冬の思い出 母の手、そして……
いつもありがとうございます。ちょっと、前倒しにして投稿します。
雪が降るようになったある日、昼になるというのに僕は自分の部屋のベッドで寝ていた。というよりも、起きることができなかったのである。なんだか頭が熱くて身体がだるい……僕はどうしてしまったのだろうか。
「キルヴィ?入るよ」
いつまでも部屋にいる僕を心配したのかクロムがドアをノックしてから入ってくる。そしてベッドで横になっている僕を見つけると慌てて駆け寄ってきた。
「うわ、顔が真っ赤……ちょっと待ってて!アンジュ様やラタンさん呼んでくる!」
そしてバタバタと飛び出していく。その大きな声や音は頭に響いた。うう、辛い……
◇
「これは、風邪だねぇ」
「……風邪?」
連れられてきた母さんはまず僕の額に手を当て、そう言う。続いて、湯に浸したタオルをクロムに用意させてそれをきっちりと絞り、汗にまみれた僕の体を拭いてくれた。
「風邪ってのは病気だよ。誰でもなる病気。キルヴィがかかってるのは咳もくしゃみもないからうつる心配はそうそうないだろう。私は氷嚢作ってくるからクロム、スープを作ってきてくれないかい?」
「かしこまりました」
クロムはいそいそと出ていく。続けて出て行こうとした母さんの裾を、僕は思わず握ってしまう。母さんはおや、といった顔をしたものの声は出さなかった。クロムの姿が見えなくなったのを確認してから母さんに尋ねる。
「ねえ、これって治るのかな……死んじゃわないよね?」
死ぬというところで我ながら情けない声が出た。改めて死について考えると、怖いと思ってしまったのだ。
「なんだい、いつになく弱気だねぇ。安心おし、ちゃんと治るよ」
母さんは優しく微笑んでそう答えてくれる。そして、優しく頭を撫でてくれた。なんだろう、なんでもないようなことなのに母さんに頭を撫でられるととても安心する。
ドアの向こうが騒がしくなる。どうやらクロムは他の同居人にも言ったようだ。ノックの後、ラタン姉とスズちゃんが入ってくる。
「キルヴィ、風邪をひいたって本当ですか?あ、アンジュ。ボクが見てるので氷嚢を作ってきて下さい」
「キルヴィさまは変な修行のしすぎです。だから風邪ひいたんですよ、きっと!」
「これこれ、病人のいる場で騒がない。キルヴィ、ラタン達に任せていいかい?私は冷たくて気持ちよくなるように氷嚢を作ってくるよ」
母さんの手が離れていくのがすごく名残惜しく感じる。これも風邪のせいなんだろうか。そして出ていく母さんと入れ替わるようにクロムがスープを持ってきた。相変わらずの手際だ。ラタン姉がそれを受け取る。
「ほら、火傷しないように気をつけるのですよ」
そう言いながらもスプーンにすくいいれてふー、っと息を吹きかけ、さましてくれる。そのうち、母さんが戻ってきてひんやりとした枕に変えてくれた。
スズちゃん主導で僕が眠るまで寂しくならないようにと部屋の中で談笑を始める。……こんなに優しい人々に囲まれて僕は幸せ者だ。やがて、次第に瞼が重くなり、僕は眠りについたのだった。
夜中、ふと目がさめる。丸一日横になってちゃんと休めていたので症状は大分楽になった。今頃皆は寝静まっているだろうと思っていると静かにドアを開けて母さんがやってきた。
「おや、起こしたかい?」
「ううん、昼に寝たせいか目が覚めちゃったんだ」
「そうかい」
母さんはそのまま僕のベッドに腰掛けてくる。何か言おうとして、ふと思いとどまったように口を閉ざす。その後、思い出したかのように懐から何かを取り出した。
「キルヴィ、これをあげよう。我が家に伝わるすごーいお守り。これがあれば、良いことがあるよ」
それはしっかりとした革製の袋にこの屋敷でたまに見かける模様が焼印されたもので、手に取った感じ中に小さなものが入っているようだった。開けようとするとそっと手で抑えられ、静かに首を振られる。どうやら少なくとも今は開ける時ではないようだ。
「そんなものを僕が受け取って良いの?」
「誰だって良いわけじゃないさ。キルヴィだから、譲るのさ」
そういわれ、改めて渡されたものを見る。それをギュッと胸元に抱きしめ、母さんに向き直る。
「ありがとう、母さん。大事にするよ」
「ああ、そうしておくれ。そうだ、よくなったら雪魔法のコツ、聞いてみる気はないかい?」
「聞きたい!できるかはわからないけど知りたいよ!」
「なら、早くよくなるためにももう一度寝なさい、ね?」
「うん!じゃあ、おやすみなさい母さん」
素直に返事をすると母さんはまた、暖かい手で撫でてくれる。そのおかげか意識を再びまどろませるのに時間はかからなかった。
次の日、元気になった僕は、隣で一緒に寝てくれていたのであろう母さんにコツを早く教えてくれるようねだり、それに対して母さんが少し呆れていたのは内緒だ。
ちなみに教えてもらったところ、雪魔法のやり方が少しだけわかったような気がした。やっぱりキルヴィは天才肌だねぇと母さんはどこか誇らしげだった。
◇
あっという間に時間が過ぎ、ツムジさんが御用聞きに来て春になったと実感したある日、屋敷に響き渡るようなラタン姉の泣き叫ぶ声で目がさめる。慌ててその場に向かう。ラタン姉は母さんの部屋の前で泣き崩れていた。声をかけるが、反応を示さない。そこで初めてMAPに違和感を覚える。母さんを示す点が、屋敷はおろか範囲内のどこにもないのだ。
そこにクロムとスズちゃんも僕同様に慌ててきたので、母さんとすれ違っていないか尋ねてみる。2人は首を振る。となると、事情を知っているのは今も大きな声で泣いているラタン姉しかいないのだろう。
「ラタン姉、大丈夫?何があったの、母さんに関係してるの!?」
今度は体をゆすりながらそう尋ねると、返事のかわりに無言で強く抱きしめられた。そんなラタン姉の様子でクロムが何かを察したのか青ざめた顔で母さんの部屋のドアを開ける。
「アンジュ様!そんな……そんな!」
中に入っていったクロムはベッドを見て膝から崩れ落ちた。続いてスズちゃんもクロムに続いて入っていくと、クロムに抱きつき静かに泣き始めてしまった。母さんはベッドにいるのか。いや、しかし皆のこの反応は一体……
嫌な考えが頭の中をよぎるものの、まさかそんなわけがないと振り払う。昨日まであんなに元気だったのだ。きっと、母さんのイタズラだろう。そう思い僕も部屋に入る。
部屋の中で1人、羽根のかけた天使の像を抱き抱えて、母さんは静かに眠っていた。幸せそうな寝顔だ。起こすのを躊躇ってしまうような、満足そうな顔をしている。良い夢でも見ているのだろうか。
でも、何故だか皆がおかしいんだ。だからちょっと起きてもらいたいな。ほら、こんなに騒がしくしているんだから。聞こえないはずがないでしょ、母さん。
母さん。
……どうして。
風邪の時に触れてくれた時の温もりを求めて寝ている母さんの手を思わず握ってしまったが、かえってきたのは冷たい、それは冷たい感覚だった。
次回で一章がひとまず終わりとなります。
お付き合いいただけると幸いです。