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「大丈夫、ボク? ボクはこの街に住んでるの?」
埃を払い傷の状態を診ながら問いかけると、金平糖を口に含んだ少年が黙って頭を横に振る。
「なら、どこから来たの?」
イダエアは眼前に広がる海を眺めた。傍らの少年が爽やかな微笑みとともにまっすぐ青空を指さす。つられて見た指の先には、ぼんやりとした白い月が浮かんでいた。
ここは街道、ニルバニア王国の首都ミルバの街にほど近い海岸線である。生粋の内陸育ちであるため道中初めての海を心ゆくまで鑑賞しよう、とわざわざ遠回りして森を抜けたまではよかったのだが。着いた早々とんでもないことに遭遇してしまった。
「月?」
笑顔で頷いたのは、まだあどけなさの残る子供である。
くすみのない白い肌に紫色の髪。白い服と靴は簡素だが仕立てが良さそうだ。イダエアは少年の姿をまじまじと見つめ、そう、と呟き灰色の目を細めた。
「あなたは月の女神の使者ってわけね?」
ふいに、ボレロとフレアが潮風に揺れた。とっさに手で押さえ、砂のついた深緑のタイツを軽くはたく。そこはかとない肌寒さを感じつつも腰へ手をやり、桃色の瞳を覗き込んだ。
「で?」
きょとんと見あげてくる少年にイダエアは問う。
「その月の使者さんはどこに住んでいるの?」
少年が微笑んだ。だが笑んだだけで何も言わず、イダエアは重い溜め息を落とした。別に急ぎの、というわけでもないが、当てのない旅というわけでもない。この冬に亡くなった母から託された形見の品を、生き別れてしまったという叔父の元へ届けなくてはならないのだ。
(困ったわね)
七つを過ぎたら一人前。
国がそう定めたのは数年前のことである。そのため、否応なしに家をだされた子供の一人旅は今や珍しい光景ではなくなった。
(この子もきっと……)
イダエアは榛色の髪を一房取って指に絡ませ、海より幾分淡い色の空を見あげる。
こんなのはおかしい。自分だってまだ十七になったばかりのお子さまだが、こんな幼い子供に対して理不尽すぎる扱いではないだろうか。
イダエアは丘の上に聳え立つ街の門と少年を交互に見比べ、ふと息を吐いた。
(どうせ、もうすぐ街だしね)
捻じりきった髪を手で乱雑に梳かし踵を返す。
「ついてらっしゃい」
だが踏みだそうとした足は、強く引く小さな両手に阻まれた。驚き振り返ると、少年が両手でこちらの腕をつかんだまま左右に激しく首を振ってくる。
「街へ行きたくないってこと?」
無言のまま、それでも必死の表情で少年が見つめてきた。やれやれと髪をかきあげ、同じ目線になるようしゃがみ込む。
「なら、とりあえずあそこへ行きましょう」
人さし指でまっすぐ目指すべき場所を指し示すと、少年がすぐに破顔した。それは先刻自分が通り抜けたばかりの、暗く深い森だった。