第四話「異世界転生しても現実はつきまとう」
『太陽の光が眩しくなって目が覚めた。
働かない頭をくっつけた上体をゾンビのように起こして、半分しか開かない目を軽くこする。
遮光カーテンを閉めていたはずなのに、やけに強い光が窓から入ってきている。
安物でも掴まされたかと思って視線を向けると、バカみたいに大きな窓に真っ白いシルクみたいな上品なカーテンがかかっていた。
まるでデズニー映画に出てくるお城の部屋のようだ。まだ寝ぼけているかと思ってかけ布団を剥ぐ。
何だか体の感覚がおかしい。妙に軽いというか力が入らないというか、布団をめくるだけでやたら気合が必要だった。
思えば、尻の下の感覚もなんか変だ。俺の布団はこんなに柔らかかったろうか。
嫌な予感がしながらベッドから降りる。目測を誤ってうっかりこけそうになった。
ベッド?
姉じゃあるまいし、俺は敷布団派だったはずなのだが。
慌てて立ち上がって窓の方を見て、
白いレース越しに、窓ガラスに少女の姿が映っていた。
叫びそうになるのを堪えて、視線を下に向ける。
華奢な手足が自分の意思で動く。あまりの事実に卒倒しそうになって、ここで倒れたら何も分からないとヘソに力を入れた。
窓ガラスに目を向ける。相変わらずの華奢な少女の姿が映り、顔に触れてみるとガラスに映る少女も顔に触る。
間違いない。このガラスに映った少女は俺だ。
パニックを起こしそうになって深呼吸する。まずは記憶だ、俺は確かにこんな少女ではなく立派な男だったはずだ。
犬山藍真、十八歳。大学合格と同時に上京して、つい先日念願の一人暮らしを始めた。家族構成は父と母と姉と犬。大丈夫、記憶はしっかりしている。
寝ぼけているのかと思って頬をつねってみるが、痛い。いや、今時は夢の中でも痛みを感じるというから断言はできない。
そう、夢だ。
これは、夢なのだろう。
何せ、昨晩の記憶がまるでない。
一人暮らし記念とかぬかして酒乱の姉が暴れにきたのは覚えているが、そこから先の記憶がすっぽり抜けている。
だから、これはきっと寝ている間に見ている夢なのだ。
しかしなんだってこんな少女になる夢を見るのか。
部屋を見回せば、豪奢な天蓋つきのベッドに一通りの家具。まさに中世のお姫様の部屋って感じだ。
現実の中世は違ったらしいが、夢に突っ込んでも仕方がない。ふと、部屋の隅に姿見があるのに気づいた。
確認したいことがあって鏡の前に立てば、頭がくらくらした。
ややパーマがかった長い金髪。小さな顔に華奢な体つき。身長も低めで、年の頃は十四、五といったところか。
髪の毛の量がすごい。ドリルでも作れそうだ。寝癖がついているのはご愛嬌。
しかし、どこかで見たことがある容姿だ。
窓ガラスに映っている時から思っていたが、何か覚えがある。夢なのだから俺の記憶から作られているのだろうが、知り合いにこんな金髪少女は、
思い出した。姉貴のもってたゲームだ。
いわゆる乙女ゲーというやつで、逆ハーレムから誰かを選ぶ的なやつだった。舞台は中世っぽい世界で、お約束のように虐めるキャラも出てくる。
その中の、悪役の令嬢キャラにそっくりだった。
名前は確か、コル・デ・アニル。アニル家の一人娘で、ヒロイン……この場合はヒーローか、その一人と婚約している少女。
性格は最悪で、自分の家柄と容姿を鼻にかけて他人を見下している。勿論普段はそんなことおくびにも出さず、人気者を気取って主人公を追い詰めるのだ。
姉貴に代わりに攻略しろと言われて半泣きでプレイした高校生時代を思い出す。無駄にフラグが複雑で、あれこれと試したものだ。
そんな怨念が頭にこびりついていたのだろう。だからこんな夢を見るのだ。
触覚も嗅覚も視覚も聴覚もめちゃくちゃに生々しいが、これは夢だ。そうに決まってる。
扉がノックされた。
「お嬢様、起床のお時間でございます」
「へぁっ!?」
変な声が出た。
「失礼致します」
扉を開けてメイドが入ってくる。
このメイドにも覚えがある。コルが唯一心底信頼しているメイドで、主人公は彼女を口説き落としてコルを失脚させるのだ。
思えば結構な展開だが、女の世界とはそういうものなのだろう。
メイドが少し意外そうに眉を上げる。
「お嬢様、もう着替える準備をしてらしたのですね」
「え? あ、うん」
姿見の前で突っ立っていれば、そうも思われるだろう。
