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第十話「異世界転生しても現実には変わりない」

 目が覚めたら、


 俺は、


 異世界に――



                                  』


 ※               ※                ※

 

 バタン、と力任せにノートパソコンを閉じる音が教室に響いた。

 居残っていた生徒の視線が一点にそそがれる。

 窓際の席の後ろから二番目。

 短く刈り込んだ髪と厚めの胸板が特徴的な男子生徒は、周囲を一瞥してから席を立つ。

 椅子が床をこする音を合図に、生徒達の視線がそらされた。

「よぉ、元気か?」

「変な気ぃ使ってんじゃねぇよ」

 苦笑するクラスメートに真顔で返し、男子生徒――園村一喜(そのむらかずき)はノートパソコンを脇に抱えた。

 居残り生徒達はいつも通りに振舞っているようで、ちらちらと一喜の様子を窺っている。

 その原因は、今もなお絶賛開催中の炎上祭りのせいだ。

「ネットって怖いのな」

「知らなかったのかよ。声だけでも十分個人特定できんだぞ」

 おちゃらけるクラスメートにつまらなさそうに返し、一喜はドアへ向かう。

 感じる視線の全てを無視して、寒気漂う廊下に出た。

「なんかあったら連絡しろよ!」

「……おぅ」

 背中にかかる友人の言葉に手を上げて応え、ストーブの暖気が冬の空気に負けないうちにドアを閉じた。

 吐いた息が白く染まる。

 茶色い枯葉が宙を舞っているのが見えた。どこかの木の最後の一枚だろうか。

 ポケットに両手を突っ込んで、いつもの道を歩く。

 普段は静かな廊下に、あちこちから話し声が漏れ聞こえてくる。寒い日は火事に気をつけなきゃいけない。どこかの誰かが上手いことを言ったように口にした。

 渡り廊下に出れば、風に乗って誰かの声が聞こえてきた。

 

 ――やっぱり美人って性格悪いんだね。


 今まで気づかなかったのかよ、というツッコミを一喜はぐっと堪えた。

 ポケットのスマホが震える。取り出してみれば、幼馴染からLineが来ていた。

『ごめんね。佐織ちゃんにも謝っておいて』

 自分で言えバカ、と返信してポケットに突っ込みなおす。

 その後に来た『うん、ごめん』の文字を一喜が読んだのは家に帰ってからだった。

 真っ白な息を吐く。

 この息が本当にゴジラの放射線だったらいいのに、と底辺作家は思う。

 全てを焼け野原に変えれば炎上なんて気にならないし、このクソ寒さも少しはマシになるかもしれない。

 創作は願望を叶えてくれるが、それはどこまでも異世界のお話だ。

 図書室のある棟に入り、階段を上る。

 苛立ち紛れに走って上れば、二階についた時には息が切れていた。

 呼吸を整える前に歩き出し、薄汚れたプレートとかすれた第二文芸部の文字を視界に入れる。

 勢いに任せて、ドアを開けた。

「オラァ! 篠宮ァ!」

 開けたドアの先で、


 SNSの通知が止まないスマホを握り締めた黒髪の美少女――篠宮佐織が、いつもの席に座っていた。


 長い黒髪が横顔を覆って、表情が窺えない。

 後ろ手にドアを閉めて、一喜は黙って佐織を見下ろした。



 売れっ子ネット作家アテナ――篠宮佐織(しのみやさおり)とVriderシャイナ――小山椎奈(こやましいな)の音声がネット上にばらまかれたのは、つい二日前のことである。

