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一頁:依頼

「それは無理だ。出来ない」




 大切な物は、失ってから初めて気づく。




「俺を……俺の血にしてくれ」




 安易な選択は、後悔を生む。




「やめてくれ!」




 人間とは、そんな当たり前をいつも忘れる生き物だ。




 ――――――




 夕刻になっても夏の日差しは陰る気配もなく、地上を蒸している。

 放課後、亀城薫は三島みしま玲子れいこの元を訪れていた。

 彼女は、薫の父親のいとこ、三島健二(けんじ)の妻である。

 先週、五歳の一人娘のあいと、夫の健二を相次いで亡くしていた。


 リビングには、喪失感を絵にしたように、必要最低限の家具しか置かれていない。

 以前訪れた時は、家中に子供向けのおもちゃが敷き詰められていたが、全て片付けられてしまっている。

 玲子は、マグカップに紅茶を入れて、紫檀したん製のテーブルに着いている薫の前に置いた。


「ありがとう。おばさん」


 玲子から生気の類は失われ、返してくるのは事務的な笑みだった。

 二十代の後半。瑞々しい盛りであるはずなのに、まとう気配は死期を間近にした老人に等しかった。

 街を歩けば誰もが振り返った美しさは、もはや見る影もない。

 玲子は、薫と向かい合ってテーブルに着くと、左手の薬指にはめた金の結婚指輪を弄り出した。


「薫ちゃん。今日来てもらったのは、頼みたい事があるから」

「頼みって?」

「娘は、化け物に殺されたのよ」


 玲子は、左手の薬指にはめた金の指輪を右手で握り締めた。

双眸そうぼうには、確信を宿している。


「……ワードの事?」

「亀城のお家は、グリムハンズだっけ? 怪物を倒す力を持ってるんでしょ?」


 亀城の血筋を継ぐ者は、比較的グリムハンズが生まれやすい。

 健二は、グリムハンズではなかったが、子供が生まれた場合、グリムハンズに覚醒する可能性もあるので、玲子には一連の情報が知らされたのだ。


 世界の裏側を跋扈ばっこする怪物の存在。

 娘と夫を失った玲子の精神状態を考慮すれば、何か適当な理由が欲しいはず。

 だから憤りをぶつける先として、ワードの名前を出している。という風には、薫は思わなかった。

 玲子の瞳の色は、やるせなさに押し潰された人間がかもし出せるモノじゃない。

 妄言と切り捨てる事は、出来なかった。


「薫ちゃんは、娘が交通事故にあったのは覚えてる?」

「一年前ですよね。もちろん覚えてます」


 一年前、健二が愛を幼稚園まで迎えに行った帰り道。酒気帯び運転の車が歩道に突っ込み、健二が庇う間もなく愛だけがかれてしまった。


「医者には絶望的と言われたわ。けれど夫は、愛が運ばれた病院からふらっと居なくなって、彼が帰ってくるとあの子は、峠を越えていたの」


 亀城家は、しばらくの間、健二の話題で持ちきりであった。

 悲しみをきっかけに健二が治癒系のグリムハンズに覚醒したのではないかとか、治癒系のグリムハンズの知り合いが居て治療を頼んだのではないかと。

 しかし健二は、頑として詳細を語らず、愛に起きた奇跡は、次第に話題から消えていった。


「私は、あの時奇跡が起きたと思ってたわ。でも夫の喜びの裏には、恐怖があったのを今でも覚えているわ」

「恐怖?」


 一体、何に対して?

 健二が出て行った事と関係があるのだろうか?

 薫が首を傾げるも、玲子は気にせず続けた。


「先々週の事よ。怪物が来たのは」

「はっきり視認出来たの?」


 ワードは、通常人の目には映りにくいが、グリムハンズやワードの存在を知っていれば普通の人間でも姿を認識しやすくなり、また一定以上の力を持ったワードなら、人間に恐怖を与える目的で自ら姿を晒す事もある。


「ええ、はっきりとね」

「怪物は、どんな形をしてた?」

「石と肉が混じり合った大きな人型……奴は、手にしていたさびだらけの剣で娘の……喉を裂いて……その血を浴びたの! 警察に話したけど、着ぐるみを着た変質者の犯行とされたわ」


