~Drop of Dew(雨の雫)でつないだ、Due to Plot(話の筋によって)~
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焦げ臭い黒煙を乱暴に吹き出しながら、炎は燃え続ける。
「露子!」
姫子は露子に自分の身体を覆い被せるように背中にすがった。
「姫子ちゃん?」
彼女がどうして覆い被さるのか理解もできなかろう。
「これが多分、無鉄砲ってことだよね」
「何を言ってるの?」
自分でも何を言っているのか、それは姫子にもわからない。
たぶんこのまま焼かれてしまえば、二人とも亡くなってしまうから。だから、一人がもう一人のために覆い被さる。そんな整然とした論理などないし、姫子もそんなことを思うつもりはない。
じりじりと焼かれていくてるてる坊主を見ながら、なぜだか申し訳ない気持ちにもなる。もしあのとき見たリアルな情景が再現されたのであれば、そしてルテの言葉を信じてこんな蛮行に及んだとなれば。
きっと。
――。
首筋に冷たい唇が触れたのかと思った。
一滴の水雫が差したのだと、遅れて気がついた。
見上げた刹那、飴玉をぶちまけたかのように、バラバラと音を立て始める。
「雨……」
空は晴れているのに、雨が降りている。
「露子、見て!」
「痛いよ、姫子ちゃん」
生半可に姫子の身体で押し潰された肩を上げ、露子はゆっくりと立ち上がる。
「……」
空を見上げれば水色だけど、雨の情景がこの町に広がる。
「きつねの嫁入り」
「え?」
「空が晴れているのに雨が降ってるってことよ」
「そ、そんなの知ってるよ!」
別にそういう言葉がどうとか聞いてるのではない。
ただ、都合よく雨が降ってきたとか、そういうことはどうでもよく。露子は雨が降ってきたことに冷静でいた。
やがて雨足は、まさに足を踏みつけるかのごとく、豪雨が降り注ぐ。
火の勢いが弱まる。肉薄していた火の手が下がっていく。黒煙をくすぶらせながら、水に触れる蒸気の音を立てながら、後退していく。
火は弱まっていく、弱まっていく。徐々に炎の向こうにある、景色の輪郭が見えてくる。
「先生! 早く!」
生徒たちの雑踏と喧騒がぼんやりと聞こえ始める。声が炎の音にかき消されていたせいだろうか。大勢の生徒たちが集まっていた。
消火器を持った教師が集結するも。すでに炎は気にする必要がないほどに弱まっていた。
「助かったんだよね? 露子」
「うん、うちら……」
二人は互いに見合わせる。髪は焦げて、顔は煤だらけ、ジャージは泥と汗で汚れていた。
そんなみすぼらしい姿を見て、露子と姫子は笑った。腹の皮がよじれるほど。
だがここに駆けつけた教師は冗談では済まされないという顔で、二人に近づく。
「いったい、何があったんだ!」
「あの、それは……」
例の女子三人組のせいでこうなった。正直に言ったほうがいいのだろうか。
「先生、この鉄板、登山部がバーベキューで使ってたやつじゃないっすか?」
「バーベキューだと? おいお前ら、もしかしてここでバーベキューを」
姫子は血の気が引くのを身体で感じながら、「いいえ、違います違います」と言った。露子も頷いて、自分たちに非がないことを言う。
「じゃあ、誰だ!」
「先生!」
あの三人を連れてきた。半分焼け焦げた第一校舎を見ながら、三人は真っ青な顔をしていた。
「こいつらが部室から鉄板を勝手に持っていったって、登山部の先輩が言ってました」
「お前らのせいか!」
本当のことを話せば、三人を退学処分にすることだってできる。
露子を無理矢理土下座させた報いも、きちんと受けさせることだってできる。
姫子はそう考えていたが、しかし。
「違います」
その言葉がいち早く出てきたのは、露子の口からだった。
「どういうことだ、原井!」
教師に問われて、露子は強い口調でこう言う。
「ここでバーベキューしていたのは、男子でした。彼女たちは関係ありません」
「だが、こいつらが鉄板を持っていったっていうのを、見たって奴が」
「ここにいたのは男子です。そうよね? 姫子ちゃん」
露子は視線を姫子に移して、片目を閉じて促す。
「はい、男子がここにいました。彼女たちは鉄板を運んだだけで、そうよねえ三人とも?」
姫子が三人に聞くと、三人は必死に頷いた。
「誰だ? どの男子だ?」
「し、知らない男子でした。あたいらパシらされたんです!」
「そうか」
そして教師が二階あたりまで焦げた第一校舎を見て、あきれた顔になる。
「しかし校舎の燃えようは、とても酷いな」
「ですね、本当に」
見上げながら姫子は、ことの重大さをあらためて感じる。だが。
「校舎なんてどうでもいい。また直せばいいんだから。だが万が一に我が校の生徒が焼け死んだとしたら、何をしたって二度と帰ってはこない。お前らが助かったことだけは感謝すべきだ」
雨は相変わらず激しく降る。気づけば空にねずみ色の雲が覆っていた。いつの間に空模様が変わったのか。
