帰郷
闇雲に逃げていた以前と違って、あっちへ行ったりこっちへ行ったりとフラフラせず、地図がわかるようになったために最短経路を一直線で来れた。まさかの当日中である。
あの頃はラタン姉は僕に合わせて歩調を緩めてくれていたらしかったが、今ではそんな必要もなかった。僅かなところで自分の成長を感じた。
「ラタン姉、もうすぐそこだよ」
集落にいた頃から見知った場所まで帰ってきたので、ラタン姉にそう告げる。ラタン姉はあたりを見渡すとこの辺はあまり来たことがない場所だと思いますと呟く。まぁ、この辺まで来ているのだったら見かけていてもおかしくないがあったことはなかったからな。
久々に訪れた集落は、それはそれは酷いものだった。重い何かに潰されたような形で半壊した家が数件あり、無事な家からも生存者反応は少ししかない。明らかに越冬の失敗をしているようだった。
見慣れた我が家……いや、族長の家。そこは当然というか、無事な家の部類に入っていた。鑑定によるとここの住人だけは1人もかけることなく越冬できていたようだ。
……しかし、何故越冬を失敗するんだ?役立たずの僕1人抜けた、その次の年でまさかの壊滅状態とは今年はそんなに狩の成果が乏しかったのだろうか。
「キルヴィ、言っていいかわからないですが旅をしてきたボクの経験からすると、一度こうなるとここでの立て直しは難しいと思いますです。この集落は、終わりを迎えようとしてます」
ラタン姉がそう言う。僕もそう思う。この集落を支配しているのは静かな死と確かな絶望だった。記憶にある脅威など、カケラも感じなかった。
その時、族長の家からのそりと誰かが出てくる。慌てて物陰に隠れてその姿を見る。あれは、いや、見間違えるわけがない。額に紫の光が見える。メ族でも珍しい目だ。あれは族長の奥方だ。つまりはーー
「あの周りと比べて立派な家から出てきて、キルヴィが狼狽えると言うことは、あれが産みの親ってことですか」
いつもの柔和な顔ではなく鋭くなった目つきで奥方を見るラタン姉。その目には確かな怒りが宿っていた。
奥方は戸惑った、それもすごく弱々しい様子でキョロキョロと何かを探しているように見えた。口を動かしているが、声には出していないようだ。そして静かにその場で涙を流す。……そこにはかつての記憶にあるような凶悪な姿を見いだせず、ただただ哀れで無力な女がいた。
「……話で聞いた時はどんな鬼のような奴かと思いましたが、あれはいったいどうした事でしょうか」
悲しみにくれる女を見ながらラタン姉はそう言う。同情しているかのような声だったものの、まだ目は鋭いままだった。確かに、様子がおかしい。一応は血縁状の兄であるジーニアに何か起きたのかと思ったが、MAPの鑑定によれば家の中に普通にいるようだった。
口の動きはまだ同じことを繰り返しているようだったので、何を言葉に出さずに言っているのか、観察してみる。
拾うことができた1つ目の言葉はごめんなさい……謝罪の言葉のようだ。いったい何に謝っているのかはその後の言葉でわかるだろうか?
2つ目の言葉はあなたを見捨てて……?おっと、なんだか自分が関係しているような気がして来たぞ?
3つ目の言葉はキルヴィ……つまりは僕の名前だ。つなぎ合わせるとごめんなさいあなたを見捨ててキルヴィとなる。ここで順番を整えてみると……
キルヴィ、ごめんなさい。あなたを見捨てて
「なにが見捨ててだ!集落に僕の居場所がない理由の1つはあなたが原因じゃないか!」
気がつくと僕は飛び出していた。小さなため息の後遅れてラタン姉も出てくる音が聞こえる。突然現れた僕達の存在に、女は目を白黒させた。そして、僕に対して震える手で指を指す。
「まさか、き、ききキルヴィ!?生きていたというのかい!」
「ああ、生きてるさ!生きているとも!僕はあの日ここを出て、ようやく僕を見てくれる人に出会い、こうして生きているんだ!」
そう言ってみせると、足元ににじり寄って来ようとするので近寄らないよう睨みを効かせる。女はその場で止まり、こちらに声をかけてくる。
「ああ、ああ!キルヴィや、私が悪かったんだ。全部、私が悪いんだよ!あんたを産んだ時、私は確かにあんたに愛情を感じていたはずだった。例えその額に第三の目を持たずとも、健康に産まれてきてくれただけで良かった」
それは女の独白であった。
「しかし、周りからは落胆の声しかなかった。なまじジーニアが、あんたの兄が立派な目を持っていたがためにあんたは生まれる前から勝手に期待をされていた。期待して、勝手に裏切られた。落胆の声は次第に裏切りに対する怒りと恨みとなった。私は最初こそ守ろうとした、いやずっと守らねばならなかった!」
そこで一呼吸を置く。
「でも私は、あんたを産んだ私が悪いという鉾先をいつか向けられるのではと怖くなり、いつしか守ることをやめ、憎み、ついには蔑んだのさ。いつだってジーニアと比べ、なじる。我ながら愚かだった、実に愚かだ。とても許してくれとは言えないことをしてきた」
なんだこれは。こいつはなにを言っている。
こいつは、まだ、僕の母であろうとしているのか?意味がわからない。理由がない。わからない。わからない。
「あんたが去った時、まず私は安堵した。これで私も、集落も目無しの重荷から解放されると。だけど違った。私に襲ってきたのは激しい後悔だった。そこにきてようやく、自分が親であることを思い出せた。なにをしてきたか、振り返ることができた」
女は、母は再び寄ってくる。独白を聞いていたせいか僕には睨むことができなかった。母は手を握ろうとしてくる。
「汚い手でキルヴィに触れるな」
そう言ってラタン姉は母のその手を弾いたのだった。