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4 でも、不毛の茎から 〈あの草を摘みとって〉

「は?」


 瑞穂は心の声を全開にしてしまった。

 私は、あなたですよ――?


 目のまえの見知らぬおじさんは、真犯人をつきとめた名探偵のようにひとさし指をたてている。

 瑞穂は自分が連続なにかしら事件に巻きこまれている気持ちになり、〈ラ・スカラ〉の洋館然としたイメージと合致したことに驚きを禁じえない。


 そういえばさっき、美女ウェイトレスが複数のAIに独自開発設計された施設とか話していた――そして、売りは「ふしぎを経験する秘密の社交場」である。

 あずかり知らないふしぎということであれば、どんな可能性もでてくる……もしや、未来の瑞穂がヴィットーリオ・エマヌエーレ二世だったりする……?


 アクションペインティングばりに瑞穂の脳内が荒れてくる。

 真犯人というより、事件の被害者が自分でした、みたいでなんか嫌だ……。


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世が顔をよせてくる。


「ねぇ、指摘された真犯人のような顔色になってますよ、だいじょうぶですか?」


「あ、いや、その……」あなたのせいじゃないですか?


「まァ、とりあえず落ち着いて――そうだ、こんなときはクイズでもしましょう」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はカルアミルクのグラスをひとさし指でキンキンと弾く。


「パイはパイでも、胸にあるパイはなぁんだ?」


 え、おっ――瑞穂は反射しかけて、言いとどまる。


「なんだ、思いのほか冷静じゃないですか。正解は心配ですけどね」


 ぐっ――瑞穂のみぞおちあたりが苦しんでいる。


「安心してください。これに関しては、瑞穂さんが回答しかけたほうを口走るほうが、正常だと思いますよ」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はにたりと笑う。


「瑞穂さんが施設のロボット給仕さんの胸もとにタジタジだったことも健全の証としましょう」


「な、なんですかこの辱めは……」


 瑞穂が勧められたオレンジジュースをぐびりと飲んでから訊ねると、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世がブーメランみたいなひげをつるりと撫でる。


「よろしいですか、私はあなた――すなわちミケランジェロ本人なのですよ」


 え……? 瑞穂の目が点になる。


「私はあなたが3歳のときに家出した神村家の三毛猫なんです」


「ちょ、待ってください――」


 いよいよ瑞穂のあたまのなかで現代美術の名画が完成しそうな気配である。

 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は目を細めて、カルアミルクを舐める。猫みたいに。


「ええ、まァ、私のことはさておき、瑞穂さんは〈ラ・スカラ〉のシステムについてよく認識しないまま参加していることに混乱があるのですよ。よろしいですか? 〈ラ・スカラ〉のAIは、入場時に瑞穂さんのAIより、これまでの瑞穂さんのすべてのデータを受け取っています。出生からいまにいたる100パーセントです。もちろん、受付でそれを承認したのは瑞穂さん本人ですよ。しかし、それは〈ラ・スカラ〉のサービスを受けるためであり、悪意がそこにあるわけではありません。〈ラ・スカラ〉において喧伝されている――ふしぎな経験をするための下準備なわけです」


「ふ、ふしぎの下準備?」


「そうです。この施設が提供するふしぎな経験とは、これまでの人生において、あなたが関わったすべてと再会する可能性がある――というものです」


「関わった……すべて?」


 瑞穂ののどが鳴る。

 それほど多くのものと関係してきた印象はないのだが、むしろ関わってきたもののほうが瑞穂の印象などさほどもっていないのではないか――そんな気がして、胃がぐるぐるする。


「つまりですね――」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はひとさし指をたて、ウィンクする。

 どうみてもただのへんなおじさんで、なんじゃ少し気持ち悪いけれど。


「ここが楽園になるか戦場になるか、すてきな夜の夢でうっとりするか、寝ても醒めても悪夢の夜を過ごすかは、瑞穂さんのいままでの生きかた次第なのですよ?」


 オレンジジュースのグラスに、瑞穂の顔がぐにゃりと映った気がしたが、気のせいだった。


「もちろん、いままで関わったことに、初恋の思い出はふくまれていますし、じっさいにすみれさんが来場することを事前に調べてきているので、じつに軽薄だとは思いますが、瑞穂さんの意図は明白です。むしろ、これまでの人生を思えば、行動に移したところは評価されるべきかもしれません。スカラは梯子を意味します、勇気をふりしぼって大人の階段を昇りたいという欲求は汲めるものがあります――ですが、」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はブーメランひげのさきを伸ばすように撫でた。


