番外編 ディア・クロウリーの事情
ディア視点です。
今日、親友とその婚約者がついに結婚する。
俺はいつものように緊張して顔が強張っている親友の背中を叩く。
「ルナ、背中が丸まっているぞ。しゃんとしろよ。花嫁のほうが背が高くなるぞ」
「痛い!……もう。強く叩きすぎだよ……」
少し目の端に涙を溜めて俺を見上げるルナは、初めて会った時よりも随分目線が高くなった。この二年余りで随分伸びたものだ。
俺とルナは王立学園のクラスメイトとして二年前に出会った。そこには俺の恩人である少女が偶然入学してきており、彼女が仕える男である侯爵令息 ルナ・ハッターが気になって、わざと隣の席に座ったことが仲良くなったきっかけだった。
俺は今でこそ天才魔導士だと言われているが、幼い頃は多すぎる魔力と適性に振り回されていつも失敗ばかりだった。訓練が苦痛になった俺はある日屋敷を抜け出し、教会の隅に隠れて座り込んだ。
厳しすぎる父への不満と、このまま魔法をコントロールできないのではないだろうかという不安で押しつぶされそうになっていた俺は、声を押し殺して泣いていた。
誰にも気付かれないように隠れたと思っていたが、ピンク色の髪をした可愛らしい女の子に見つかってしまった。
「どうしたの?どこか痛いの?」
「……」
少女は心配そうに俺の顔を覗き込んだが、俺は頑なに顔を上げずに押し黙った。
「……ちょっと失礼」
少女は大人のような言い回しをして、いきなり俺の手を握りだした。俺は吃驚して振り払おうとしたら、そこから温かな魔力が流れこみ、冷えた身体が癒されるのを感じた。
彼女の顔を見ると、にっこりと微笑まれ、何も言わずにしばらくそうしてくれた。
いつの間にか涙は引っ込み、俺は彼女に自分の境遇を語っていた。
「……魔法が上手く使えないんだ。そのせいで父上には怒られるし、『もっと力いっぱい出せ!』とか言われるけど、そうして前の時みたいに暴走したら怖いし……、あの時はいっぱい周囲の人が怪我したんだ。もうどうしたらいいのかわからないよ……」
彼女は俺の愚痴とも悩みともつかないような言葉を静かに聴いてくれた。
俺があらかた喋り終えて押し黙ると、ようやく彼女も話し出した。
「私も超級の魔力持ちで、去年魔力が暴走して大変なことになったの。私以外誰も怪我しなかったから良かったけど、おばあさまのお気に入りの庭をぐちゃぐちゃにしてしまったわ。一週間も入院することになって、怖くて最初は泣いてばかりいたけど、看護婦さんが魔法の言葉を教えてくれたの」
「魔法の言葉?」
「そうよ。自分の望みを三回口に出して唱えると願いが叶うのよ!その人は私の手を握って言ってくれたの。『あなたは何も傷つけない。あなたは何も傷つけない。あなたは何も傷つけない!もう大丈夫!』って」
「……三回言えばいいの?」
「そうね。あなたが望むことをね。ねえ、どんな風になりたい?」
彼女は俺の顔を覗き込んだ。
「そうだな。……魔法を思い通りに使いたい!」
「じゃあ、そう願えばいいわ。ほら言ってみなさいよ」
「……えっと、魔法を思い通りに使いたい。魔法を思い通りに使いたい。魔法を思い通りに使いたい!」
俺は目を閉じてそう唱えた。不思議と何だが上手くできそうな気がした。
「……何だか上手くできそうな気がしてきた」
「ほらね!もう大丈夫!」
そう言って笑った彼女の顔がとても眩しく感じられた。
その時はお互い名前も聞かずに別れた。後日教会に行っても、もう彼女と会うことはなかった。でも入学した王立学園の教室で俺は再び彼女の姿を見つけた。
十年ぶりくらいの再会だったけれど、彼女はあの頃の面影を残したままだったのですぐにそれと分かった。
「アリス・キャロルです。どうぞよろしくお願いします」
アリス・キャロル、その名前を俺は心の中で繰り返した。
すぐに声を掛けようとしたが、その日はアリスに話しかけることが出来ず仕舞いだった。
翌朝、アリスがルナ・ハッターのメイド見習いになったと宣言し、俺はルナに注目した。下位貴族が高位貴族に在学中から仕えることはよくあることなので、それ自体は奇異ではなかったけれど、俺はルナがアリスを熱のこもった瞳で見つめていたことに昨日の内から気付いていた。
どういう関係なのだろう。俺は胸に焦燥を感じて、何とか二人の関係を見極めようと思った。幸い、その日は適性分けがあり、ルナの横の席に座ることが出来た。
