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二頁:エリカの願い

 正太郎が部室を訪れると、早速エリカは、これまでの経緯を話した。


「人に憑りつくワード? 憑依型って言ってあるにはあるぞ。珍しいけどな」


 エリカは、会心の推理が当たった歓喜に身震いしたが、正太郎は訝しげに眉をひそめた。


「ただ、そんなに影響がでかくなってるなら……グリムハンズなら憑依してるワードの姿を確認出来るぞ。お前等、ワードの姿は見なかったんだろ? 気配を感じたりとか?」

「なかった、かも。薫君は?」

「僕もこれと言って……最近モモの……妹の姿ならよく見かけるけど……寝てる時、枕の横とか。ベッドの上に重みを感じたりとか。トイレ入ってる時、視線を感じたり……」

「……薫君、それワードとかじゃなくて、桃子ちゃんの幽霊じゃない?」

「やっぱそうかな? でもいっか……桃子とずっと一緒に居られるなら!」


 涙を流しながら頷く薫を見て、正太郎は咳払いを一つした。


「とりあえず、その話はまた後で聞くとして……悠木涼葉の件は、憑依型の可能性は薄いな」


 とすると、涼葉の不調は、原因不明の病?

 ワードという存在を知ってしまったが故に出て来た誇大妄想?


 エリカには、淡い期待があった。

 涼葉の痛みの原因がワードなら、退治して救えるかもしれない。

 この一件にワードが関係していないのなら、一体誰が涼葉を救ってやれるのだろう?


「先生、何か思い当たる事ない?」


 だから諦められなかった。

 自分が助ける力を持っている、ワードであってほしかった。


「憑依型じゃねぇなら、遠隔的に影響を与えるワードの可能性もある」

「例えばどんなの!?」


 不謹慎だとは思いつつも、ワードの仕業という可能性が潰えていない事が喜ばしくて、エリカが嬉々として尋ねる。

 正太郎は、後頭部を右の掌でさすりながら天井を仰ぎ見た。


「魔性をモチーフにしたワードだな。魔女とか魔法使いとかそういうの。他にも色々とあるけどな……」


 そして、しばしの沈黙の後、


緊箍児きんこじが似てるか?」

「きんこじ?」


 聞き覚えのない単語に、エリカの頭に疑問符が浮かんだ。


「なにそれ?」


 薫も同様らしくエリカに同調してくる。

 そんな二人に正太郎は、憐憫れんびんの眼差しを向けた。


「お前等、知らないのか? 孫悟空が頭に着けてる輪っかだよ」


 ――輪っか?


「輪っかなんかつけてたっけ?」

「僕も知らない」

「は? つけてんだろ」


 孫悟空が頭に輪っかを付けている。

 エリカの記憶に、そんな場面は思い浮かばなかった。


「つけてないよ。ねー薫君?」

「いや、もしかして……悟空が死んだ時かな?」

「ああ! あれ、きんこじっていうの。天使の輪っかかと思ってた!!」


 エリカと薫の疑問が晴れ、き物が落ちたみたいに晴れやかであったが、対する正太郎の表情は、一層憐あわれみの念を強めている。


「お前らさ。俺が言ってる孫悟空は、手からビーム撃ったり、金髪に変身する漫画の方じゃねぇからな」

「え?」

「え?」

「宇宙人じゃねぇからな。猿の方だからな。中国のさ。西遊記のさ。三蔵法師の」

「え?」

「え?」


 ピンと来ていない様子のエリカと薫に、正太郎の嘆息は大きくなるばかりであった。


「そっか。現代っ子は、孫悟空であれを連想するか。こりゃその内、日本で発生する孫悟空関連のワードは、漫画の方に変わるな。もういいわ。俺が悪かった。現代っ子の常識舐めてたわ。とりあえずあれだ。漫画以外も読もうな」

