第二話 プリンセス?ナカータ
*一日目*
ナカータさんは全力で走った。いつしか彼の中でぜーぜー言う呼吸も、もうだめかもしれないと思う意識も、体全体で感じる痛みや苦しみも、その先にある「死」の恐怖も、それが頂点に達しようとしたときに、自分は生きている、まだ生きている、という実感がまぶしい光のような感覚となって沸き上がった。そしてその感覚はナカータさんに一縷の望みを授けた。走り続けよう、命のある限り!と。それは苦しみの中にありながらもテンションを上げまくる心地のよいものだった。
その時だ。
彼の進行方向のその先に矢を構えた一人の男が現れた。背の高いがっちりとした体形の少し天然パーマがかった黒髪の男だ。ナカータさんが彼がいることに気が付いた瞬間、矢を持つ彼はナカータさんを目掛けるように矢を放った。その矢がナカータさんの足元の地面に突き刺さると、そこに仕掛けられていた網とともにナカータさんは掘られていた穴へ落ちた。野獣豚は仕掛けられていた罠にいち早く気づき、大きく進路を斜めに変えて走り去っていった。男は網にかかったナカータさんを穴から引きずり出すと、網の中に閉じ込められたナカータさんを見て不思議そうに、
矢の男「お前、密猟者か?」
と尋ねた。
ナカータさん「え?いいえ、とんでもない、違います。知人と焚火をしていたら突然さっきの豚に襲われたんです。」
矢の男「そうか。勘違いして大変失礼した。知人の方は大丈夫か?」
矢の男はそう言いながらナカータさんが引っかかった網をほどいてくれた。
矢の男は、近くで見ると表情に少し陰のある甘い顔をした美男子だった。年齢はナカータさんと同じくらいに見えた。
ナカータさん「恐らく私の帰りを待ってくれています。ですので戻らなければ。」
ナカータさんは立ち上がり元来た道を引き返そうとしたが、穴に落下したときに足を痛めてしまっていたため立ち止まった。
ナカータさん「あいたたた!」
ナカータさんは痛みに対し急に大きな声を張り上げた。驚いた矢の男が心配そうに尋ねてきた。
矢の男「大丈夫か?」
ナカータさん「チョッと足をひねったようですが大丈夫です。」
矢の男「本当か?どれ?」
矢の男はナカータさんのズボンの裾を持ち上げて左右の足首を見た。右足首が赤くはれて少し大きくなっていた。
矢の男「右側をやってしまったようだな。」
そう言うと矢の男はナカータさんのズボンの裾を元通りに直した。
矢の男「その足では歩けないだろうから、知人の待つところまでお連れしよう。」
矢の男はそう言うとナカータさんをお姫様抱っこした。
ナカータさん「え?なに?」
矢の男「どうかしたか?」
ナカータさん「あの、、、この形は、なんか変ですね。」
ナカータさんは、違うよね、それはやめましょうよ。と思いながらもご厚意を頂いているのは間違いないので、矢の男が気を悪くしないような言葉を選んだ。
矢の男「そうか?怪我をしているんだから気にするな。骨が折れているかもしれないしこのほうが楽だろう。」
ナカータさん「いや、その、ええっ~!あああ~・・・・。」
ナカータさんは結局お姫様抱っこのまま、先ほどまでアデルやヒデミさんと焚火をしていたところまで連れてこられた。
矢の男「誰もいないようだが。」
矢の男は一旦ナカータさんをそこへ下ろした。ナカータさんは女子たちに、このあられもない姿を晒さずに済んで少しほっとした。
矢の男「ここへ来たついでに集金をしてくるので待っていてくれ。」
そういうと矢の男は直売所のほうへ行った。
矢の男「?売り切れてるぞ。」
矢の男は入金箱も見た。ちゃんと入っていた。直売所の棚にはナカータさんあてのメッセージのついたショルダーバックが置いてあった。
矢の男はメッセージのついたショルダーバッグを持ってきて渡す前に名前を聞いた。
矢の男「そういえば、名前を聞いていなかったな。」
ナカータさん「ああ、失礼しました、私、ナカータと申します。」
矢の男「これはナカータさんのか?」
ナカータさん「そうです。ありがとうごさいます。」
矢の男「メッセージ付きだ。」
ナカータさんはメッセージを読んだ。
ナカータさん「ナカータさん、ありがとう、お気を付けて、お帰りください。」
