山田花子とのデート 1
「ひどい顔してるね。大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。このところ、いろいろあって……」
康介は、どうにか言葉を返す。
彼の前に座っている山田花子はといえば、Tシャツにデニムという相変わらずの通行人Aスタイルだ。傍から見れば、若い男女のデートに見えるかもしれない。その実は、二匹の凶悪な人殺しが対面しているのだが……。
そんなふたりがいるのは、前回に会った駅前のファミレスだ。客は、彼らの他に三人いる。仕事をサボっているサラリーマン風の男がひとりと、学生らしき若い女がふたり。彼らは、康介たちには目もくれない。
もっとも、それは康介にとってありがたいことだった。山田に指摘されるまでもなく、ひどい顔なのは分かっている。ほぼ二日間、寝ていないし食べていない。目の下に隈が出来ており、頬はこけている。肌も不健康そうだ。しかも、体のあちこちが痛い。なにせ丸一日、同じ姿勢だった。常人なら、腰や膝を痛めていてもおかしくなかっただろう。
これもまた、覚醒剤の効果……いや、副作用と言った方が正しいだろう。ずっと同じ姿勢で、同じ行動を数時間ぶっ続けで行えてしまう。薬のせいで、本来ならあるはずの疲労や体の痛みも感じない。だが、長時間同じ姿勢でいれば、体に変調をきたすのは確実だ。そもそも痛みというのは、これ以上その動きを続けると危険だぞ、という体からのサインである。その痛みを感じないという状態は、体にとって本当に危険なのだ。
事実、覚醒剤を打った後におかしな体勢で丸一日座りっぱなしだった挙げ句、エコノミー症候群を引き起こして死亡、というケースも存在するのだ。
康介は昨日、ようやく覚醒剤の効き目が切れたばかりだ。寝ることも食べることも可能になった。とはいえ、体は痛む。精神的な疲労感もある。正直いうなら外出はしたくない。他の人間からの呼び出しだったら、確実に断っていただろう。
にもかかわらず、康介は来てしまった。なぜ、ここに来たのか……その理由は、考えたくなかった。
次の瞬間、山田の口から出た言葉に、康介は愕然となる。
「シャブでしょ」
「はい?」
「あんた、シャブやったでしょ」
康介は何も言えなかった。シャブ、言うまでもなく覚醒剤の隠語である。若者たちがネットで取引する際には、アイスや氷などという隠語が使われることもあるが、シャブは恐らく全世代に通じるポピュラーなものだろう。
この女、何者だ? なぜわかる? いったい何を考えている? 様々な疑問が頭の中を駆け巡る。思考が混乱し、とっさに言葉が出て来ない。
すると、山田はクスリと笑った。
「隠さないでいいから。今時、シャブくらい教会の神父だってやってるよ。ところでさ、サイコパステストやってみない?」
「はあ? 何を言ってるんだ?」
またしても混乱してきた。いきなり何を言い出すのだろうか。サイコパステストとはなんだ……などと思っている間にも、山田はマイペースで話し続ける。
「ある男が、人を殺すことにしました。男がナイフを買いに店にいくと、一万円の凄く切れ味のいいナイフと、千円の切れ味がイマイチなナイフがあります。予算は一万円ちょうど。コーちゃんなら、どっちを買う?」
言いながら、上目遣いでこちらを見つめる。その目を見た途端、言葉が口から勝手に漏れ出していた。
「どっちか選ばなきゃならないなら、千円の方だよ」
「なぜですか? 理由を述べてください」
まるで教師のような口調だが、口元にはいたずらっぽい笑みを浮かべている。対する康介は、生徒のように真面目くさった表情だ。
「一万円のナイフを買うとなると、否応なしに目立つ。店員の印象にも残りやすい。遺体にも、特徴のある傷が残るかもしれない。そうなると、凶器を特定される可能性が高くなる。一方、千円のありふれたナイフなら、店員の記憶にも残りにくい。遺体の傷を調べても、ありふれたナイフによる犯行で終わりだ」
「なるほどねえ。さすがプロ」
感心したような表情だ。本気なのか演技なのかはわからない。ひょっとしたらバカにされているのかもしれない。
