グリムハンズ ～彩桜高校童話研究会活動録～

第六章：赤

三頁：願い

　正太郎の許可が下りた事で、早速動き出した童話研究会の面々だったが、

「沙月さん、悠木先輩、それらしいの見つかった?」

「全然だめみたい。見つかんない」

「こっちも見つからないわね」

　すぐ壁にぶち当たった。

　今回の事例と符合する物語が見つからなかったのである。

　〇父親が娘を救うように、誰かに願う。

　〇その誰かは、娘を救う代わりに対価を求める。

　〇最終的に願いを叶えた者が、生き返らせた娘の命を奪う。

　〇ワードの姿は石像に似ていたらしく、石像が登場する物語。

　これらの要素が今回のワードの正体を解き明かすキーになると薫は考えていた。

　だが一部分であれば該当する物語は見つかるも、全てとなると中々ない。

例えば――。

「これはどうかしら。幸福な王子。若くして亡くなった王子をモチーフに、宝石や金箔をふんだんに使われて作られた王子像は、貧しい暮らしの人達に宝石や金箔を与えるの。でも装飾が無くなってみすぼらしくなった王子像は、最後には壊されてしまう」

　涼葉が取り上げた物語を、

「でも、それって鉄で出来た像でしょ?　今回のワードみたいに石像じゃなかったはずだけど」

　エリカが否定する。

「その根本が歪む事はないわね。じゃあ違うかもしれないわ。ごめんなさい」

「ううん。私と薫君も空振りばっかだし」

　この調子で三人の意見が一致せず、時間ばかりが過ぎていた。

　既に日は傾きかけており、これ以上学校に残るのも、正太郎の居ない現状では難しい。

　かと言って依頼人が失踪しているのに、また明日で済ませるわけにもいかなかった。

　終わらない議論に、部屋の空気が硬直している。

　焦燥が苛立ちを呼び、苛立ちは判断力を奪っていく。

　涼葉が新しい切り口を提案すると、

「石像っていうのは大事じゃなくて、願いを叶えるって方が重要って事はないかしら?」

　薫は、釈然とせず、唇を歪めた。

「願いを叶える話ってなると、数え切れませんよ?」

「そうね……願いを叶えた代わりに、何かを要求される話も多いわね……」

　結局進まぬ議論で時間を浪費するばかりだった。

　やはり、このままでは、埒《らち》が開かない。

　誰もがそう思った時、涼葉から声が上がった。

「亀城君、疑問があるんだけど。健二さんは、どうやってワードを見つけたのかしら?」

「亀城家にあるグリムハンズ関連の記録を調べてみたけど、そういう方法はなかったです。如月先生もワードを見つけるには、グリムハンズに頼るしかないって」

「そう……」

「でも父さんは、ワードの正体さえ分かれば、ある程度習性を利用出来るとは言ってました」

「じゃあ健二さんがワードを見つけたのは、偶然なのかしら?」

「ありえないでしょ」

　涼葉の推察を否定したのは、エリカだった。

「自分の子供が生死の境を彷徨《さまよ》っている時に、偶然ワードが見つかったとか、都合よすぎない?」

「エリカちゃんの言う通り、あり得ないわね……元々そのワードの存在を知っていた。そう考えるのが自然ね」

「おじさんがワードの発生を知っていたら亀城家に報告して、討伐してもらうはずです」

「じゃあさ、薫君。おじさんがワードの性質を知っていたら、どう?　願いを叶えるワードの存在を知っていたら、無闇に退治させないんじゃないかな?」

「それは……」

　薫にとって健二は、優しい人だった。

　昔から薫や桃子の事も、実の子供のように可愛がってくれた。

　だから涼葉の推理を否定したかったが、

　――自分ならどうだ?

　願いが叶うワードが居たのなら。

　人の生死すら容易く操れるのなら。

『お兄ちゃん!』

　縋《すが》らない理由がどこにあるだろう。

　独占しない保証がどこにあるだろう。

　優しい身内なら間違いを犯さないという考えが、おこがましいのかもしれない。

「……僕も妹を蘇らせる事が出来るなら、ワードの力だって利用するかもしれない」

「……それが下法だとしても、あなたは頼るというわけ?　どんな犠牲を払ってでも?」

「頼るでしょうね」

「倒すべき相手でも?　どんな結末が待っていようとも?　それは冷静な判断とは言えないわ」

「……悠木先輩は大切な人を失くした事ないみたいですね。そういう経験があれば正論を吐くばかりじゃ居られないはずだ」

「か、薫君。そんな言い方」

「結果的に二人の人命が失われているわ。闇雲に奇跡を望んでも破滅が待っているだけよ」

「涼葉さんも、ちょっときつすぎ!」

　エリカが薫と涼葉を交互に見やって静止する。

　一触即発の中、早々に矛を収めたのは、涼葉であった。

「そうね……ごめんなさい。亀城君、酷い事を言ってしまったわ。謝らせてちょうだい。敵の正体に見当がつかなくてイライラしてしまったわ」

「いえ。僕の方こそ……すいません」

　いつもこうだ。

桃子の事を考えると感情を制御出来なくなる。

　その結果どうなった?

