14.スラムと一目惚れ
酒場を後にしたボクはさらに大通りから外れて街の端、整備の行き届いていない荒れた一角へとやってきた。
魔物が居ない世界でも当然のように存在するスラムは、この魔物蔓延る世界にない理由が無いと言っても過言では無いだろう。
一見すれば人気が無いように見えたとしても、良く良く注視すれば息を殺した住民がチラホラと息を潜めていることが分かる。
「いや、凄いねここは。」
思わず呟いてしまうくらいには想像を超えた光景だ。
意図的とも思える程に崩れた家屋の並び、野放しの瓦礫は道を塞いで瓦礫の切れ目が新しい道のように無秩序に伸びている。
推測でしかないのだけど前回の魔物襲来から復興が行われていないエリアなんだと思う。
でないとここまで露骨に荒廃したエリアは生まれないだろうね、意図的でなければだけど。
崩壊した家屋と瓦礫の隙間から野生化した人間種達がボクという外来種五体に警戒感を強めているのが見て取れるね。
満足な食料を得る為に文化を捨てた野生の人間種達は互いに互いが敵で、油断をすれば忽ち食われる側になるという不帰の森と同じルールで生きているんだろう。
さすがに共食いはしないのか、そこらに転がる死体はハエと小動物のご馳走な様で、さながら行列の出来るレストランの様相を呈している。
更にそれを狙った人間種が少なからず居るのが見えて、小さな世界の食物連鎖がここでも確りと育まれている事にある種の感動があるね。
スラム自体はそれほど大きいものではなく、歩いて三十分もしない内に端から端へとたどり着ける範囲だ。
その中を宛もなくふらふらと歩き回り、城塞都市に守られた小さな野生生物保護区を見て回っているけれど本能の類か、飲み屋通りの人間種よりは危機管理能力が高いのは皮肉か何かだろうか?
「おや珍しい犬がいるね。」
この街全体で見れば犬は数えられる適度には確認出来たけれど、今目の前にいる犬は世間一般に獣人と呼ばれる一応この世界ではスタンダードな人種だった筈だ。
獣人とは文字通り獣の姿が色濃く見受けられる人種でその多様性は一種族として数えて良いのかと思える程に多種多様だ。
その姿は全身を覆う毛と強靭な身体能力を持つ、二足歩行の獣と呼ぶべき人種それが獣人種。
獣人は驚くべき事に獣人同士を含めるありとあらゆる人種と交配が可能であり、数多の混血種を残せる種族として有名だ。
その一例として人間種と交配した場合には半獣人と呼ばれる獣人種の特徴と人間種の特徴が混ざった姿で生まれる。
この姿はボクが獣人といわれて想像する人間種に耳や尻尾が生えたり、腕や足の中半まで獣の姿のよくあるサブカル風の獣人が一番近い姿だろう。
閑話休題
ボクの目の前にいる犬は汚れでくすんではいるけれど白い毛の半獣人で九歳くらいの雄の幼体かな?酷く衰弱しているようだけど、親が縄張り争いで負けたのかな。
目の前にいるボクすら気に掛けない程に諦めきった姿はダンボールに入った捨て犬より絶望感が溢れているね。
「ねぇ犬っころ。
君は生きたいかな?」
…ボクは別に犬が特別好きな訳ではなかったはずだけど、ほんの気まぐれ、気になったのだから仕方がない。
ボクは泥にまみれて薄汚れた白い毛を手で撫でつけて絶望に満ちて今にも死に絶えそうな犬に問いかける。
「…ぁぅ」
撫で続けているボクの手に犬は弱々しいけれど頭を押し付けて来る。それを肯定とボクは受け取った。
「そう、なら君は今日からボクのペットだ。」
それだけ言うとボクが避難用に用意していた個別空間へと犬を送り届けた。
個別空間は術者本意の時空魔術であり術者の主観でしか時間が動かない異空間を生み出す高位魔術だ。
だからボクがこちらに居る限り、個別空間内で仮に死亡直前であってもその状態を保全するという、この状況下で最も適した飼育場所だ。
ある程度犬が育つまでは個別空間で引きこもってみようか。食料なんかは賢者の石で生成すれば良いから外界に出なくても問題は無い。
相当本筋から脱線するけれど、レティシアも許してくれるだろうか?まぁ期間はボクが理から離れ切る前までという事だし大丈夫だと思う事にしよう。
出てくる頃には浦島が見たかった光景が見れるだろうね。
◆❖◇◇❖◆
個別空間内部はデフォルトでは何も無い闇の空間だけれど、ボクはこの避難空間を拘り抜いて作り上げた。
擬似的な自然環境を整えて太陽あり夜あり風ありのほとんど外と変わらない環境を作り上げた。
当然生成に必要な魔力も膨大で三十万近くのボクが瀕死寸前まで魔力を込めてようやく出来上がった自信作だ。
その個別空間内にログハウスを組み上げた。
陽だまりに建つ森の小屋をイメージして作ったものだが存外良く出来ていると自画自賛している。
そこでシロ―――犬が名前が欲しいと言ったから白雪と名付け、あだ名としてシロと呼んでいる―――と一緒に暮らし始めて数ヶ月くらい経っただろうか?
