1 でこぼこトリオの日常
強い風が吹いて、少年は頬に掛かったこげ茶色の髪を手で払った。手入れなどほとんどしたことのない髪が、風にあおられてさらに乱れる。伸びてきた襟足はそろそろうっとうしくなってきているが、まぁいいか、と少年はあまり気にしていなかった。格好も、ベージュ色のベストにカーキ色のズボンと、いたってラフな格好をしている。
十代半ばほどと思われるその少年は、時折周囲を見回しては足を止め、しばらくしてはまた歩き出すという動作を繰り返していた。一見すると迷子になっているかのようだが、それでいて足取りは確固としたものだ。場所によっては不審者とみなされそうだが、周囲は閑散としており、少年以外の人影は見当たらなかった。
少年がいるのは、商店街の裏手に位置する、飲み屋の集まる一角だった。夜はにぎわうこの場所も、平日の正午前ということもあってか、人通りはほとんどなかった。
転がっている空きビンを軽やかに跳び越え、さらに数歩ほど足を進めたところで、少年は再び立ち止まった。
「見つけた」
明るい声で呟いて、少年は何かに呼ばれるようにして歩き出す。そして、隣接する居酒屋の間にある路地へと入ると、すぐに屈みこんだ。
「おー、あった。これだな」
少年が拾い上げたのは、銀に輝く指輪だった。指先でまとわりついた砂埃を祓うと、再度確認して頷く。髪よりも明るい色合いをした褐色の瞳が、笑みの形に和んだ。
「おっちゃーん、あったぞー」
少年は立ち上がると同時に、そう叫びながら元来た道へと駆けだす。
「おお!? 見つかったか、坊主!」
声を聞きつけて、壮年の男性が近くの路地から顔を出した。
「おう。ほら、これだろ?」
少年が指輪を見せると、男性の顔が安堵に緩んだ。
「これだ、これ! いやー、悪いな、助かった。カミさんに見つかったら、どやされるところだった」
ただでさえ呑んだくれて帰ったから不機嫌なのに、と男は苦笑する。
「おっと、悪いな。ほら、依頼料だ」
「おう、まいどありー」
少年は袋に入った依頼料を受け取ると、そのままズボンのポケットへとねじ込む。その様子に男は苦笑した。
「いいのか、確認しなくて」
「だって、おっちゃんお得意さんだし」
「……それじゃあ、俺がいつも物を落としてるみたいじゃねぇか」
憮然とした表情になる男に、少年は小首を傾げた。
「そういや、おっちゃんからの依頼は落し物さがしばっかりだな。そして大抵、この辺だし」
「おいこら」
心外だとばかりに眉根を寄せる男に、少年は明るい笑顔を見せた。
「毎度ありー。またのご利用をお待ちしています」
「この野郎」
男も表情を緩めると、少年の頭をぐりぐりと拳でなじる。だが、少年は大して気にした風もなかった。
「しっかし、お前も本当、見つけるの得意だよな。いっそ、それを職業にした方がどうだ」
「そりゃ無理だよ。俺、室内の失せ物探しは苦手だし」
「あん? そういや、そうだったか」
「うん」
少年は満面の笑みを浮かべて頷く。
「それに、俺は“なんでも屋”なんだ」
胸を張って告げる少年に、男も笑い返した。
「へいへい。それじゃ、俺はそろそろ仕事に戻るな」
手を挙げた男に、少年も同じように片手を挙げて返した。そうして、緊張感のない笑みを浮かべる。
「おう。なんでも屋『TWINKLE』をどうぞご贔屓にー」
背を向けた男へと、少年はやはり緊張感のない声で告げる。
少年の名は一=乙。十六歳の彼が、ここリバートの街でなんでも屋を『TWINKLE』を立ち上げてから、ようやくひと月が経とうとしていた。
呑み屋街から商店街へと戻った一は、大通りの交差する角にあるパン屋の前で足を止めた。時刻は間もなく正午。空腹に気が付いたためというのもあったが、よく知っている人物を店の中に見つけたからだ。
ちょうど買い物を終えたらしいその人物は、パンが大量に入った紙袋を両手で抱え、満足そうな表情で外へ出てきた。
さまざまな人種が集うこの国でも珍しい、明るいオレンジの髪を持つ少女だ。ポニーテールにまとめてあるが、サイドの一部は肩へと垂らし、赤い髪留めをつけている。薄緑のカーディガンに褐色の七分丈のパンツと、動きやすい服装をしていた。年の頃は一と同じくらいで、まだ学生のようにも見えた。
「アキ」
一が声をかけると、少女もすぐに気付いたようだった。髪と同色であるオレンジの瞳が向けられ、ぱっと笑顔が浮かぶ。
「いっちゃん! 失せ物探し、無事に終わったの?」
「おう。ちゃんと見つけて来たぞ」
一が片手を挙げて笑うと、よし、と少女は頷いた。
「さっすが、いっちゃん。人間ダウジングだよね」
「おう、そうか?」
