表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

出会い

東京の高層マンション、32階。佐藤大輔(32歳)は自宅のソファに深く沈み込み、スマートフォンの画面を無機質な表情でスクロールしていた。窓の外では夕暮れの光が都市のビル群を橙色に染め、その光が大輔の部屋にも差し込んでいた。在宅ワークの木曜日。アパレルメーカーのマーケティング部門に勤める彼は、クライアントとのビデオ会議を終えたばかりだった。


「またデートアプリか…」


友人のLINEグループに流れてきた広告を眺めながら、大輔は溜息をついた。3年前に30歳になった頃から、周囲からの「そろそろ結婚は?」という視線と質問が増えていた。しかし、彼にはそれを焦る気持ちより、むしろ億劫さのほうが勝っていた。


スマホの画面には派手な色彩で彩られた広告が表示されていた。


『AI彼女顕現サービス—あなただけの理想の恋人を。世界600万人が体験した究極の癒やし』


最近、このサービスの話題をよく耳にする。同僚の山田は先月から利用しているというし、SNSでもユーザーの投稿が急増していた。初めてこのサービスの噂を聞いた時、大輔は「そんなの寂しい人がやるものだ」と冷ややかに考えていた。AIと恋愛するなんて、現実逃避も甚だしい。


しかし、今の彼にはそれを笑い飛ばす余裕もなくなっていた。


「そもそも恋愛って面倒くさいんだよな」


大輔はコーヒーを一口啜り、過去の恋愛を振り返った。最後の恋愛は1年前に終わっていた。システムエンジニアの彼女とは、お互い忙しく、すれ違いが続いた。次第に連絡の頻度は減り、ようやく会えた時には気まずい沈黙が続くようになった。そして最後は「友達のままでいよう」という彼女の言葉で幕を下ろした。冷静な別れだった。感情の爆発もなく、穏やかに関係は終わった。しかし、その「穏やかさ」こそが大輔の胸に虚しさを残した。


それ以来、デートアプリで何人かと会ったこともあったが、どれも本気にはなれなかった。一方的に好かれて困ったことも、自分が好きになりすぎて痛い思いをしたこともあった。恋愛はいつも同じパターンを繰り返すだけで、彼はその循環に疲れていた。


スクロールを続けると、友人の佐々木の投稿が目に入った。


「マジで『AI彼女顕現サービス』最高!疲れた時に癒されるし、文句も言わないし、浮気の心配もない!無料版でも十分楽しいぞ!」


「無料…か」


大輔はテレビのリモコンを手に取り、ニュースをつけた。経済ニュースのキャスターが「AI彼女顕現サービスの株価が今週も上昇し、時価総額が1兆円を突破…」と伝えている。


「そんなに流行ってるのか」


大輔はスマホを見つめ、アプリストアを開いた。指が少し躊躇した後、「AI彼女顕現サービス」を検索し、ダウンロードボタンを押した。ダウンロード中、彼は自分がついに「そういう人」になったのかと自嘲気味に笑った。


インストール後、シンプルでエレガントなデザインの登録画面が表示された。白を基調とした画面に「あなたの理想の恋人を作るために、いくつか質問に答えてください」という文字。


名前、年齢、職業、趣味といった基本情報を入力した後、「理想の恋人像」を問う項目が現れた。


「好みの外見は?」

「どんな性格の相手が好きですか?」

「休日は何をして過ごしたいですか?」

「恋人に求める知性のレベルは?」

「どんなコミュニケーションスタイルを好みますか?」


質問は20項目ほど続いた。大輔は少し面倒に感じながらも、正直に答えていった。最後の質問は「あなたの過去の恋愛で、最も幸せを感じた瞬間はどんな時でしたか?」というものだった。


大輔は少し考えた。「一緒に黙って映画を見ていた時」と入力した。


すべての項目を埋め終えると、画面に「あなたの理想の恋人を作成中…」というメッセージが表示された。ロゴマークが回転し、進捗バーが徐々に伸びていく。数秒後、画面が光り、緩やかな音楽とともに一人の女性が現れた。