初めの頃は粥すらろくに食べられない程弱っていたあの犬っころが今では…
「お母さま!次はなにして遊びますか!追いかけっこですか!もの拾いですか!」
尻尾をちぎれんばかりに振り回してボクにまとわりつく小型犬のようになっていた。
「母では無いと何度言ったらわかるのかな?…まぁいいや、今日はそうだね。戦闘訓練でもしようか。」
「?、せんとうくんれん?」
今間抜け面を晒しているシロを飼育するに当たってタマネギなどの食べさせてはいけない物が無いかを調べる所からボクとシロの生活は始まった。
とは言っても智天使の権能で割と簡単にその辺は分かったんだけれど、その過程でシロの獣種を知って思わず「へぇ」と納得させられたのはいい思い出かな。
その内容の前にシロの獣種を確認しなければならない。シロは降雪地帯に多く住む雪狼人族と人間種の混血で人間種が濃く出た所謂半獣人だ。
それを知った時にボクは少し意外に思った。
犬じゃなくて狼だったのか、と。
そもそも犬の獣人などというものは存在しないと、良く考えれば至極当然な事実で頭を殴られた気分だった。
犬とは狼を人間種が家畜化した生物の総称だ。
そんな生物の獣人種なんてものはレティシアやそれに類する管理者が気まぐれに追加でもしない限り発生し得ない種族だった。
種族云々なんてどうでもいいなどと言うなかれ、飼育するにおいてどの程度の成長をするかや何を食べるのかを調べずに飼い始めて育てきれずに捨てる馬鹿の真似はしたくないんだ。まぁボクは捨てないけれども。
脱線したね。
さて通常狼人は平均百五十メートルと人間種よりやや小さいくらいの大きさだとされている。同じ狼人種という事で似たようなサイズになるのだろうと予測しているけれど、人間種との混血で狼種の平均を超える可能性も十分に有り得るだろう。
「ボクが出した狼と戦いごっこをしてくると良いよ。疲れたら戻って来て良いからね。」
「はい!お母さま!行ってきます!」
ボクから分身した森狼と共に尻尾を振り回しながら広場に走っていったシロを見ていると、この性格のまま大きくなるとさぞ鬱陶しいだろうとしみじみ思う。
中性的な容姿で見る者が見れば男の娘と鼻血と涎を垂れ流しながら襲いかかるレベルで整った相貌から予想する性格とは外れてやんちゃが過ぎる。
伸びっぱなしの髪をグルーミングしただけだから余計に性別不明になっているのだろうけど、整えるならまだしもカットは専門外だからボクはしない。
もういっそその路線で行けばいいなんて考えもあったりする。やっぱりペットは可愛い方が良いに決まっているしね。
戦闘訓練の方もただのペットとしてここで飼うだけなら必要も無いだろうけれど、外を連れて歩くにせよ、ここで飼うにせよ、外に連れ出す可能性があるなら最低限獣程度の自衛手段がなければ話にならないだろう。
外出中に拐われました、殺されましたでは何ともやるせないじゃないか。
森狼にあしらわれて転がされるシロを眺めつつそんな事を考え続けていた。
訓練という名のじゃれ合いが終わり泥まみれになったシロが有り余った元気に任せて僕の懐へと飛び込んで来た。
「お母さま!お母さま!すっごく楽しかったです!」
「それは良かったよ。
…ボクに泥をつけた事は後で説教をするとして、先にお風呂に入ろうか」
ボクの言葉が正しく理解出来たのか耳と尻尾を
萎びらせて未来の自分を想像したのだろうね。
どうでもいい所で獣より賢い所を見せるシロに若干呆れながら風呂へと連れて行った。