何をいえばいいのか分からなくてとりあえず頷く。
「では、今日こそ旦那様と奥様に怒られませんよう、手早く致しましょう」
何を言っているのか分からず、ひたすら棒立ちになっていると、
服を脱がされ、鏡に全裸の少女が映った。
「くぁwせdrftgyふじこlp!!」
「うるさいですよ、お嬢様」
必死に目を逸らすが、微かに目に入ってしまう。
浮き出た鎖骨と膨らみかけの―― 』
――カズく~ん――
※ ※ ※
バタン、と力任せにノートパソコンを閉じる音が教室に響いた。
居残っていた生徒の視線が一点にそそがれる。
窓際の席の後ろから二番目、
ではなく。
生徒達の視線は、教室のドアのほうへと向けられていた。
短く刈り込んだ髪と厚めの胸板が特徴的な男子生徒は、周囲を一瞥してから席を立つ。
椅子が床をこする音を合図に、クラスメートが声をかけてきた。
「おいおい、お前何があったんだ?」
「何がってなんだよ」
嫌そうに返す男子生徒――園村一喜に、クラスメートはちらりとドアのほうに視線を向けて言う。
「だってお前、小山椎奈さんだぞ? ウチの学校一の美女が何の用か気になるだろ?」
「……別に。ただ、幼馴染ってだけだ」
「幼馴染ぃ!?」
素っ頓狂なクラスメートの声が響き、生徒達の視線が一斉に移動する。
半眼になった一喜の視線の先では、件の小山椎奈が笑顔で小さく手を振っていた。
ゆるくウェーブのかかった薄茶のセミロングに、一喜より少し高い身長。伸びた手足はスラリとしているのに、体つきは出るとこ出て引っ込むところが引っ込んでいる。
顔立ちも整っていて、大きめの瞳が外見に相応しくない可愛らしい印象を与える。100人に聞いたら95人は美少女と答えるだろう。
ハイソックスとスカートの絶対領域と歩いているだけで揺れる胸元が男共をひきつけてやまない、東山高校で一番視線を集める女子――それが、小山椎奈であった。
ちなみに、性格も悪くはない。男子ウケは勿論、女子の相談にも良く乗っている。
少なくとも、表向きはそういう評価だ。
「お前って、結構選ばれし者だったんだなぁ」
しみじみ言うクラスメートを軽く睨み、
「うるせぇ、じゃあな」
適当に返事し、ノートパソコンを小脇に抱えた。
教室中の視線を無視して廊下に出てぴしゃりとドアを閉じる。
「図書室の前で待ち合わせの方が良かった?」
何でもなさそうに尋ねてくる椎奈に、一樹は首を振る。
「面倒だからいい」
「カズくんならそう言うと思ってた」
くすくすと笑う椎奈をひと睨みし、冷気漂う廊下を進む。
一人で歩く道を二人で歩くだけで、普段とは少し違う。
人の温度は例え触れていなくても感じるし、四方八方から襲い来る冷たい空気が一方からは塞がれているから。
渡り廊下を過ぎ去ろうとして、
「ほらほら、ゴジラ」
「小学生か、お前は」
「えー? 皆喜んでくれるのに」
白い息を吐き出す椎奈を尻目に、一喜はとっとと図書館のある棟に入る。
二階に上がって一番奥の部屋へ。椎奈がついてきてるのを確認して、薄汚れたプレートを一瞥してドアを開けた。
「篠宮ァ! 約束どおり連れてきてやったぞ!」
「こんにちは~」
お行儀良くちんまりと座り込んでいた黒髪の美少女が肩を震わせる。
部室の中にいた方の美少女――篠宮佐織は、一喜の後ろから顔を覗かせる椎奈の顔を見て硬直した。
「こいつが話してた詳しい奴」
「初めまして~、2年1組の篠宮佐織さんよね? 私は、」
ひらひらと手を振って自己紹介しようとした椎奈の言葉を佐織が遮る。
「存じてます。2年5組の小山椎奈さんですよね」
「あ、やっぱり知ってた?」
後ろ手にぴしゃりとドアを閉じ、椎奈と佐織が見つめあう。
何故だか微妙に取り残された気分になった一喜が口を挟む。
「やっぱりって何だよ」
「え? だって、」
すたすたと机に近づき、佐織の正面の位置に立って二人を見渡すようにくるりと振り返り、
「私、カワイイから!」
胸を張って堂々と言ってのけた。
頭を抱える一喜と、呆然とする佐織。
二人を視界に収め、椎奈はふんぞり返った。
「お前さぁ、その性格なんとかならんのか?」
「だって本当のことじゃない?」
一喜が言ってはいけないツッコミを、スラリと伸びた指先を胸にあてて椎奈が受け流す。
「顔よしスタイルよし、頭も良くて運動も出来る。おっぱいおっきくて慕われてて、もう可愛さ天元突破よね!」