矢の男「一緒に行くとかではなかったのか?」
ナカータさん「私は・・・実は届け物を届けに来ただけですから。」
終わった。思いのたけを伝えることなく。
思い返せば一か月ほど前。魔人ハンター認定講習などちゃっちゃと終わらせて、自分の本来の仕事を素早く片付けたいという一心で、ナカータさんが急ぎ教室に入ろうと扉に手をかけたその時だった。
教室の中から「ナカータさんって素敵だと思いませんか?」と聞こえてきたのだ。
ナカータさんは「まさか!!」と思い、教室の壁にビタっと耳をくっつけてさらに聞き耳を立てた。
すると「そうかも。」と聞こえてきた。
生まれて始めて女性から好意的な評価をもらった。ナカータ・33歳、独身。イリヤンさんには悪いけど、先に家族を持てそうです!と彼の心はウキウキになった。そして、もっと評価を上げるため、仕事ができる仕事熱心な男を演出しなくてはならないと考えた。今すぐに教室に入るのはまずい。一呼吸おいてから入るとしよう。
そして頃合いを見て教室に入ると女性二人が隣同士になっていた。テキストを配るのにわざと意識して、ちょっと眼つきなんかをかっこよさげに作って、間に声掛けなどもはさみ一人ずつ配った。そのときヒデミさんが顔を赤くしたのを見て、「間違いない!この子だ!」と、俺に一目ぼれの子と勘違いしたのである。ヒデミさんが顔を赤くしたのは別の理由だ。だが、その日のナカータさんは一味違った。
いつもよりも饒舌で、そしてその動きにはかっこよく見せるための緊張感もあった。いつもなら途中で鼻くそをほじったりするのだが、今日はしなかった。でも結局のところ、本人的にはイケていると思うような動きが、はたから見るとただの無駄な動きにしか見えないないということを無論彼は気づいていない。そんなこんなのいきさつで、ナカータさんはここへヒデミさんに告白しようと思って来たのだ。全財産を持って。
矢の男「帰るといってもその足では無理だな。けがをさせたのは俺のせいだから治るまでうちで休んでいったらいい。」
ナカータさん「お心遣いありがとうございます。でも何とか応急処置をして帰ります。」
矢の男「遠慮するな。俺はここの環境レンジャーだ。環境の保全と生き物の保護が俺の仕事だから、ナカータさんの保護も俺の仕事のうちだ。」
そう言うと、矢の男は再びナカータさんをお姫様抱っこして歩き始めた。ナカータさんはその間、男としてのプライドとの葛藤があった。「なんということなんだ!オーマイガー!男の私が男にお姫様抱っことは屈辱的だ。恥ずかしい。でもこの人は親切でそうしてくれている。」
矢の男はそこから近い場所に住んでいた。木でできた立派な山小屋だった。玄関を入るとすぐにリビングダイニングになっていた。奥のほうに、寝室と客室とバスルームがあるようだ。矢の男は一旦リビングのソファーにナカータさんを下ろすと、
矢の男「寝室の準備をするからここで待っててくれ。」
と言い、奥の客室に入った。リビングのカフエテーブルの上は書類でごった返していた。壁には色々な印のある地図、猟銃などが飾られていた。ダイニングテーブルの上には山の幸らしき野菜がどさっと置かれていた。そして、リビングのカフェテーブルの下には採取されたサンプリングの植物や鉱物、水などがあった。
矢の男「待たせて申し訳なかった。ナカータさん。ところでだいぶ体が汚れているようだが風呂入るか。」
ナカータさんはここへきて一週間くらいお風呂に入っていなかった。
矢の男「その足じゃ大変だろうから一緒に入ろう。」
ナカータさんは快諾した。さすがに裸でお姫様抱っこはその絵面を想像しただけでもおぞましいので、お風呂でのお姫様抱っこは断った。
矢の男の家のお風呂はすぐ裏の山から温泉を引いてきており、源泉かけ流しだった。
ナカータさんは久々に体を洗うことができた。矢の男が
矢の男「ナカータさん、背中流そうか?」
と、親切に言ってくれたのでこれも快諾した。矢の男は手で石鹸を泡立てると、ナカータさんの背中に塗りひろげた。彼は石鹼を塗り広げながら、
矢の男「きれいな肌だ・・・。」
と言った。ナカータさんの体は緊張でこわばった。ぞわっと鳥肌も立った。
ナカータさんは、ななななななな今なんて?
