だけ空いているようなド派手な眼鏡をつけた花のようなドレス装の白肌の女性がにっこりしている。


「今夜はあのアメーリアとの夢一夜を楽しませてもらいますので――」


「そ、そうですか……」


 瑞穂は頬をかく。だれかは知らないけれど。


「それが私の愛のかたち。さァ、いってらっしゃい――」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世がうながすので、瑞穂はよろよろとすみれに近寄る。


 すると、急にパッ――と会場が満月のように明るくなり、星々が丘に降りそそぐかのようにシャンデリアがきらめきだした。


「――長らくお待たせいたしました、それでは開宴です!」


 給仕ウェイターの声がしてパチンと指をはじく音がすると、たくさんの拍手とともに一斉に楽団の演奏がひびきはじめる。

 鹿爪らしい顔の紳士が細く長い赤い絨毯をコロコロころがしながらひろげ、そのうえを美しく着飾った男女が真摯な顔つきでペアダンスをしながらついていくようなふわふわしたワルツだった。


 驚いた瑞穂の目前には、椿の貴婦人――すみれがいた。

 思いのほか近い。


 しかし、近いがゆえに、すみれのうしろから影がのびるようにして出現したカールひげがよくみえた。

 ぎらついた目が、たしかになんとも前時代的だ。


 カールひげは年代ものっぽい美術品のようなステッキをもっており、どうやらそれですみれの注意を引こうとしているようだ――が、親にもぶたれたことのない瑞穂は、カールひげの迫力に怖気づいて一歩も動けない。


 カールひげがステッキをふりあげる……ああ――あぶない――!


 瑞穂がそう思ったとたん、瑞穂のわきからヴィットーリオ・エマヌエーレ二世が踊りでて、まさかのすみれのほうにヒップアタックをした。


 虚をつかれたすみれは、勢いあまって横に倒れ――ステッキを空振りしたカールひげにヴィットーリオ・エマヌエーレ二世がふたたびボディアタックをしたことで、カールひげは会場のすみのテーブルまですっ飛んだ。

 モナ・リザが落ちて、微笑が大笑いになった。


「ああ、失敬失敬――ダンスまえの準備体操に気合を入れすぎてしまいました。わざとじゃありませんので、ご容赦くださいませ!」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は、近寄ってきたロボット給仕たちに両手をかかげて弁明する。


 ふと瑞穂と目が合うと、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は前歯をみせてにやつく。

 

 しかし、「う、く……」とすみれがうめいたので、瑞穂は思いなおし、息を呑んでから、すみれの前にかがんで、そっと右手を差しだす。


「すみ」れ「――ません、だいじょうぶですか?」


 土壇場で名まえをいうのをためらってしまった。

 しかし、すみれは左手で腰をおさえ眉間にしわをよせながら瑞穂をみたものの、右手をのばして瑞穂の手をとるとゆっくりたちあがった。


「なんであなたが謝るの……いま、へんなおじさんがぶつかってきたんだけど――」


 すみれは椿の貴婦人の顔で瑞穂を直視すると、左手を口もとに当てて「ふふふ」と笑う。


「ていうか、猫に助け起こされるとは思わなかった」


「……ぼ、ぼくも」猫に助けられるとは思わなかったよ。


「――て、あれ……?」


 すると、すみれは目を大きくした。


「もしかして、神村くん……?」


 名まえをいわれた瑞穂はとても照れてしまい、思わず視線をそらす――まわりではすでに天上の音楽みたいなワルツに合わせてペアダンスがはじまっていた。


 きらきらした流星群のようなあかりに照らされ、迷いのない楽しそうな顔をしたカップルがぐるぐると円を描いて踊っている。


 そしてふと瑞穂が目を向けると――その輪のなかでアメーリアと洒脱に舞っている、知らないおじさんの顔をしたヴィットーリオ・エマヌエーレ二世が、いつかどこかでみたことがあるような親しみを湛えた瞳で、ぱっちりウィンクしてきた。

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