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一頁:伝播する狂気

 悠木涼葉が童話研究会の部室を訪れると、恒例となっている光景がある。


「遅くなりました!! 今日は、弓道部の方が長引いて――」


 童話研究会で飼っている三毛猫、にゃん子が部屋に入ってきた涼葉の頭に飛びつき、かじり出すのだ。


「なんでかしら?」

「お前の分身を喰ってたわけだから。味覚えたんじゃねぇか?」


 如月正太郎は、パイプ椅子に座り、部屋の中央にある長机に足を乗せて本を読みながら茶化してくる。

 これも彼のトレードマークである朱色のジャケット同様、見飽きた恒例行事だ。


「そんなに美味しいのかしら……」


 涼葉は、にゃん子を引き剥がして、抱っこしたが腕の中で暴れている。

 正太郎は、端正な顔立ちを意地悪く破顔させた。


「まずいよりは、いいだろ?」

「よくありません!」


 根本的な問題として猫の歯は、鋭くて痛いし、腰まで伸びた自慢の黒髪も痛む。

 すぐにでもやめてほしいが、にゃん子の狩猟本能に輝く瞳が許してくれそうにない。

 おまけに、いつもにゃん子を止めてくれるエリカと薫の姿が見当たらなかった。


「まったく……」

「怒るな、怒るな。じゃあ今日も練習と行くか」

「はい。ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します」


 涼葉は、抱いていたにゃん子を長机の上でおすわりさせ、右手の人差し指を噛み切った。

 机の上に血が一滴零れ落ちると膨張し、手乗りサイズの人型に変化する。

 その姿は、各パーツが三頭身サイズにデフォルメされている以外、涼葉と瓜二つだ。


「いくよ、親指姫サンベリーナ


 涼葉の掛け声と共に、左目の視界が机の上に居る親指姫サンベリーナと共有される。

 机の上のにゃん子は、ターゲットを涼葉から親指姫サンベリーナに変更した。

 にゃん子は、姿勢を低くして尻を左右に振っている。獲物に迫る体制だ。

 涼葉が身構えると同時に、にゃん子の前足が親指姫サンベリーナに迫る。しかし極超音速すら容易に視認するグリムハンズの反射神経の前では、猫の動きも緩慢かんまんだ。

 左に飛び退いた親指姫サンベリーナに対し、にゃん子は、野性を剥き出しに襲撃を続行したが、捉える事は叶わない。


「そこまで」


 正太郎の一声と共に、親指姫サンベリーナは霧散し、涼葉の左目の視界が元に戻った。


「だいぶ使いこなせるようになったじゃねぇか」

「はい。おかげさまで。能力の暴発もなくなりましたし」


 こうして正太郎から指導を受けるうちに分かってきたのは、親指姫サンベリーナには、分身が自動で動くモードと、本体が分身を操作するモードの二つがある事だ。

 にゃん子を相手にしていたのは、自分で分身を操作する練習である。

 とは言え、この練習を続ける意義を涼葉は、見失いつつあった。

 能力の暴発はなくなったし、使いこなせても猫一匹に逃げ惑うしか出来ない矮小わいしょうな力。

 猛獣すら赤子のようにほふるワードに対してあまりに無力だし、親指姫サンベリーナの受けた痛みが涼葉に跳ね返る性質のせいで戦闘には使いようがない。

 覗き見ぐらいにしか使えない変態が喜びそうな能力、というのが涼葉の自己評価だった。


「ただ、この力が何の役に立つのかは分かりませんけれど……先生達のグリムハンズと比べると見劣りしてしまいます」

「そうか? 腕っ節以外の強さってやつもあると思うがな」


 正太郎の気休めに肩をすくめながら涼葉は、パイプ椅子に座ると、鞄から煮干しの入った袋を取り出した。

ねだるにゃん子に一本与えて、涼葉も一本口に放り込んだ。

一人と一匹は、煮干しを味わい、恍惚と頬を染めている。

 一方、涼葉を見る正太郎の眼は、白かった。


「お前、干物好きだよな」

「ええ。昔からこれだけはやめられないんです」

「それが原因じゃねぇか? お前が猫好みの味なの」

「…………」

「…………」

「そ、そういえば、エリカちゃんと亀城君は?」

「話逸らしたな。まぁいいけどよ」


 正太郎は、意地悪く笑んで見せた。


「本屋へ買い出しに行かせてる。本って重いだろ。雑用が増えるとありがてぇや」


 まだ童話研究会に籍を置いていない涼葉だが、もし入会したら自分もこんな風にこき使われるのだろうか?

 一抹の不安が過る涼葉であった。




 ――――――




 ブレザー姿のエリカと薫が、ぎっしりと本の詰まった紙袋、二人合わせて十七つを両手から下げて、書店の小説コーナーの通路を歩いていた。

 エリカと薫は、彩桜市北西の鶴宮区にある県内最大の大型書店『文章館ぶんしょうかん』への買い出しを命じられ、一時間もかけて、ようやく注文の品を買い終わったところである。