「ディア・クロウリーだ。よろしく」
「ル、ルナ・ハッターです。よろしく……」
長い前髪の隙間からヘーゼルの瞳が不安そうに覗いた。
「……クロウリー殿は、六適性持ちなんだよね。闇魔法のグループでいいの?その、……光とか、良い魔法の適性があるのに……」
「適性に良いも悪いもないぞ。闇は今、魔道具開発では最も注目されているんだ」
俺は呆れてそう言った。闇魔法は精神や空間に作用する。その可能性は計り知れない。
「……でも、光みたいに治癒もできないし、攻撃にも向かないよ」
「馬鹿だな。治癒はともかく、攻撃なんて闇魔法を応用すれば何とでもなる。闇魔法は最も応用が効く魔法だ」
俺がそう言うとルナは少し戸惑ったような様子だった。
その時は、授業中だったのでそこで話は終わったが、俺たちは顔を合わせれば、闇魔法の応用について話し合うようになった。
ルナと仲良くなってしばらくしてから、ルナと昼食を一緒に摂るようになった。その時やっと俺はアリスと話をする機会を持てた。
ルナはいつもアリスとジャック・スペードというクラスメイトの三人で昼食を摂っていた。アリスの手作りということで俺が興味を示すと、ルナがぜひ一緒にと誘ってくれたのだ。
想像以上に素晴らしい食事を終えて、俺は意を決してアリスに尋ねた。
「ところで、アリス。俺、昔教会で出会ったことがあるんだけど覚えてないか?」
アリスは軽く目を見開いたが、すぐに目をそらした。
「えっと、教会でですか?街の教会には毎週行っているのですが、クロウリー様とお会いしたかどうか……。ちょっと覚えがないです。申し訳ございません……」
そう言って頭を下げた。
俺は少しがっかりして、「そうか」と答えた。
ルナとジャックには事前にアリスと子供の頃に会ったことがあると伝えていた。すると二人もやはり会ったことがあり、アリスはルナのことは覚えていたが、ジャックのことは覚えていなかったと言われた。
ルナが申し訳なさそうに俺の顔を見て、ジャックが無言で俺の肩を叩いた。ジャックの顔は笑いを堪えて口の端が引き攣っていた。
俺の焦燥はその時を境に霧散していった。アリスの眼差しがルナだけに注がれていることにすでに気付いていたのもあった。焦燥が恋慕に変わる前に消えていったことは幸いだったのかもしれない。
今、俺は心から二人のことを祝福できているのだから。
ルナがアリスを好きなことは早くから分かっていた。ルナは幼い時にアリスと出会って一目惚れしたらしく、ずっと探していたのだという。好きな子が突然メイドになってしまって、喜んでいいのか分からないと悩んでいた。俺からすれば、好きな子がずっと傍にいてくれるなんて、チャンス以外の何でもないと思うのだが、気が弱いルナは、言葉一つ、接し方一つ悩みに悩んでいた。
アリスは母性本能が強いのだろう。ルナのことを大切に、大切にして、常に守り、支えようとしていた。俺やジャックからすれば、アリスがルナに惚れているとしか思えなかったが、ルナは「アリスは責任感が強いだけだ」と言う。
ルナと二人で取り組んだ課題の魔道具開発が注目されて、王宮から直々に依頼を受けた。
そのために長期休暇でルナの領地で一緒に闇魔法の研究に取り組むことになった。なぜか第二王子のエース殿下も同行することになり、やはりルナ付きメイドとして同行することになったアリスは緊張している様子だった。
それよりもアリスと二十四時間一緒に過ごせることにルナが浮かれたり、かと思えば不安になったりと顔色がコロコロ変わって、俺とエース殿下は出歯亀気分でニヤニヤと観察させてもらった。
それでも中々進展しない二人に痺れを切らした俺と殿下は、二人を進展させるために
ルナの背中を押しまくることに決めた。
聞けば、エース殿下もアリスと子供の頃に会っており、淡い憧れのようなものを持っていたそうだ。ルナとアリスが引っ付いてくれないと俺たちもスッキリしないということで、ルナがさっさとアリスに告白するよう仕向けた。
「明日はアリスも休みなんだろ?船遊びしようぜ。そこでアリスの気持ちを確認しろ」
そう言うと、ルナは真っ赤になりながらも渋々頷いた。
領地内に風光明媚な湖がある。侯爵家所有の大きな船で遊覧ができるのだ。告白には格好の場所だろう。
