思い通りにいかない世界に
リゲルさんの試すような物言いに、僕は色を失った世界の中この場面を切り抜けるにはどうしたら良いものかと思考を巡らす。
目の前にいる女性を今ここで力の元に葬るのは、MAPに映る脅威度が指し示すのを信じる限りとても容易い事なのだろう。物理的には跡形もなく消す事は可能なのだ。
だがそれでは何の解決にもならないのだ。彼女は人としてこの街に入る手続きをしている。行方をくらませたのであれば捜索されるだろうし、目撃証言などから僕と関わりがあった事は簡単に割り出せるだろう。これまで関わってきた以上、誰がやったかがわからないほどラドンさん達は無能ではない。
下手人が僕だと突き止められた場合、法に則るのであれば僕はお尋ね者となるだろう。そうなると僕が立ち上げた傭兵団であるグリムも当然被害を被る事になる。危険な組織として解体で済めばまだマシで、最悪の場合は団員全員処刑もありうる。今や僕の首にかかっている命の重さは、僕1人のものだけにとどまらないのだ。
街の外に出たのを見計らって仕留めるのはどうか。街の外に出た場合、何があったとしても原則自己責任論というところがあるので、痕跡すら残さなければラドンさん達からの追及はある程度目を瞑ってもらえるだろう。街の外の世界で人が消えるというのは残酷ではあるがここではありふれた話ではある。
だがやはりこれも駄目なのだ。彼女はただの間者ではない。糸で操り主に直に操られている人形なのだ。人形側からの信号をどう受け取っているかはわからないが、遠距離から操作が可能な者が糸の先の感覚が消えたことに気が付かないとは考えにくい。すぐにバレる。
もしそこで運良くバレなかったとしてもだ。依頼主である当代イレーナは使者が帰ってこなかった事で次の使者を立てるか、直接呼びつけをしてくるのだろう。或いは、やってくるのは刺客か名を騙っている悪者と嘯かれた兵士かも知れない。
「理由はどうあれ当代を名乗っているのは相手だからな。その名を騙ったとあれば罪は重いという事で処刑されうるやもな」
リゲルさんは僕が未だ力業で何とかしようとしていることに見るからに呆れているようだった。
「駄目だ、これまでそれで何とかなってきたから思考がどうしてもそっちにいってしまう。すみません、助言が欲しいです」
リゲルさんに頭を下げる。彼は腕を組んで少し考え、そうして口を開いた。
「この場は既に打つ手無しだろうな」
「ええっ、そんな!?」
それでは相手の思い通りになってしまうではないか、とリゲルさんに詰め寄りそうになる。
「まあ待て。打つ手がないのはあくまで今この場での話でこんなのは初戦の小手調べを受けたに過ぎん。つまりはまだいくらでも取り返せる。だがこの女への勧誘は辞めろ、本当に取り返しのつかなくなる」
言われなくても既に勧誘も保護の申請も彼女に対してする気はかけらもなかった。話の続きを伺う。
「策謀に関して相手はお前よりも何枚も上手だ、先手を取られた以上、ここで勝とうなんぞ少しも考えるな。現段階で何とかしようなんて思わないでいい。そのままメッセンジャーとしての役目を果たさせれば、手元に危険物を抱えないで時間の確保と現状維持はできる」
「しかし、それだとこの場を凌げたとしても問題の先延ばしに過ぎないのではないでしょうか?」
「それで構わない、と言っているのだ。ここで下手に小賢しい手を打つと警戒されて付け入る隙が無くなるぞ。それよりはここを通して期限までに策を巡らせろ。なにもお前だけで考える必要はない、信じられる仲間を持ったのであれば大いに活用するのだ」
相手を油断させて隙を誘うのは戦闘も策謀も同じだとリゲルさんは楽しげに笑う。この人、以前にも感じたかもしれないが何かと戦うことが好きすぎな気がする。
「……それはお前も人の事言えんだろうに。どうしても争う事の多いマ族の宿命みたいなもんだ」
心を読んで苦笑してみせたリゲルさんの言葉と共にジジ、と空間の歪む音が聞こえる。失われた色彩が思い出されたかのように現れ始めた。
「さて、助言も与えた事だしそろそろ時間のようだ。人を使う事に慣れるまでは大変だが、うまくコントロールできれば大幅にやれる事が増えて楽しいぞ?」
焚き付けておいて何だが気負わずにもっと気楽にいけ、などと言われて今度は僕が苦笑いをしてしまう。既に覚悟は持っていたつもりだがいつの間にか人の人生を預かることに気後れしている所もあったのだ。
周りの色が戻るにつれてリゲルさんの姿が薄れていく。世界が戻りつつある中、ふと思い出したかのように彼は口を開いた。
「今の世の認識がどうであろうが、私が認めている以上イレーナを真に継いでいるのはお前だ。忘れるな」
言い切ったと同時に時間の進行が元に戻った。こちらがお礼を言う時間すらない、言いたいことだけ言っての言い逃げであった。
「あ、あれ?いつの間にそちらに?」
目の前にいたはずの僕が知らないうちにだいぶ離れたところにいたことから、女性は驚いたようにしてみせた。そうだ、確か時が止まる前は会話している途中だった筈だ。
「ああ、ごめんなさい。あなたは僕達の事を気にせず、メッセンジャーとして役目を果たした報告をしてきて下さい」
「は、はあ。本当に大丈夫なんですか?」
どこか腑に落ちない様子で彼女は何度も僕の方を振り返りながら、本家のある王都へと帰っていった。その背を不機嫌な様子のラタン姉と見送る。
待っていろ、まだ見ぬ敵よ。ここは譲るけど負けてあげる気は微塵もないから。




