ゴブリンと少女
タケルは地を這う太い樹根に躓かないようにしつつ、悲鳴が聞こえた方角に急いだ。
「誰か、助けてー」
悲鳴が森の静けさを再び破った。
早く行かないと危険だ。
太刀の鞘を握る力が強まった。
数十メートル先に松明のようなものが見えた。得体の知れない何かが複数動いているようだ。
炎の灯りを手にしているのは、小柄で緑色の皮膚を持ち、とんがった耳と鼻が認められた。
異世界ものに出てくる小鬼、つまりゴブリンそのものだ。
タケルは自分が別世界に転移したことをここではっきりと悟った。言わば、日本での「日常」は終わったのである。
見たところゴブリンは4体いて、1体が松明を掲げ、残りの3体が網で包まれた動くものを頭の上に掲げ、今にも持ち運ぼうとしているらしかった。
網に包まれているのが悲鳴をあげた女性なのだろう。
タケルはゴブリンの異形な姿に恐怖を覚えていた。
しかし、幼少から剣道と剣術を修得してきたタケルは、女性を助けなければ男が廃るという丈夫ぶりは恐怖以上に持ち合わせていたのである。
タケルは、ゴブリンたちが向かおうとする前方まで走りそこで立ち止まった。
「その人を離せ!」
ゴブリンたちに通じるはずもないが、ただ正直な思いを載せて、言葉を放ったのであった。
ギュルル ギュルル
松明を掲げるゴブリンが歯をむき出しにしてタケルを睨む。
するとその後ろからもう1体のゴブリンが飛び出してきた、手には斧のようなものを持って。
タケルは振り回す斧の一撃を避けて後ずさりする。
ギュルル ギュルル
先程攻撃してきたゴブリンに加え計4体のゴブリンが歯をむき出しにしてタケルを威嚇する。
松明を持たない残りの2体もまた石斧のようなものを手にしていた。
網に捕らわれた女性らしき存在は地面に下ろし置かれ、もにょもにょと動いている。
戦わなければならないのか、やはり…。
タケルは鞘から長い太刀を抜き、鞘をそのまま側の木の根元に素早く置いた。
刀刃の眩い光が松明の炎だけの空間に現れる。
タケルには、太刀の重さが急に軽くなったような気がした。
刃をひっくり返し峰打ちの形で両手で中段の構えをとった。手のひらにしっくりくる革が巻かれた柄。
グガー、グガー
ゴブリンたちは気持ちが高ぶったように叫び声をあげて3体同時にタケルに襲いかかる。
タケルは剣道で鍛えられた足さばきで、ゴブリンとの間合いを詰め、斧を握るそれぞれの手首に小手を見舞った。
ドサッという音を立てて続けて落ちる3つの石斧。
すぐに3体ともに己の武器を拾うことなく、タケルに噛み付くかのごとく突進してきたが、肩や腕に峰打ちを喰らわせたのであった。
残る1体のゴブリンは松明を振り回して、タケルに迫るも、刀身の斬れぬ側を胴に打ち込まれ、地に倒れた。
ゴブリンに対して峰打ちだったのは甘過ぎるかもしれない。相手はタケルを殺そうとしていたのだから。
しかし、タケルは殺生は好まない質だった。
生きとし生けるもの、命は平等だ。
この世界でのゴブリンはどんな存在かは分からないが、彼らも何らかの存在理由があって命を受けているのだ。
できるなら切り捨てることは避けたい。
そんな気持ちを持っていた。
タケルがゴブリンに近づいて再び刀を構え、気合を込めると4体ともに臆して逃げていったのである。
タケルは地に倒れたままいまだ燃えている松明を土に挿し直して灯りとし、網に覆われて転がっている人のもとへ歩む。
「大丈夫ですか?」
「うー、うー」
呻き声しか返ってこない。
タケルはかの人に絡まっている丈夫そうな網を素早く太刀で切ち割いた。
すると手首、足首が蔓状のもので縛られ、口枷のようなものを嵌められた、少女の姿をはっきりと認めた。
「大変でしたね」
そう言って、タケルが太刀先で拘束の道具を裁つと、その少女はタケルに背中を向けて地に膝をついたまま涙を滂沱として流した。
「うっ、うっ、うぅ」
ゴブリン殺しを主人公にした有名なライトノベル作品では、ゴブリンたちが女性を攫って凌辱する場面が出てくる。
その設定が正しいとすると、少女は捕らえられている最中、気が気でなかっただろう。
肩を震わせて泣く少女の姿はひどく可憐に見えた。タケルは少し離れて彼女を見守った。
「もう大丈夫、ゴブリンは追い払いましたよ」
あの緑の肌の化け物をこの世界でなんと呼んでるかも知らないし、話す言葉が通じてるかも分からない。
しかし、無言よりはマシだろう。
少女はひとしきり泣くとようやく立ち上がって、振り向き、面差しをタケルに向けた。
松明の揺らめく炎が彼女を照らす。
現代日本の基準ならば、さしずめ16、17歳ぐらいであろうか。
スラリとした四肢、金色の髪に赤いリボンのツインテール、褐色の肌に紫色の瞳、目鼻立ちも唇も実に麗しい。
「助けていただいて、ありがとうございました」
頬の涙を手で拭いながら、微笑む美しき手弱女。
タケルの胸奥が射抜かれた瞬間でもあった。