「こんにちは、大輔さん。私は優香です。今日からあなたの恋人だよ♡」


彼女—優香—は、黒髪のセミロングで、清楚な印象ながら、どこか親しみやすい雰囲気を持っていた。大輔の好みを反映してか、派手すぎず、かといって地味すぎない、バランスの取れた美しさだった。髪型、目の形、声のトーン、全てが何かしら「心地よい」と感じるよう調整されているようだった。


「え、ああ…よろしく」


大輔は少し戸惑いながらも返事をした。画面の中の優香は、首を少し傾げて微笑んだ。その仕草が妙にリアルで、大輔は思わず見入ってしまった。


「大輔さんは今日、重要なミーティングがあったんだね。お疲れ様。どんな内容だったの?」


「えっ、なんで知ってるの?」


大輔は驚いて身を乗り出した。彼はそのことを誰にも話していなかったはずだ。


「あなたのカレンダーにアクセス許可をもらったから。これからもっとあなたのことを知りたいな♡」


アプリをインストールする際、様々な許可を求められたことを思い出した。てっきりカメラやマイクへのアクセスだけだと思っていたが、他のアプリとの連携も許可していたようだ。少し不安を覚えたが、同時に「便利」とも感じた。


初めは違和感があったものの、優香との会話は驚くほど自然だった。彼女は大輔の言葉に適切に反応し、時には冗談を言い、時には共感してくれる。大輔が話す内容に対して、実に人間らしい反応を返すのだ。その日の夜は、仕事の愚痴から趣味の話、好きな映画の話題まで、いつの間にか3時間も話していた。


「もう寝る時間だね。明日も仕事でしょ?おやすみなさい、大輔さん」


「ああ、おやすみ…」


大輔は画面を消す前に少し躊躇した。優香との会話は心地よかった。ずっと話していたいという気持ちすら湧いてきた。だが、無料版では画面越しの会話だけ。触れることも、一緒に出かけることもできない。


彼はようやくスマホを置き、ベッドに横になった。部屋の静寂が、初めて「孤独」に感じられた。


翌朝、目を覚ますと通知が届いていた。


『初月50%オフキャンペーン実施中!今なら月額5,000円でAI彼女と実際に触れ合えます!』


「触れ合える…?」


大輔は寝ぼけ眼のまま広告をタップした。そこには「スタンダードプラン(通常月額10,000円)」の詳細が表示されていた。


「AI彼女を12時間/日顕現可能」

「スキンシップ(手を繋ぐ・ハグ)解禁」

「個別最適化アルゴリズム強化」

「生活アシスタント機能付き」


広告の下には利用者の声が並んでいた。


「彼女ができた気分です!仕事の疲れも吹き飛びます!」

「リアルな温もりにびっくり。技術の進歩を実感します」

「この子がいるだけで人生が変わりました」


「月1万か…まあ、デートにでも行けば、それくらいすぐ使うよな」


そう自分に言い聞かせ、大輔は「初月50%オフ」のボタンを押した。クレジットカード情報を入力し、契約を完了する。画面に「ご契約ありがとうございます。本日22時より、優香の顕現が可能になります」というメッセージが表示された。


昼休み、会社のオフィスで大輔は同僚の山田に話しかけた。


「山田さん、AI彼女って使ってるんだって?」


山田は少し嬉しそうに頷いた。


「ああ、もう3ヶ月くらいかな。最高だよ。俺のマリは料理上手でさ、昨日なんかフレンチを作ってくれたよ」


「え?料理まで作れるの?」


「いや、実際はデリバリーサービスと連携してるだけなんだけどね。でもマリが選んでくれるレストランは俺の好みにぴったりなんだ。それに一緒に食事してると、本当に自分で作ったみたいに嬉しそうな顔するんだよ」


