第7話 核兵器について
本文でも書いていますが。
本当は触れたくないのです。
ですが、本編で、ある意味、投げっぱなしになったので、補遺も兼ねて書くことにしました。
本音を言うと、色々と悩ましい話題ですし、地雷を思い切り踏み抜きかねないので、できたら核兵器については触れたくないな、というのが今の正直な私の心境です。
しかし、「サムライー日本海兵隊史」(本編)で、第二次世界大戦時における日本、連合国側の核兵器開発について描写してしまい、更に本編がこの点については、ある意味、投げっぱなしの終わりになっています。
そうしたことからすれば、一部の読者から、この世界の核兵器開発はどうなったのか、更にその後は、どのようになったのだ、と思われていることは、半ば必然の気がします。
そういったこともあり、勇をできる限り揮って、書いていきます。
本編において、オッペンハイマー等、共産主義者系の科学者を排除した代わりに、仁科芳雄や、史実と異なり生き延びたモーズリーらが加わることで、史実通りの進捗状況に、この世界の核兵器開発が1943年時点にあったことは暗示されています。
では、史実通りに1945年に核兵器は開発されているのでしょうか?
私としては、五分五分、いやもう少し分が悪い、と踏んでいます。
何しろ、「サムライー日本海兵隊史」世界では、1943年に第二次世界大戦が終結しています。
そして、第二次世界大戦が終結すれば、この世界で核兵器を共同開発している米日英仏は、史実通りには核兵器開発に予算を投じないでしょう。
そのことから考えると、核兵器開発が遅延する事態が生じる公算は大です。
だからといって。
例えば、21世紀になっても、核兵器が開発されていない、というのは幾ら何でも考えにくいです。
それに、核兵器開発に投入した資金の見返りを、当然、米日英仏各国は求めるでしょうし。
私としては、遅くとも1940年代末までには、核兵器開発完了という事態が生じていると考えます。
しかし、私の考える問題は、更にその後です。
1940年代末(までに)、核兵器の開発を完了し、核兵器を保有することが可能になった米日英仏各国は、どのような態度を世界に執ることになるでしょうか?
もっとも楽観的なシナリオは、核兵器の脅威から、米日英仏は連携して、史実の化学兵器等と同様に全面的に保有を放棄し、世界中から核兵器は消滅するというものです。
しかし、いわゆる「ならず者国家」が成立し、核兵器の開発、保有に奔るリスクを考えるならば、米日英仏が核兵器保有というオプションを放棄するというのは考えにくい話だ、と私には思われます。
私としては、もっともあり得そうだ、と考えているのは、史実の核拡散防止条約と類似の状態で、米日英仏の4か国が核兵器の保有を国際的に認められているという状態です。
このような状態になっていたら、2010年代現在の日本は数十発の核弾頭を公然と保有するでしょう。
しかし、史実と大きく異なるのは。
「サムライー日本海兵隊史」世界では、史実と比較した場合、ICBM,SLBMの開発はともかく、保有数が極めて少数になるということです。
米ソ冷戦という史実が無く、核保有国の米日英仏が友好関係に21世紀まであり続ける以上、膨大な費用の掛かるICBM,SLBMの開発までならともかく、その量産に米日英仏が血道を上げる必要は極めて低いと考えられます。
それに、核弾頭のみしか搭載できないICBM,SLBMは多用途性に欠け、コストパフォーマンスが良いモノとは言い難いものです。
それらも考え合わせるならば、ICBM,SLBMの大量保有を、米日英仏はしない公算大です。
史実のトマホークのような通常兵器も核兵器も搭載可能なミサイルや航空機搭載型の戦術核を、米日英仏がそれなりに保有している世界の気がするのですが。
いかがでしょうか。
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