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戦うお姫様と森の偏屈魔導師  作者: 朝川 椛
第一章 森に棲む子
3/33

1-3

 陽の光も微かな薄暗い森の中を、少年の手を引き歩き続ける。


(さて、どうしたものかしらね)


 森へ来たのはいいがどこへ行ったらいいのかわからない。大きな木でも探して休もうと決意し歩いているうちに、ついに陽が落ちた。木々の隙間からかろうじて覗く月の光が夜の訪れを告げ、二人の行く手を(ほのかに照らしだす。すると、後ろで手を引かれるままだった少年が前へでた。そのままこちらの手を引き、奥へとすすんでいく。と、ふいに視界が開け顔をあげた。目前には少年のどことなく得意げな笑顔がある。その背後には小さな入り江が、折り重なる木々に守られるようにひっそりと広がっていた。

打ち寄せる波の音が耳をくすぐる。一面に広がる水面は皓々(こうこう)とした月の光を浴び、静かなきらめきを見せていた。


「きれい……」


 溜め息混じりに呟くと、少年がくっくっ、と声をたてて笑った。今までとは違う子供の反応に、ほっと胸をなでおろす。少年が人であることは百も承知していたが、彼の微笑みには懐かしい温みと同時にどこか無機質なものも感じていた。それは一瞬だけちくりと差し込まれる針のようにささやかで、不穏な予感でしかないのだが。それだけに子供らしい少年の反応は、自分でも意外なほどの喜びをもたらしてくれた。


「あなたが来たかったのはここ?」


 イダエアは少年を見おろした。少年は答えの代わりか、握っていた手を楽しげに引いてくる。力いっぱい引っ張られ、容赦なく海中へ引きずり込まれた。


「え? ちょ、ちょっと!」


 派手な音をたて、あっという間に腰まで浸かる。真夏とはいえ夜にずぶ濡れなのは心底ごめんだったが、両手を掴まれ抗うに抗えなかった。


「痛っ!」


 腕に微かな痛みが走る。どうやら怪我をしていたらしい。気がつくと胸の高さにまで海面がきており、足が海底につかなくなっていた。自分でさえこうなのだから、背の低い少年はおそらくそれ以上だろう。慌てて少年を見ると、彼は微笑み掴んでいた両手を突然離してくる。


「危ないじゃない!」


 叫んだ瞬間、横顔を何かが掠めた。少年は器用に波を捕らえ浮かびながら、宙に向かって指をさす。


『しほうみのたま』


 初めて見る光景だった。水滴のような小さな碧い玉が、辺り一面に舞っている。イダエアは茫然と佇み、海面から無数に浮きあがる玉を眺めた。少年が目の前を飛んでいた碧く光る玉を一つ両手で包み込む。


『しょぐゎん』


 聞き慣れない言葉とともに、掌中しょうちゅうの玉をそっと差しだしてきた。どうするべきか迷いながらおずおずと玉を受け取ると、少年が満足げに口角をあげる。


『しょぐゎん』

「それって何? どういう意味があるの?」


 尋ねるが、少年は口元を綻ばせてくるだけだ。


『ひぃ』


 また、理解できない言葉を放つ。だがそれは、ひどく懐かしい響きだった。


「ねぇ、あなた」

『ふぅ』


 両手で包み込んでは少年が楽しげに言葉を紡ぐ。イダエアは途方に暮れながら、彼が差しだしてくる碧い玉をひたすら受け取った。手にした碧い玉を見つめつつ、再度少年に尋ねる。


「ここが目的地?」


 少年が瞳をまたたいた。


「もしかして、ここがあなたの家?」


 少年はその問いに答えなかった。つぶらな瞳を見開き水面を見つめている。怪訝に思いつられるように少年の視線を追ったイダエアは、答えに気づいて破顔した。


「今日は満月だものね」


 頷きながら月光に右手を翳す。腕と身体に遮られてできた僅かな黒い水面に、黄色く文字が浮かびあがった。


「不思議でしょ。全部こいつのせいなのよ」


 翳した右手を少年の前へ差しだし、はめていたリングブレスレットを見せた。


「母さんの形見なの。生まれ故郷の古代文字らしいんだけど、あたしには読めなくって」


 少年が青白い光を放つ指輪を興味深げに眺めやり、手を取って月明かりに翳してくる。水面へ現れた文字を見て、ぽつりと呟いた。


『この月のもとにて……』

「え?」

『いかなときがへだてども、いつか、この月のもとにて……』

「あなた、これが読めるの?」


 驚愕のあまりとっさに掴まれていた手を引っ込め、胸の前でリングブレスレットを隠すように手を組んだ。少年が一瞬驚いたように首を竦ませるが、すぐに先刻と変わらぬ微笑みを浮かべゆっくりと口を開く。


我がいとしかるうからへ

我らは生生世世しょうじょうせせ月の民なり。

いかなときがへだてども、

いつかこの月のもとにてまたつどわん……。


 イダエアは茫然と子供の言葉を聞いた。それは、五か月前に亡くなった母から度々聞かされたものだった。意味は教えられなかったが、くれぐれも忘れてはならない、と死の床まで言い含められた大切な言葉の一つである。もう一つは武器をだす時に叫ぶものだが、めったなことでは口にしてはならないと誓わされているのだ。先ほどから少年が話していた言葉はこれらと同じものなのだろうか。