「私だって西遊記ぐらい知ってる」

「嘘つけ!」

「本当だって。ねぇ薫くーん」

「じゃあ沙月さん。悟空と三蔵法師以外の登場人物は?」

「……そういうそっちは知ってるの?」

「え……し、知ってるけど」

「じゃあ教えて」

「僕が言ったらパクる気だろ!」

「私は部長だよ。そんな卑怯な真似はしない」

「お前等、無駄な心理戦してんじゃねぇ……」

「だから私は知ってるってば!! 薫君だけ! 知らないのは!」

「僕は知ってるよ! 沙月さんだ! ウソつきは!!」

「どっちも知らねぇだろうが! お前等のあの顔は、本当に知らない時の顔だ!! 教師舐めんなよ!!」

「で、きんこじってなに?」


 エリカが聞くと、正太郎は、舌を打ちながらも饒舌じょうぜつに語り始めた。


「西遊記の孫悟空は、頭に金色の輪っかを付けられてる。これは暴れ者の孫悟空の行動を戒めるためのもんだ。三蔵法師が呪文を唱えると、緊箍児きんこじが締め付けられて苦痛を与えるって仕掛けさ」

「猿だもんね。何かしらで制御しないと言う事聞かないか」

「おいエリカ、馬鹿にするなよ。今じゃ猿って外見的特徴が先行して、ただの暴れん坊みたいに思われてるが、実際の孫悟空は、作中でもトップクラスの仙人だからな。超天才だからな。めっちゃ頭いいからな」