 葬儀に参列した時も、健二と玲子からは、犯人について、そう聞かされていた。

 けれどあの時は、亀城の人間だけではなく、事情を知らない人も数多く参列していたため真相を言えなかったのであろう。


「でも、あれは違う。あれは着ぐるみなんかじゃない。ああいう生き物なのよ」 


 ワードと間近に相対した時に抱く不快感は特有だ。

 仮にワードという存在について詳細を知らなくとも、一目でもワードを目撃すれば、あの異形の姿は一生忘れられるものではない。

 ある程度事情を知る人間がそうだと言うのなら、真実と捉えるべきだろう。


「おじさんの反応は?」


 薫は、聞いてしまった事を後悔した。

 失念していたのだ。

 健二の顛末てんまつを――。


「呆然としていただけ。そして夫は、葬儀が終わったその日の夜、首を吊ったわ」


 健二は、遺書を残しており、彼の遺言で密葬となった。

 娘を失った悲しみに耐え切れず、自死を選んだように見える。

 けれど娘を失った悲しみで命を絶ったのではない。

 そう考えているからこそ玲子は、薫を呼んだのだ。


「夫は、怪物と契約をして娘の命を救ったのよ。そして一年後に求められた対価があの子の命だった」

「愛ちゃんの? なんでそんな……」


 命を救ってから、救った対象を殺すという行為。

 一見不可解な行動だが、これも物語に縛られているからだろう。

 しかし薫の思い当たる限りで、そういう物語を読んだ記憶はない。


「あの人は、怪物との会い方を知っていたんでしょ? 怪物に、あの子を救うように頼んだんでしょ?」


 可能なのだろうか?

