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第七話「異世界転生したら英語より辛い言語を覚えることになる」

『夜、俺は大旦那さんと一緒に小屋の中で息を潜めていた。

 何も悪いことをしようというのではない。その逆だ。

 悪事を暴こうとして、俺はこの『パライダー』商店の大旦那と共にこうして狭苦しい小屋の片隅で身を縮めているのだ。

 俺は翠河晃。何の因果か現代日本から転生してきてしまった一般人だ。

 田舎の農村に生まれたのだが、現代人たる俺が中世だかなんだか分からない世界の農村生活に耐えられるはずもない。

 ある程度成長するのを待って、逃げ出すように村を飛び出してこの都会へとやってきた。

 城下町たるここ『ジャンアス』なら、故郷よりマシな暮らしが出来ると思ったのだ。

 実際はとんでもない。金ナシが辛いのは現実も異世界も変わらない。

 住む所も食うものもなくぶっ倒れていたのを、『パライダー』の大旦那さんに救われた。

 そこから俺の丁稚生活が始まるのだが、その話は後にしよう。

 その丁稚生活の中で、つい先日とんでもない事件が起こったのだ。


 真夜中に、売上金を収めた小屋から人が出てくるのを見てしまった。


 とんでもなかった。

 勿論俺は店の仲間達に話したが、誰も信じてくれなかった。

 外から盗人が入ってきたとしたら警備役の連中が気づくだろうというのが皆の答えだ。

 それはそうだが、言いたくは無いが内部の犯行の可能性がある。

 そう言うと、誰が店の金に手をつけるんだと笑うのだ。

 小屋は厳重に施錠してあるし、そのカギは大旦那か若旦那、それか俺達のまとめ役――番頭みたいな役割の人しか持っていない。

 警備の目を盗んで屋敷に侵入し、更にその三人からカギを掠め取って金をとっていく。そんな大泥棒がいたら見てみたい、と言われた。

 しまいには、番頭役の人からお前が盗んだのを誰かに押し付けてるんじゃないかとまで言われてしまった。

 そこまで言われて何もしなけりゃ男が廃る。

 俺は大旦那さんを口説き落とし、こっそり隠れて犯人を捕まえてやろうと決めた。

 そして、今。

 息を殺す俺と大旦那さんの目の前で、犯行が行われていた。

 小屋の錠前は何事も無く突破され、入ってきた人影は一目散に金の入った袋を掴んで固く結んだ紐を解く。

 まるでどこに何があるか分かっているみたいに。

 高い位置にある窓から入る月明かりだけでは、具体的に誰かまでは分からない。

 だが、内部の人間の犯行であることは明らかだった。

 驚きで固まる大旦那さんをよそに、俺は捕まえるタイミングを窺う。

 人影が、店の売上金を腰の袋に移し変えた。

 ここしかない。

「そこまでだ!!」

 俺は大声を上げて人影に飛び掛る。

 突然の声に驚いて身を竦ませた人影はあっさりと組み伏せられ、月明かりにその顔が照らし出された。


「……シットロトさん?」


 俺が取り押さえたその人は、俺達のまとめ役、番頭のシットロトさんだった。



 シットロトさんを衛兵につきだし、戻ってきた後。

 重苦しい雰囲気の中、俺は大旦那さんの部屋にいた。

 どうしても、話しておきたいことがあったからだ。

「……大旦那さん、いくらやられたかわかりますか?」

 そう、これだ。

 盗まれた金額次第では、許しておけない。逆に言えば、大した額じゃなければ……という気持ちもある。

 店の仲間にも動揺が広がるだろうし、そこははっきりさせておきたい。

「と、言われてもねぇ……彼が話してくれるといいんだけど」

 そういわれて、俺は首をかしげてしまった。

「何なら、俺が帳簿と照らし合わせましょうか。このまま寝るのもなんですし」

「帳簿?」

 俺の提案に、今度は大旦那さんが首を傾げた。

 まさか、と思う。

 まさか、もしかして、

「帳簿……出納帳つけてないんですか!?」

 大声を出す俺に、大旦那さんはきょとんとした顔をする。

「いやだから、帳簿ってなんだい?」

 頭がくらくらした。

「帳簿は帳簿です。収入がいくらで支出がいくらとかをまとめた書類のことですよ。お金の管理には必須です」

「へぇ! それはすごい! 君が考えたのかい?」

「いや、俺が考えたわけじゃ……」

 言おうとして、それ以上は説明が面倒になりそうだから黙った。

 今大事なことはそれじゃない。

「支出と収入を管理していれば、仕入れ値や売値に損しない範囲での幅をもたせることができますし、今回みたいな時にいくら盗まれたかすぐに分かります。今すぐ帳簿をつけましょう」

