親心
子供の頃に受けた印象が強くて、大人になってから会うとすごく印象が違う人がいますよね。
いつもありがとうございます!
突然横から手を叩かれ、唖然としている母を見るラタン姉の目は実に冷ややかなものだった。
「長ったらしい、実に無駄な話だったのです。許してくれとは言えない?後悔しているようなことをグダグダと、暗に言ってるも同然!あげく、その手はなんですか?まさか一度あなたから手放した手を、キルヴィに取ってもらえるとでも思ったのですか?」
ラタン姉は怒っている。まるで自分のことのように怒っている。
「母として悩んだ?傷ついた?苦しんだ?そんなこと、キルヴィの方がもっと悩み、傷つき、苦しんだのです!自分可愛さでキルヴィが本当に必要だった時に手を伸ばさず、むしろ窮地に追いやったお前に母を名乗る資格などない!」
その言葉に母は目を見開いた。その目からは大粒の涙がこぼれ落ちていく。
「そう、だ。その通りだよ。私は、母として、親として失格だ。人としても最低ときている。許されざることをしてきたというのに、許してもらおうと言葉を重ねた。共に暮らせなくしたのに、今再び暮らそうと考えていた」
そこまでいうと母は、こうべを垂れ地面に平伏してみせる。
「恥を重ねているが、どうか、どうか許してほしい。いや、今度こそ本当に、許されなくてもいいと思っている。でもどうか、あなたに謝らせることはさせておくれ」
それは、徹底した謝罪の姿勢。嘘偽りであると微塵も感じないその姿をみて、ラタン姉は少し感心したかのような表情になる。
「とても美しいドゲザと呼ばれる謝り方です。本心からしているということが見てわかります。……遮って悪かったですねキルヴィ。あとは、どうしたいかキルヴィに任せます」
「僕は……」
少し間を開ける。
「僕はあなたを許せません」
その言葉にラタン姉は目をつむり、母はその姿勢のまま肩を震わせた。許されないと聞き少なからずショックを受けたのだろう。僕は言葉を続ける。
「でも、今は、の話です。まだあなたを母であると思えない、思いたくない。少なからず復讐をしたいというのが本心ですが、今の姿を見て少し考えが変わりました」
それはいつか、許せる日が来るかもしれないということだった。母はガバリと顔を上げこちらを見る。
「ああ、ああ!ありがとう。キルヴィ、ありがとうございます……」
そして、しゃくりあげながら拝み通すのだった。
「これはいったい何の騒ぎか」
その時、面での騒ぎを聞きつけて屋敷から身なりのいい男……族長が出てくる。ガラリと印象が変わった母とは対照的に、こちらは記憶にある通りの顔立ちと雰囲気だった。母と対面している僕達を見つけると、少し目を凝らしてこちらを観察してくる。
「お前達は何者か?あいにくだが着の身着のままで旅をするような下賤の者に渡せるものもない故、即刻出て行ってもらいたいのだが」
そう言い放つ。どうやらじっくり見たところで僕のことがわからなかったらしかった。それに対して母は何か言いたそうにしたが、一度口を閉じ、顔を険しいものにする。
「この集落では、族長の言うことは絶対なのです旅の方……先程の話の通り、もし、万が一外でキルヴィと名乗る少年に出会ったのなら伝えて下さい。集落はお前の狩の腕を認め、再び使いたいと」
母の目は優しいものだった。そして、目の前にいるにも関わらず僕達を旅の方といい、キルヴィに出会ったらという。族長はその言葉に鼻を鳴らす。
「あのような出来損ないが二度も冬を越せたわけがないだろう。昔は賢い女だったのに、お前も耄碌したもんだ」
「いいえ、きっと生きてますよ。旅の方、お引き止めしてすみませんでした。もう、大丈夫です。良い旅を続け下さい」
そう言って深々と頭を下げた。それを見て族長は不機嫌そうに家へと戻っていく。それを見てから、ラタン姉は言う。
「出会ったなら必ず、伝えましょう。ボク達はここに戻るかはわかりませんが」
そう言うと、母は少し寂しそうに頷く。そして、族長の後へ続いたのだった。
「さ、行きましょう。思っていたのとは違う展開となりましたが、少しは解消しましたか?」
ラタン姉がそう言いながら集落の外を目指す。あたりは相変わらず人気がなく、人が暮らしている場所なのを疑うほどだ。
「最後のやりとりは……」
「おや、聡いあなたならわかると思ったのですが……あれは、あれも、あの人の不器用な優しさなのですよ」
ついには集落から出る。周りに気配がないのを確認してからラタン姉は続ける。
「あの族長はあなたがキルヴィだとわかりませんでした。そして、狩の腕が必要であると言うことからこの集落は狩人不在になってます。そんな中あなたが戻ってきたならどうにかこうにかしてあなたを束縛し、死ぬまで働かせようと族長は考えています。そうならないためにもあの人はキルヴィであることを明かしませんでした」
集落がどんどん遠ざかる。懐かしかったこの道も、再び通ることはあるだろうか。
結局のところ僕は、今回あの集落に戻って何をしたかったのだろうか。復讐をしたかったのだろうか。だが、母のあの謝罪、反省を得たことで何もできなかった。
いや、違う。僕は、きっと集落の誰かに今の僕を認められたかったのだ。それが叶ったからこそ、こうして改めてあの集落から出ることができたのだろう。
「ボク達はこの集落に戻るかわかりませんと言うのは、言葉通りの意味です。そしてあの人は納得しました。キルヴィ、あなたはあそこに戻って馬車馬のように働きたいですか?」
こちらを覗き込んでくる。そんなのはごめんだ。首を振る。
「でもまぁ、あなたより強い人がいないみたいですし戻ったところで危害はないかもしれませんがね。さ、お腹が空いてるでしょう?食堂にあったものを持ってきてます。帰りがてら食べましょう?」
狩人が不在になった集落は、衰退して行くだろう。それこそ次の冬まであるかも怪しかった。それでも、僕を引き止めなかった母。今の周囲に比べると僅かではあるものの、そこには確かに愛を感じた。母は、ようやく僕に対して母たりえる存在になれたのかもしれない。
さようなら、僕の故郷。さようなら、お母さん。
僕は過去を清算できました。もう、メ族としての出来損ないであると自分を振り返ることはしません。きっと、もう帰らないでしょう。
こうして、僕の家出みたいなものは終わり、ラタン姉が手渡してきた軽食をつまみながら僕の今の家へと帰るのであった。