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第二話「異世界転生しなくてもラッキースケベは起こる」

『雨が降っていた。

 予約していたケーキを受け取って、店を出て傘を差す。

 空模様とは裏腹に、僕の心は晴れていた。

 今日は妹の誕生日。部活を早めに切り上げさせてもらって、妹の好きな苺のケーキをホールで買った。

 消えたお小遣いが何ヶ月分かを考えないようにして、足早に帰路につく。

 雨足はますます強まって、傘があまり意味を成さなくなってきた。

 どしゃぶりの雨は耳まで覆い尽くしてくる。雑音として処理できるまでの間、他の音が殆ど聞こえなくなってしまう。

 小走りになると、ぴちゃぴちゃと水がはねる音がする。急いで帰らないと、抱えたケーキまで濡れてしまいそうだ。

 信号機のない横断歩道にたどり着く。ここまでくれば、家まであと少しだ。

 傘の下から雑に左右を確認して、あせる気持ちを抑えきれずに走り出す。

 早く家に帰ろう。帰って、お風呂に入って、パーティーをするんだ。

 やや年の離れた妹の喜ぶ顔が目に浮かんで、自然と頬が緩む。

 そうして物思いに耽っていたせいだろうか。

 クラクションの音に驚いて、僕はその場で立ち止まってしまった。

 勝手に振り向いた目に、ハイビームの光が飛び込んでくる。

 驚きと眩しさで身動きが取れない僕を、トラックはその巨体で跳ね飛ばした。

 真っ暗な闇と、妙な浮遊感。

 僕――大田純也が最後に感じたのは、それだけだった。



 意識が戻ると、そこは真っ白な部屋のようだった――    』


 ※              ※               ※


 バタン、と力任せにノートパソコンを閉じる音が教室に響いた。

 居残っていた生徒の視線が一点にそそがれる。

 窓際の席の後ろから二番目。

 短く刈り込んだ髪と厚めの胸板が特徴的な男子生徒は、周囲を一瞥してから席を立つ。

 椅子が床をこする音を合図に、生徒達の視線がそらされた。

「最近多くないか? お前のそれ」

 クラスメートが笑いながら男子生徒に話しかけてくる。

 男子生徒――園村一喜(そのむらかずき)は、眉根を寄せた。

「そうか?」

「二日連続は久しぶりだろ。冬休み近いからか?」

「あぁ……まぁ、そうだな」

 冬休みに入れば、しばらく第二文芸部に行くこともなくなる。

 その前に、一喜としてはなんとしても雪辱を晴らさねばならなかった。

「ま、頑張れよ先生」

「うっせぇわ」

 互いに手を振り、一喜は廊下に出る。

 放課後の廊下は閑散としていて、意外に静かだ。日中がうるさいから余計にそう思うのかもしれない。

 渡り廊下を過ぎ去る時に風が吹いた。

 冷たい風が、冬に入ったことを教えてくれる。

 冬休みまで、およそ二週間。今年の年末はどう過ごすか、皆がそろそろ考え出す頃だ。

 一喜の予定は、執筆でほぼ埋まっているが。

 図書館のある棟に入り、二階の一番奥の部屋へ。

 第二文芸部と書かれた薄汚れたプレート。今日はどんな文句を言ってやろうかと考えながらドアを開け、

「篠宮ァ! 昨日――」

 そこから先は口にできなかった。

 ドアを開けた一喜の目に映ったのは、


 イスに足をかけてパンストを脱いでいる、篠宮佐織(しのみやさおり)の姿だった。


 時が止まる。

 スカートがめくれあがっていて、視線を下げれば見えてしまいそうだった。

 なので、一喜は頑なに佐織の顔を見つめる。

 黒髪の美少女の顔が、首元から真っ赤に染まった。