「その性格で全部台無しだろ!!」
「大丈夫! カズちゃんしか知らないし!」
「ちゃん付けやめろ全部バラすぞ!!」
呆気にとられる佐織をよそに、二人の言い合いが続いた。
喉に何かが詰まったような感覚を覚えながらも、佐織が必死に声を出す。
「あの~……」
「心配しないで! カズちゃんが何言っても私が違うって言ったら皆信じてくれるから!」
「なんで誰もこの女の正体に気づかねぇんだ!」
世の不条理に一喜が机に突っ伏したところで、椎奈が気づいた。
「ごめんごめん、何かな? 佐織ちゃん」
いきなり心理的距離を詰められた気がしたが、抵抗するだけ無駄だと悟って佐織は言及を避けた。
性格破綻者の相手は一喜で慣れている。
「あの、マイクにお詳しいんですか?」
「マイクっていうか、音声環境全般かな。全然素人なんだけどね」
笑う椎奈は本当に美人で、佐織は少しだけ気後れする。
なんでこんな美人が一喜の知り合いなのか。聞いてみたくはあるが、知りたくなかった。
「こいつの仕事がそういうのなんだよ」
むくりと起き上がった一喜がつまらなさそうに言う。
「仕事?」
「うん。私、Vriderやってるから」
首を傾げる佐織に、椎奈が笑いかける。
「Vriderってなんですか?」
佐織の疑問に、一喜がこれみよがしに鼻を鳴らす。
「何だお前、そんなことも知らないのか? Yourideって動画投稿サイトあるだろ。あそこの動画投稿者をYouriderっつーんだが、その中でも3Dアバター使う連中のことをVirtual Yourider、略してVriderっつーんだよ」
「良くご存知ですね」
マウントを取れてご満悦だった一喜が、刺々しい佐織の声に貫かれて動きが固まる。
「あぁ、良くご存知だよ! ネットキャバクラがよぉ!」
「もう少し詳しく言うと個人でやってる人と企業に所属してる人がいるんだけど、私は企業所属の方ね」
叫ぶ一喜を無視して、笑顔で椎奈が説明する。
二人を見比べ、なんとなく佐織は関係性を察し始めていた。
「大体なぁ! こいつもそうだが、動画投稿してねぇんだよ! 生放送ばっか! 3Dアバターの女がヘタクソなゲームしてるの見てて何が楽しいんだよぉ!?」
「自分が楽しめないからって人の楽しみに口出ししちゃダメよ、カズちゃん」
「そもそも、お前なら最初から中身でやれるだろうがよぉ!」
「ふふん、カズちゃん。そこが大事なんだなぁ」
ちっちっちっ、と指を振って、椎奈が胸を張る。
「Vriderにとって一番問題なのは中身がバレてファンが離れることなんだけど。私くらい可愛ければその心配はなし! 逆にファンが増える可能性アリ! しかも、Vriderのブームが去った後は元Vriderってハクをつけてデビューできちゃう!」
芝居がかった仕草で両手を広げ、悦に浸る。
あぁ、園村くんの関係者だ、と佐織は強く思った。
「私! 美少女だから! 可愛く生まれたからには、思う存分満喫しなきゃ!」
我慢ができなくなって一喜が叫ぶ。
「勝手にやれよぉ! 俺を付き人にするんじゃねぇ!!」
「だって、スタジオからの帰り道とか危ないじゃない?」
「俺を巻き込むなっつってんだバカ女!!!」
聞き捨てならない言葉が飛び込んできて、佐織の眉がぴくりと震える。
我知らず佐織は反射的に一喜を睨んでいた。
「な、なんだよ。秘石眼は効かねぇぞ」
「違います」
溜息を吐く佐織に首を傾げ、気を取り直すように一喜は喉を鳴らした。
「まぁそんなわけで、こいつには貸しがある。何かあれば遠慮なく聞け。そして俺の話を読め」
「うん、いつでもどうぞ。佐織ちゃん可愛いから、手伝ってもらうこともあるかもだし。あ、そうだ、Line交換しよ?」
嫌な予感がしながらも、断ることもできずに佐織はスマホを取り出す。
「はい……えっと、送りますね」
「ふるふるしよ、ふるふる」
美少女二人がスマホ片手に向き合ってたわむれる様は実に絵になるものだったが、残念ながらこの場にいるのは情緒を解さない園村一喜だけだった。
「そんなん後でいいだろ! いいから読め! 今日のアイディアはすげぇんだぞ!」
「もー、カズちゃんせっかちー」
苦笑しながら交換を終わらせ、佐織が振り向く。
「はい、じゃあお借りします」
「おぅ! 期待しとけ!」
ノートパソコンを受け取り、開いてタッチパットに指を置く。
