2 旧友からの依頼
「んーっと、酒場通りと大通りの探し物と、ハザーのとこの届け物は完了で……んむ、あと何かあったっけなー」
団地の階段をゆったりとした足取りで昇りながら、一は小首を傾げる。その合間に、行儀悪くパンをかじりながら。
時刻は正午。今日も今日とて、ここ最近の主な収入源になっている探し物を中心とした依頼を終えた一は、休憩と報告と昼食を兼ねて、事務所として使っている団地へと戻ってきたところだった。
三階の角部屋へ――事務所として使い勝手が良いのか悪いのか、中途半端な位置になるその部屋へ向かってのんびりと向かう。歩みが遅いのは、考え事をしているというのもあるが、主にパンをかじっているせいだった。
そして、いつものようにドアを開けようとしたところで、一は手を止めた。
「んむぅ?」
パンを頬張っているためか、くぐもった声が漏れる。
ドアのすぐ横にある郵便受けに、珍しく手紙が入っていたためだ。口の中いっぱいに入っているパンを飲み込みながら、一はその手紙を取りだした。
「ただいまー」
口の中を空っぽにしてからドアを開けると、すぐに明るい声が返ってきた。
「いっちゃん、おかえりなさーいっ」
真っ先に声を聞きつけ、いつもどおりに秋霖が奥から顔を出す。しかし、明るい笑顔を浮かべていた彼女は、一が手にしているかじりかけのパンを見た瞬間に表情を変えた。
「あーっ! いっちゃん、なんでミルクフランス、一人で食べてるの!?」
叫ぶが早いか、玄関まで駆けてきた秋霖はそのパンを奪い取った。
「もう半分も食べてるー!」
「おう。残り食べるか?」
「そういうことじゃなぁーいっ!」
一の方は、秋霖が何に対して怒っているのか理解していないようだった。
いつものように気の抜けた笑みを浮かべた彼を、秋霖はキッと睨み付ける。
「一人で先に食べてるのがズルいって言ってるの!」
「だって腹減ったし」
「あたしだってお腹空いてるのに!」
子供のような理由で起こる秋霖に、一はのほほんとした動作で首を傾げた。
「フレンチトーストと、トマトのピッツァも買ってきたぞ?」
「んむぅ。許す」
お気に入りの商品の名を上げられ、秋霖はあっさりと頷いた。
「……で、玄関口で何してるんだ、二人して」
秋霖に続いて奥から顔を出していた利津だが、言い争いに加わる気にはなれず、しばらく静観していた。ようやく二人の、というよりは秋霖の一方的な言い合いが終わった為に声をかけたのだが、その顔には呆れの二文字がはっきりと刻まれていた。
「だって利津、いっちゃんってば一人で先に食べてるんだよ! ひどくない!?」
「いや、別に……」
同意を求められても困ると思いつつ、怒りも買いたくなかった利津は目線を逸らした。
「一、それは?」
だが、そうして視線を逸らした先で、利津は一が手にしている物に気付いた。
「いっちゃん、何? 手紙?」
ようやく秋霖も気付いたようで、一が持っている手紙をひょいっと覗き込む。それまでは、パンにしか目が行っていなかったようだ。
「うん、ポストに入ってたぞ。ミストからだ」
「え! ほんと!?」
秋霖の顔がぱぁっと笑顔になる。その分かりやすい変化に苦笑しながらも、利津は聞き覚えのない名前に首を傾げる。
「俺とアキの同級生だよ。ところで、アキ、利津」
利津の疑問に気付いたらしい一が付け足した後、ふいに真面目な顔になる。その変化につられ、利津と秋霖は黙って彼を見つめてしまった。
「腹、減った」
さらなる沈黙が、場を支配した。
「そんなのさっきからじゃん!」
「ああ、うん。お茶の準備するから、昼飯にするか……」
沸騰したやかんの如く激昂した秋霖と、何故怒られているのか分かっていないらしい一に背を向けて、呆れ顔の利津は台所へと踵を返した。
利津の淹れた紅茶を飲みつつ、昼食用のパンを食べ始めると、秋霖の機嫌もある程度は回復したようだった。
「あ、そうだ、利津。さっきまとめてもらった資料、後で夜来に送っておいていい?」