だが、山田のその言葉と、こちらに向ける表情が康介の心の中にある何かを刺激した。
「それだけじゃない。一番の大きな理由は、死体の処理だ。室内に残る血痕を消し去り、死体を運び出して始末しなきゃならない。洗剤で血痕を消し、遺体を箱に詰めて運び出す。そちらの方に金をかけたい。使える経費が一万円しかないなら、その大半を処理の方に回す必要がある。一万のナイフなんて買ってられないよ」
気がつくと、言葉がどんどん出て来ていた。本来、康介は雄弁ではない。むしろ無口な方だ。にもかかわらず、舌が異様に動く。言葉がスムーズに出ていく。この状態に、康介自身も戸惑いを覚えていた。
実は、これも覚醒剤によるものなのだ。彼の体内には、覚醒剤が依然として残っている。僅かとはいえ、効果を発揮しているのだ。もっとも、たいていの人間はそれに気付かない。
康介は学歴や教養はないが、裏の世界で十年近く生きている。そのため、異変に気付く能力は常人よりも上だ。今も、異様な状態であることは気付いた。だが、それが覚醒剤の影響だとはわかっていない。
そんな康介に、山田はウンウンと頷く。
「プロの意見だね。ちなみにテストの正解も千円のナイフなんだよ。切れ味の悪いナイフで、苦しめて殺すのがサイコパスなんだってさ」
聞いた瞬間、思わず苦笑していた。おかしかったわけではない。むしろ呆れていた。
「バカバカしい話だ。生きた人間を殺すのは簡単じゃない。切れ味のいいナイフを使ったところで、一撃で殺すのは難しいんだよ。まして素人じゃ、絶対に無理だ。全身二十ヶ所を刺されながらも、生きて病院に駆け込んだ男もいたらしい。いざとなると、人間は簡単には死なないもんだ」
康介の脳裏に、あの日の記憶が蘇る。
飛田を殺した時は、いったい何度刺しただろう。数えたわけではないが、確実に十回以上は刺したはずだ。にもかかわらず、奴は生きていた。それどころか、必死でもがき逃げようとしていた。めった刺しにしてどうにか殺したが、あの男の直接の死因は出血多量によるショック症状だろう。
映画やドラマでは、人は腹を一回刺されただけで数秒後には意識を失い、そしてドラマチックな死に様を晒す。だが実際には、それほど簡単には死んでくれない。危機が迫ると、人間は驚くほどの力を発揮するのだ。刃で内臓を傷つければ数時間後には死ぬだろうが、それまでは生きている。心臓や延髄などの急所を正確に刺したとしても、すぐには死なないこともある。実際に体験した人間でないと、絶対にわからないことではあるが……。
そんなことを思いつつ、康介は話を続けた。
「それ以前に、俺ならナイフは使わない。刺殺は面倒だし、血も大量に出る。凶器を特定される可能性もあるし、返り血を浴びることも珍しくない。どうしても刺殺以外の手段がない場合にしか、やらない選択肢だよ。個人的には、刺殺より絞殺を選ぶね」
「絞殺? 首絞めんの?」
「そうだよ。後ろからバックチョークで絞めるんだ。ガッチリ極まれば、ものの十秒もあれば気絶させられる。気絶させれば、後は簡単だ。そのまま絞め続ければ死ぬ。殺した後に、首を吊らせて自殺したように見せかけることも出来る。気絶させた後、別の場所に運ぶことも可能だ。あの菅田も、そうやって運んだ」
菅田裕貴。
そもそも、山田花子と出会うきっかけになったのが、この男の件だ。菅田をさらい、山田に引き渡す……それで終わり、のはずだった。
気がつくと、こんなことになっている。いつのまにか、山田という得体の知れない女と駅前のファミレスで会うようになっている。
なぜ、こうなったのだろう。
「菅田か。あいつは、本当どうしようもないよ」
不意に、山田はクスリと笑う。だが、その目には異様な光が宿っていた。
「あいつはさ、本当に顔だけ。話してても面白くもなんともない。とにかくバカ過ぎてさ。ホストにしろキャバ嬢にしろ、売れっ子になるようなのはみんな地頭がいいんだけど、あいつは本物のバカ。口を開けば、俺スゲー俺カッケーばっかり。話してると疲れる。まあ、ああいうバカが好きって娘が一定数いるのも確かだけどね」
そう言うと、山田は顔を近づけて来た。
「ねえ、あいつが今どうしてるか、知りたい?」
.