 底辺作家園村一喜にしてみれば、いつも通りの会話をしているだけだ。だがそれは、世間や彼女達のファンにしてみれば衝撃以外の何物でもなかった。

 ファンをなんだと思ってるんだ、売れてる人は売れてない人を見下しているのか、容姿を鼻にかけるなんて許せない、などなど。

 ネット上の反応は、それはもうアレルギーかというほど苛烈だった。

 中には擁護意見もあったが、それらは大勢の意見に押し流されるか、彼女達と一緒に叩かれるかの二択となった。

 からかいたいだけの人や野次馬も巻き込んで、炎上は今も広がり続けている。

 悪いことに椎奈は勿論、彼女の放送に出演したこともある佐織の音声も検証され、当人だと断定されてしまった。

 佐織の作品のボイスドラマを作るといっていた企画者も、彼女の音声を放出して自分だけでも難を逃れようとする始末。

 強者を叩きのめせるとあって、ネットの祭りは終わる気配を見せていない。

 椎奈はVriderとしての活動を休止、そして佐織の作品はアニメ化企画が頓挫し、書籍も販売差し止めをするかというところまできていた。



 明かりのついていない部室で、篠宮佐織と園村一喜の二人は無言で佇んでいた。

 窓から入る太陽の光は、二人の影を長く長く伸ばす。

 外から聞こえてくる音は、殆どが誰かの話し声だ。

 一喜は何も聞こえないことにした。

 底辺作家も長くなると、都合の悪いことを聞こえなくする術にも慣れる。

「アニメ化なんて、お前には10年早かったんだよ」

「……そうですね」

 小さく呟く佐織に、一喜は居心地悪そうに眉根を寄せる。

 頭をかいて深く呼吸し、胸の中にあるものを持て余した。

 細い髪の隙間から見えるのは、ゴジラの放射線ではありえない白い吐息だ。

「……すみません、今日の分は、」

「いい。今日は書けなかったから、見せるもんがねぇ」

 苛立ち混じりに言うと、

「……そうですか」

 と無機質な声で佐織が頷いた。

 一喜は力なくうなだれる少女を見下ろす。

 100人に80人は振り向くほどの美少女で、成績はよくて、運動も出来て、習い事も幾つもやっていて、家は金持ち。

 まさに天から二物も三物も与えられた選ばれしヒロインは、何もかも失ったような雰囲気をかもし出していた。

 それがどうにも、一喜には癪に障って仕方なかった。

「何ヘコんでんだよ。ネット小説一つダメになったくらい、どうってことねぇだろうが」

「……そう、なんですけどね」

 黒いカーテンの隙間から見えた佐織の顔は、どうしようもなく憂いを含んでいた。

「椎奈さんに申し訳ないですし……園村くんの名前を出しちゃってますし」

「別にいいだろそんくらい。あいつは自業自得だ」

 一喜の言葉に、佐織は無理に笑ってみせる。

「……あの音声、この部室で話してたものだったんです」

「あぁ、そうだな」

 ご丁寧に一喜と佐織のやり取りまで入っていたので、それは確実だ。

「……私、園村くんの言うとおり友達少なくて。椎奈さんと話すの、疲れるけど楽しかったんです」

「そうか」

「園村くんと毎日話すのも、椎奈さんと友達になれたのも、全部小説書いてたからなんだなって思うと何だか今までと違ってきて」

 少女の手の中のスマホに、雫が落ちる。

「二人が私の小説読んでるのが嬉しくて、色んな人の感想が暖かく見えてきて。あぁ、なくなっちゃうんだなって思うと、何だか……」

 黒髪に覆われた肩が震えている。

 大切なものは、いつだってなくしてから分かるものだ。

 それは、目に見えるものだけじゃなく。

 見えないものだって、同じように。

「バッカじゃねぇの」

 無残な一喜の一言に、佐織が少しだけ顎を上げた。

 底辺作家による容赦の無い追撃がかかる。

「大体なぁ! あんな日記かわからん文体で小説として人気ってのがそもそもおかしかったんだよ! 正常に戻っただけだ!」

「……はい」

「主人公は異世界転生してチートもってハーレムうはうはとか、バカじゃねぇの!? ステータスがどうのとか、仮想現実にマジでゲーム感覚もってきてどうすんだよ! そんなだからマンガの型落ちだのゲームの劣化だの言われるんじゃねぇか!」

「……そうですね」


「でも! 面白かった!!」


 佐織の瞳から、涙が引っ込んだ。

 唇を噛み締めて、一喜は思い切り机に両手を叩き付ける。

「あぁ、面白かったよ! クソみてぇな話のくせにな! 俺が苦しんでひでぇ面して書いたもんよりよっぽど笑顔になれたわ!!」

 いつもの調子で叫ぶ一喜を、佐織は呆気に取られた顔で見上げる。

 隠しておきたかった秘密をぶちまけるように、一喜は続けた。

「お前が次を書くのを待っちまってた! 明日も頑張ろうって思えた! クソッタレ、何がどうしてかはわかんねぇけど、そう思ったんだ!」

 悔しそうに拳を打ち付けて、一喜は佐織を睨む。

「だから! どこの誰とも知らねぇ連中が何言おうが気にするんじゃねぇ! 俺が一番お前の作品を読み込んでんだ、俺を信じろ!!」

 目を丸くした佐織と、睨みつける一喜の視線が交差する。

 言いたい事を全力で言った底辺作家の呼吸は、荒かった。


「何もなくなったりしねぇ。お前の作品のことは、俺が全部覚えてる」


 少女の手の中のスマホが、ぎゅっと握り締められる。

 佐織はうつむき、再び黒髪が表情を隠す。

 言うだけは言った満足感と共に、一喜が大きく鼻を鳴らした。

「つーか、あれってこの部室の音声だよな? 一体どこのどいつがどうやって録ったんだ?」

 頭をかいて、ぐるりと部室を見回す。

 録音機材らしきものは、勿論なかった。

「……わかりません。それこそ、私か椎奈さんが何か仕掛けてないと録れないものでした」

「お前ら選ばれし民がそんな小賢しい真似するか。何もしなくてもビクトリーロードを爆進するくせに」

 自分で言ってイライラしたのか、一喜が机を殴りつける。

「そんなに殴って、痛くないんですか?」

 少しだけ普段の調子が戻った佐織のツッコミに、

「少しは考えてモノを言え! 痛いに決まってんだろ!!」

 叫びながら一喜がまたしても机に拳を叩きつけ、


 ぼとっ。


 何かが落ちる音がした。

 佐織と一喜は顔を見合わせ、どちらからともなく屈み込んで音がした机の下を見る。

 そこには、黒いボタンのような何かが落ちていた。

 二人は顔を見合わせ、どちらも覚えが無いものであることを目線で確認する。

 互いに頷きあって、一喜が机の下にもぐりこみ、ボタンのような何かを拾い上げた。

 机の下から這い出たところで、佐織が明かりをつける。

 蛍光灯の下で見たその物体は、二人とも小説のネタ探しで調べたことがあるものだった。


 盗聴器。


 黒いボタンの正体に気づき、互いに声を出そうとして慌てて口を塞ぎあった。



 二人は急いで小山椎奈に連絡し、今後どうするかを相談することにした。

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