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5 わたしについていらっしゃい

「……そんな、それじゃ、ぼくはいったいどうしたら――」


 瑞穂は脱力する。

 朝までビンタされつづけろとでもいうのか。


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は「ん?」と眉をしかめる。

 なかなかふてぶてしい顔つきである。


「さすが瑞穂さん、見事にネガティブですね。よく考えてみてください。影あらば光あれ。というか、当初の目的を忘れてどうするのですか――瑞穂さんは初恋をもとめてやってきたのだから、それを信じて突き進むのです。そもそも、それ以外に瑞穂さんができることはないでしょう……ほら、よくご覧なさい――味方もいるのですよ」


 ダウンライトの会場の三日月ほどのうすあかりのなかで影が流動し、仮装舞踏会の準備が進んでいるようだ。

 いまの瑞穂は踊る気になんかなれないし、そもそも社交ダンスなんかしたこともない。


「あの入口付近の跳び蛙――あれは、年長になったばかりの瑞穂児童が、世界でいちばん美味しいものだと思って食べていたカレーのじゃがいもです」


 え、カエルが? なんかややこしい。


「ほら、いま中央まできた毛むくじゃらの森の野蛮人――あれは、ようやく立ち歩きをはじめた瑞穂くんがフーフー吹いてキャッキャ楽しんだタンポポの綿毛。かわいいもんだ」


 毛むくじゃらが――綿毛か。

 いや、それはしかし、憶えているわけが……。


「それから、あちらの隅で目を光らせている荒野の狼――あれは、小一になったばかりの瑞穂少年がどうしてもみてみたいという母親のわがままにつきあって、蒸し暑い初夏の夜にぶぅぶぅ文句をたれながら川辺で暗くなるのを待ったものの、みずから最初の一匹をみつけて興奮したこともあり、意外と良い思い出になったと大人っぽいことを言って両親を驚かせるきっかけになった蛍です」


 え? それがどうして――?

 瑞穂は混乱してきたが、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は満足げににんまりする。


「うむ、瑞穂さんに助力をしてくれることもそうなんでしょうが、ここが〈ラ・スカラ〉であることを踏まえれば、じつに弁えた連中です」


「はぁ」


「それに弁えているといえば、ほら――狼の反対がわのすみっこ、おわかりですか……」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世が瑞穂の目線に合わせて二本指で指し示す。

 そこにはペールブルーのドレスで着飾った女性がいた。

 一見、派手な恰好だが、なぜか目立たず、むしろおとなしい印象である。

 そこはかとなく漂う、あんまり注目を集めたいとは思わないという表情がそうさせているのかもしれない。


「あ!」


 瑞穂が叫ぶと、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は「そのとおり」とうなずいた。


「彼女が伊東すみれさんです――椿の花の貴婦人に扮していますね。日頃からご自身について考え、よくご理解なされているのではないでしょうか。瑞穂さんの軽薄なところとは、べつの意味で危うげなところはありますが、むしろ儚げでもあり、私には好感がもてます」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はうわくちびるをかむ。


「たまたま交差点ですれちがっただけぐらいの瑞穂さんが、あっさり恋に転落したことは神さまの意図か、はたまた運命の糸か……まァ、それはなんとでも呼びましょう、とにかくめずらしく良い選択ですね」


 瑞穂は、なんとなく照れる。

 褒められたのか貶されたのかその両方かはわからないけれど。


「さて、本題はここからですね――」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は目を細める。

 一瞬、三毛猫にみえたが、気のせいだろう。


「はい、あれが意中の相手です、あいさつがてら告白なさい――と発破をかけたところで、瑞穂さんはうまくやれませんね。でへでへ赤くなり、もごもご口ごもり、とまどいをかくせないすみれさんに緊張して近況報告さえできないでしょう?」


 腹立つ物言いだが、じっさいそのとおりかもしれない――瑞穂は口をつぐむ。


「そして、その臆病なところをどうにかするには、少し解説も必要だ――いいですか」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は鼻息をもらす。

 一瞬、細いひげがみえたが、気のせいのはずだ。


「すみれさんが、どうして〈ラ・スカラ〉にきたかといえば、瑞穂さんに再会するためでは、もちろんありません。しかしながら、瑞穂さんにチャンスがないかといえば、必ずしもそうではない。すみれさんは、今後の人生をともに歩めるパートナーをさがすために〈ラ・スカラ〉の扉を叩いたのです。どういうことかといえば――だれかと二人三脚したいけれど、新しい出逢いに少々つかれていると、そういうわけなんですね」