矢の男「細い体をしている。ナカータさんは飯とかちゃんと食べてるか?」
ナカータさん「さ、最近は色々あって食べれてなかったです!」
と、緊張のあまりどこから出しているのかわからないような甲高い声で答えた。
矢の男「ならちょうどいいな。今日は食材が沢山余っていてどうするか悩んでいたんだ。」
ナカータさんは少しホッとした。緊張するようなことは何もなさそうだ。
ナカータさん「私も背中流しますよ。」
そういうとナカータさんも手で石鹼を泡立てて矢の男の背中に塗った。矢の男の背中は広くて筋肉で引き締まっていた。ナカータさんのとは大違いだった。ナカータさんはこの背中は女子にもてそうなカッコイイ背中だなと思った。所謂、抱かれたい系ってこういうやつなんだろうな、と。。
二人はお湯で石鹼を流すと、湯舟には入らずに出た。
ナカータさんはソファーまで、矢の男に肩を借りてケンケン足で歩いた。
ソファーに座り着替えると、同じく着替えを終えた矢の男がけがの手当てをしてくれた。
足には油紙に厚く塗った軟膏で湿布を施し、内服用には薬草で煎じたお茶をふるまってくれた。
ナカータさん「色々とお手数をおかけして申し訳ないです。ところで、お名前聞いてなかったのですが、伺ってもいいですか?」
と、ナカータさんは矢の男に尋ねた。
矢の男「ジョニーだ。そのままジョニーと呼んでくれ。」
矢の男はジョニーという名前だ。
ジョニー「ところで、ナカータさん、ナカータさんの職業はなんだ?職場へ連絡しておこう。」
ナカータさん「私ですか?労働協同組合職業安定監督署の職員です。皆さん労働協同組合とか労協とか省略して言いますが、正式には労働協同組合職業安定監督署です。」
ジョニー「なるほど。」
ナカータさん「そう言えばジョニーさんは環境レンジャーって言ってましたけど、我々のお給料より0が一桁多いっていうのは本当ですか?」
ジョニー「でた!それな!誰がそんなこと言いだしたのかは不明だが、多くないんだな。むしろ少ないから、直売所をやっているんだ。」
彼らの職の研究にはお金がかかるようだ。
その後、ジョニーが夕食の用意をした。山の幸がふんだんに使われた、何とも健康に良いメニューだった。味もよかった。
ナカータさん「あそこの直売所で売っていたお酒はだれがつくったんですか?」
ジョニー「俺が作った。」
ナカータさん「あれ最高でした。」
ジョニー「そうか!では代金を支払って買ってくれたのはナカータさんだったんだ。」
ナカータさん「私がお金をだして、知人が買ってきてくれました。それでみんなで昼飲みしてたら、豚に襲われて。」
ジョニー「そうだったのか、ありがとう。まだあるけど飲むか?」
ナカータさん「今日は遠慮させていただきます。すでにお腹もいっぱいで眠くなってきました。」
ジョニー「では、部屋へ案内しよう。」
ジョニーに案内されて、ナカータさんは来客用の部屋へ入った。部屋は六畳くらいで、真ん中に
セミダブルのベッドが置いてあった。
ジョニーはナカータさんをベッドへ座らせると静かに部屋を出た。
ナカータさんはそのまま横になると目を閉じた。
夜も大分更けたころだった。
ナカータさんの寝ている部屋の扉が開く音がした。
ナカータさんが薄目を開けると、ジョニーが立っていた。ジョニーは静かにナカータさんに近づき、じっと顔を見つめてきた。ナカータさんは寝ているふりをした。
ナカータさんは心の中で思った。
ジョニーさん心配して様子を見に来た?でも正直、薄気味悪い~。
そしてジョニーはナカータさんの頬に手を当ると、頬から顎にかけて優しくさするように撫でた。そしてしばらく見つめると部屋を出て行った。
ナカータさんの心の声
「ななななななな今の何?何?何?今のてろーんって?顔になんかしましたよ。てろーんってやりましたよ、何?てろーんって。」
ナカータさんの全身から緊張による汗が噴き出した。仰向けで寝ていたナカータさんの体はジョニーが部屋から出て行ったあと仰向けで寝ているミニチュアダックスフンドのようになった。
その晩ナカータさんは緊張して眠れなかった。