 ワードと都合よく出会い、奇跡を願う事は。

 少なくとも薫は、その術を知らなかったし、父や正太郎から聞かされた事もない。

 一先ず方法は置いておくにしても、玲子の目撃証言から推察するに、この事件にワードが絡んでいるのは間違いないだろう。


「お願い薫ちゃん。あの怪物を退治して」

「調べてみるよ。任せて」


 このまま見過ごす事は出来ない。

 家族を理不尽に奪われる痛みは、嫌という程思い知っている。

 復讐の代行を願われているのに、薫に不平も不満も戸惑いも存在しない。

 まして殺人犯は、公には存在が認められていないワード。

 大切な家族が合法的に復讐する機会を得られるのだから、手を貸さない理由はなかった。




 ――――――




 翌日の放課後、童話研究会を訪れた薫は、エリカと涼葉に、玲子の依頼について伝えた。


「――というわけなんだ。協力してもらえないかな?」

「いいよ」


 エリカは、黒い布きれを口元にあてがいながら、快諾してくれた。

一方涼葉の方は煮え切らない態度だ。


「如月先生が帰って来てからの方が、いいんじゃないかしら?」


 正太郎は、三日前からドイツに行っており、帰りは一週間後になる。

 観光旅行でない事は察しがついたが、肝心の理由を言わないまま行ってしまった。


「いいよ! あんな人いなくても!」


 エリカは、白雪姫の魔法の鏡の一件以降、正太郎に対して棘のある態度を貫いており、ドイツへの渡航が決定的にへそを曲げさせた。


「エリカちゃん。いい加減すねるのはやめた方がいいわよ?」

「だって、あんなに隠し事ばっかしてる人知らないもん! ドイツに何しに行ってるわけ? 涼葉さんは知ってるの?」

「知らないけど……」

「ほら、やっぱり。あいつ最低!」


 ここ数日、涼葉がいさめ続けているが、効果は芳しくなかった。

 薫もエリカの気持ちが分からないではない。

 エリカの態度は、目に余るものがある。だが彼女が正太郎に寄せていた信頼は、薫や涼葉の比ではなかった。故に割り切れないのだろう。

 エリカは長机に突っ伏すと、布きれに顔をうずめて、匂いを嗅ぎ始めた。


「さっきから気になってるんだけど、沙月さんの持ってるそれ何?」


薫が尋ねるも、エリカの反応はない。

エリカの手元の黒い布きれは、よく見るとネクタイで、見覚えのあるデザインだった。


「それ……如月先生のネクタイだろ? なんで持ってるの?」

「…………」

「……沙月さん?」

「……凉葉さんがくれた」

「悠木先輩!? 親しき仲でも窃盗罪ですよ!?」

「ごめんなさい……抗えなかったの……最高級……最高級さんまの一夜干しには!!」

「買収のされ方が安い! ていうかどうやって盗んだんですか!?」

「……親指姫サンベリーナで」

「あんたグリムハンズに見限られますよ!? 親指姫サンベリーナも主がそれでいいのか!?」

「エリカちゃんを元気づけるためだったのよ! それに親指姫サンベリーナも干物を一緒に美味しく食べたから共犯だわ!!」

「順調に主に毒されてる!! ってもうそんな話はどうでもいいですよ。とにかく僕も先生の帰りを待ちたいんだけど……あれから、おばさんと連絡が取れないんです」

「家には、いらっしゃらないの?」


 涼葉に問われ、薫は重い声で言った。


「はい。鳥達にも探させてみたけど、僕の能力の効果範囲内には……」

「それじゃあ玲子さんは、何処に行ったのかしら?」

「多分だけど……一人でワードを探しに行ったんだと思います」


 ワードが絡んでいる疑惑が薫と話した事で確信に変わり、居ても立っても居られなくなったのだろう。


「どうやって? 玲子さんってグリムハンズではないのでしょう? ワードを探せる方法なんてあるのかしら?」

「さぁ……僕の父もグリムハンズですけど、ワードを探すならグリムハンズに頼らないとダメだって」

「ちなみにお父様は、どんな能力なの?」

「僕と同じ桃太郎です。助演級で三匹の家来。犬・猿・きじへ変身出来るんです」

「なんか、かわいい!」


 エリカの喰い付きが急激によくなった。

 にゃん子の愛で方を見るに、かなりの動物好きである。

 ひとまずエリカの機嫌もよくなったところで、薫は敢えて三匹の家来について話題を広げた。


「ネクストページで、それぞれ三メートルぐらいに巨大化するけどね」

「あ。そういえばさ、そのネクストページってなんなの? グレーテルさんも言ってたけど」


 正太郎は、ネクストページについてエリカに説明せず、ドイツに渡ってしまった。

 もっとも、正太郎が説明しようとしたのに。エリカの方が拒絶してしまったのが原因だが。


「グリムハンズの力がレベルアップした状態……かな。ファーストページとネクトページって言って、二つの能力が使えるようになるんだ」

「二つかぁ。どうやったら使えるようになるの?」

「うーん。自然と覚醒する事が殆どかな。僕もネクストページが使えるようになったのは、四ヶ月ぐらい前からだし。ちなみに犬猿(きじ)に血を経口摂取させて操るのがファーストページ。血の犬猿(きじ)を作るのがネクストページだよ」


 きっかけらしいきっかけがあったわけではない。

 妹の死を経験する前には覚醒していたから、強い感情がトリガーでもなかった。

 正太郎や父に尋ねてみたが、正確な覚醒の条件は未だ解明されていないらしく、二人もある日突然ネクストページが使えるようになったという。


「ふーん……私と涼葉さんのネクストページどんなのだろう?」

「私も気になるわ。早く覚醒するといいね、エリカちゃん」

「うん。そだね。早く使えるようになって……あのバカ教師を見返す!」


 そう、エリカと涼葉は、まだネククスページにも覚醒していない新人。

 ベテランの正太郎抜きでワードと対峙する状況は避けたい。

 桃太郎のおじいさんとの一件で、自身の未熟さをうんざりする程、知らしめられた。

 しかし中途半端な知識の玲子が単独で動いているのは、あの時よりも悪い結果に転ぶ危険性だってある。


「まぁとにかく僕としては、なるべく早く動きたいっていうのが本音だ」


 薫の提案にエリカも乗り気らしく、今日一番のテンションの高さだ。


「そうしよう! それで先生を見返すんだ!」

「……沙月さん。あんまし、そういう風に構えないでよ」

「だってさ!」

「黙ってやるとなんか言われそうだし、一応先生にも相談する。その上で僕達で動く。それでいいだろ?」


 同意を求めると、エリカは弾けるように破顔して頷いた。


「分かった! 薫君が持ってきた話だし、薫君の判断に従うよ。部長だけど」

「最後の一言……」

「私も亀城君の指示に従うわ。先輩で副部長だけど」

「僕は、あんた達の事がちょっとだけ嫌いだ」


 一抹の不安に駆られる薫だった。

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