急に静かになった第二文芸部内に、今まで雑音として処理されていた音が響く。
遠く響く金属音、走る運動部の掛け声、吹奏楽部が鳴らす音色、
いつもより一つ増えた呼吸音と少しだけ高くなる部屋の温度。
差し込む光に伸びる三つの影は、ドアにぺったりと張り付いていた。
忙しそうな消防車のサイレンが、右から左に流れていく。
タッチパットから離れた指は、少しだけ爪が伸びていた。
「うん、あの……私は嫌いじゃないですよ?」
「目を逸らしながら言うんじゃねぇよ!?」
机に頭を打ちつけ、あまりの痛みに一喜は奥歯を噛み締める。
決して視線を合わせないまま、佐織は申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい、自分を騙すのが上手くなくて……」
「嘘つきはいつだってそういうこと言うんだ!!」
「もっと傷つけないような言い方を考えますね」
「言い方を工夫されなきゃいけないのか、俺はよぉ!?」
佐織の向かい側では椎奈が腹を抱えて爆笑していた。
佐織は優しく微笑んでいる。純粋な人間が見れば心癒される笑顔だが、その裏に潜むものを知っているつもりの一喜は動じない。
実際には、本当に優しさをもって微笑んでいるのだが。
「くそ、今回のアイディアは完璧だったはずなのに!!」
「まぁ、ユニークといえばユニークですけど」
フォローする佐織の言葉に、一喜は満面の笑みを浮かべ、
「そうだろう!? 何せ――」
「――でも、この話どうするんですか? 悪役令嬢ものだとヒーロー役とくっついたりしますけど、同性愛ものなんですか?」
笑顔のまま、ぴしりと硬直した。
「それとも、元のゲームの主人公やメイドさんと恋したり? 外見的にはそれも同性愛ですけど、百合系なんですか?」
「……いや、その……」
「考えてなかったんですか?」
トドメに近い一言に、一喜が逆ギレを起こす。
「ちっ、違うぞ! 大体、元のゲームの世界ってなんだよ!? 絵本の中の世界に入り込むのの同類か!? 展開変えたらどうなるかってもしも話は定番だけどな、どれもこれもその世界が実際あったらって発想足りなさすぎんだよ! 中世はお花畑じゃねぇぞ!!」
「考えてなかったんですね」
呆れたように嘆息する佐織に、一喜のプライドが砕かれる。
全てを失った底辺作家はバタンと音を立ててノートパソコンを閉じ、
「お前だって最後まで考えてないくせに!! 俺にばっか言うんじゃねーよばーか!!」
今までけなしてきたことが全てブーメランになる発言と共に、ノーパソを抱えてドアに全力でぶつかった。
ごんっ、という痛そうな音に佐織は目を閉じ、椎奈は爆笑する。
のっそりとドアを開いて、
「覚えてろよーーー!!!!!」
意味のない負け台詞を吐いて走り去っていった。
脱力する佐織を横目に、椎奈が席を立つ。
「さて、じゃあ帰ろっか。佐織ちゃん」
席を立ってウインクする椎奈に、佐織は目をぱちくりさせる。
「え? でも……」
「マイクの指向性って何種類かあってさ。そういう色々を話さなきゃでしょ?」
一瞬佐織は躊躇する。
確かに聞きたいことはあるが、それ以上に――
「それに、佐織ちゃんも私に聞きたいことがあるんじゃないかな~? い・ろ・い・ろ」
どきりと心臓が跳ねる。
悪戯そうに笑う椎奈は、全てを見透かしているように見えた。
「……はい」
「それじゃ行こ! 善は急げってね」
背中を押されながら、佐織はカバンを引っつかむ。
「あの、カギ、カギかけなくちゃ」
「あぁ、そかそか、ごめんね」
手をぱっと離す椎奈から距離をとって、部室の古いシリンダー式の鍵をしっかりかける。
確かに何だか一喜が嫌そうな顔をするのも納得だ。
押しが強いし、そのくせ悪気はなさそうだから断り辛いし。
どことなく一喜と似ているのに違うのは、やっぱり美少女だからだろうか。
物思いにふける暇もなく、佐織の腕が絡めとられる。
「さぁさぁ、れっつごー」
もしかして同じようなことを一喜にもしていないだろうか、と思う。
していないわけがないな、という結論はすぐに出てきた。
色々聞きたいことがあることは、間違いがなかった。
誰もいなくなった第二文芸部室に、忍び寄る影があった。
影はカギ穴を見つめ、手に持ったカバンから細い金属の棒を取り出す。
かちゃかちゃ、という音が、人のいない廊下で鳴った――