アンジュの手紙
母さんが冷たくなっているのを確認した後、僕達は何もする気になれなかった。ただ母さんのそばにいたい、それだけだった。
昼過ぎに外に気配。MAPでみるとどうやらツムジさんが町から戻ってきたみたいだ。いつもなら出迎えにいくところだが、体が動きそうにない。そのうちに何か察したのか、ツムジさんは屋敷に入って、まっすぐにこの部屋へと向かってくる。
そしてツムジさんは息を切らしながらドアを勢いよく開けた。部屋の中をぐるりと見渡して僕達と目が合う。その中に自分を見返してくる、よく知っている顔が1つ足りないことを確認すると壁を強く叩き悪態をついた。
「何やってんだ俺は……どうして間に合わなかったんだ!……クソッ」
そのまま壁に頭をつけて静かに泣くツムジさんだが、背負っているカバンからポロリと何かがこぼれ落ちた。それは、1冊の本だった。表紙には癖のある字で延命と解呪の法と書かれている。
ラタン姉がズルズルと這ってその本の元に辿り着く。そして中を見て、ツムジさんを抱きしめる。
「ツムジ。よく、見つけてくれました。でも今朝方、アンジュは旅立ったのです。だからもう」
「ラタン姉!俺は、俺は結局……」
「ツムジ、見てください。アンジュのあの顔。すごく満足そうなのです。あとは、僕達残った大人がしっかりと仕切らないといけないのですよ」
ラタン姉はそう言って、ツムジさんを使ってフラフラと立ち上がる。そのまま、ツムジさんに支えられながら一度部屋を出ていく。
……それでも僕達は未だ母さんのそばから離れられずにいた。まるで、心にぽっかりと穴が開いてしまったみたいだった。
葬儀はツムジさんの指揮の元、行われた。屋敷の裏手へと連れていかれ、棺というものに入れられた母さんが土に埋められていくのをクロムとスズちゃんと抱き合いながら呆然と眺めていた。全てが終わったあと、ツムジさんは荷物を置いてから一度町に戻って家族を連れてくると再び屋敷から出ていく。屋敷には再び静寂が落ちた。
ここにきてようやく実感がわいてきたのか、僕の目からはぽつり、ぽつりと涙がこぼれ落ちた。そして、堰を切ったように次から次へと流れ出てくる。
「母さん。母さんに僕は……まだ何も恩返しできてないのに、なんで突然」
ようやく絞り出した心中に、目元が腫れ上がっているラタン姉は実はねと僕達に向かって切り出した。
「アンジュに口止めされてたのですが、ボクとツムジはこうなることがわかってたのです」
はじめ、ラタン姉が何を言っているのかわからなかった。でも、そういえば……そうでなければ辻褄が合わないようなことは記憶にいくつか残っている。口止めされていた?なんで?
「どうしてっ!」
気がつけば僕はラタン姉に飛びかかっていた。ラタン姉にぶつかる前にクロムに取り押さえられる。
「はなせ、はなしてよ!知っていたなら僕は、母さんに!」
「落ち着け、キルヴィ!ちゃんとラタンさんの話を聞こうよ!」
押さえつけられたままラタン姉の姿を見る。その姿はすごく弱々しく見えた。そこで少し冷静になった。
「クロム、ありがとう。……でも、大丈夫だから離してあげて欲しいのです。キルヴィの気持ちもわかるから。ボクだって、そっちの立場なら怒ると思います。でも、話すなら、自分から話すからって約束してましたから……」
そう言って、ラタン姉は目を伏せる。そうだ、知っていたとしても1番に悲しんでいたのはラタン姉だった。僕はなんて馬鹿なのか。
ラタン姉はぽつり、ぽつりと説明をしてくれる。僕がきた時には既に母さんは病気だったこと。2年前、それを治す魔法を見つけたこと。代償に寿命が定められたこと。
「昨日の夜、ボクはアンジュと共にいたのです。今日が運命の日だと知っていたから。魔法だって必ずじゃない、もしかしたらがあるかも。そんな話をしてましたです」
秋までツムジさんが忙しそうにしていたのはさっきの本……もしかしたら延命の方法があるかもしれないからといろいろ探していたからだという。しかし、見つからなかったそうだ。
「一緒に寝ようって言いましたけど、ウル君が見守っててくれるから大丈夫だからと言われ、もし朝平気だったならいつものように中から返事をするからって。でも、返事がなかったらその時はこれを皆と読んでくれって……」
そう言って取り出した手紙をラタン姉から渡される。手紙に書かれていたのは紛れもなく、母さんの字だった。
◇
皆へ
これが読まれているということは、おそらくですが私はもうこの世にいないということだと思います。
この手紙は、冬のある日、キルヴィが熱を出した日にしたためたものです。遺書、のような形になります。
まずは、キルヴィ。そしてクロム、スズ。黙っていたことについて謝ります。
ごめんなさい。貴方達に会う以前から私は重い病にかかっていたのです。いつか言おう、言わなくてはいけないなと思いつつも、いざ言おうとした時には臆病になって結局言い出せずにいました。
