~Prayed(雨乞い)した、Pride(空意地)の少女~
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降り続く雨の中、姫子は登校の道を歩く。学校に着いて教室に入ると、原井露子が三人の女子に向かって、何やら喚いていた。
「だからこの雨は、うちが降らせたの!」
何やら非科学的なことを言う。この雨を露子が降らせた、などと。
露子は神主の娘で、露子自身も神社で巫女をやっていると姫子は聞いているけれど。
「あんたの雨乞いで雨を降らせたなんて、誰が信じるのよ」
「そうよ、あれでしょ? 雨が降るまで雨乞いをすれば一〇〇パー降るってやつでしょ?」
神社では雨乞いの儀式をすることは、姫子も知識の断片で知ってはいたが。それでも雨乞いで雨を降らすということは、この三人の女子のように非科学的だと思ってしまう。
「雨が降るまで雨乞いするなんて……うちはそんな適当な心構えで雨乞いなんてしてないわ!」
「真面目な心構えで雨乞いするほうがおかしいわよ!」
雨が教室のガラス窓を叩く。今日は正午ころまで大荒れになると天気予報で言っていた。
露子のポニーテールは登校時の雨のせいだろうか。垂直に垂れ下がり、まさに元気を失った馬のしっぽのようだった。
女子三人はさらに露子に詰め寄る。
「うちのおかげで田んぼも畑も湿るのよ」
姫子の住むこの町は都市部からも郊外からも離れてはいる。それなりの商店街も娯楽施設もあるものの。ここ一帯は農地が多く農業に従事する人も多い。
「今朝なんか桐山さんが、うちのこと褒めてくれたのよ。露子ちゃんのおかげで畑が潤うって」
「誰よ、桐山さんって」
「うちの近所のおじさんよ」
「そんなの知るか」
頑なに雨乞いの力を否定にかかる女子たち。ただ傍から聞いている姫子も信じがたいので、おいそれと賛成などできない。けれど、露子の味方にはなりたいとは思っていた。だが、三人に反論して彼女を守る勇気が姫子にはなかった。無用なトラブルは避けたかったから。
「じゃあねぇ、今度の体育祭、雨で中止にしてくれない?」
そういえば体育祭は来週に迫っていた。
「あたいらかったるくて体育祭なんてやっていられないのよ」
「い、いいわよ。うちが雨を降らせてあげるから!」
肝の座った様子で、露子は前に出て女子三人の顔をにらみつける。
「もし雨が降らなかったら、もう学校に来ないでくれる?」
姫子なら、そこまで詰め寄られたら勇気が出なくて取り消すと思う。雨が降る確率に学校をやめる約束を賭けるなんて正気の沙汰じゃない。
「いいわ、雨が降らなかったら、うち学校やめてやるわ!」
ここで引き下がればいいのに。姫子には露子に勇気があると思えるよりも、無鉄砲な人間にしか見えなかった。
さすがに姫子も黙っていられなかった。
「やめなよ、露子。そんなつまらないことに学校生活を賭けるなんて」
「部外者が口出さないで!」
三人にコケにされて、姫子は辟易して一歩下がってしまう。
「姫子ちゃん」
露子が姫子のほうを向く。
「『そんなつまらないこと』ってどういうこと?」
「えっ?」
「うちにとって雨乞いは大事なことなの、つまらないなんて言わないで!」
逆に怒られてしまった。姫子はしおしおとする。
「来週楽しみにしてるわ」
そうして三人が露子から離れる。
「おはよう、姫子さん」
姫子が後ろを向くと、あすなろがいた。
「あ、おはよう……ございます、あすなろくん」
「うん、おはよう。今日もよろしくね」
「よろしく……」
なんだろうと姫子は思う。告白の答えは有耶無耶だから、フラれたということにはならないんだろうけれどやはり気まずい。
「おはよう、露子さん」
露子にも、あすなろは礼儀正しく頭を下げる。
彼女は黙りこくっていて、呆然とした状態で彼を見る。
「どうしたの? 露子さん」
「うちなんでもないわよ」
なんでもないことはないだろうに。抱えた不安をひた隠しするように、つんとなる露子。
しかしあすなろは彼女のことを心配そうな顔で見る。鈍感でもさすがに露子が意地になっていることに気づいたか。
「お腹痛いの?」
「痛くない」
そう言って、自分の机のほうへ露子は歩いていく。
「僕、何か悪いことしたかな」
「大丈夫、あすなろくんは何も知らなくて」
姫子も少しだけ意地っ張りになって、あすなろを突っぱねる。そのあたりで不思議にもあすなろに対する気まずさは消え去っていた。
そして、
「ねえねえ、姫子」
