第三話「異世界転生して魔物になっても喋りたい」
『目が覚めた時、体が重かった。
瞼が開き辛くて、手に何か持っている感触がある。
寝ぼけながら一体何を握ったのだろうか。昨日そんなに飲んだろうかと思い返すが、頭が妙に痛くて何も思い出せない。
急に不安になって記憶を探る。
俺は大木掛矢。卒業を目前に控えた大学生で、毎月の仕送りからいくら酒が飲めるかを逆算するのが得意な男。
時期を逃してサークルに参加できず、二年になってからは新観コンパにいくのが嫌でどこにも入っていない。
おかげで友人はほぼおらず、講義は真ん中あたりの丁度いい席を狙うのが日課になっていた。後ろの方はリア充達がたむろしていてクソみたいにウザい。
大丈夫、覚えている。
胸の内の不安を打ち消して、重苦しい瞼を開く。
ゆっくりと持ち上がった瞳に映ったのは、
草。
草が生えていた。
背の高い草が視界を覆っている。もしかして寝転んでいるせいかと思ったが、体はしっかり起き上がっている感覚があった。
となると、大体170cm超えのクソデカ雑草が群生していることになる。
とんでもねぇな、と思っていると、
「お、起きたか」
「おはよ~、生まれたばかりだからびっくりしてるね!」
聞こえた二種類の声に驚いて見回すと、更に驚くべき光景があった。
不定形の何かと、コウモリの出来損ないみたいな奴がいた。
片方は分かる、スライムだ。RPGでよく見る魔物だ。
もう片方も、知っている。
俺の大好きなRPGである『ドラムンクエスト』に出てくる魔物、ドラッキュだ。
どちらも勇者が最初に出会う魔物で、良くもう一種類の敵と一緒に出てくる。
嫌な予感はこのときからしていた。
「こっちこっち! まずは喉を潤そうよ!」
「腹も減るから、食べられる草も教えないとな」
ぴょこんぴょこんと跳ね回るスライムの後をついていく。
ドラッキュのいう事が気にはかかるが、まずは水だ。喉が渇いたからじゃなく、自分の姿を見たかった。
妙に歩きにくい。いきなり足がひどく短くなった感覚。
もうほとんど間違いないと思っていた。
手にもった物の感触も、俺の推論を裏付けている。
児童用スリッパみたいな音を立てながら跳ねるスライムを追うと、小さな泉に出た。
おそるおそる水面を覗き込む。
そこにいたのは、
けむくじゃらの体に木製のハンマーを持った、最後の一種類の魔物『ブラウニー』の姿だった。
ブラウニー。スコットランドなどに伝わる家の精霊の一種。広義ではゴブリンの一種であり、小妖精。ただし、善性が目立つ家神でもある。
多分、だからドラムンではザコモンスターの一種になったのだろう。
混乱する頭の片隅で俺は冷静に思考し、もう反対の片隅では諦めきっていた。
ブラウニー。ザコモンスター。
勇者に真っ先に狩られる存在。
遠くで人間の足音がした。
「に、逃げるぞお前ら!!」
「えぇ~? お水飲んでないよ~?」
「人間か? ふん、我らの敵ではないわ!」
金属がこすれる音がして、俺の予感は確信へと変わっていく。
「いいから逃げるぞ!! こんなところで死んでたまるか!!」
俺は器用にハンマーをドラッキュに引っ掛け、スライムの体を掴んで走り出した―― 』
※ ※ ※
バタン、と力任せにノートパソコンを閉じる音が教室に響いた。
居残っていた生徒の視線が一点にそそがれる。
窓際の席の後ろから二番目。
短く刈り込んだ髪と厚めの胸板が特徴的な男子生徒は、周囲を一瞥してから席を立つ。
椅子が床をこする音を合図に、生徒達の視線がそらされた。
「お前、今日はちょっと嬉しそうだな?」
「そうか?」
笑いかけてくるクラスメートに、男子生徒――園村一喜は口元をニヤリと歪ませながら応える。