「すごい発想だ! 君を拾ってよかったよ、天才かな? 商売に革命が起きるぞ!」

 愛想笑いを浮かべて、俺は羊皮紙とペンを借りる。

「まぁ、見てもらったほうが早いですよね。書き方はこんな感じで――」

 薄っすらと覚えている形で架空の帳簿を書く。

 縦に日付、横に勘定科目、用途、支出、収入、残高。適当に書き込んで、大旦那さんに見せた。

「店に合わせた形にした方がいいんでしょうけど、ひとまずはこれを基本にして下さい」

 大旦那さんは俺の架空帳簿を見つめたまま、じっと黙り込む。

 しばらくして言葉を選ぶように口を開き、

「一応、私は多少は文字を読めるんだ。それで、あの……」

「なんですか?」

 言い難そうな大旦那さんを促すと、申し訳なさそうにこちらを見て、


「この文字は、帳簿特有の記号か何かかな?」


 俺の書いた帳簿の『日本語』を指して、そう言った――       』


 ※             ※                 ※


 バタン、と力任せにノートパソコンを閉じる音が教室に響いた。

 居残っていた生徒の視線が一点にそそがれる。

 窓際の席の後ろから二番目。

 短く刈り込んだ髪と厚めの胸板が特徴的な男子生徒は、周囲を一瞥してから席を立つ。

 椅子が床をこする音を合図に、生徒達の視線がそらされた。

「今日はなんか不機嫌だな?」

 気遣うような笑みのクラスメートを見つめ、男子生徒――園村一喜(そのむらかずき)はノートパソコンを脇に抱える。

「ちょっとプライドを売ったからな」

「お前が? 明日は雪が降るかな」

「昨日降っただろ」

 一喜の返しに、クラスメートはぽんと手を打った。

「なるほど、あれはこのせいだったか」

「因果が逆転してねーかそれ」

 クラスメートは悪びれずに笑い、一喜が嘆息する。

「じゃ、今日もオツトメ頑張って来いよ」

「あー、行きたくねぇ」

 ケラケラと笑うクラスメートを横目に廊下に出て、誰かに文句を言われる前にドアを閉める。

 寒さが増してくると、教室の出入りにも気を遣うのだ。

 ポケットから毛糸の手袋を取り出す。ちりっと静電気が走った気がした。

 この時期は書き物をしていると指先の感覚が薄れていく。手袋の暖かさに感謝しながら、一喜はいつもの道順を辿った。

 昨夜降った雪は積もることはなかったが、霜が降りるには十分だったようだ。

 渡り廊下から見える日陰の部分にまだ残っている白い結晶に、一喜は肩を震わせる。

 冷たく乾燥した空気は唇に大ダメージを与え、健康な男子高校生もうっかりすると割れてしまう。

 唇を舐めて薄っすらと感じる血の味に、ヴァンパイアの気分を味わう。

 図書室のある棟の階段を上り、二階の一番奥の部屋へ。

 そういえばヴァンパイアはなんで処女の血が好きなのだろう、とふと思う。

 斜めに見上げ、薄汚れたプレートと第二文芸部の文字を確認する。

 篠宮の血は美味いのだろうか、と実に変態的なことが一喜の頭に浮かんだ。すぐさま思考を切り替え、椎奈の血は絶対に不味い、と結論付ける。

 考えるのを止めて、ドアを開いた。

「ウラァ、篠宮ァ! 今日も来てやったぞ!」

 全力でドアを開けた園村一喜の視界に飛び込んできたのは、


 ぐったりと机に突っ伏す黒髪の美少女――篠宮佐織(しのみやさおり)の姿だった。


 投げ出された腕がその疲労度を物語っている。

 一喜はおそるおそる近づき、脇に置かれたパックの牛乳を見やり、

「……成仏しろよ」

「生きてますっ!」

