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~Glow(熱り)が冷めていくGray(灰色)~

「一緒に帰ろう、あすなろくん」

「うん」

 廊下の窓から見える曇り空はこれから雨が降ることを、姫子にはわかる。

 生徒玄関を出るあたりで、小雨が降りてきた。姫子が折りたたみ傘を取り出し、あすなろに渡す。

「あすなろくん、傘持ってくれる?」

「ああ」

 乾いた音を立て、傘が開かれる。そしてごく自然に見える成り行きで、相合い傘をすることになる。

 この傘は傘ではない。雨から守ってくれるあすなろの腕の一部だと思うと、姫子は胸の奥が暖かくなる。

 傘に細かい雨粒が落ちて弾ける音が心地良い。

 道は静かに濡れていく。

 気温が冷たくなっていくのではなく、徐々に涼しくなっていく。

 ただ、姫子は道の途中でしまったと思った。彼とさよならをする分かれ道に差しかかったら、この傘をどうしよう、そのことをすっかり忘れていた。

 でも心配ない。でもなんとかなるだろう。そう姫子は高をくくっていた。

「あすなろくん、もうすぐ夏休みだね」

「そうだね」

 土曜日の別れ際、姫子はあすなろに「また一緒に映画を見ませんか?」と言った。あすなろは快く受け止めてくれた。だから夏休みになったら、いま上映されてる映画を制覇する。そんな勢いで夏休みの計画をしっかり立てていた。

 姫子がふふっと笑うと、あすなろは「どうしたの? 姫子」と聞いてくる。

「早く夏休みが来ないかなと思って」

 これじゃまるで小学生の言葉だ。だけどあすなろはそれに「そうだね、楽しみだね」と他愛もない言葉で応じ、口角を上げた。

 ワイシャツの袖のあたりから涼しくなる。首筋にそよ風が当たる。

 心地良い空気が風景を包み込んでいた。写真じゃ決して撮れない。そんな風に考えて姫子は後ろ首に手を当てた。手に残っていたほてりが消えていく。

 住宅街と商店街に分かれる道で、あすなろは足を止めた。

「ごめん姫子、これからちょっと行かなくちゃいけない場所があるんだ」

「あたしも用事に付き合おうか?」

 多少時間を食われても特に問題はない。あすなろの行くところならどこへでも行っていい。姫子はそう思っている。

「ごめん、遠慮する」

 少しだけ俯き、あすなろの顔が陰る。おやと思って悪いことをしたかなと、姫子はちょっとだけ後悔する。

「そっか。ごめん、あたしこそ」

「いや、姫子が謝ることじゃないから」

 まぁ、個々人が秘密にしたいことはあるから。

「ちょっと病院へ行かなくちゃいけないから」

 憂鬱感のように、胸が重くなるのを感じる。

 朝もそんな話題が出ていた。やはり彼は病気持ちなのか、姫子は心配になる。

「どこか悪いの?」

 聞いちゃいけないような気がしていた。けれど、そのときの姫子は聞かずにはいられなかった。

「僕はどこも悪くないよ、面会しに行くんだ」

「ああ、面会か」

 姫子はあすなろがどこも悪くないことに安堵する。

 いやいや、と彼女は即座に否定した。そのこれから会う人が病気なのに、そんなことを言うなんて自分は冷たすぎる。そんなことを考えるのは卑劣な人間だ。

「病院で誰と会うの?」

「僕にとって、一番大切な人だよ」

 ……。

 えっ!

 姫子は声を漏らした。

 涼雨の光景が途端に氷雨の景色に変わるのを感じる。背筋が震え、肌が泡立って、手の指先から首筋まで一気に血の気が引いていく。

「その子、もしかして女の子?」

「そうだけど?」

 愚直にすっぱりと言うあすなろに、姫子はどう反応していいのか困ってしまう。

 彼に非はないけれど、裏切られた気分だった。けれどあすなろに確認しなかった姫子も悪い。

 涙が出そうになった。

「そっ……か」

 すべて自分が悪い。自分勝手にルテに頼んで、あの雰囲気のいい状況をセッティングさせた。

 裏切られたと思うのも傲慢である。姫子は決めつけていたのだ。あすなろが自分以外に好きな人がいないことを、ただ自分が知らなかったのだ。

 わかった。これは天罰なのだと。ルテを使って計画を立て、彼と一日映画館に行くくだりを作って二人との関係を作る。それが卑怯だということは重々承知していた。

 当然だ、姫子はここで罰を食らって納得する。あまりにすんなりと溜飲が下がって、逆に気味が悪いほどだった。

 これは罰なんだ。一人の男の子をもてあそんだ姫子自身への罰なんだ。

 一歩後ろに下がればいい。それで雨に打たれてしまえば、悲しみの中に放り出される。

「姫子?」

「さよなら、あすなろくん」

 姫子はそう言いながら駆け出した。

「姫子、傘!」

 折りたたみ傘を掲げるあすなろのことはもう直接見ることはできなかった。

 心地良かった雨が、冷たい雨へと変わる。

 自分が勝手に思っていたのだ。雨も景色も空気も、自分の気持ちで塗り替えていたのだ。そして自分への気持ちも、自分が好きな男の子のことも、すべて自分が自分の都合のいいように意味づけしていただけなのだ。

 姫子は自分を悔しがる。

 だからこれは呪いだ。自分に対する理不尽な呪いだ。

 もうすべて終わってしまえばいい。

 曇り空も空気も、世界のものすべてが灰色になった。

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