随分と分かりやすい反応に、クラスメートは一瞬の躊躇もなく頷いた。
「今日のは良い出来だったり?」
「ま、そんなとこだ」
ニヒルに笑おうとして一喜の頬が緩む。
「じゃあ、早く行かなきゃな」
「おぅ、そうだった。またな」
苦笑して手を上げるクラスメートを尻目に、一喜は手早くノートパソコンを抱えて教室から出る。
放課後の廊下はどこか寒々しい。冬だからなのかもしれないし、床暖房なんてないコンクリの冷たさがそう思わせるのかもしれない。
足元から這い上がってくるような寒さを踏みつけ、園村一喜はいつもの場所へと向かった。
渡り廊下を過ぎ去り、白い息を吐きながら図書室のある棟に入る。
軽く駆け足で階段を上がって体を暖め、最奥を目指す。
薄汚れたプレートに第二文芸部の文字。ニヤリと口元を歪め、小脇に抱えたノートパソコンを確かめてドアの取っ手に手をかけた。
「ウラァ! 篠宮ァ! 今日は――」
「『パパはそうやって嘘ばっかり』――」
動きが止まった。
開け放たれた扉の先には、いつも通りの篠宮佐織がいた。
カラスの濡れ羽色と言う形容が似合う黒髪に、小さく整った顔立ち。手足は細く長く、腰も軽く触っただけで折れそうだ。もう少し背が高ければ、モデルと見間違えただろう。
これで頭も良く家もそこそこ金持ちで大流行のネット作家だというのだから手に負えない。天が二物も三物も与えたもうた存在だ。
ないのは真っ直ぐな感性と人を見る目くらいであるが、そのおかげで今の立場にある園村一喜には知る由もないことである。
そんな100人中80人は振り向く美少女が、固まっていた。
スマホと繋いだマイクに向かった状態で。
「……とうとうナルシストもそこまでいったか」
哀れみたっぷりに一喜は彼女を見下ろし、
佐織はスピーカーの音量を最大まで上げた。
「津 軽 じ ょ ん が ら 狂 の 舞 ! ! 」
「耳が!? 耳が痛ぇぇぇぇぇっ!!!」
両手で耳を塞いでいた佐織と違い、モロにくらった一喜はもんどりうって倒れる。
「あ、頭が!! 頭まで痛くなってきた! あぁあぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」
佐織は音量を元に戻し、そ知らぬ顔で椅子に座り直す。
「それで、今日は何の話なんですか?」
「何事もなかったようにすんなっ!? あぁ、自分の声でもガンガンするぅ!」
「ノックして下さいって言いましたよね?」
「今日は俺何も悪くないだろ!?」
「どこがですか!?」
高いソプラノで叫び返され、わさびが鼻につまったように一喜は空を仰ぐ。
キーン、という耳鳴りが頭痛を伴って迫ってくる。
「……いい、俺が悪かった。俺が悪かったことでいいから、今日は静かに頼む……」
「園村くんが変な事を言わない限り静かです」
溜息をつく佐織に文句を言おうとして、また叫ばれたらたまったものではないと飲み込む。
自分が大人になったことを実感しながら、一喜は音量に気をつけながら口を開いた。
「さっきは何してたんだ?」
「それ聞くんですか……台詞を録ってたんです」
「台詞ぅ?」
頷く佐織に、一喜は首を傾げる。
「私の話をボイスドラマにしたいって人がいまして。それで、良ければ何かの役で出演してくれないかって」
「あ? お前の作品ってあの書籍化してるやつ?」
佐織が首を横に振る。
「以前ちょっと書いた短編の方です。それなら出版社の了解もいりませんし。同人でも結構大手のところみたいですから、面倒を避けたかったんだと思います」
「へぇ、そんなもんか。でもそれ、家でやれよ」
一喜の身も蓋もない言い分に、佐織が少し頬を膨らませる。
「やりました。でも、何か変な音が入るんです。環境が違えば大丈夫かなって思って試してたんですけど……」