侯爵家の船は中に宿泊できる客室も複数あり、船上でパーティも開けるほど立派なものだった。俺たちはガラス張りの船室にいたが、アリスは甲板に出たままだった。ちょうど良い。ルナを甲板に送り出して、二人で話しをさせよう。
「ルナ、アリスに気持ちを聞くのは今しかない。すぐ行ってこい」
「そうだよ。ルナ、頑張って!」
ルナは背中を丸めながらも、船室を出て行った。
俺たちは風魔法で様子を窺っていた。するとアリスの弾むような声が聞こえて来た。
「ルナ様、今日はお誘いくださってありがとうございます!」
「こちらこそ、ごめんね。毎日頑張ってもらっているのにこんなことしかできなくて」
「いえいえ、私はルナ様のお顔を拝見できるだけで毎日楽しいですので、謝らないでください」
俺と殿下は顔を見合わせた。これでアリスがルナを好きでない訳がないだろう。俺たちは馬鹿馬鹿しくなって、風魔法を消そうとした。しかしその瞬間魔法攻撃の気配が伝わってきた。
どこからか敵がこの船に攻撃を仕掛けている。
俺たちは椅子にしがみついて激しい揺れに何とか耐えた。
船室の扉が開き、アリスと固く手を繋いだルナが駆け込んできた。
「ディア、魔法攻撃だ!」
「そのようだな。ルナ、敵の位置を特定してルートを作ってくれ、俺が風で相手を切り裂く」
「わかった!」
ルナが陣を結び敵に繋げる亜空間を生み出した。相手の魔法の残滓を辿り、敵にたどり着いた瞬間、俺はすかさず風魔法をその中にぶち込んだ。
亜空間から敵が風魔法をまともに食らった衝撃が伝わってくる。その後、敵の攻撃は一瞬にして止んだ。
風魔法で気配察知を行うと、相手はすでに逃げ去っていた。転移魔法の使い手がいるのかもしれない。転移魔法は闇魔法の超級者のみが扱えるものだ。敵も相当の使い手なのだろう。
その後、船は無事に岸に着き、幸いこちらの乗船者に怪我人は一人もいなかった。
あの繋がれた手を見た瞬間、俺の中で何かが痛んだ。それは微かなものだったので、俺は何の痛みか気付かないふりをすることにした。
長期休暇が終わった後も、結局ルナとアリスは大きな進展を見せなかった。
ただこのままならほっといてもそのうちくっつくだろうと、俺たちの中で結論付けられた。そんな中、ルナが武道大会で大怪我を負った。俺とアリスの必死の治癒で何とか一命を取り留めたが、ルナを失いかけたアリスは益々過保護になっていった。
その後の文化発表会では俺とルナが主演で恋愛劇をすることになっていたが、俺はアリスに俺の役を代わりにやらせることに決めた。ちょうど領地では雨期に当たる。毎年のように起こる領地の事故を理由に文化発表会直前に領地に戻り、代役をアリスに指名した。
アリスがルナの台詞合わせに付き合うように仕向け、アリスなら俺の代役をできるというようにしていた。ジャックに計画を話すと喜んで協力してくれたので、当日はすんなり計画通りにいったらしい。
俺は本番を見ることはできなかったが、劇は評判となったようで、「ルナ様の恋の成就を応援する会」なるものもできていた。学園ではルナとアリスの関係はほぼ公認扱いとなった。どんどん外堀は埋められているのに、肝心のアリスには今一伝わっていない。
大舞踏会で渋るルナを説得して、何とかダンスに誘わせた。もちろんアリスは笑顔で誘いを受けたし、二人は幸せそうに踊っていたが、告白をした訳ではないので結局いつも通りの主従に戻ってしまう。
そうこうするうちに冬期休暇に入りあっという間に新学年だ。休み明けにはジャックから幼馴染のフランシス嬢と婚約が決まったと報告があった。学園にもアリスの幼馴染という男が入学してきて、何かとアリスにまとわりついていた。
アリスの幼馴染は子爵令息であり身分的には釣り合う。仲も姉弟のようではあるが親密なようだった。
「おい!このままじゃ、あのガキにアリスを取られるぞ。早く告白しろよ」
「……そんなこと言われても……。もし断られたらもう僕は一生邸から出られないよ」
「いいか、アリスとあのガキは家族ぐるみの付き合いだそうだ。あいつがアリスの親に婚約を申し込めば、少なくとも誰も反対しないぞ。アリスも来年は卒業だ。仕事が決まっているとはいえ、婚約者も決まっているに越したことはない。このままじゃ、確実にあいつにアリスを取られるよ」
「……そうかな。……どうすればいい!?」