 むくりと顔だけ上げ、ぱらりとほつれた髪が貞子のように顔を覆う。

 不服そうな佐織に、一喜は眉を寄せた。

「どうかしたのか?」

「……昨日、ちょっと」

 言いよどむ佐織に、昼頃に幼馴染から来たLineを思い出す。

「あー、あいつの配信手伝ったんだっけ?」

「……そうです。出演させられました」

 唇を尖らせる天敵に、一喜は珍しく同情するような視線を送る。

「そりゃ災難だったな」

「……初めてみましたけど、凄いですね。投げ銭っていうんですか? 100円とか1000円ならまだしも、5万円とか3万円がぽんぽん飛び交うんですが」

「スペシャルチャットな。配信者におひねり投げるヤツ」

「一晩の稼ぎじゃないですよ、あれ」

「去年の稼ぎはスペチャだけで7000万つってたかな」

「ななせっ……!? 書籍化したってそんなに売れませんよ!?」

「だから世の中おかしいんだよ。他のもいれたら、億超える稼ぎだぞ」

 絶句する佐織を見下ろし、世の不条理を嘆くように一喜が溜息をつく。

 差し込む日の光は明るいのに、二人の心中は暗澹(あんたん)たるものだった。

「……勝てる部分が……」

 ぼそりと呟いた声に、一喜が片目だけで佐織を見る。

「なんだ?」

「いえ、なんでもないです」

 何事も無い顔をする書籍化作家に鼻を鳴らし、底辺作家はストローを突き刺したパックの牛乳に目を落とす。

「そういや、牛乳は胸が垂れる原因になるらしいぞ。このクソ寒いのになんでそんなもん飲んでるか知らんが、気をつけろよ」

 一喜の親切心かからかってるのか分からない発言はいつも通りだが、タイミングが悪かった。

 ストローを抜き取り、ポケットからティッシュを出して佐織はひたすらにこすり出す。

 不可解だと言わんばかりの一喜を無視し、

 パワーを集めるように念入りにこすり、


「九州男児雷電攻撃!!!」


 毛糸との抜群の相性により、ばちっと音が聞こえるほどの静電気が走った。

「トンコツ丸っ!?」

 痺れる手を掴んで、一喜が悶える。

「誰が豚ですか!」

「うるせぇ、誰もそんなこと言ってねぇ!!」

「園村くんはもう少しデリカシーを持ってください!」

「横文字で喋るんじゃねぇ!!」

 薄っすらと涙をためながら反論する捻くれ者に、天に選ばれし美少女は嘆息する。

「もういいですから、今日の分見せてください」

「今日は俺悪くなくねぇか……?」

 渋々といった具合にノートパソコンを置き、佐織に向かって開いてみせる。

 第二文芸部室に沈黙が満ちる。

 昨日静かだったせいか、今日は外の声が余計に良く聞こえた。

 遠く響く金属音、いちにーさんしーの掛け声、どこかのグループの笑い声、

 吹奏楽部のパッヘルベルのカノンに、金賞の翼を下さい。

 全てを押し流すチャイムの音と、火の用心を告げる放送。

 パトカーと消防車のサイレンが二重奏を刻んで通り過ぎていった。

 タッチパットから離れる指先と、小さな呼吸音。


「ぼくにはとてもかけない」


「無理やり書かされた読書感想文かよぉ!!!」

 外した手袋を思い切り叩きつけ、一喜が叫ぶ。

「すみません、場を和ませようと……」

「和む必要がどこにあった!?」

「真剣に語ったら傷つけてしまうかなって」

「もうその言葉で傷ついてんぞ!?」

 目を剥いて嘆く一喜から顔を逸らし、佐織は遠くを見つめた。

 どれだけ寒くなっても、上がるボルテージと熱気は収まらない。

「譲歩は見えるんですけどね」

「おぅ! 寒気しながら書いたわ!」