「へ、変態っ!!」

「待てコラ、名誉毀損だ!」

 スカートを押さえる佐織に反射的に言い返す。

 一喜の言い訳など聞く耳持たず、佐織はローファーを掴み上げ、

「天変地異ゲタ占いの術!!」

「だっちゃ!?」

 見事に顔面にあたり、一喜はうずくまって顔を覆った。

 靴を顔にぶつけられたことがある人は分かると思うが、かなり痛い。しかも靴の裏特有のでこぼこが変則的な痛みを与えてくるのだ。

 ただ平べったいものが当たるだけより、妙に痛く感じる。

 一喜が感じている痛みは、そういうものだった。

「ノックとか! そういう心遣いはないんですか!?」

「俺がノックしたことなんてあったか!?」

 珍しく狼狽する佐織に、逆ギレして言い返す一喜。

「それもそうですね……じゃなくて! 最初はしてたじゃないですか!」

 思わず納得しそうになったのをねじ伏せ、佐織は記憶の底から思い出をひっぺがす。

 一年ほど前、初めて園村一喜が第二文芸部を訪れた日。

 その時は確かに、ノックをしていたのだ。

「そんな昔のこと忘れた! くっそ、妙に痛ぇなぁもう」

「自信満々に言わないで下さい! もう……ほら、立ち上がっていいですよ」

 一喜がうずくまっているうちに手早く着替えを済ませ、沙織は椅子に座りなおす。

「立ち上がるのさえお前の許可がいるのか俺は……まぁいい、それよりも、だ」

「話があるんですよね?」

 先んじて言われ、一喜は黙ってノートパソコンを置く。

「昨日言われた通り、主人公を善人にしてやったが。これもなんかつまらん」

「とりあえず読みますね」

 佐織がノートパソコンを開き、タッチパッドに手をそえて読み始める。

 急に静かになった第二文芸部。少しだけ耳鳴りがする。

 外からはいつもの掛け声と金属音、吹奏楽部が鳴らすパッヘルベルのカノン。

 放課後の音が、ゆっくり沈んでいく太陽の光と一緒に入ってくる。

 佐織がタッチパッドから手を離す。


「ごめんなさい」


「だから初手謝罪はやめろっつってんだろぉ!?」

 怒声か悲鳴か判断のつきかねる一喜の叫びを聞き流し、佐織は憐れみの篭った瞳でノートパソコンを見やった。

「電化製品に心がなくてよかった……」

「なんだよお前うるせぇな!?」

 一喜に向き直り、黒髪の美少女は真摯な瞳を向ける。

 それだけで吸い込まれそうで、流石の一喜も若干たじろいだ。

「人間、好きなことが得意なこととは限りませんよ」

「知ってるよ!! 今更だよ!!」

 自分が手遅れなことを叫ぶ一喜を横目に、佐織は彼の書いた文章に目を移した。

「善人にすればいいわけじゃないです。大体、これじゃこの主人公のこと何も分からないじゃないですか。神様もワンパターンですし」

「畜生! だって長々こいつのこと書いてもつまんねぇじゃん!」

「それは諦めるか、なんとか面白くするのが作者というものでは?」

「作者にも無理なことくらいある!」

 悲しい叫びと共に拳を叩きつける。

 地味に痛かったのか、一喜が無言で手を震えさせた。

「冬に机殴ったらそうなりますよ……」

「……うるせぇ……!」

 たたき付けた部分が赤く腫れている。

 じんじん痺れる手を握り締め、一喜はぐっと涙を堪えた。

「前回もなんですけど、なんで毎回主人公は不注意なんですか?」

 佐織の質問に、一喜は必死に涙を堪えたまま鼻を鳴らす。

「そりゃお前、このご時勢そうでもなきゃトラック事故なんて起きねぇからだよ。トラック側の不注意で起こる事故なんてとんでもない確率だぜ? ありえなくはねぇが、宝くじに当選するようなもんだ」

