はじめてのことば
「あの、ラタン姉?右腕への抱きつきをそろそろやめて欲しいかなーって」
自分達の寝室に戻って以降、ラタン姉は全身を使って巻きつくように僕の右手を奪い取りベッドへと横になった。なし崩し的に僕もベッドに倒れ込んでいる。
「いーやーでーすー。今日は2人きりの時間だと思っていた所に厄介ごとが幾つも重なってきて全然それどころじゃなかったんですから、今甘えさせてくれてもいいじゃないですか!」
それは確かに一理ある。一理あるのだが、あまりにも強く抱きしめてくるものだから既に右手の指先の感覚がなくなっているのだ。このままでは右腕が使い物にならなくなってしまう。
「ラタン姉、それだとキルヴィ様の右腕に血が巡ってないから!もう少し緩めて緩めて!」
体調面からかはたまたラタン姉に同情してかはわからないが僕達から少し距離を取って寝ていたスズちゃんからの言葉でようやく解放されるかと思ったのも束の間。
「このくらいなら後で魔法で回復すれば治せます!……スズは不安じゃないのですか?キルヴィを取られるかも知れない。またはボク達がキルヴィに捨てられるかもしれない事に」
壊しても治せるからという力技の解決法に説得力を感じたのかガシリ、と左腕へと無言で距離を詰めてきて抱きつくスズちゃん。右腕にかかる力も心なしか増加した様に思われる。それぞれの重心が別々な為、結構しんどい体勢だ。
「ないないないない!僕が2人を捨てるなんてまず有り得ないから!手がヤバい、手が!」
僕の力を持ってすれば振り解けない訳ではない。だが、それこそ2人が離れていってしまいそうな気がして、自分から離してくれるのを願う他できなかった、そんな時である。
「あたっ!?」「きゃっ」
ラタン姉の懐から僕達の娘である精霊石のトワちゃんが飛び出してきて、妻2人の頭へとコツンと音を立てながらぶつかって行ったのだ。その姿は激しく明滅しており、なんだか怒っている風に感じ取れた。
「ト、トワ?もしかして怒ってるのです?」
僕の腕から手を離し、身を起こしながら恐る恐るといった様子でラタン姉が尋ねると、浮いているトワちゃんは肯定する様に光を強める。それと同時に聞き覚えのない女の子の声が頭の中に響いてきた。
「けんか、めっ!」
ポカンと僕達3人は口を開けてトワちゃんの方を眺め、それからゆっくりと顔を見合わせる。言葉こそアンちゃんよりもしたっ足らずだが、今この子は間違いなく自分の言葉を発したのだ。
「トワちゃーん!」と言いながら感極まったスズちゃんが抱きつく。突然の行動に面を食らったのか、宙に浮いていたトワちゃんはなすすべなく捕まってしまって言葉にならないなりに動揺した感情が頭へと流れ込んでくる。
「喧嘩じゃないよー!心配させてごめんねー!だからお母さん達ともっとお話ししよー?もっとあなたの声を聞かせてー!」
ニニさん達の様な話し方になりながら、胸元へと抱き寄せたトワちゃんへと話しかけ続けている。それをラタン姉は顎に手をかけ難しい顔をしながら何か考え込む仕草をしてみせた。まさか、何か異常なのか。
「意思表示だけでなくもう他人を思いやり実際に言葉を話す……?いくらなんでも凄すぎるのです、ウチの子はやはり天才なんでしょうか?」
違った。ただの親バカになった妻がそこにはいた。いや、僕も自分の事を心配してくれた我が子の成長が嬉しくない訳ではないのだが、先んじて2人にやられてしまうと一歩引いた目線になってしまう。
「スズちゃん、トワちゃんが困っているからそのくらいにしてあげてほしいな」
「……はっ!ご、ごめんトワちゃん。嬉しくってついはしゃいじゃった」
我に返りしゅんとなったスズちゃん。その周りをトワちゃんはぐるりと回って、優しく明滅して見せた。
「だい、じょうぶ。おどろい、ただけ!」
どうやって声を出しているかはわからないし話し方はやはり辿々しい。それでも彼女は自分の意思を言葉に乗せて僕達へと伝えてくれる。またも感極まってスズちゃんが手を伸ばしたので、代わりに僕の手でやさしく優しく掴んで握る。体調のせいもあってか今日のスズちゃんは精神的にも不安定の様だ。彼女は僕の手を数回ニギニギすると満足したのかそれとも疲れたのだろうか。ウトウトとし始める。
「ほらスズ、トワとはまた喋れる機会があるんですから寝るなら横にならないとですよ。トワもこちらに来なさいなのです」
ポンポン、とラタン姉が2人へと布団へ来るように促す。スズちゃんは半分眠っているような目をしながらモゾモゾとそこへ潜っていき、トワちゃんも横になったスズちゃんの上へとその身を預けた。
「トワ、慣れない事をしたから魔力をだいぶ使ったでしょう?ボクの魔力を分けてあげますからもう休みなさいな」
ラタン姉が慈しみを帯びた顔でトワちゃんへと手をかざす。「んー」という眠たげな声をあげ、娘は次第に明るさを落としていった。
「あらら、食べながら眠っちゃったみたいですね。まさしく子どもなのです……どうしましたかキルヴィ、いきなり人の頭を撫で始めて」
「ラタン姉がお母さんしてたから、ついしたくなっちゃって。はは、これじゃスズちゃんのこと言えないや」
ラタン姉はくすぐったそうにしていたが嫌がるそぶりを見せなかったのでそのまま撫で続ける。そのうちに自分にも眠気が襲ってきた。
「疲れましたからね、今日は。ゆっくりとおやすみなさいなのです、あなた」
そういうと妻は僕に軽く口付けをして、お返したばかりに額を撫でる。返事ができたかどうかのところで僕は眠りに落ちてしまったのであった。




