親の心子知らず
長い沈黙を破ったのはスズちゃんだった。モニカの両手を自分の元へと引き寄せて改めて抱きしめる。
「言いたい事はいろいろありますが、先に一つ。あなたがどう思おうと、私はあなたの母親です。今も、これからも」
「……お母さん、スズおかあさぁん!」
一度母と呼んでいいかを疑ってしまったモニカは、今度こそ素直に呼ぶことができたのであった。スズちゃんはその様子に満足そうに頷いたところで、モニカの頭をこづいた。そして頬をムニムニと引っ張り始める。
「だけどお母さんには、どうしても許せないことがあります。わかりますかモニカちゃ〜ん?」
突然の対応の変化に目を白黒させるモニカ。訳がわからずフルフルと首を振ると、より一層頬を伸ばしだし、痛みから思わず涙目になったところで流石に止めに入った。
「ラタン姉の事をあの女だとか愚かだなんて言わないで。あなたがいるのは実のお母さんがあってのあなたなんだから、そんなに嫌わないでほしいなって」
スズちゃんは諭すようにそう言ったが、僕には顔を曇らせてしまったモニカの気持ちが小さい頃の自分に重ねてしまってわかってしまう。
「スズお母さんには悪いけど、それはできないかな」
モニカは考える余地なんてないと言わんばかりにピシャリと答えた。どうして、とスズちゃんが尋ねるより先に畳み掛けるように言葉を紡いでいく。
「私は!……私は望まれたからこの世に生まれたんじゃないの!?それがどうしてお父さん達に隠さなければいけないことになるのかわからない!」
髪を振り乱し、ヒステリックに叫ぶ。
「それで最後まで隠し通すならいざ知らず、最後はお父さん達に押し付けて自分は雲隠れするなんて。せめて、自分だけでも最後まで愛してみせてよ!」
彼女が精霊だからこそ。僕達はいまだに勘違いをしていたのかもしれない。
「ろくな説明もなくいきなりあなたとの子ですって紹介されてお父さん達は夫婦としてもぎこちなくなって。それでも愛そうとはしてくれていたけど、やることが疎かになって足元を掬われた結果イレーナ家に負けて離婚したんだよ。私に遠慮して口に出さなかったけどあいつを憎んでいるに決まっているよ!」
気持ちが噴き出して止まらない。十分には愛してもらえなかったと叫ぶこの子は見た目や精神的には大人だと認識してしまうがそれでも成熟していない、まだ生まれてからたったの5年の女の子なのだ。
「本当はわかってます。私のせいで。私が生まれてしまったせいで家族が壊れた。私なんか、生まれなければ良かったのに」
言いたい事を言い切ったかのように自嘲の笑みを浮かべてそう言葉をしめたモニカ。
パシン、と乾いた大きな音が鳴る。気がついたら僕はモニカの頬を平手ではたいてしまっていた。スズちゃんが青ざめた様子でモニカと僕の間に割り込み、頭が取れてないか大丈夫かを確認している。
「ごめん、つい手が出てしまった……別の道を辿っている僕がそんなことを言える立場じゃないんだろうけど、そんな事は言わないで欲しい。君が生まれてきてくれて僕は本当に嬉しかったんだ。嬉しかったんだよ」
愛を示すことや伝えることができなかったようだけれども、この世界の僕やラタン姉だって嬉しかったに違いないのだ。でなければ、彼女は今こうして僕の前にはいなかっただろう。
スズちゃん越しに彼女の顔を覗き込むと、叩かれて赤くなっている頬をおさえて、呆然とした表情をしながらポロポロと涙をこぼしていた。自分がやった事ながら胸が痛む。
「お父さんにはじめてぶたれました」
「痛かったろう、ごめんね」
僕の言葉に彼女は首をふって、少しはにかんだ。
「痛みよりも、どうしてか怒られた事が嬉しかったです。そっか、私お父さん達と喧嘩したことも怒られたこともなかったんだ」
抱き寄せて頭を撫でる、それが僕にできるせめてもの事だった。
ひと段落ついたところでモニカの話からわかった事を2人と確認していこう。まず、この世界はどうやらフネイとの戦い以前に選択を間違えてしまったらしいこと。
ラタン姉が産んだ精霊石の事を打ち明けることができなかったという事は、コミュニケーションがちゃんと取れていなかったのではないだろうか?精霊石自体は産まれている事から、結婚の話の件は一緒であり、僕との間に愛は確かにあったのだろう。じゃあ何でこうも差ができてしまったのだろうか。
「もしかして、リリーさんへの相談がなかったんじゃないですか?」
ふと気がついたようにスズちゃんが呟く。あの日、夜遅くに精霊仲間だからと相談をしに行ったのを追いかけたんだったっけ。
誰にも相談ができなかったが故に抱え込んでしまい、この事態になったと。打ち明けるか沈黙かの2択ならば、ラタン姉なら黙って1人で育てかねないと思ってしまった。魔力を吸う現象を見てないのだからスズちゃんも実の母である事はラタン姉も知らなかった事なのだろう。その時を思い出しながら、ふと疑問が浮かんできたので尋ねてみた。
「モニカ……本当の君の名前はトワで間違いないんだよね?ラタン姉がつけたのか、僕達がつけたのかな?」
「受肉した時にあいつ……いや、ラタンさんからは名前はもらってないです。ただ子どもだって紹介されて、その後にお父さんとスズ母さんが悩んでつけてくれた名前です。それが?」
今尚ラタン姉の事は許せていないのか頑なに母だと言わないが名前は呼んでくれた。何故そんな質問をするのかと首を傾げられる。
「モニカって通り名は自分で考えた?」
「そうですけど……あの、お父さんの質問の意図がわからないです」
スズちゃんも首を傾げていたが、自分で考えた名前かを聞いたところで思い至ったようであっ、と声を上げた。
「聞いたことのある名前だと思った。やっぱりあなたはラタン姉からちゃんと愛されていたんだよ」
モニカ。精霊石の生まれたあの日、名前を決めようとなった時にラタン姉が案を出した、この子にまた朝が来るようにと願いが込められた名前。
僕にはこの一致が偶然とは思えない。無意識のうちにラタン姉が生まれてくる子のことを思って名前を考え、魔力供給の時に流れ込んだんじゃないかなと伝えると、彼女は髪をいじりながら少しだけ潤ませた目をそらして「そう、ですか」と掠れた声で返事をしたのであった。