「これは瑞穂さんにかぎらずですが、生きものというやつは、そこまで平和裏に生きてはおりません――本能は知能を凌駕しますからね」


 そして、ひげをつまんだ親指とひとさし指で輪っかをつくり、歓談時間なのか、ざわざわしている会場を、望遠鏡で覗くようにする。


「朴念仁の瑞穂さんは知らないうちに多くの生きものを、ないがしろにして生きてきたのです」


 それから、呆気にとられる瑞穂の目のまえに、指でつくった輪を合わせた。

 へんなおじさんと目と目で通じ合う……。


「――心外だと思われるでしょうが、それがこの施設の主なサービスであり、瑞穂さんの生きざまが今夜、この会場に集まる有象無象として証明されてしまうわけですね」


 瑞穂は自分がぎゅっとしぼったあとのオレンジのような気分になる。


「たとえばそう、さきほど江戸兵衛です――思い当たるところはありますか?」


「え、いや……少しも――」


「あれは、瑞穂さんが高二の夏休みの寝苦しい夜に、首もとから血を吸った蚊です。その後、耳もとでツゥーンと羽音を聞かせてしまったせいでバレて、叩きつぶされました――そのときの残念無念が江戸兵衛のビンタとして返ってきたわけです」


 ……一矢報いるとは、そういう意味なのか。


「で、でも、ぼくは血を吸われているうえに、眠りを妨げられたわけで……」


「まァ、蚊のほうだって、好きこのんで瑞穂さんの血を選んだわけでじゃないでしょうし、結果つぶされてしまったわけですからね。怒り心頭もやむなしというもの」


 瑞穂の口がゆがむ。江戸兵衛みたいに。


「……え、しかし蚊はつぶされて死んでしまったのでは――?」


「ここでは、生きているか死んでいるか――それは問題ではないのです」


「あ、ああ、ヴァーチャルだからですか……」


 瑞穂は混乱のち愕然とする――そういうことなのだとしたら、怒らせた相手なんて無尽蔵に存在するのでは――というか、さっきからこのおじさんもそう話している……。


「ちょ、ちょっと待って……では、ぼくはどうしたら――?」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は両目を大きくする。


「まァ、仰るとおり、ここはヴァーチャルです。ロボット給仕さんの説明ではいろいろリンクしているかもしれませんが、びっくり仰天することはあっても、瑞穂さん自身に致死的なダメージがあることはそうそうないでしょう……たぶん」


 そして、舌をぺろんとだした。

 意味がわからないが、なんかこわい。


「とりあえず、会場をさりげなくご覧ください――」


 瑞穂はヴィットーリオ・エマヌエーレ二世にうながされたほうをちらちらみる。

 まだうす暗いので像がつかみづらいけれど。


「あそこにいるギター弾き――あれは、中二のふきげんな瑞穂さんが、八つ当たりで投げすてた野菜サラダのセロリです」


「は?」


 瑞穂はいわれて思いだして、なんだか恥ずかしくなる。


「そ、そんなものまで……」


「かれは隙あらばギターで瑞穂さんを殴ろうと企んでいます。ギターは打楽器とか謳ってね」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は、ふぅと息をつく。


「そして、あちらのフェニックス――ああ、ド派手だ……あれは、小三のときに生きもの係をしていた瑞穂さんの学校の飼育小屋にいた鶏です。見覚えはありますか? 生活環境が劣悪で病気になったことを恨んでおります」


「み、身に覚えがないです……」


 瑞穂は挙動不審になる。


「それこそ、八つ当たりでは――?」


「まァ、すれちがいは八つ当たりみたいなもんです。瑞穂さんが明確な悪意をもたなくとも、嫌われることはあるでしょう……ああ、そして、極めつけ――あそこの壁際の、背後に立たれることを厭うてそうな、角刈りで個性的な眉をした目つきのするどいヒットマン風の男」


「え、ええ?」


「あれは瑞穂さんが小五の林間学校のときのハイキングで、弁当をひっくりかえした同級生です。憶えていますか?」


「は? ……東村くん?」


 瑞穂は悲鳴に似た声をだしてしまう。


「そう、その東村くん。ランチがなくなってしまったことを不憫に思った瑞穂さんは、おかずのたまご焼きを東村くんに分けてあげましたね?」


「そ、それが――なにか?」


「その後、まわりの同級生たちが瑞穂さんの真似をして、東村くんに一品ずつおかずを分け、あらたな弁当をつくりあげるという美談ができあがりました――ですが」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はカルアミルクのグラスを掲げる。


「じつは、おなじ班の女子に好意を抱いていた東村くんは、つねにその女子にクールな自分を演出したいとイキっていたため、瑞穂さんからはじまったその救済企画を、ただの屈辱と捉えたのです。そしてその恋もうまくいかなかったため、人生における不愉快の発端となり、東村くんは瑞穂さんをいまもゆるしてはいないというわけです」


「な、ほ、ほぼ逆恨みでは……?」


「そうかもしれません。でも、かれらにはさきほどの江戸兵衛のごとく、冷めやらぬ鬱憤があるのでしょうな――」


 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はちびちびとカルアミルクを舐める。


「そう、かれらは舞踏会に集まった武闘派なのです」


 そんなヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の目をみている瑞穂は、どこに向かうかわからない、ちいさい穴に吸いこまれていくような気分になった。

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