2-1’
* * *
走ること四半時、イダエアは排水管が幾重にも連なり四方を取り囲んでいる灰色の部屋の中で、その人物と相対した。
「ツク! 無事で何よりだ!」
「バスクさん!」
ツクからバスクと呼ばれた筋肉質で赤ら顔の大男が、飛びつくツクを笑いながら抱えあげる。
「ラビスもよく来たな! ……あんたは?」
盛大な笑い声とともにラビスの背を何度も叩いていたバスクが、ふとこちらへ目をとめる。イダエアはバスクへ近づきながら、ゆっくりと手を差しだした。
「はじめまして。あたしはイダエア。イダエア・イルマードです」
「俺はバスク・ランバルト。一応こいつらの親玉だ。あんた、昼間街の連中とやり合ったんだって?」
大きな手に握り返されながら、探るような瞳で見つめてくるバスクへ曖昧に微笑む。経緯を話そうと口を開くと、ツクがバスクの肩の上で先に結論だけを述べた。
「ボクを助けてくれたんだよ」
「あんたが?」
ツクの発言に驚いたらしいバスクが目を見開く。
「そりゃ来た早々勇ましいな。ずいぶん細っこい腕してるみたいだが……」
手を離しつつ腕を眺めてくるバスクへ、イダエアは端的に答えた。
「体力には少し自信があるので」
「ほう? で、あんたはこの子の事情を知ってて助けたのかい?」
軽い口調ながら予断のない瞳で見返してくるバスクを前に、イダエアはかぶりを振る。
「いいえ。全然知りませんでした。ただ大人が寄ってたかって子供に暴力を振るうのがおかしいと思って……。もしよかったら教えていただけませんか? ルルーナ人が強制収容所に送られているっていうのは本当なんですか?」
イダエアの問いかけに、バスクがツクを降ろしながら重々しく頷いた。
「ああ、その通りだ。子どもを無理やり成人させて税を取り立て、髪と目の色が違うってだけで家畜以下の非人間扱いをする。大人のルルーナ人は問答無用で強制収容所へ送り朝から晩まで肉体労働。子供のルルーナ人は王宮の離れに作った矯正施設にぶっこまれ、より良い奴隷になるよう再教育される。これはまだ定かじゃねえが、俺たちが掴んだ情報では大人たちは施設に入り次第ことごとく殺されているらしい。大人になっちまったルルーナ人はすでに矯正不可能なゴミだからだそうだが。このままでいいわけがねえ。そうじゃねえか?」
口惜しげなバスクの言葉へイダエアは慎重に同意を示す。
「はい、確かに。でも、それなら王様に直接直訴したほうが早いのでは? 預言者並びに知識人の公開徴用制度があるじゃないですか。ちょうどあと数刻で一般参賀もはじまるし」
控えめにではあるが密めていた案を提示してみると、バスクの口が微かに重くなった。
「まあ、あるにはあるが。行くだけ無駄だ。肝心の王が狂っちまってる」
「そんなの行ってみなくちゃわからないじゃないですか。少なくとも、こんな地下でこそこそしているよりずっと生産的だわ」
腰に手をあてイダエアは言い切る。極力本音を言わないようにしようと決めていたが、我慢がならなかった。
「おまっ! 何も知らねーくせして!」
「何よ!」
案の定レディトに食ってかかられ、ラビスにも渋い顔をされてしまう。
「お前。いくらなんでも言い過ぎだぞ」
苦言を呈してくるラビスへイダエアは人差し指を向けた。
「ラビス。あなた魔法を使える学者でしょ? なんとかしようとは思わないの?」
当てこすりに聞こえてしまうかもしれないが、イダエアはラビスへ不満をぶつける。どうしてもこのまま何も知らぬふりはできない。開き直ってラビスへ問うと、ラビスがぐっと言葉を詰まらせる。重い沈黙がおりる中、突如室内に笑い声が響いた。
「あははははは」
声のするほうへ視線をやると、バスクが爆笑しているのが目に入る。
「バスクさん?」
目をまたたかせて名を呼ぶと、バスクが涙を拭きふき口を開いた。
「いやいや、なかなか威勢のいいお嬢さんだ。だが、事は国全体の仕組みを変えようって問題だからな。しかも、だ。そもそも一般参賀の日に王と会うのは無理なんだよ。いや、見ることはできるぞ? だが、王は遥か高みにある王宮のバルコニーから見おろしているだけだからな」
「それでも、言わないよりはましでしょ?」
もっともな言い分に胸の内で納得しながらも食いさがると、レディトが溜め息を落としてくる。
「いきなり切り捨てられるのをわかっていて、そんな無謀なことをする人間がどこにいるよ」
「ひどい言いぐさね」
諦めきった物言いにイダエアは顔を顰めた。