それからラタン、ツムジ……貴方達には特に迷惑をかけたと思います。私なんかのために、ありがとう。冬になる前、最後の最後まで諦めずに必死になって解決策を探してくれていましたね。それから、私の最後の我儘にも付き合ってくれました。私についての状態を子供達の耳に入らないように黙っててくれました。
子供達へ、黙っていたことについて2人をどうか責めないであげてください。私はそのことで仲違いしないか少し、心配です。
さて、ここからは個人個人に言葉を送りたいと思います。
まずは親友であるラタンちゃんへ。貴方とは1番長い付き合いでした。いま、こうして振り返ってみると、私の思い出の中の半分は貴方と過ごした時間で作られているんだなと感じます。
あの日、出会えたことは奇跡だったけれど。私にとってあの出会いは必然だったと思います。貴方がいたからこそ、今の私がいるのです。貴方はいつでも明るく、私に希望を持たせてくれました。私にとっての貴方は友達であり、親友であり、そして姉妹でありました。
自分が子を産んだ時。いつか、貴方の子も抱いてみたいと思ったのはこんな場でしか言えません。でも、それ以前にこんなに素敵な貴方と釣り合うような人が居るかしら?まだ見ぬ貴方の配偶者に少し嫉妬してしまいます。……これでは私、まるで母さんの話の中に出てきたリリーさんみたい。なんだか少しおかしいわ。
ツムジへ。貴方は私をよく支えてくれました。当家の数少ない、代々仕えてくれた使用人の中で1番の若手だった貴方が、今では外で大きな商会を立ち上げ家族を養ってるんですもの。私の家の資産を貸しただけではそうはなりません。人知れぬ、並ならぬ努力があってこそ、その地位まで上り詰めたのだと思います。ほら、貴方は小さい時から努力家でしたから。
ヒカタさんや、イブキちゃん、ナギちゃんを大事にしてあげてくださいね。それから、貴方自身も身体を大切に。仕事はほどほどにね?別れの言葉が言えなかったこと、よろしくお伝えください。
クロムと、スズへ。
幼いながらも2度も親を失わせるような悲しみを味あわせてしまいましたね。それは本当にごめんなさい。貴方達が一生懸命に屋敷で駆け回っている姿を、私はまるでかつての自分に重ねてみていました。
私自身があまり良い主人であったとは言えないですけれども、貴方達はもうどこに出しても恥ずかしくない立派な使用人です。ツムジにも仕事先を探すようなことになるならば率先して探すようにお願いはしてあります。でも、できるならば1人では危なっかしいあの子を支えてくれると嬉しいかな。
最後に、キルヴィ。
ラタンが貴方を連れてきた時のことを今でもよく覚えています。世の中にはこんな子がいるんだと驚かされました。ちゃんと生きていけるのか心配になりましたが、私が思っていた以上に育ってくれて私はとても満足です。
キルヴィ、ごめんなさいね。私は貴方に亡き自分の子と時々重ねてみていることがありました。でも、そのうち貴方のことは貴方として、あの子、ウルとは別の自分の子として思えるようになりました。あの戦争の時、初めてお母さんと呼んでもらえてとても嬉しかったなぁ。
貴方は時々、すごい無茶をするから私はとても心配です。心配で、心配で、大人になるまで見守っててあげたかった。
貴方にイレーナの家名を譲ります。まだ、首都ではそれなりに影響を持つ家名のはずです。貴方の持つ本来の家名と合わせて上手く使ってください。それで、時々私のことを思い出してくれるとお母さんは嬉しい。
何故でしょう。
今、隣で安らかに寝ている貴方を見て
涙が次から次へと、止まってくれません。
それから、それから……と書きたいことや話したいことはつきません。そう、私は本来おしゃべりで、まだまだいっぱい話したいのです。
本当はもっと生きたかった。もっと話したかった。もっと、いろんなところへ皆で行って回りたかった。ここにきて、近づいてくる死がとても怖いのです。でも、諦めというわけではないですがこれはこれで満足だという気持ちも確かにあるのです。
私は良い友人、良い家族に恵まれました。本当に、ありがとう。願わくば貴方達が健やかに、長く生きられますように。
アンジュ・イレーナ
◇
読み終えて、僕は静かに手紙を置いた。
皆、声もなく静かに泣いていた。でも、先ほどまでの無気力な、覇気のない顔の人は誰1人いなかった。
ありがとう、アンジュ母さん。
僕は、いや、僕も貴方に会えて幸せでした。
いまだに悲しいし、しばらく立ち直れそうもないけれど。
時間はうんとかかるかも知れないけれど。
僕は、僕の道を見つけるために一歩踏み出すことにします。
これで第1章終わりとなります。
次の話からいきなり時間が飛んでますのでよしなに。