「何冊買うのよ。あのバカ教師」

「沙月さん。残念ながらこれでも相当少ない方だよ。あの人、給料出ると本につぎ込むから」


 両手に合わせて十袋を抱えるベテラン雑用の薫は、既に諦めの境地に至っているが、未だ慣れず、また慣れるつもりもないエリカの怒りは、収まらない。


「八十三冊が? 馬鹿じゃないの? ていうか馬鹿ね。馬鹿決定」

「文句言うだけ無駄さ。あの鬼畜教師に、捕まった時点で雑用人生まっしぐらだよ」

「さいっあく……でも嫌いになれない自分が恨めしい!!」

「ま、お釣り出たし、寄り道してこうよ」


 お釣りは好きにしていいという正太郎の台詞が、二人にとって唯一の救いだった。

 もっとも二千円程しか余っていないので、大した贅沢は出来ないのだが、エリカは、いち早く本の重みに疲れた手と足を休めてやりたかった。


「賛成。もう疲れたー」

「二階にカフェがあるから、そこに行く?」

「カフェ? 行く行く! 喉乾いたよー」


 薫の提案で向かったカフェは、三十席の内、半分程が埋まっており、一面ガラス張りの窓の向こうには、鶴宮駅周辺の街並みが広がっていた。

 鶴宮駅の近辺は、それなりの規模の商業施設が並んでいるが、少し視線を遠くへやれば住宅街の景色が見えてくる。

 東京には遠く及ばないベットタウンらしい中途半端な都会。

 大した景観ではないのだが、カフェの黒い大理石調の床や、ガラスで出来た四角いテーブルの彩る内装が手伝って、エリカの目には、とても魅力的に映っていた。


「おしゃれだね」

「気に入った?」

「こういうのすき」

「よかった……桃子も好きでさ、よく連れてきたんだ……桃子ぉぉぉ!!」

「か、薫君。目立ってるから。目立ってるから……とりあえず座ってから泣こ? ね? ね?」


 エリカは、薫をなだめつつ一番出口に近いテーブルに着き、本の入った紙袋を床に置いた。

 紙袋の持ち手が食い込んで白くなった掌を揉み、血行を整えてからメニューに手を伸ばす。

 間もなく、黒いカフェエプロンをした女性がエリカ達のテーブルを訪れた。


「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」


 予算は、一人千円だ。

 日替わりケーキセットを頼みたいところだが、千二百円する。

 薫なら自分の取り分を八百円にしてくれそうだが、さすがに申し訳ない。

 あまり長く悩んでいると、遠慮を嗅ぎ取られてしまいそうだ。

 エリカは、メニューで一番安いアイスコーヒーに目を付けた。


「アイスコーヒーを」

「かしこまりました」

「いいの? ケーキセット……頼むと思ってた」


 薫は、涙声で意外そうに言った。

 まだ一ヶ月弱の付き合いだが、互いの性格や好みは、把握している。

 本音を見透かされているが、甘えてしまうのは、やはり気が引けた。


「今日は、アイスコーヒーをグイッとやりたい気分なの」

「そっか」


 それ以上、薫は追及してこなかった。

 これも彼なりの気遣いであろう。


「じゃあ僕も同じものを。妹を失った悲しみを胸の奥に流し込みたいので」

「か、かしこまりました……ご愁傷様です」


 注文を聞き、店員が厨房へ向かう。

 エリカが店員を目で追っていると、