「……猿なのに?」

「頼むから本を読め、若人わこうどよ……」


 これ以上茶化すと、正太郎は、本気で怒りそうだ。

 普段、万事において飄々(ひょうひょう)としているが、文学に対してのみ正太郎は、固執こしつする。

 現代文の教師である仕事柄やグリムハンズという理由だけでなく、純粋に文学を愛しているのだろう。

 だから悪ふざけもここまで。

 脱線した話題を戻すべく、エリカは、わざと固い声を作って言った。


「で、どんなワードだったの?」

「半径五キロ以内の特定の犯罪者に対して激しい頭痛を引き起こす。そして存在が顕現に近付いていく毎に強力になり、しまいには念力で人間の頭を潰すようになった」

「こわ!」

「ただし、そうなったのは思慮の浅いグリムハンズが顕現させずに無理に討伐したせいだ。そのせいで本来緊箍児という言葉の持っていた意味が歪められ、惨劇が起きたんだ」


 この間の『お爺さんとお婆さん』の一件を咎められていると思ったのだろう。薫のテンションが急速にしおれていった。


「ごめん。先生」


 薫の落ち込みようは、正太郎にも予想外だったらしく、焦燥を露わに、しかし穏やかな声音を紡いだ。


「亀城。同じ失敗をしないならそれでいい。ていうか俺も偉そうに言える立場じゃねぇからな。あの一件は……もっと、気遣うべきだった……すまなかった」


 ここは、エリカも話題の路線変更に協力すべきだ。

 類似した事件があったなら、涼葉の件もワードが引き起こしていると仮定出来る。

 エリカは、足元にすり寄ってきたにゃん子を抱き上げると、右前足を軽くつまんで掲げた。


「とにかく今回の原因を突き止めないと。おー」

「もしワードだったら、僕の能力で偵察はするよ」

「ワードと決まったわけじゃねぇが――」


 正太郎は、釘を刺しつつも、


「可能性は、あるからな。悠木涼葉に詳しい話を聞いてみよう」

「えいえい、おー」


 エリカの鼓舞に、微笑みながら頷いた。




 ――――――




 彩桜さいおう市立病院を照らす夕日は、いつよりも紅が強く、炎の色を彷彿とさせる。

 夕焼けは、いつもエリカの心をざわつかせた。

 太陽が居なくなってしまうと、自分の孤独を一層感じさせられるから。

 真実を知る前の、あの頃を思い出してしまう。


 理由も分からず、苦痛と向き合う理不尽さはよく知っている。

 だからこそ悠木涼葉の件が手を伸ばせる範疇はんちゅうであってほしい。

 ワードが起こしている事象なら、自分グリムハンズが救えるはずだから。

 三〇二号室の個室に涼葉は入院しており、想定していなかったであろう三人の来客に驚きを隠さなかった。


「こんにちは先輩」


 エリカが会釈すると、涼葉は、戸惑いがちに上体を起こして会釈を返してくれる。


「こんにちは……あなたは?」

「一年の沙月エリカと亀城薫です。この人は」


 エリカが正太郎を指差すと、涼葉は、正太郎にお辞儀をしながら微笑み掛けた。


「如月先生の事は、存じております。ご迷惑をおかけしてすいません」

「気にするな。それでな悠木。突然だけど、この症状について話を聞かせてくれないか?」

「症状……ですか?」


 戸惑う涼葉だったが、正太郎は、お構いなしにベッドの傍らに腰かけた。


「ああ。ひょっとしたら役に立てるかもしれない。親父は、漢方医でね。西洋医学で分からん事も案外東洋医学なら何とかなるかもと思ってな」

「漢方ですか?」

「あれもれっきとした薬だ。西洋医学が主流の現在じゃインチキ扱いされる事もあるが、ちゃんと効果あるんだぜ」


 さすがに、いきなりグリムハンズとワードの話をしたら、変人扱いされるのが関の山。

 西洋医学でダメなら東洋医学という理由付けは、自然だ。

 事実、正太郎の言葉を聞いた涼葉に、疑惑や不信の情は浮かんでいない。


「そうですね。変な話ではあるんですけど……聞いていただけますか?」

「ああ。もちろん」


 正太郎が相槌を打つと、涼葉が語り始めた。




 ――――――




 事の始まりは、一週間前。

 涼葉が彩桜高校にある弓道場で一人練習をしていた時、突如視界が真っ黒に塗り潰された。

 時刻は、午後六時だが、まだ日は沈み始めたばかりで、少々薄暗い程度。

 なのに突然、悠木涼葉の世界は、闇に支配されてしまった。


 目の辺りに何かが張り付いたのかと思って、顔に触れてみるが何もなく、まぶたを開いたり、閉じたりしても暗闇が変わる事はない。

 まさか失明でもしてしまったのか?

 計り知れぬ不安が伸し掛かり、涼葉の精神は乱れていく。


「だ、誰か!!」


 誰でもいいから、声が届いて欲しい。

 喉を潰しかねない悲鳴を上げるも、誰も駆けつけてくれなかった。

 電話をかけようにも、道着姿でスマホは、通学鞄の中にある。

 何も見えないまま、更衣室までたどり着くのは不可能だ。


「お願い!」


 下手に動いても怪我をしてしまうかもしれない。

 涼葉は、その場から動けずに、声を上げ続けるしかなかった。


「目が見えないの!!」


 そう言った瞬間、背後に気配を感じる。

 咄嗟に振り返ると、漆黒に染まった視界が薄ぼんやりとした光を受け止めた。


 ――治ったの?


 まだ視界は、滲んでおり、はっきりとは見えない。

 見開いた眼で懸命に光を集めると、今度は視界が灰色の毛に覆い尽くされた。

 その瞬間、異臭が鼻を突く。

 ほこりとカビと獣の匂い。

 弓道場の心地良い木の香りを涼葉の嗅覚は、感じ取れなくなっていた。

 困惑のまま、視界いっぱいにある毛を振り払おうとする。

 だがいくら手を動かしても、毛をはらえない。それどころか動かしているはずの手がまったく見えない。


「なんで?」


 目を手で覆ってみようとしても、視界のどこにも手は映らず、光を遮る事が出来ない。

 瞼を閉じる感覚はあるのに閉じられず、掌で覆う事も叶わず、同じ灰色の毛が見え続けている。

 次々に五感が奪われる恐怖に足がすくみ、動けないでいると、視界を覆っていた毛がのそのそと動き出した。


 ――生き物?


 よく見ると毛の正体は、ネズミである。

 しかし身の丈は、一七〇センチ超の涼葉が見上げる程に巨大で、ヒグマぐらいあるだろうか。


「なにこれ……うそ、どうしよう!?」


 眼前の怪異にたまらず悲鳴を上げたが、涼葉には自分の声が聞こえなかった。

 まさか、耳までどうにかしてしまったのだろうか?