熱気から解放された温度差で、姫子はくしゃみをした。
「お前ら、早く中に入れ、風邪引くぞ」
そう言いながら、生徒たちはざわつきながら、校舎の中に入っていく。
「はぁ、一件落着なのかな」
「そうね、感謝すべきだとしたら私に、ってところかしら」
「わあっ!」と姫子は跳ね上がる。数秒後に、それが聞き馴染みのある声だと気づく。
二階の窓から、逆さ状態で窓から覗く少女、ルテがいた。
「ルテ、どうしてここに!」
「私が、また会いたくなったら呼んで、って言ったから。それに応えたと思ったから、あなたのところに来たというのに……」
彼女が指差した。そこにあったのは、真っ黒焦げになったてるてる坊主。少しだけ気持ちが重たくなって、ごめんねと言いたかった。
「あんたがこの雨を降らせたの?」
「そうよ、だから言ったのよ。あの子に雨を降らせることはできない、って」
雨はルテのせいだった。
露子の雨乞いのおかげで降ったのではない、それは少し残念な気がした。けれど、ルテのおかげで助かったのは間違いない。
「ありがとね、ルテ」
「どういたしまして」
ルテは爽やかな笑顔を返す。そういう顔もできるのか。いつも見せていた不気味な笑みではなくそういう顔を見せてくれればいいものを。
あくる日、学校の廊下、みんなが登校する時間、露子は窓越しに雨が降る外の風景を見ていた。
あの三人が彼女の横を通り過ぎる。まるで何もなかったかのように。感謝のひとつもせず、露子を無視するようにダベっていた。恩着せがましくするのは厚かましいが、あの三人は本当に反省しているのか姫子は疑問に思う。
「露子」
「なあに? 姫子ちゃん」
窓辺で雨を見ている露子は本当に絵になるほど、さまになっている。
彼女には雨乞いをする力はない。けれどそんなことは関係なかった。
「なんでもないよ、いま露子が少しステキだねって、そういう風に思っただけ」
「そう」
露子はあのとき言った。雨のことが嫌いだって。その気持ちはいまでも変わりないだろうか。それを聞くことに姫子は勇気が必要だった。
けれど、
「露子ちゃんは、いま雨が好きかな?」
彼女が目線を姫子に向ける。険悪になるのを覚悟で聞きたかった。
「雨はみんなにとって大事なもの。畑も田んぼもお湿りが必要ね。貯水池もダムも、水が必要だから雨を欲している。そんな実利的なことを聞きたいの?」
「ううん、そういう意味じゃないよ」
なんでだろう。そういう当たり前のことを聞いているのではないのに。
「ふふ、わかってるわ。姫子ちゃん、うちのこと気遣ってるんでしょ? うちがいまでも雨のことが嫌いかって?」
「わかってるのなら、そんな意地悪しないで」
「ごめんごめん」
もう一度、雨空を見上げ、露子はこの風景と同化する。
「うち、雨のことが少しだけ好きかも」
「少しだけ?」
「うん、それからうちは二人とも少しだけ好きだから」
「え、二人って?」
「あすなろくんと、そして姫子ちゃんのこと」
あのとき気遣ってくれたのに、その気遣いを憤慨して潰してしまったこと、そのことを露子は詫びた。
「ありがとね、姫子ちゃん」
「ううん、大したことないよ」
「そういうこと言わないの。うちにとっては大事なことだったから」
きっと露子はずっと謝りたいと思っていたのだろう。
喉につかえていたものが無くなったような、そんなすっきりした顔だった。
「おはよう、露子さん。姫子さん」
そこにあすなろが現れた。
「あ、おはよう。あすなろくん」
ぎこちなく姫子はあすなろに挨拶する。
「おはよう、あすなろくん。いまうちらね、ちょうどあすなろくんのことを話していたのよ」
そう、露子は姫子とあすなろのことが少しだけ好きだってことを明かした。
だが、天の邪鬼に彼女はこうやり返した。
「あすなろくんのことが、大嫌いだってね」
「えっ!」
あすなろは驚いた顔をしていた。姫子は猫のように髪の毛を逆立てもっと驚く。
そう言いながら、露子はその場から離れた。姫子とあすなろをその場に放置するように。
「僕のこと嫌いなの? 姫子さん」
「え、あ、その……」
「いいえ」という答えがただちに「好き」という結論になるわけではない。
だけど、いつものように姫子は、それを否定する勇気がなかった。
そんなうやむやのまま、姫子はあすなろのそばから逃げ出した。
これじゃ大嫌いって言ってるのと同じだ、と申し訳ない気持ちになりながら。
せっかく露子がくれたチャンスだったのに、姫子はそれさえも無下にしてしまう。本当に駄目だな、姫子ちゃんは、そんなことを露子は思っているような顔をしていた。
雨の降るこの風景に溶け込んでいくように、すべては思い出になる。きっと雨が降るたびにまた思い出す、ひとつのシーンなのだろう。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
第一章の結びです、次回から始まる第二章にご期待を。