第五百三十四話・虎視眈眈、大男総身に知恵が回り兼ね(相手が悪いとしかいいようがない)
乙葉浩介が封印大陸で魔神ダークの封印地点へと向かっていった頃。
地球では、更なる天変地異が発生していた。
天空に輝く三つの月、それが重なり合う速度が、ゆっくりとだが加速を開始。
同時に、封印大陸で発生している封印を制御する神像が破壊されたことも相成り、世界各地で発生していた転移現象が再び始まりつつあった。
――札幌市・妖魔特区
精霊樹の巨大な幹に触れながら、白桃姫は意識を集中する。
地球内部をめぐる龍脈、その乱れを制御しているカグラたちの助力に慣れればと、白桃姫もまた意識の半分を龍脈へと送り込み、抵抗する破壊神の残滓を探している真っ最中であった。
「……しかし、これほどまでに混沌の根を伸ばしているとは予想外じゃな。あ奴の持っていたニセ天球儀とやらも、なかなかに捨てたものではなかったという事か」
龍脈の中をめぐる濃厚なマナ。
その中にごく細く値を伸ばしている破壊神の意識を辿りつつ、転移してしまった土地に発生していた精霊樹と龍脈の繋がりを断ち切る。
白桃姫は時間はかかるものの、一つ一つの精霊樹があった場所へと意識を置く乗り込むと、そこで、転移してきた土地と龍脈の繋がりを断ち切っていた。
残念ながら、転移後の土地には精霊樹は存在しない。
ただし、鏡刻界に精霊樹が発生したことにより、異変をラナパーナ王国の女王であるカムラ・マリナ・ラナパーナが気付き、何らかの対応をするだろうと考えた。
なにぶん、精霊樹と水晶柱については、ラナパーナ王家の秘儀でもあるため、それらの扱いについては右に出るものは存在しない。
他人任せになってしまうが、鏡刻界へと移動してしまった地球の土地については、あちらで対処してもらうしかないと判断した。
「……しっかし……厄介じゃな……破壊神の残滓とやら、いよいよしびれを切りしてきおったか」
わずかに感じ取った『破壊神の残滓』。
それがゆっくりと、そして着実にカグラたちのいる永宝山地下りの龍脈洞へと向かっているを、白桃姫も感じ取った。
「どれ……築地はまだ到着しておらぬと思うが、危険が迫っていることは告げておかねばのう……雅や、聞こえるかや?」
龍脈に流れるマナを媒体として、白桃姫は雅に念話で問いかける。
幸いなことに、雅の深淵の書庫は白桃姫の念話もキャッチ、すぐさま深淵の書庫の並列思考で白桃姫との念話チャンネルを接続した。
『瀬川です、白桃姫さん、何かありましたか?』
「うむ。破壊神の残滓……いや、伯狼雹鬼だったもの? とにかく、そういった類のものがそちらへと向かっている。そこに防衛手段はあるかや?」
『いえ、私の深淵の書庫による結界以外は、ありませんけれど……』
「そうか。いや、此度の全ての元凶である破壊神の残滓とやらが、そちらに向かっておる。防衛手段が無ければ、なにか対策を練らねばならぬぞ」
そう念話を送ったとき、白桃姫はマナを通じて雅の意識を感じ取った。
それは、命を賭してもここを守るという覚悟。
今、災禍の赤月の進行を止める手段は、ここにいない乙葉浩介もしくは龍脈を制御して転移現象を必死に食い止めている御神楽たちのみ。
残念ながら、白桃姫でもそれらを止める手立ては存在していない。
『分かりました。私たちはどうにか策を講じますので、白桃姫さんは妖魔特区からのバックアップを続けてください』
「うむ。では、こちらは任せるがよいぞ……じゃから雅や、そして小春や……決して死ぬでないぞ」
白桃姫の強い意志。
それは雅だけでなく深淵の書庫を通じて近くにいる小春や神楽の元にも届いた。
小春が加護を得ている治癒神シャルディの力でも、死者の魂を冥府より引き戻すことは不可能。