「変な音ぉ? ちょっと聞かせろよ」
「……いいですけど」
渋い顔をしたまま、佐織はスマホを操作して音声ファイルを開く。
一樹は耳を近づけ集中し、
『パパ(ぼふぼふっ)はそ(ぼふっ)うやって嘘ばっ(ぼふっ)かり』
そこまでで音声を止めた。
佐織が恥ずかしそうにスマホを膝上に置く。
「……何度録音してもこうなっちゃって……」
「そりゃお前、マイクに近すぎるんだよ」
一喜が微妙に苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「でも、これ以上離すと……」
「いや、そういう事言ってるんじゃねぇ」
一喜はスマホにとりつけたマイクを手に取り、佐織の口元に近づける。
「お前、こんな形で録ってるだろ?」
丁度口の正面にマイクを置く。
佐織は頷いた。
「これじゃ声を出した時の息があたるんだよ。声ってのは喉を通じて出る空気のことだからな。その空気がマイクにぶつかってあんな音が入る」
「え? じゃ、どうしたら、」
佐織が言い終わる前に、一樹はマイクを彼女の下唇あたりに向けた。
「この辺。大体この辺か、それでも入るならもう少し下を狙う感じで喋る。テレビで芸能人がマイクを顎にくっつけて喋るだろ? あれはそういう声を出した時の空気音が入らないようにしてんだよ」
「こ、これ、ちゃんと声入るんですか?」
不安がる佐織を、一喜が渋面で見下ろす。
「マイクの指向性ってそういうもんだ。よっぽど小声でぼそぼそ喋らない限りは平気だろ。その辺不安なら、もう少し詳しい奴を呼んでやる」
「えっ?」
一瞬佐織はドキッとした。
もう少し詳しい奴。
それはつまり、園村一喜に自分の知らない友人がいることを示している。
そのくらいいるだろうと言われればその通りだが、彼の性格から考えて人付き合いはあんまりよくないだろうというのが佐織の予想だった。
つまり、親しい相手なんて自分くらいだろう。
そういう思いがあった。
そして、一喜は鬼の首を取ったように笑った。
「呼んでやるから、今日の話を読め! くくく、これで俺も上流の仲間入りだ! 俺のネタをパクるなよ!?」
いつも通りの一喜に、安心していいのか悪いのか分からないまま佐織は引きつり笑いを浮かべる。
「それじゃあ、読ませてもらいますね」
「おぅ!」
第二文芸部に沈黙が落ちる。
さっきまでうるさすぎた反動か、少しだけ居心地が悪くてむずむずする。喧騒の去った後の静寂は、耳の奥で反響する誰かの声が思い出に変換されていく時間だ。
グラウンドで誰かが怒鳴っている。野球部のバットの金属音と、陸上部が走る足音。サッカー部のボールを蹴る音に、遠く体育館で響く床をこするシューズの音。
聞き慣れて意識の底に沈むパッヘルベルのカノンとスピーカーのチャイム。翼を下さいの合唱はコンクールで金賞をとった。
どこかを消防車が走っている。
タッチパットから離れた佐織の指は、白くて冷たそうだった。
「うわぁ、とってもステキ」
「何なんだその棒読みはよぉ!?」
怒りに任せて机に平手を打ち、一喜は悶絶した。
痛みと痺れに耐えながら手首を握り締め、こぼれる涙を必死に抑える。
「だって、最初に謝るなって……」
「謝る以外の選択肢は心にもないお世辞くらいしかないのか、えぇ!?」
「ごめんなさい、私にもっと語彙力があれば」
「嫌味言えるぐらいはあるじゃねぇか!!」
わざとらしく目を伏せる佐織に、底辺作家がくらいつく。
その仕草だけで男の庇護欲をアホみたいに刺激できそうなものだが、敵認定している一喜にそれは通じない。
それはつまり、佐織の方が自分より強い存在であると認識している証拠でもある。
あるが、そんな都合の悪いことを一喜が考えるはずはなかった。