さっきから姫子の髪の毛を引っ張ってくる人がいた。
高い天井から伸びる電灯に足をひっかけて、ようやく届いたとばかりに、ルテが姫子にちょっかいを出す。
「やめて」
小さい声でルテのほうをにらみつける。
上からぶら下がる彼女が自宅から学校に行けないとばかり思っていたのに……。
生徒玄関に入ったあたりで、ルテが「おーい」と叫んで、姫子はげんなりした顔で無視を決め込んでいた。もちろんルテの声は誰にも聞こえる様子はない。
「くふふ、くふふふ」
何がそんなにおかしいのか。
「雨女ね、あの子」
露子を指差して、ぶしつけにそんなことを言う。
他の人には聞こえないけれど、そんな大声で言うことないだろうに。
姫子は横に小さくふるふると振って、ルテに注意を与える。「そんなこと言うのやめなよ」というお願いを込めて。
するとまた、ルテは不気味に笑いかけた。
「笑うな」
姫子は小声で言ってやった。
「で、なんで学校まで来たの?」
「暇だから、それとあなたについていったらさぞ面白かろうとね」
ついていったら、とはどういう意味だろうか。少なくとも姫子は「憑いていったら」などという漢字をあてられないことを祈るばかりだった。
「あなた、あすなろくんのこと好きでしょ」
「――! あんた何を言っ……!」と叫びかけて、クラスメイト一同が姫子のほうを振り向く。
姫子は手をあわせて頭を下げて詫びた。
「どうしたの、姫子? 情緒不安定ね」
ドツいてやりたかった。
雨音が外からいまだに聞こえ、帰りのホームルームが終わったばかりの時間帯。
ルテは学校で始終ちょっかいを出したり、からかったりするので、さすがに姫子も堪忍袋の緒が切れた。
生徒玄関を出るあたりで、ルテが許しを懇願してくる。
「ねえ、ねえ、ごめんってば姫子」
「……」
生徒玄関と外の境、玄関扉でルテが上から下にジャンプし、姫子に抱きつくつもりだとわかった。
「させるかっ!」
身体を巧みにひねって、抱きつこうとするルテの両腕を回避した。
「げっ」
嫌な顔をして、ルテの身体は反重力が働いているかのような動きで、上へ上へと吸い込まれていった。
「もう二度とついてこないでよね!」
そう言いながら、ルンルン気分で帰ろうとした。
しかし直後、雨音が激しくなったと同時に、まさにバケツをひっくり返したかのような豪雨が来た。
傘を開くのが遅れて、姫子はびしょ濡れになった。
「うう、冷たっ!」
どうしてこんな目に遭わなくてはならないのか。姫子は愚痴をこぼしたくなった。
濡れネズミ同然で歩くが、途中から横殴りの風に煽られた。雨が正面から降ってきていた。
傘が途中で折れて使い物にならなくなる。最悪のパターンだった。
「さぶい!」
夏といえど、今日の気温は秋のように涼しく、この雨の冷たさは身体に応えた。
どこか雨宿りする場所はないだろうかと、姫子は途中で雨よけになりそうな古民家に入った。不法侵入で悪いとはいえど、いまは緊急避難よろしくで姫子は中に入る。
古民家は案外ひんやりとしているかと思いきや、少しだけ暖かい。ここで雨が止むまで待たせてもらおう。そう思いながら姫子はワイシャツを脱ぐ。
「何してくれるのさ……」
ギャッ! と姫子が叫ぶ。振り向くとルテがいた。
「いちいちうるさすぎ」
「あんたなんか死ね!」
「いや私、幽霊だし」
おちょくるな。まったくあんたは驚かせすぎ。神出鬼没なんだから。そう言って姫子は、三和土の場所で水を絞ってから、しわくちゃのまま再びワイシャツを着る。
古民家の中は、いろいろな道具が積まれていた。いろいろと言うが、姫子には形容することも説明することもできないものばかりだった。少なくとも日本古来で使われていた道具であろうことは確かだ。
いったいこれらのものは何に使うものなのだろうか。
ごそっと音がする。奥のほうに何かが動いた。
にゃーご、と場違いに腑抜けな猫の声がした。というか猫であった。毛並みは闇に紛れられそうな黒である。
この子も雨宿りをしているのだろうか。姫子は黒猫を抱きかかえる。
不意に後ろから影が差す。その拍子に黒猫が姫子の腕をするりと抜けて逃げ出す。
「ルテ、もういたずらはやめて、さすがに二度目は驚かないわよ」
だが、その影は上から伸びておらず地面を這っていた。
え、と思いながら戦慄する。
確か二日か三日前あたりから、熊の目撃情報があったが。身の毛がよだち、姫子は意を決して振り返り見る。
そこにいたのは、足下から上部まで動物の毛が生えていた、熊。
姫子は絶叫した。