 な……瑞穂は愕然とする。


「なぜそんなことをご存じで?」


 しかし、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は無視してつづける。


「ただし、すみれさんもあけっぴろげな性格ではない、むしろ慎重です。そして、やはり繊細だ。そもそも、高校三年の雨の夕方、クラスに一人残っていたのは、いたたまれない気持ちに苛まれていたためです」


「――いたたまれない?」


「彼女は当時、両親の不仲、好きな祖母の病気、将来の進路、同姓の同級生との軋轢、そして二、三のうまくいかなかった恋なんかについて悩んでいました」


「え、なんですと――?」


 二、三? 瑞穂は身体の芯が熱くなる。


「どうでもいいところに喰いつかない。そして、それら諸問題が爆発寸前であったところに、置き傘を盗まれた――がとどめとなり、思春期という名の気鬱のいばらにつつまれていたのです」


「そ、そんなことが……」


「そして、ふと人恋しくなった。そこに、だれであろう――」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は鼻の穴をふくらませ、瑞穂にひとさし指を向ける。


「瑞穂さんが現れ、そのなんともいえない、いかんともしがたい立ち居ふるまいをみて、心がふっと軽くなったのです」


 そ、それは良いことなのか……?

 瑞穂が口をへの字にすると、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世がほほえむ。


「憶えてもらえるきっかけになったのです、奇蹟的にも――だから、かろうじて糸はつながっています」


 瑞穂は情報をかみ砕きながら、オレンジジュースを噛むように飲む。


「そこで、出血大サービス。瑞穂さんはどうしたらいいか――?」


 瑞穂が返事をするまえに、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は語りはじめた。

 気の利いた返しなどもちろんできないけれど。


「もちろん、すみれさんも〈ラ・スカラ〉にきたからには、さまざまなものに囲まれています。ほら、たとえば貴婦人のすみれさんのテーブルの近くにいる武将がいるでしょう――伊達成実です、わかりますか?」


 思わず声がもれるぐらいごつい鎧武者がいて、瑞穂は戦慄する。

 だれなのかは知らないけども。


「すみれさんの母親は、すみれさんを妊娠中、庭の手入れをしているとき、ムカデに噛まれました。そのとき、痛みどめを呑めなかった恨み節をことあるごとに幼いすみれさんに語ったことで、すみれさんはもともと嫌いなムカデがさらに嫌いになり、ムカデを見かけたら大きな石を落として退治する子になりました」


 え――? 意外な一面を聞き、瑞穂はたじろぐ。


「そしてあれは、小学生の頃のすみれさんに石で潰されたムカデです。隙あらば、さきほど瑞穂さんにビンタした江戸兵衛のように、すみれさんに憂さ晴らしをしようと考えているでしょう。叩っ斬るかもしれません」


「そ、そんな乱暴な――」


 と言いつつも、江戸兵衛も退場覚悟でやり遂げていた。

 しかも、冷静に考えるとすみれとムカデ、どっちのほうが乱暴かといえば……。


「それから、その近くにひたいに十字のある舌をだした黄色い犬がいるでしょう?」


 ずいぶんまるい。


「あれは、小五のすみれさんが町内会のお祭りでふるまわれたおでんが熱すぎて火傷し、地面に吐きだした竹輪をこっそり靴裏で蹴ってかくすときに踏みにじられたヒルザキツキミソウです」


「え、いや、その……なんだかさっきから彼女のイメージが――」


 瑞穂が叫びの絵画ふうに両頬に手を置くと、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世が呆れた目をする。


「喰いつくところがさっきからズレています。このさい、すみれさんに過大な幻想を抱くのはやめましょう。リアルに二人三脚で生きたいと思うのであれば」


「え? ま、まァ、たしかに……」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はため息をつく。


「つまるところ、すみれさんにもいろいろあり、そのぶんだけ、だれも寝てはいられぬ〈ラ・スカラ〉の夜の祭典――舞踏会は盛りあがるのです。と……話が若干逸れましたが、じゃあそこで、瑞穂さんがどうすればいいのかといえば――」

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