「それで、この続きはどうするんですか?」
一喜の瞳がキラリと輝き、尊大に胸を張る。
「よくぞ聞いたな! この後、大木はドラッキュやスライムと共に生き残る為の旅に出るんだ! 逃げて隠れて騙しての生存戦略を続ける中でドラッキュは仲間を庇って死に、スライムはその力を覚醒させ――」
「――覚醒するのは主人公じゃないんですか?」
言葉を遮って尋ねる佐織に、一喜は心底見下した面をする。
「お前、ブラウニーだぞ? しかも中身はタダの現代大学生だ。そんな命がけの人生で覚醒できるわけねぇだろ。必死にはいつくばって生き延びるのが限界だ」
「……直りませんね、園村くんのそのクセ」
呆れ果てた佐織の視線もどこ吹く風で一喜は拳を握り締めた。
「大体だな! RPGモデルの世界観が悪いとは言わんが、数値ってなんだ数値って!! 元々テーブルゲームのゲームマスターをコンピューターにさせたのがCRPG、電源系RPGだろうが! コンピューターでやるから、数値化できないのをあえて数値化したわけだ! 小説だったら数値化できないものはそのままやれよ、そうだろ!?」
「起源論は嫌われますよ」
「お前の話でもそうだけどな! 数値化するくせに数値以上の動きすんなよ! 何がしてぇのかわかんねぇだろうが!! ていうか、動きとかなんとかある時点で数値じゃねぇだろ、それもう!」
「MMO系のフルダイブだったら未来はどうなるか分かりませんよ」
「未来の話はしてねぇよぉ!」
思い切り壁を殴りつけ、痛む拳に涙が滲む。
すっかり耳鳴りの収まった一喜はいつも通りで、佐織は第二撃を与えるか若干迷っていた。
「大体、弱いモンスターに転生したんならちゃんと弱く頑張れよ! 結局強くなるんなら最初から強いモンスターか、そうなってもおかしくないモンスターにしとけ! そんなの、一昔前の『実はすごい血筋を引いてました』系主人公と何が違うんだよぉ!」
「そのくらい昔から人気の流れということですね」
「万歳リフレイン! 万物は巡る!!!」
机に突っ伏す一樹がまた妙に暴れないよう、佐織は追い討ちをかけることにした。
流石に真っ赤な手が痛ましい。
「最初のところ、主人公紹介の為とはいえわざとらしいですよね。水場に行くのも先にそうなるのありきって感じですし」
「なんでそういうとこだけ自然さとか気にするんだよぉ!!」
「荒唐無稽でいいのは設定と、勢いで押し切れそうな時だけですよ」
「難しい四文字熟語使うんじゃねぇ!!」
うめく一喜のつむじを見下ろして、佐織は溜息を吐く。
「で、これ最後のオチ考えてるんですか?」
一喜の動きが止まった。
「弱いモンスターが弱いままで、生き延びる話をするのはいいとして。置いてけぼりの主人公で、どういうラストになるんです?」
一喜はぴくりとも動かない。
「ずーっと主人公は流される置物になりますよね。これ、スライムのほうを主人公にした方がいいんじゃ――」
がばっと起き上がり、
悲しみと怒りと痛みと憎しみでぐちゃぐちゃに歪んだ顔で睨みつけ、
「お前は選ばれし者だからそんなことが言えるんだ!! 凡人なめんなー!!!」
実にみっともない負け犬台詞を残し、その場から逃走した。
言い負かされて尻尾を巻く一喜の後姿が見えなくなってから、佐織はマイクを下唇のあたりに近づけて、
「そうやって嘘ばっかりー……」
台詞の一部を呟く。
一喜が悪いのだ。人の気を知りもしないで、好き勝手ばかり。
親切なのかバカなのかこじれてるのかはっきりしてほしい。性格が悪いのは間違いないが。
そんな性格だから、良い話の一つも書けないのだ。
今度言ってやろうと胸の奥にその言葉をしまって、佐織はカバンを掴んだ。
詳しい奴が誰かは、考えても誰のことかわからなかった。