　危うく命を落とし掛けたし、力を増したワードの被害が広がって、たくさんの人が亡くなったかもしれない。

　そして恐らく健二も薫と同じように――。

「薫君?」

　薫の想いを悟ったのか、エリカが視線で気遣ってくれる。

「大丈夫だよ。沙月さん」

　桃子を思い出すだけで涙が溢れてくるけれど、傷は少しずつ癒えている。

　完全に消えてなくなりはしないし、折に触れては思い出し、自らの愚かさを呪う日もある。

　それでも仲間が居てくれるから――。

「大丈夫」

　薫が笑むと、エリカは頷きながら笑顔を返し、改めて口を開いた。

「願いを叶えるワードだとして疑問があるんだけどさ、薫君のおじさんは、ずっと前から願いを叶えるワードを知っていて一度も使わなかったのかな?」

「……エリカちゃんの言う通りね。一度も願いを叶えた事がないのなら、どうしてワードが娘さんを治せると思ったのかしら?　そう思った根拠は?」

　限りなく死者蘇生に近い業《わざ》。

　神か、それに近しい者にのみ許された奇跡。

　世界の理を刃向う願望は、叶う確信がなければ願わないだろう。

　そして確信があるのなら――。

「おじさんは、以前願いを叶えた事があるのか!?」

　ハッとした薫の一声が部室に響く。

　涼葉も、議論の突破口を見出せた快感に表情を緩めた。

「亀城君、健二さんって、お金持ちだったのかしら?」

「いえ。普通のサラリーマンだし、家も賃貸だし……」

「相応に大きい願いを叶えた事はあるけど、金銭に絡む願いではない?　じゃあどんな願いを叶えたのかしら?」

「ねぇ涼葉さん。叶えた願いの大きさによって、代償が大きくなるっていうのはどうかな?」

　エリカの口にした推測が腑に落ちないのか、涼葉は眉を寄せた。

「それなら生死を操るなんて、およそ人の願いでも、もっとも大きいものよ。代償を考慮しないかしら?」

「冷静さを失っていたら、ありえるんじゃない?　藁《わら》にもすがる何とやらで」

「一年後に娘が結局死んでしまうのなら、願わないんじゃないかしら?　だから代償は、想定外なんじゃないかと思うの」

　涼葉の推理に、今度はエリカが難色を示した。

「それだと疑問がループしちゃうよ。代償があるって事を知らなかったのなら、もっと願いをぽんぽん叶えない?　金持ちにしろーとか。世界の支配者にーとか」

「ええ。代償について知らなかったと仮定すると、今まで願いを叶えなかったという疑問が再燃するわ。だけど叶えられる願いの数に、限りがあるとしたら?」

「それだ!」

「それですよ!」

　エリカと薫は、驚嘆の声を重ねた。

　叶えられる願いの数が決まっているなら、ここぞという時に取っておくはず。

　制限があるからこそ、欲を堪えて叶える願いを吟味する。

　疑問は、一つ片付いた。

次に考えるべきは、どんな物語から生じたワードなのか。

　これに関しても涼葉の推理を材料に、薫の内で会心の答えが浮かんでいた。

「じゃあ沙月さん。悠木先輩。都合よく何でも願いを叶えてくれるけど、回数制限付きなのは?」

　なぞなぞっぽく薫が言うと、先に手を上げたのはエリカだった。

「アラジンの魔法のランプ!」

「僕の想像と同じ!」

「あれは、対価求めてないけどねー」

　乗ってくれた割に、すぐさま突き放してくるエリカを薫は恨めしげに睨んだ。

「それはワードとして発生したら……色々と歪んだんだよ……多分」

「ちょっと苦しくない?　石像とか、色々と要素がすっ飛んでる点は、どう解釈するの?」

「あの、えっと……」

「五十点の答え。考え直し。これ部長命令だから」

「なんだよ!　じゃあ、そっちは答え浮かんでるのかよ!」

「……え?」

「……え?　じゃないよ!」

　薫とエリカがじゃれあうように口論を繰り広げていると、涼葉が突如声を上げた。

「願いを叶え、命を救い、石像が血を浴びる……亀城君、おじさんのご自宅に連れて行ってくれないかじら?　確認したい事があるの」

　涼葉の唐突な提案を薫は、訝《いぶか》しく思いながらも、

「分かりました」

　三人で、三島玲子の自宅へ行く事となった。