16話 悪食の夜
深夜。俺は物音によって目を覚ました。
「なんだ……」
俺は目を擦りながら重い身体を起こし、辺りを見渡す。物音は小屋の外から聞こえてきているようで、この小屋の防音性の低さが伺える。
「ノーティーがいないな。ハイドとかいう奴に襲われた……いや、違うか」
俺が思い出したのは、シークの言っていたもう一人の魔人。あれは音や魔力、気配すら隠す相当厄介な能力の持ち主だった。
あいつは逃げていたため、まだ生きている可能性もある。
しかし今回は襲われた線を追う必要はない。音は今もなお小屋の近くで響いている。音を消せる奴が音を出す理由はない。
「じゃ考えられるのは——」
俺の脳裏に感想戦の際の彼女の表情が浮かぶ。それを引きずっているのか、はたまた全く関係ない理由か。
「一応、覗かせてもらうか。万が一敵に襲われたりしてたら大変だ」
俺はこっそり扉を開けると、音の聞こえる小屋の壁に顔を半分だけ出した。
「……」
そこにいたのは、土を大量に食べているノーティーの姿だった。
見なかったことにしよう。夜食は感心しないが、何事もないなら首を突っ込むつもりはない。
「バレてますよ、アルツトさん」
「うおっ!」
突如ノーティーの影が飛び出し、俺へと襲いかかる。俺は驚きながらもそれを回避し、彼女を睨みつけた。
「バレてるならここまで近づけるなよ。それとも見て欲しかったのか?」
「まさか。少し食事に集中しすぎてましてね、気がつくのに時間がかかりました」
正直、そんな気はした。やけに一心不乱に食べていたから、俺の存在は想定外だったはずだ。
そして何より様子が変だ。口から涎をダラダラと垂らしているし、体から放出される魔力の量も三倍近く増えている。
「土を食べている理由は発作です。わたしの《悪食》の力を抑え続けることはできませんから」
「力の制限はせいぜい七十パーセントって話だよな。それにしては随分魔力の増加量が大きくないか?」
俺は魔力探知はそこまで得意ではないので、相手の魔力の総量を知ることはできない。それでも、ノーティーの量は随分と多かった。
「放出量が多いからそう見えるだけです。逆はよくやりますよ、油断させるのに便利ですから」
「そうか。なんとなく雰囲気が違った気がしてな、念のため聞いてみた」
俺は何か違和感を感じていたのだが、まあ発作で雰囲気が違って見えたのだろう。
「わたし、義理親がいるって言いましたよね。その人からそういう生きる術を教わったんです」
「そうなのか。なぁ、一つ質問良いか?」
「なんでしょうか?」
ノーティーが怪訝そうな顔をする。おそらく彼女はもう一つの、触れるべきでない質問をされると思っているのだろう。
ノーティーに義理の親がいることは少し、不可解だった。理由は名前だ。ノーティーの本名を知っているか、新たな名をつけるか。どちらにせよ、彼女が名前を知らないという部分が納得できない。
「義理親にお前はなんて呼ばれてたんだ?」
「ああ、そのことですか。《悪食》、ですよ。わたしの義理親は魔人だったんです」
「魔人だったのか。道理でノーティーが魔人に詳しいわけだ」
確かにそれなら辻褄が合う。自分で魔神の性質について研究している線もあったが、どちらにせよ大差ない。
「良い人でしたよ。アジテートに殺されてしまいましたが」
「それ、言うんだな」
意外なことに、ノーティーは自分から義理の親が亡くなっていることを口にした。
俺は話の流れから既に察していて、触れて欲しくないと思っていたのだが違うらしい。
「聞いて欲しいんですよ。ヴィクトリアさんに言われたことが頭に響いていて」
「それは、挑発に乗るなって話か?」
露骨に落ち込んでいたのはその話が出た直後だった。間違いなく今言及されているのはそこだ。
「そうです。アジテートの挑発に乗り、怒りで我を忘れ、罠に嵌められたわたしを庇ってあの人は亡くなりました」
「……そんなことがあったのか」
「感情なんて、ない方が良いんですよ。あるから足元を掬われるし、こんなにも苦しいんですから」
ノーティーは泣いていた。彼女は俺と同じ、まだ過去に決着をつけられていない人間だ。
それにノーティーは俺より圧倒的に若い。両親も亡くし、義理の親も殺された苦しみは彼女には重すぎる。
「……」
俺はこういう時、なんと言えば良いのか分からない。感情は必要だ、などという正論を叩きつけるのはお門違いだ。それは救いになりはしない。
では辛いね、苦しいよねと言えば良いのだろうか。何も言わないよりかはマシかもしれないが、「お前はそんな目に遭ってないくせに」と思われることが怖い。
だから俺は黙っていた。目線だけ合わせるように屈み、それ以降は何もしない。言葉はかえって、邪魔になる気がしたから。
「ただ、その感情を利用する手を教えてくれたのもあの人でした。わたし自身、油断を誘う動きは散々してきました」
「……」
「だからわたしは心を騙します。わたしも、相手のも全部。本音は全てが終わってから、ゆっくり紡いでいけば良い」
「それは、辛いぞ」
結局口出しをしてしまった。自分を騙すということは我慢だ。我慢を続ければ、いつか決壊してしまう。
「覚悟の上です。そもそも奴との決戦に時間はかけられません、タイムリミットはどんなに引き伸ばしても後一ヶ月」
「そうか。ならその間に俺も俺のやるべきことをやろう」
覚悟をしているのなら俺にできるのは、勝率を少しでもあげる手伝いをすることだけだ。
「目指すは全員生存の完全勝利。頑張りましょう!」