それではなんのためのレジスタンスなのだ。非難を込めてレディトを睨むと、笑いを収めたバスクが真面目な声音で語りだす。
「残念ながらこいつが言ってることは事実だよ、お嬢さん。ルルーナ人をこの地獄から救いだすには、国の体制を変革、いや、元に戻すしかねぇんだ。前王のいた頃のようにな」
「でも、エルダー前王はもう亡くなられたんでしょう?」
再び腕を組んで尋ねると、バスクが曖昧に頷いた。
「そう言われてはいるな。……そういえば、あんたが手にしてるそのアクセサリー、誰からか貰った物かい?」
突然話題を変えられたことに面食らいながらもイダエアは答える。
「母の形見です。ただ、これは正確にはあたしの物じゃなくて、叔父の物なんですが」
リングブレスレットを翳して見せながら理由を話すと、バスクが顔を手へ近づけてきた。
「ぱっと見で悪いんだか、それ、魔法具だよな?」
「ラビスにも訊かれたんですけど、よくわからないんです。念じると武器がでてくるのは確かですけど」
仮にこのアクセサリーが魔法具だとしても、それがわかったところでどうなると言うのか。イダエアは軽い苛立ちを覚えながらバスクを見やる。顎に手をあて何やら考え込むようにしていたバスクが、ふむ、と腕をおろし今一度問いかけてきた。
「で、その叔父さんの名は? 今どうしてるんだ?」
バスクの疑問にイダエアは首を横へ振った。
「叔父の名はイルダスです。でも、今どうしているのかはわかりません。もしかしたら死んでしまっている可能性もあるんです。母が言うには幼い頃この王都で生き別れになってしまった、と。肺の病で亡くなる前にこのアクセサリーを託され、『駄目かも知れないけれど消息をつきとめ、もし生きてるなら伝えてほしいことがある』と言われたんです。それまではあたしが肌身離さず身につけているように、とも言ってました」
旅にでた経緯を簡単に話すと、バスクがためらいがちに訊いてきた。
「少し見せてもらってもいいか?」
「どうぞ」
イダエアはリングブレスレットを丁寧に取り外すと、バスクへ手渡す。
「すまないな」
「いえ。そういえば、ラビスとツクはこの指輪部分から映しだされる言葉を読めるだけでなく話せるんです。母も独り言でその言葉をたびたび使っていたんですけど、バスクさんもわかるんですか?」
渡したアクセサリーをじっくり眺めているバスクへ尋ねた。だが、バスクの応対は心ここに在らずといった感じである。
「ん? まあ、少しだけだがな。……こいつは……」
生返事ばかりを繰り返していたバスクの面が神妙なものに変わった。
「何かわかりましたか?」
期待を込めて問うと、リングブレスレットを返してくれながらバスクが真剣な声音で言葉を紡ぐ。
「お嬢さん、あんたの叔父さんは生きてる可能性がある。もしよければ俺たちにあんたの身内捜しを手伝わせてもらえんか?」
バスクの提案にイダエアは戸惑った。
「それはありがたいですけど。でも、いいんですか?」
アクセサリーを受け取りながらためらいがちに問うと、バスクが深く頷く。
「ああ。俺もあんたの叔父さんとやらに会ってみたくなったからな。だがその代わり、俺たちが情報を掴むまで王宮に行くのはやめてほしい」
バスクが提示する条件を前に、え、とイダエアは目を瞠った。
「でも、それじゃあツクたちが!」
即座に反対を主張すると、しばし黙り込んだバスクがおもむろにラビスへ視線を送る。
「……ラビス」
「なんだ?」
尋ねるラビスへバスクが提案する。
「今日はもう遅い。泊まっていけ」
「助かる」
淡々とした口調のバスクにラビスがあっさりと首肯し、イダエアはいきり立った。
「ラビス! あなたそれでいいの?」
必死で訴えるが、ラビスはこちらを見ようともせず話を進めていく。
「行くぞ、ツク。……レディト、案内を頼む」
「ああ」
「ちょっと、みんな……!」
イダエアは、ツクを促し部屋を立ち去ろうとするラビスの後ろ姿に向かって叫ぶ。だが、返ってきた答えはラビスたちからではなく、背後で控えていたヨシアからのものだった。
「あなたは私についてきて、イダエア」
茶色い瞳で真っすぐ見つめ宣言してくるヨシアを前に、イダエアは反論を封じられる。
(そう……。それがみんなの考えってわけね)
結局、誰も積極的に今の事態を打開しようと思ってはいないのだ。
(いいわ。みんなが何もしないなら、あたしが代わりにやるだけよ!)
イダエアはしかたなくヨシアについて寝床へ向かいながら、一人決意を固めた。