02.蟻はアリかナシか
視界に入る唯一の生物、蟻。
確かに蟻は広義の意味では動物性タンパク質です。もちろん地域によってはご馳走と呼ばれる程には浸透した食料です。
ですがなんと言うか僕の中の人間が言うのです。アレを食料と見なすのは違うのではないかと、しかし同時に僕の身体も主張します。
――――目の前の獲物を喰らえと。
僕の中の人間は別にこの蟻を嫌悪しているとかではなく食料と見なすのかと戸惑っているというような感じで食べる事に抵抗は無い、なので食べる方へ天秤は傾いているのですが…
この蟻、想像の何倍も大きいです。人間感覚が抜けていないので人間的体感になるのですが、僕との相対比が人間とモルモット位の差です。
これは僕が小さいのか、蟻が大きいのかは分かりませんが驚きました。木も違和感がない程度の大きさだったので蟻が大きいと今の所は判断することにします。
さて食べようかと思った所でどうやって食べるのかと考えようとしましたが本能か条件反射かの何某が食べるに相当する動作を無意識にしていました。
まるで乳飲み子が母の乳を求めるようなものでしょうか、ともかく飛びかかり覆い尽くして全身で味わうのが僕のスタイルだったようです。
キチンの殻を飴を舐めるように溶かしていけば酸っぱいギ酸と蟻の持つ肉の甘さが味覚全体を楽しませてくれます。
案外いけますね。
見事に僕の血肉になった蟻を溶かしきった瞬間にもうひとりの僕の記憶が当然かのように僕の意識に馴染んでいました。もうひとりの僕は先程食べた蟻、その生まれから僕に食べられるまでの全てが僕の記憶として刻み込まれています。
それと同時に当然の事を当然の事と知った時のような感覚に陥りました。例えるなら算数の十の位を理解した時のように、あるいは漢字の意味を知った時のように、歌で例えるなら難しいフレーズが発声できた時のように、スポーツであれば競技のセオリーが体感と実感で理解した時のように、小説であれば謎を解いて二度目を読み進めた時のように。
この時、僕はこの身体の事の一端を大きく分けて二つ知りました。一つ、僕は僕が取り込んだ僕では無かった存在を僕として存在を取り込めます、またその存在は僕と対等である為に存在の染め合いが発生し、勝った方が僕であるという事です。
二つ、僕はどうやら取り込んだ存在でもあるという事が分かりました。
肉体の変異と分裂、どちらも本体でありどちらも分身という中々微生物らしい生態だとは思いませんか?ファンタジー色強めですけど。
以上の事を踏まえて僕は僕の生存確率を上げるために蟻の巣撲滅計画をここに立案しました。
蟻特有のフェロモンの感覚と僕の記憶からコロニーに住む他の蟻が何処にいるのかは網羅しているつもりです。
僕の記憶から僕になった蟻は差程思考能力があるとは思い難いと思うので今の僕の方が女王より狡猾に巣を支配出来るのだと判断します。
そもそも女王を僕として迎え入れたなら、そのコロニーは僕が全て僕として迎え入れて完全に意志の統一された完全な超個体としての能力を持ちます。
当然の如く同種のコロニーでは太刀打ち出来ない最強のコロニーが完成します。某伯爵は創作の中でこういっています「血液とは魂の通貨」だと、その例えでいけば僕は確かに一匹と一つですが通貨を所持し使用出来るボクと血という紙ペラを通貨と認識しない出来ない蟻にはどれ程の差があるのでしょうか?まぁ僕のは血では無いですけど。
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僕はその日から侵攻を開始しました、反抗ではなく侵攻です。彼らを一匹一匹丁寧に飲み込むのは最初だけ、その数を十から百へ百から千へ数をボクはボクのまま同種を喰らいボクの血肉へとなっていきます。
ボクの総数が万を超えるか超えないかというギリギリのところでボクが狙っていた女王の存在を取り込んだ事が分かりました。
これでボクは有性生殖が可能になったと、今更どうでもいいですけどね。
まるで数千回生きたかのような体験で若干性格が変わったような気もしますが、ボクがボクである限り何者かを取り込み続けるので今の段階から気にしても仕方ない、ここは敢えて鈍感に自分の変化を無視していきます。
そしてここまでくれば最早血餅の姿で在り続ける必要性はありません、女王の身体に切り替えて一先ずボクという群体を身体の中に戻してから次はどうするかを考えましょう。
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大陸の南端には不帰の森や徒労の森などの呼び名がある大樹海が広がっている。
その名の通り過去数多の冒険者達が侵入し多くは帰って来ず、帰って来た者も有り触れた、それこそ近所の森を目をさらにして探せば見つかる程度の物だった。
さらに魔物氾濫と間引きのリスクすらも森へ入るリスクより少ない。
その為にこの樹海へ近付く者は次第に減り、やがて物好きか自殺志願者が偶に樹海に立ち入りそのまま帰らないというのが現状だ。その樹海に一匹の魔物が誕生した。
本来は本能のままに這いずり、やがて乾燥地帯に辿り着いて乾涸びる運命だった知性無き血液のアンデットは何の因果か知性を獲得し、空腹がないため目覚めることが極めて稀な筈の捕食能力に目覚めてしまった。
これまで変身と融合の特殊能力を持つこのアンデットは能力の発現の有無を確認せず出現するだけで人類が周辺諸国を巻き込んだ討伐騒ぎになるほどに危険な魔物だ。
知性の無い本能だけのこの魔物ですらそれ程のトラウマを植え付けている。
そんな存在が知性を携え、魂の概念を理解し、積極的に捕食し、既に数千の命を身に宿し、姿を変えた。
もう既に対処のしようがない程に手遅れとなってしまった。しかし幸か不幸か人類は未だかの魔物の存在を認知していなかった。
その血餅のアンデットを人類はこう呼ぶ“吸血鬼”と。
こうして世界に災厄の魔物“吸血鬼”が再び、最悪の形で解き放たれた。