 だがその状況あっても涼葉は、冷静さを完全に手放す事なしなかった。

 奇怪な状況だが、畏怖し、戸惑っている場合ではない。

 一刻も早く逃げ出さなければ。 


 けれど振り返っても、視界からネズミが消える事はない。視界が固定されていて、どこを向いても同じ景色しか映らないのだ。

 逃げ出そうと走り出すが、足がもつれて顔から倒れた。

 頬に痛みと共に、木の床の冷たさを感じるが、次第にどちらも失われていく。

 痛みが引いたのでも、体温で床が温まったのでもない。

 触覚と痛覚を失ってしまったのだ。


 涼葉は、這うようにして道場から出ようともがいた。

 けれど視覚は、ネズミを映し、嗅覚は、ほこりとカビとネズミの匂いしか感じない。

 触覚も痛覚もないから、自分が床を這っているのか、動けているのかすら理解出来ない。


 涼葉の瞳が巨大なネズミを見つめ続けていると、鼻をひくつかせながら牙を剥き、襲い掛かってきた。

 咄嗟に後方へ飛び退こうとした涼葉だったが、ネズミは、身じろぐ暇も与えず涼葉を捕え、ネズミが顔を近づけて来た瞬間、腹部を抉るような痛みが走った。


 ネズミの前歯が腹の柔らかな皮をかじって引っ張っている。

 ちゅくちゅくと小刻みに口を動かし、皮膚を口内に運んでいった。

 ピチピチと肉の弾ける音が上がり、血をすする水音が反響して涼葉の鼓膜に届いてくる。

 未だかつて経験した事のない激痛は、容易に涼葉の意識を刈り取った。




 ――私は、ここで死んでしまうのね。




 涼葉が目を覚ました時、見えた白い天井を天国の景色だと錯覚した。

 だが実際には、病院のベッドの上だった。

 視覚は、正常に戻っており、嗅覚も病院特有の消毒液の匂いを感じる。


「あーあー……喋れる」


 自分の声が聞こえるのだから聴覚も正常だ。

 頬をつねってみると痛みが走る。触覚と痛覚も元に戻っていた。


「助かったのね……」


 ひとまず安堵して、涼葉は、ネズミに食い散らかされた自分の腹に触れる。

 きっと一生ものの傷だらけであろう。直視したくない恐怖より、今の自分の状態を知りたい意欲が勝り、パジャマを脱いで傷口を確認してしようとしたが、


「うそ……」


 ネズミに食い散らかされたはずの腹部は、無傷であった。


 ――夢だったの?


 自分に問いながらも、夢では有り得ないと認識する。

 あの痛みも恐怖も、全ては紛う事なき、現実であった。

 どれほど現実離れした経験でも、夢ではありえないはず。

 しかし現象を体感した証拠は、涼葉の身体には残されていない。

 そして悪夢は終わる事なく、以来涼葉は、発作のように五感の異常と激痛に襲われるようになった。




 ――――――




 涼葉の話を聞き終えた正太郎は、しばし腕を組んでいた。

 紡ぐ言葉を選んでいるようである。


「悠木。今日の発作の時も、ネズミが見えたのか?」

「いえ、ネズミは……でも見た物はあります」

「なんだ?」

「今日は、猫でした。巨大な三毛猫が見えて……そして襲われて……」


 涼葉の証言を聞いた正太郎は、こくこくと頷きながら思案にふけり出した。


「あの……何か分かりましたか?」


 涼葉の気遣きづかわしい声が、正太郎を思考の海から引き上げる。

 正太郎は愛想よく破顔し、涼葉の肩を手で軽く叩いた。


「親父に聞いてみるよ。大丈夫。必ずなんとかする」

「お願いします」

「俺のスマホの番号だ。何かあればここに」


 正太郎は、朱色のジャケットの右ポケットから千切れたメモ用紙を涼葉に手渡した。


「はい」


 メモを眺める涼葉の表情に、僅かばかりだが安堵の色が浮かんでいる。

 正太郎に来てもらってよかった。

 誰よりも強くそう思ったのは、一歩離れて、その光景を眺めているエリカだった。

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