「だから、リアルリアリティはいらないって言ったじゃないですか」

「お、俺は、感情移入がしやすいように……」

「不注意で事故起こす人に感情移入したがる読者はそういませんよ」

 ぐっと言葉に詰まる一喜を見上げ、天に選ばれし美少女は溜息をついた。

「どっちも最初の段階だから問題なのかもですね。一度ある程度まで書いてみたらどうですか? 見えるものも変わるかもしれませんよ」

「うむぅ……そう言われてもなぁ」

 首をひねる一喜に隠れて、こっそりとスマホに触る。

「いっそ最初を省略したりとか……あと、途中まで書いてる作品があるんですよね? それの続きとか」

 一喜の目が細まる。

「……いや、それはいい。まぁ、何か書くよ。もう何がいいのか良く分からなくなってきたが」

 スマホから手を離し、佐織はそっと目を逸らした。

「好きなものを書いてみたらどうですか? それが一番ですって」

「好きなもの書いてどうにもならなかったからお前に相談したんだろぉ!?」

 泣きそうな顔でうめく一喜に、佐織は苦笑する。

「好き勝手書いて上手くいくなら!! 誰がお前なんかに!!! お前なんかにぃ!!!」

 カベに思い切り頭を打ち付けて発散する一喜。

 成績優秀、容姿端麗、売れっ子ネット作家をつかまえてすごい言い分ではあるが、この場にはそれに文句をつける人物はいなかった。

「そうだ! 他にも言いたいことがあったんだ!」

「何ですか?」

 佐織が聞き流す気満々で尋ね返すと、底辺ネット作家は意気揚々と口走る。

「お前の昨日の更新のアレはなんだ!? なぁんだあのご都合は!? 文体も相変わらず日記か何かみたいだし、いつまで成長しないんだお前は!!」

「PV数、更新分だけで一万超えました」

「やめろぉぉぉぉぉ!!!」

「ブクマも六桁行きそうです」

「ぐわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「来年か再来年にアニメ化するそうです」

「ぴぎぃぃぃぃぃぃぃ!!!」

 もんどりうって床を転げまわる一喜を見下ろし、

「で、園村くんの方はどうですか?」

 余りにも冷たいその一言に、一喜の心臓は一瞬停止した。

 無言の部屋に、時計の音だけが鳴る。

 刈り込み頭の底辺作家はすっくと立ち上がり、

 ノートパソコンをバタンと音を立てて閉じ、


「ばーかばーか!! 縞パン見せつけ変態女ー!!」


「しっかり見てるじゃないですかっ!!」

 ローファーを構える佐織から逃げるように、一喜はノーパソを小脇に抱えて全力で部室から出て行った。

 開け放たれた扉を見据え嘆息して、佐織はスマホを取り出した。

 小説投稿サイトを開き、自身のマイページに飛ぶ。

 そこにある『更新チェック中の作品』は、しばらく前から止まっていた。

 『ブックマーク』をタッチして移動する。並んだ作品の作者の殆どは『園村一喜』という名前だった。

「はぁ~……」

 誰も見ていないのを確認して、深く溜息をつく。

 最初は仲良くなりたいだけだった。自分も作者になれば、彼ともう少し親密に話せるようになるのではないか――篠宮佐織の思惑は、その程度のものだった。

 だが、ちょっとした思い付きを元に書いた話はあれよあれよと人気になり、気がついたら書籍化までしてしまっていた。

 これでは言い出せるはずがない。

 園村一喜のプライドの高さは良く知っている。同じネット作者だね、なんて言おうものなら烈火の如く怒り出すだろう。

 ……今も、そう変わっているとは思えないが。

 秘密が漏れたのは、一ヶ月前のことだった。ちょっとしたキッカケでスマホを見られ、作者であることがバレたのだ。

 そこからはもう、話したくもない出来事のオンパレードだった。

 今更、本当に一喜の話のファンだといっても彼は信じないだろう。

 人気がなくても、ブクマがつかなくても、篠宮佐織は園村一喜の話が好きだった。

 だから、彼がこの部室にきたときは本当に驚いたのだ。

 静かな場所がほしい、といって訪れた彼は、既に今と同じ実に尊大でこじれた性格をしていた。

 名前を聞いて心底驚いて、ネットで書いていると聞いて更に驚いた。

 間違いなく作者本人だと確信して、話がしたくて好きな本を薦めたりもした。

 彼はものによっては心底バカにしてきたが、毎回ちゃんと読み込んできてくれたのだ。

 勿論けちょんけちょんにけなすこともあったが、佐織にはそれが嬉しかった。

 ちゃんと理解しようとしてきてくれることも、嘘をつかれないことも。

 常に本音全開の一喜が、佐織には羨ましくて眩しかった。

 自分は嘘をついて生きてきたし、今もそうだ。だから、彼と仲良くなりたいのを隠して酷いことを言う。

 そういうキャラを作ってしまった。

 今更脱ぎ捨てるのも難しい。

「はぁ~……」

 二度目の溜息。

 幸せが逃げるというが、現在進行形で逃げていっている身には関係ないだろう。

 気を取り直して椅子を片付け、鞄を持って部室から出る。

 鍵をかけてポケットに入れ、手に息を吐きかけながら外に出た。



 SNSのダイレクトメッセージが届いていることに気づいたのは、帰る途中でポケットからスマホを取り出した時だった。

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