~Rainy Layer(レイニー・レイヤー)~
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映画館のガラス窓を鏡に、姫子は白い帽子をどうかぶったほうがかわいく見えるか思索していた。今日は日差しが強い。白いシャツと水色のスカート、それに加えてこの帽子をかぶれば、あとはもう顔しか見えない。顔をどのように見せようか魅せようかと姫子はそればかり考えていた。
「やっぱ、こんな感じかな」
普段ファッション系の雑誌は読んでいるものでも、理論と実践は違うものである。いざとなると、頭が真っ白になるというのは本当だ。
「こんな感じにしよっ」
そう言って姫子は左から右にかけて少しだけ傾けて帽子をかぶり直した。
今朝からテンションを高くした。目の下にくまができない程度だったが、昨夜はあまり眠れなかった。
気になったのは、昨日家から帰ってからルテを見かけていないことだ。
彼女はたびたび行方がわからなくなることは頻繁に起こる。
一言お礼を言ってあげたかったが、いまに至るまでお礼を述べることはできなかった。
ルテのことを考えるのはとりあえず止しておこう。ルテのおかげであすなろとのデートを実現できたのだから。ここでルテのことを気にしてデートが楽しめなかったら、かえって彼女に申し訳ない。
ガラス窓にもう一度向かい、姫子はあすなろに見せる笑顔を準備した。
「姫子さん」
ガラス窓の後ろにあすなろくんの顔が映った。
「ひゃあ」とまだ心の準備まで整わないうちに来たものだから、姫子はびっくりした顔をあすなろに見せてしまった。
「あ、ごめんなさい。驚かせちゃった?」
あすなろは落ち着いた表情と格好で来てくれた。ブラウン色のポロシャツに、白くないジーパン。とても清潔そうな格好である。
「こんにちは、あすなろくん」
「こんにちは、姫子さん」
同じように二人は頭を下げる。別にあすなろが真似しているわけではない。けれど姫子が頭を下げ、ほぼ鏡映しにあすなろがお辞儀をするから、それがなんだか面白かった。
気味がよくてなんだか笑えてきた。
「僕、何かおかしいこと言ったかな? 姫子さん」
「ふふふ、なんでもないよ。本当に」
なんでもないことだけど、いままですぐそばでこんな経験をしたことがない。だから笑ったんだなと、姫子は遅れながらもわかった。
隣り合わせの席番号が書かれた予約チケットを、あすなろが取り出す。
「映画館に入ろうか、姫子さん」
「うんっ」
レイニー・レイヤーという映画。口コミで好評だという話だけは聞いていた。けれど姫子はそれがどうして好評なのかはわからない。でもきっとそれは感動できる映画なのだろう。ポスターを見た感じ、恋愛映画っぽいし。
ほのかに明るい映写前のホール。広々とした席で二人の席は中央あたり。帽子を取って姫子はあすなろの右隣に座る。
まだ心臓がどきどき鳴っている。もしかしたらこのまま二人でお付き合いを始めたら、この心地よいどきどきはなくなってしまうのかもしれない。そのときはおそらく、あすなろの存在を完全に受け入れたときだろう。
多分それはいいことなのだろう。だけど姫子はこの心地よさに身を委ねたい。たぶんいまは姫子も中途半端な恋心なのかもしれない。心地の良い中途半端。
でも、どきどきが途切れないこの雰囲気を、姫子はまだ手放したくなかった。
こういう場面で姫子はあすなろと何を話せばいいのかわからない。でもそれでいいのかもしれない。
なぜなら、映画館の中で話をするのは厳禁だから。そういうことにして、初心者の映画館デートを楽しもう、と姫子は思う。
「始まるよ、姫子さん」
目の前の幕が開かれて、大スクリーンが目の前に現れる。
レイニー・レイヤーが始まる。
――
アニメーターとして働くレイ、彼が主人公である。レイがパソコンでアニメーション画像を編集しているところからストーリーは始まる。
数日後にアニメ会社の試写会が始まる。スポンサー企業やお偉い方が集まっている中、制作陣は緊張している様子が描かれている。
アニメはクライマックスに入って、見ている人が涙した。最後、ヒロインと男優が朝日を前にキスをする。いい雰囲気で終わろうとした。
そのときだった。突然画面に雨が降り出した。
瞬間、試写会に出ていた制作陣とスポンサーとお偉方もどよめいた。
それを見てレイは試写会の会場を飛び出し、「よしやってやったぁ!」と叫びながら笑い叫びながら道を走る。
――
(このレイって主人公、のっけから酷いことするわね)と姫子は笑顔を浮かべた。
横見すると、あすなろは落ち着いた表情でじっとスクリーンを見ている。つまらないと思っているのかなと姫子は不安になる。
――
試写会をぶち壊しにしたレイは、逃げている途中でヒロインのケイアとぶつかる。ケイアはレイに激昂してからその場を立ち去る。
それからレイは深夜のこと。SNSに溢れる写真をダウンロードして画像処理し、そこに雨を降らせてアップした。外道とも言える彼のアカウント名はレイニー・レイヤー(Rainy Layer)とあった。
翌朝、彼がパソコンを開くと驚くべきことが起こった。彼が改変した写真画像が、誰かの手によって再改変されたものが出回っていた。その写真は雨を巧みに消し、コントラストや露出を変える合成を施し、元の写真よりも情緒溢れる写真になっていた。
もちろん、SNS上の人たちは雨で不快に思える写真よりも、この写真のほうがいいと声を揃えて書き込んでいた。
なんて奴だ、俺のアイロニーでシュールな美的感覚を否定しやがった。とわけのわからないことを言って、SNS上でレイは罵詈雑言を吐く。いったい、こんな写真改変をした奴は誰なのか。
――
そこで姫子は察しがついた。レイの写真を再加工してSNS上にアップしたのは、ヒロインのケイアじゃないかと。
あすなろはそれを見て、うんうんと頷いていた。どうやらあすなろもそれに気づいているようだ。
――
その写真を上げたのはケイアだった。レイがそれを突き止めたのだ。
レイはケイアに勝負をふっかけた。どちらの腕がユーモアと美を兼ね備えているか、という勝負にケイアは受けて立つと宣言する。
そしてレイはSNS上で自分の最高作品と謳うアート画像をアップした。
だがここからアニメ会社が試写会を台無しにしたレイを追い、警察沙汰になっていたことを知って、レイは追われる身となる。
――
ここから展開が退屈になってきたなと、中だるみがきつくなってきて気づけば姫子は半眼を閉じ、気づけば瞼が重くなっていた。
眠くなってきた。