「ああ、いいけど……確認は?」
「途中経過は見たし、大丈夫。方向性はあってるから、そのまま転送でいいよ」
ふいに真面目な話を投げかけられ、利津は少し戸惑ったようだった。パンをちぎろうとしていた手を止めてしまった彼に、秋霖はあっさりと頷く。
「あ、そっちも依頼が片付きそうなのか」
パンを頬張りながらも一が器用に尋ねると、秋霖はにこりと笑った。
「まぁ、夜来が利津用にって用意してくれた資料作成の仕事だしね」
なじみの情報屋の名を上げて悪気なく笑う秋霖を、利津は胡乱な目で見つめる。
一が外での依頼を片づけていた午前中、利津は秋霖から教わりながら別の依頼に取り組んでいた。先ほども秋霖が述べたとおり、利津の事情もよく知っているなじみの情報屋が取っておいてくれた仕事だった。
とはいえ、情報屋側が用意した依頼ではなく、法律関係に詳しい利津に向いているだろうとお勧めされた依頼というだけだが。
「まぁでも、利津にもなんでも屋の基本は分かってきたと思うんだけど」
「基本?」
怪訝そうな視線を向けてくる利津に、秋霖はしたり顔で頷いた。
「情報屋から依頼をもらって、ついでに情報ももらって、依頼をこなしてくってこと」
「ああ、そういう……」
利津も納得して頷く。
利津がなんでも屋で仕事をするようになってひと月ほどになるが、直接依頼が持ち込まれることは確かに少なかった。あったとしても、一がよく受けている探し物の依頼が主だ。他の依頼はこちらから情報屋へと足を運び、対価を支払って依頼と情報を得るという形式になっていた。『TWINKLE』にはなじみの情報屋がいる為、向いているような依頼はあちらから連絡をくれることもあるが、どちらにしても対価は発生する。
「まぁ、俺らはまだ駆け出しだからなぁ」
ベーグルサンドをかじりながら、一がへらりと笑う。
「うちらは地域密着型のなんでも屋だから、商店街の皆さんとかから依頼が来ることもあるけど、用はバイト募集みたいなもんだしねぇ」
「たまに商品券で来るしな、報酬」
「はは……」
どうにも世知辛い内部事情に、利津は渇いた笑いをもらした。
「まぁ、なんでも屋なんて正直なところ信用しにくい職業だし、名前が知られてなかったらなおさらだしね。そういう意味じゃ、利津もよく来たよね」
「……放っておいてください」
ひと月前の自分について言及され、利津は目線を逸らした。どうも、彼の中ではいまだ整理のついていない事柄らしい。
「ということで、そんなよく来るよねーな人物が、こちらの手紙」
けれど、秋霖がにこやかに手紙を掲げた事に気付き、利津は呆気にとられたように視線を戻した。
「じゃあ、その手紙って」
「うん、うちらのお得意様ってとこかな」
のほほんと笑いながらお茶をすする一の横で、秋霖が手紙の封を切る。
「あたしやいっちゃんの同級生……つまり、利津も同い年になるかな。ミスト=ローネっていう子からの依頼だね」
「同級生?」
そういえば、先ほど一もそんなことを言っていたと思いつつ、利津が首を傾げる。同級生からの手紙だというのであれば、依頼だとは限らないのではないかと思ったからだ。
「そ。ここの事務所宛で送ってくるってことは、間違いなく依頼だね。私信だったら家の方に送ってくるから」
疑問が顔に出てしまっていたのだろう、察した秋霖が付け加える。そうして話しながらも、彼女の目は手紙の内容を追っていた。
「アキ、なんだって?」
自分では手紙を読もうとせず、一は秋霖へと問いかける。
「いつもと同じ。今回は東部の……クードかぁ、結構近いね」
「前んときは西部だったもんなぁ」
頷きあう二人に、利津は思案するように顎へ手を当て首を傾げた。
「えぇと、つまり……?」
話が見えずに尋ねると、一はのほほんと、秋霖は悪戯っぽく笑った。
「発掘調査」
「……え?」
重なる二つの声に次いで、間抜けな呟きが空気を揺らした。