それは、一度死んだことのある小春は、身をもって知っている。
死者の魂と同等の価値があるもの、それ代価とした場合のみ、死者蘇生の儀式を行うことができる。
だが、儀式をおこなったからといって、確実に死者が蘇生できるのでは無い。
そのための条件である『現世との縁の繋がり』がどれほど深く強いか、それが死者を冥府より呼び戻すための力。
そして乙葉浩介は一度、自らの魂を代価として小春の蘇生を行っている。
『死者蘇生に、二度目はない』
正確には、一度でも自らの魂を代価として捧げたものは、二度と同じ事を出来ない。
それは当然であり、大抵は魂を代価に捧げた者は死亡する。
だから、乙葉浩介という存在がイレギュラーなのだが、それでも神界のルールに逆らうことはできない。
もしも、ここで小春や雅が死んでしまった場合、乙葉浩介が暴走する可能性を白桃姫は懸念している。
異世界の破壊神の加護を持つ乙葉だからこそ、この現状をどうにかできるかもという僅かの希望を見出していたのだが、その前に乙葉浩介が暴走してしまった場合。
地球は、乙葉浩介の手によって破壊される。
それほどまでに、破壊神の加護は強力なのである。
そしてこの白桃姫の懸念については、雅も小春も重々承知。
神楽からも、最悪の場合はこの場を放棄して逃げるようにと促されている。
『大丈夫です。私も新山さんも、身を護る術は身に着けています。それに……いつまでも乙葉君や築地君に頼っていられませんから』
そう念話で告げると、雅は魔人モードに姿を変化させる。
そして小春もまた、目の前に浮かぶ金色のマナ溜まりの一部が赤く変質を始めていることに気が付いたらしく、ミーディアの楯を自動展開し、侵略者の迎撃態勢を取り始める。
「……そうじゃな。では、妾もまた、己が成さねばならぬことを始めるとしよう」
そこで白桃姫は念話を切る。
龍脈を流れるマナの動きから、世界各地に封じられている魔族が解き放たれ始めたことに気が付いたから。
「さて、忙しくなってくるのう……パールヴァディや、妾の言葉が届いておるかや?」
白桃姫はマナを通じて、今度は中国の崑崙島へと念話を送る。
彼女の念話の到達距離は近距離であり、今回のようにマナを媒介として送らなければ、中国まで届けることはできない。そして、マナを媒介とするということは、そこにいる『破壊神の残滓』にも念話が聞かれる可能性もある。
だから白桃姫は慎重に、そして端的にパールヴァディへと念を送ったのだが。
『残念だったな……すでにパールヴァディはこの世にはいない……次は貴様だ!!』
そのどす黒い念が届いたと同時に。
妖魔特区内に一体の魔人が姿を現す。
「何っっ……と、そういうことか」
一瞬で並列思考を解除する白桃姫。
そして目の前には、伯狼雹鬼が獣化状態でその場に立っていた。
「マナを通じ、精霊樹を通じることで、我々はこの世界のいかなる場所にも姿を現わせるからな。ということでピク・ラティエ……貴様もここで終わりだよ」
そこに立っているのは伯狼雹鬼のみ。
神の器に収まっていた破壊神の残滓はすでにマナの中に溶け込み、この地球の龍脈を支配しつつある。そして濃厚なマナに浸されることで、伯狼雹鬼もまた奇跡的に復活を遂げていた。
「まあ、流石は魔人王ディラックの副官というだけのことはあるか」
「まあな。貴様を殺し、あとは乙葉浩介をぶっ殺す。そうすれば、この計画のすべてが完了する。ということで白桃姫、貴様は死ね」
そう呟いた刹那。
伯狼雹鬼の姿が一瞬だけ消滅すると、次の瞬間には白桃姫の身体を貫く。
そして引き抜かれた手には、真っ赤な体液に濡れて脈動する魔人石が握られていた。