まったくもって褒めているようには聴こえない少女の言葉にも、一は気にした風もなく笑っただけだった。
「それで、アキの方はどうだ?」
「とりあえず、夜来イエライから紹介してもらった依頼は終わったよ。それで、お昼ごはんを調達に来たってわけ」
少女は戦利品のように、パンの入った紙袋を掲げてみせる。
一が“アキ”と呼ぶ少女は、本名を秋霖=樹雨という。一と同い年であり、幼なじみでもある彼女は、なんでも屋『TWINKLE』の一員でもあった。
「そうだなー。腹も減ったし、昼飯にするか」
「うん。利津も事務所で待ってるしね」
そのまま二人は並ぶと、どちらともなく歩き出した。
「それで? 今回もまた、呑み屋街の方にあったの?」
「んー、だな。いつもとは違う店の近くだったけど」
「なるほど、ハシゴしたわけね」
腕を組み、ふんふんと頷く秋霖に、一はのほほんと笑った。
「まぁ、無事に見つかって良かった」
「うんうん。呑み歩いて午前様な挙句、そのせいで結婚指輪をなくしたとか言われたら、あたしだったらぶちのめしてるね」
「あはは」
そんな他愛のない話をしながら、二人は歩みを進めていく。
人通りの多い大通りから外れ、先程まで一が探し物をしていた呑み屋街の端を抜けていくと、次第に周囲から人の気配が消えていく。古びたアパートや集合住宅の目立つこの区域には、時折さびれた廃屋も見て取れた。学生や単身者の多い地域であるため、日中はあまり人気がなかった。
二人が向かったのは、その一角にある四階建ての集合住宅だった。周囲の建物と同じく古びた外観だが、きちんと手入れはされており、清潔な印象を受ける。
外階段を昇った先、三階の角部屋まで進むと、二人は足を止めた。
分厚いドアには木製の看板がかけられており、そこには『なんでも屋 TWINKLE』という文字が彫り込まれていた。
「利津、ただいまー。パン買ってきたよー」
両手にパンを抱えている秋霖に代わって、一がドアを開ける。隙間から滑り込むようにして室内へと入った秋霖が、明るい声で呼びかけた。
しかし、返事はなかった。
「あれ?」
首を傾げて立ち止まる秋霖に、ドアを閉めながら一が声をかけた。
「出かけてるんじゃないか?」
「いやいや、鍵も開いてるし、そんなはずは……」
ひとまずパンを置こうと、秋霖はリビングへ向かった。
リビングの中央にはテーブルがあり、その横には来客用のソファが設置してある。テーブルの上にパンの入った紙袋を置いたところで、秋霖は動きを止めた。
「あ、利津。なんだ、やっぱりいるじゃん」
ソファの上には、ぐったりとした様子で横になっている少年がいた。
髪の色は一と同じこげ茶色だが、こちらはきちんと短く整えられている。とはいえ、今は無造作にソファへと横になっているため、やや乱れてしまっている。ベージュ色の地味なシャツを着た彼は、二人を拒絶するかのように背を向けて丸くなっていた。
「ちょっと、利津。そこはお客さん用のソファだからね?」
もうっと腰に手を当てて、秋霖はさらりと非道なことを言い放った。
「……起きてる……」
その言葉に、ソファの上で丸まっていた少年の肩がぴくりと震え、掠れた声を返してきた。
「おー、利津。大丈夫か?」
秋霖のうしろから、ひょいっと一がソファを覗き込む。
「一応は……」
呻くように答え、利津と呼ばれた少年はゆっくりと体を起こした。
目にかかるこげ茶色の髪を指で軽く払い、大きく息を吐きながらソファへと座りなおす。焔を思わせる真紅の瞳は、どこか虚ろな様子で秋霖へと向けられた。
「誰のせいだと……」
「ひ弱な利津自身のせいじゃないかなっ」
恨みのこもった声を、秋霖は笑顔でばっさり斬って捨てた。
言葉に詰まる利津と、笑顔で反論を待っている秋霖を交互に見て、ひとり事情の分からない一は首を傾げた。
「どうしたんだ?」
「ちょっと仕事を一緒にやってもらって、早く片付いたから、ちょっと訓練しただけだよ」
「ちょっと!?」
こともなげに答える秋霖に、利津が声を荒げる。
「んー」
その様子に一はさらに首を傾げたが、それ以上は尋ねなかった。
「アキ、利津はまだ慣れないだろうから、無茶はさせるなよ?」
「えー、うん。そのつもりだけどなぁ」
心外とばかりに肩をすくめる秋霖に、利津はがっくりと肩を落とした。
利津――本名は利津=田崎ヶ浦という彼は、一や秋霖と同じく十六歳の少年だ。奇妙な縁からここリバートで暮らし始めて、そろそろひと月になる。そして、なんでも屋『TWINKLE』に加わってからも、同じくひと月が経っていた。
「んじゃ、とりあえず飯にするかー。パン美味そうだぞ?」
のほほんと笑う一に、秋霖は笑顔で頷き、利津は何かを諦めたようにため息をこぼした。