 シャラン――。


 シャラン――。


 ガラスが擦れる音がする。


 ――何の音だろう?


 エリカが疑問に思っていると窓際の席から、


 カシャン――。


 乾いた音が響いてきた。


「申し訳ありません!」


 床には、砕けたグラスと水が散らばっており、エリカと同年代らしき店員の少女が温厚そうな面立ちをした壮年の男性に頭を下げている。


「お嬢さん大丈夫かい?」

「お怪我は、ありませんか? 本当にすいません!」


 どちらも穏やかな気性なのだろう。

 お互いに気遣いをして、頭を下げている。

 その光景をエリカは、微笑ましく眺めていたが、


「本当に大丈夫……じゃねぇよ!」


 突如、壮年の男性が声を荒げ、テーブルを立ち上がりざま、少女の顎に右の拳を叩き込んだ。

 誰もが想定していなかった異様な状況に、店内は騒然とする。


 ――助けるべきか?


 薫を見ると、彼も同じように思っているのが分かる。

 エリカと薫が席を立つと、


「申し訳……なんで謝らないといけねぇんだよ!! クソじじい!」


 少女が罵声を浴びせながら、左のストレートを男性の顔面に突き刺した。

 女性が繰り出したとは思えない鋭い打撃により、男性は空中で一回転し、背後にあったガラスのカフェテーブルを砕きながら倒れ込んだ。

 そのテーブルに座っていたカップルは、顔を見合わせると、倒れた男性を蹴り飛ばし、間髪入れる間もなく、カップル同士で互いの頬に平手打ちを浴びせ始めた。


「なにすんのよ!」

「てめぇこそ!」


 カップルは、取っ組み合いながら薫の左隣にあるカフェテーブルに突っ込み、テーブルの上にあった水の入ったグラスを砕いて撒き散らした。

 ここのテーブルに座っていたのは、落ち着いた雰囲気の初老の女性であったが、テーブルに置かれたコーヒーカップを手に取り、カップル二人の後頭部に打ち下ろした。

 砕けたカップの破片がカップル両人の後頭部に刺さり、流血が飛び散る。


 老婆は、頬に着いた返り血を蜜でもあるかのように、舌で舐め取った。

 店員も、客も、皆が入り乱れての乱闘。

 暴力が波紋のように広がり、乱闘に参加していないのは、エリカと薫の二人だけになっていた。


 何故殴り合う必要がある?

 しかも彼等の振るう拳には、殺意が乗っていた。

 皆、正気の枷を失い、湧き上がる暴虐の情に身を任せている。

 このままでは怪我人どころか、死者が出かねないし、何より薫が狂わんばかりに涙を流していた。


「沙月さん!! あいつら止めて!! 桃子との思い出が壊れていく!! これ以上思い出を壊すなら僕があいつらをブッ殺す!!」

「分かったから! 薫君、落ち着いて! ちょっと皆やめてください!」


 エリカの一声に、店で暴れていた全員の手が止まり、エリカと薫に視線が注がれた。


 ――止まった?


 理性を失っていたにしては、素直な反応だ。

 それが却って不気味で、エリカの不安を煽ってくる。


「グリムハンズ……」


 店のどこからともなく聞こえた女の声に、エリカと薫は、凍り付いた。

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