「妥協の産物過ぎて中途半端になってますよ」

「これ以上どうやって妥協しろっつーんだよ!?」

 たたきつけた手袋を掴んで握り締め、怒りと憎悪に燃えた瞳で天井を仰ぐ。

 佐織の冷たい視線では、この炎は消火できそうになかった。

「大体なぁ! なんで現代知識ちょろっと持ってきただけで天才になるんだよ!? 帳簿にしろ何にしろ、言語もあって文字もあるのに誰も発明してなかったのかよ!? 異世界人はバカ以前に文明レベルを統一しろ!!!」

「そういう世界、って設定なんですよ」

「そもそも、魔物だの魔王だのがいる世界と現代じゃ何もかも違うだろうが! 何で無条件に現代知識が通用してんだよ!? しかも、現代日本の知識もって転生してんなら異世界の言語だの文字だのを覚えるのって中学生が英語覚えるよりきついだろ!!!」

「その辺考え出すと面倒ですからね」

「面倒なら異世界やるんじゃねぇ!!! せめて少しはその世界に合わせて応用しろ!! 肉を両面焼いただけで腰抜かすとか、椅子に座って飯食うだけで感動するとか、原始人でもありえねぇだろうが!!」

「願望を叶えるのも、娯楽の役割ですから」

「包囲殲滅陣!! 敵は死んだ!!!」

 一喜が振りかぶって手袋を壁に向かって投げつける。

 荒い息をつく彼が落ち着くのを待って、佐織はタッチパットに軽く触れた。

「じゃあ真面目に考えますけど、その場合主人公って結構酷い人生になりますよね」

「なんでだよ」

 渋い顔をする一喜を見上げ、

「だって、急に意味分からない言語を発するんですよ。文字の発覚は遅れるとしても、下手したら悪魔の子扱いですよ、それ」

 ジト目の佐織に反論できず、一喜は言葉に詰まる。

「まして、その世界の言語がカタコトになったりすると悲惨ですね。子供のイジメの対象でしょうし、知恵遅れ扱いされかねません」

「転生してるんだったら、物心つく前に身につくだろ……」

「それ、さっき園村くんが否定していたご都合と何が違うんですか?」

 見上げてくる佐織の瞳に、唾を飲み込む。

 黒曜石じみた黒の瞳は美しく、人によっては今の厳しい視線も嬉しいと感じるだろう。

 だが、一喜にそういった性癖は残念ながらなかった。

「それで、聞きたいんですけど」

 佐織の視線がそらされ、一喜は胸を撫で下ろす。

 そんな自分に気づいてしまい、彼のプライドはずたずたに刻まれた。

「日本語が見つかった主人公はどうなるんです? ご都合がありかなしかでだいぶ変わりますけど。その辺の線引きってしてますか?」

 言葉もなく拳を震わせ、

 バタン、とノートパソコンを閉じた。


「お前に言われたくねーや、恐怖ちっぱい女―!!!!」


「何が恐怖ですか!!」

 ストローを構える佐織に怯え、一喜は荷物を抱えて急いで逃げ出した。

 どたばたとみっともなく逃走する一喜を見送り、佐織は投げ捨てっぱなしの毛糸の手袋を拾い上げる。

 まだ少し暖かいそれをじっと見つめ、

 数分ほど時間が止まったように棒立ちで悩み続け、

 何かを諦めたように溜息をついて鞄にしまった。

 がっくりとうなだれながら部室を片付け、カギをかけて身を翻す。

 ポケットの中で鳴るスマホに若干鬱陶(うっとう)しさを感じながら階段を下りていく。

 吐いた白い息は、空気に紛れてすぐに見えなくなった。



 Lineの返信は、ちゃんと立ち止まってから書き込んだ。

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