(そんなはずない)


 イダエアは首を横に振った。古代語は数十年前も昔に失われてしまったと母から聞いた。でも、それならなぜ今聞いたばかりの言葉をこんなにも懐かしく感じるのだろう。

困惑しているうちにも、少年があい変わらず穏やかな微笑みを見せてくる。それが心からの笑みであることは、少し上気した頬から読み取れた。際限なく浮かびあがる碧い玉を小さな両手で包み込むと、先刻と同じく前へ突きだしてくる。


『しょぐゎん』


 イダエアは確信した。これは間違いなく母の紡いでいた言葉と同じものだ、と。


「……ショ……グヮン……」


 イダエアは、たどたどしいながらもなるべく正確に真似てみた。少年の笑みが深くなる。


『ひぃ』


 少年が『しほうみのたま』を差しだす。


「ヒィ」


 受け取ってゆっくりと放った。

 少年が嬉しげにくっくっと声をたてたが、イダエアの気持ちは複雑だった。いったい何を言っているのか、その意味がわからない。もどかしい思いを抱えながら幾度目かの『しほうみのたま』を放っていると、陸地で声がした。


『誰そ? ツク?』


 若い男の声だった。少年と同じ言葉で何事かを呼びかけている。


『ツク? そこなり?』


 応えるべきだろうか。迷っている間に、少年が喜声を発し砂浜へと駆けていく。

慌てて少年を追い陸へあがると、そこには紺色の服に身を包んだ背の高い瘦身の男が立っていた。彼の身内だろうか。よく見ると、衣服は少年が着ているものとほぼ同じ仕立てのようだった。月明かりに照らされた表情も少年のそれとよく似た柔和なものだったが、神秘的というにはいささか肌に透明感がありすぎるようにも感じられる。


女人にょにん?』


 男はこちらを見ると、軽く息を呑んだようだった。が、すぐに気を取り直したのか、聞き慣れた言葉で問いかけてくる。


「お前は? どこから来た?」

「そういうあなたは誰? それからその子も」


 詰問調で尋ねてくる男をイダエアは正面から見つめ返した。


「俺はラビスだ。この子はツクという」

「あたしはイダエア。イダエア・イルマードよ」


 はっきりとした口調で自己紹介を終えると、ラビスと名乗った男が頷く。


「そうか。ではイダエア。邪魔だ。すぐにここをでていけ」

「は?」


 ラビスの言葉が一瞬理解できず、間の抜けた声をあげてしまう。


「邪魔だと言った」


 岸辺から見おろしてきていたラビスから、柔らかな表情を崩さぬままあっさりと言い切られ、イダエアは声を詰まらせた。


「でも子供一人じゃ危ないじゃない……」


 語尾を濁しつつ視線を逸らすと、ラビスが溜め息を吐いてくる。


「おせっかいなことだな。……ツク、外まで案内してやれ」


 ラビスの発言に、ツクと呼ばれた少年が無言で下を向いた。


「ツク?」


 ラビスが怪訝そうに眉根を寄せる。いつもは従順な子なのだろうか。イダエアは二人の関係を不思議に思いながら、遠慮がちに事実を告げた。


「森へつれて来たのはあたしだけど、ここへはこの子につれて来られたのよ?」


 言葉を紡ぎながら、さりげなくリングブレスレットへ手をかける。あれだけいじめられていた子だ。また叩かれるようなことになるかもしれない。胸の内でしかるべき準備を整えていると、ラビスが小さく肩を竦めた。


「しかたない。俺が外まで案内する」


 ついてこい、と踵を返したラビスへ、ツクが片言で言い放った。


「イヤダヨ」

「何?」


 足をとめ、ラビスがツクへ振り返る。優しげな表情はなりを潜めひたと見据える視線に怯まず、ツクが言い切る。


「イヤダ。この人いい人。たすけてくれた。ボクこの人にお礼する」


 ツクの言葉にラビスが腕を組み、イダエアの理解できない言語でいさめはじめる。


『ツク。ここへなにひともつれて立つことなかれといひきしつるしも』

『さはれ、この者石を投げ我をうつ人をしへたぐる。助け給うべき人あらばかしこしかたじけなしとてしゃし給うべきといましも申し給うほどに。また、この者腕をいみじうわずらい給ひぬ。ぢするはただなり』


 早口で捲し立てるツクを前に、ラビスが渋面を作った。


『なは我がきわもこころふべきなむ』


 眉間に深い皺を寄せツクを見おろすが、ツクも引かない。両者しばし睨みあい重い沈黙が続いた。が、結局先に根負けしたのはラビスのほうだったようだ。


『……こころえたり』


 深い吐息とともにラビスが、視線を向けてきた。


「おい、お前」


 ぞんざいな言い方が癪に障りイダエアは片眉をあげる。


「お前じゃないわ、イダエアよ。何を話してるのかさっぱりなんだけど?」


 腹立ち紛れにきっちり訂正してやると、ラビスが苦虫を噛み潰したような顔で答えた。


「どちらでもいいし、知らなくていい。家へ案内する。ついてこい」


 命じてくるなり歩きだすラビスの態度へさらにむっとしていると、ツクが袖を引いてくる。そんなに不安げな顔をされたのでは断るに断れない。


「わかったわ」


 イダエアは心配げなツクに頷き、ラビスのあとを追った。

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