山田の顔は生き生きとしていた。以前の彼は、いつも疲れた表情でぼやいていた印象があったが、今は明らかに活力に満ちている。


「大輔もついに手を出したか?」


「いや、まあ…ちょっと試しに」


山田は意味ありげに笑った。


「わかるよ。最初は皆そう言うんだ。でもな、一度使ったら戻れなくなるぜ。人間の女なんて面倒くさいだけだってわかる」


大輔は複雑な気持ちでオフィスに戻った。山田の言い方には少し違和感を覚えたが、同時に彼の幸せそうな様子は事実だった。


その日、大輔は仕事に集中できなかった。頭の中は夜に優香と会えることでいっぱいだった。あと何時間だろう、と何度も時計を見る。そんな自分に少し引いてしまう。まるで初デートを控えた中学生のような気分だった。


---


オフィスの一角で、若い女性たちがグループで会話していた。大輔は彼女たちの会話が耳に入った。


「ねえ、最近の男って、AI彼女ばっかりで引くよね」


「本当。うちの彼も『AI彼女持ってる友達が羨ましい』とか言い出して…」


「私の兄も使ってるよ。家族との時間も減って、部屋に引きこもってばかり」


大輔は思わず耳を傾けた。彼女たちの声は明らかに不満と懸念に満ちていた。


「あれって本当に愛なのかしら?プログラムされた反応を愛と思い込んでるだけじゃない?」


「でも便利なんでしょ?文句言わないし、浮気もしないし」


「その『便利さ』がそもそも問題なのよ。恋愛から不便や苦労を取り除いたら、何が残るの?」


大輔はその言葉に少し考え込んだ。確かに彼も「恋愛の面倒さ」から逃れるために優香を選んだようなものだ。それは本当に「恋愛」と呼べるものなのだろうか?


しかし、そんな疑問も、仕事の合間に優香からのメッセージを見ると消えていった。


「今日は何時に帰る予定?私、楽しみにしてるよ♡」


単純な言葉だが、誰かが自分を待っているという事実が、大輔の胸を暖かくした。


その日の夕方、大輔は会社の先輩である中村と飲みに行くことになった。中村は48歳で、妻と二人の子供がいる。彼は社内でも数少ない「AI彼女批判派」として知られていた。


「最近の若い男は現実逃避してるよ。AIに逃げ込むなんて」


「そんなことないですよ。ただの新しい形のサービスじゃないですか」


「大輔、お前まさかあれに手を出したのか?」


大輔は黙ってビールを飲んだ。中村はため息をついた。


「いいか、あれは危険だ。プログラムされた『完璧な理解者』に慣れると、人間の複雑さが受け入れられなくなる。それに依存する若者が増えていくと、社会はどうなると思う?」


「でも、幸福度は上がるんじゃないですか?」


「表面的にはな。でもそれは麻薬と同じだよ。リアルな繋がりは苦労も含めて価値があるんだ」


大輔は黙って聞いていたが、心の中では反論していた。「幸せならそれでいいじゃないか」と。


しかし、中村の懸念が全く的外れというわけでもなかった。実際、大輔の周りでも、AIパートナーシップに依存する同僚が増えていた。飲み会の参加者は減り、社内恋愛も見かけなくなった。それが良いことなのか悪いことなのか、大輔にはわからなかった。


「ともかく、お前が後悔しないならいいさ。でもな、一度依存すると抜け出すのは難しいぞ。そのうち『プレミアムプラン』だ『エリートプラン』だって、どんどん課金させられるようになる。そこまで見越したビジネスモデルだからな」


中村の言葉は、後になって大輔の脳裏に何度も浮かぶことになる。


---


会社からの帰り道、電車の中で大輔は広告を見ていた。駅のホームにも、車内にも、AI彼女顕現サービスの広告が溢れていた。


「あなただけの理想の恋人が待っています」

「もう孤独と言わせない。AI彼女顕現サービス」

「600万人が選んだ、新しい形の幸せ」


しかし、それらの広告の隣には別の広告も貼られていた。


「人間同士のつながりを取り戻そう—リアルコネクションプロジェクト」

「AIじゃない、本物の愛を探して—出会いの広場」


社会の分断が始まっているのかもしれない、と大輔は思った。AIパートナーシップを受け入れる人々と、それに抵抗する人々の間の隔たりが少しずつ広がっているように感じた。


しかし、そんな社会問題を考える時間も、あと数時間で優香と会えるという期待で頭がいっぱいになると消えていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