俺の脅しのような言葉に危機感を持ったルナは涙目になりながらそう言った。
「俺、来月のマイア祭にフランシスに花冠を贈るんだ。ルナもアリスにそこで告白すればいいじゃないか。マイア祭ならとりあえず、腕輪は受け取ってくれるだろ」
「「それだ!!」」
ジャックの提案に俺とルナは声を揃えて叫んだ。
マイアと言うのは愛の女神で新芽の象徴だ。また主神であるヴォダールとその妻フレイアの娘であり、マイア祭は要するにヴォダールとフレイアの結婚を祝う祭りで、はっきり言えば婚活パーティーである。マイア祭はこの時期各地で行われていて、男性から女性にプロポーズしたり交際を申し込んだりするイベントとしての色が強い。
マイア祭の日、学園でガーデンパーティーが行われ、二年生の女生徒たちがフレイアに扮し、男子生徒がヴォダールに扮する。ヴォダールがフレイアに結婚を申し込んだ伝説にちなんで、花冠を男子生徒が目当ての女生徒に贈るのだ。贈られた花冠を女生徒が受け取って頭に載せれば、カップル成立である。もちろん貴族のすることなので、本人、家族含めて事前の根回しが必要なのだが、根回しが間に合わない時は花冠ではなく、花のブレスレットを贈る。女性は一旦受取るのがルールで、後日改めて返事をする決まりになっている。
要するに恋人同士や婚約者同士なら花冠を贈るし、単に告白ならブレスレットを贈るのだ。
マイア祭当日、ルナは白い花の腕輪を持ってガチガチに固まっていた。
「ルナ、大丈夫だ。マイア祭のルールとしてとりあえず腕輪は受け取ってもらえる。アリスに意識してもらうことを目指すんだ。いきなりアリスから良い返事がもらえると思わなくて良いんだ。アリスにはっきりとお前の気持ちを知ってもらえればそれでいい」
「ルナ、俺がフランシスに花冠渡して、とりあえず雰囲気を盛り上げてくるから、勢いで行っとけ!お前なら大丈夫だ!」
俺とジャックの励ましも緊張したルナの耳には入っていないようだったが。
「よし行ってくる」
ジャックが婚約者の所に行って花冠を渡すと、祝いのフラワーシャワーが舞った。それを切っ掛けに色々なところで歓声があがり、そのたびに白い花びらが振りまかれる。
「……綺麗だな」
俺もしばし舞い上がる花に見惚れた。
花吹雪が収まり、人々がテーブルに移動していく。
「頑張れよ」
俺はルナの背中を叩き、さっさとジャック達の方に向かった。
ルナとアリスを二人きりにする必要があるのだ。
「こっちだ」
ジャックと婚約者のフランシス嬢とその友人達がテーブルに座っており、俺を手招きする。
俺はテーブルに通信石を置いた。もう片方はルナに持たせている。悪趣味と思われるかもしれないが、成功したら花びらを振りまいて、二人を盛り上げる予定なのだ。
通信石はたどたどしいながらも一生懸命なルナの告白が聞こえてくる。アリスは中々返事をしなかったが、ついに決定的な言葉が響いた。
『ルナ様、……私もルナ様が大好きです。……どうか私をルナ様のお側にいさせてください』
皆が息を止めた。
『それは……了承ってこと?』
ルナの弾むように上ずった声が聞こえた。
「「「やったー」」」
俺は渾身の風魔法で、大量の花びらをルナとアリスに降り注いだ。
その後、アリスの幼馴染や船を襲撃した奴との決着も着き、ルナとアリスは学園を卒業したらすぐに結婚することとなり、ちょうどマイア祭から一年が過ぎた今日のこの日を迎えた。
髪を短めに切って精悍になった親友は、緊張しながらも幸せそうだ。
「花嫁の用意が出来ましたよ!」
ブライズメイドがルナを呼びに来たので、俺たちはアリスの控室に向かった。
そこには純白のドレスに包まれた今までにないほど美しい女性が佇んでいた。俺がこの手を取る権利がないことを後悔したくなるほど魅力的に変身した彼女がルナに笑いかける。
「ルナ様、素敵です!」
「……アリスこそ。信じられないぐらい綺麗だ」
見つめ合う二人に、俺は居心地が悪くなったが、それよりも彼女のその姿を目に焼き付けたかった。
あの時、諦めなければ俺が横に立つ未来もあったのだろうか。
俺は幸せそうなルナの顔を見て首を振った。この親友の幸せを心から願う気持ちに偽りはない。ルナ自身も俺にとってかけがえのない存在なのだ。
「ルナ、アリス、おめでとう。どうか幸せに」
俺は二人に向かって笑いかけた。
了




