失態と挽回
「聞きましたよ、馬車でのキルヴィさんの屋敷との往復を定期の仕事にするんですって!?」
用は済んだのでとラドンさんが帰っていったと思ったら奥から勢いよくヨッカさんが興奮気味に突っ込んできた。思わず壁の方へと受け流し激突させてしまう。
「いったぁ!?」「あ、つい」
ナギさん達のせいもあり、昔からこの手のスキンシップに慣れてしまっていて条件反射で対処してしまうのだ。それはさておきヨッカさんを助け起こす。
「ヨッカ、あまりキルヴィさんに負担をかけるものではないとついさっきまで言っていた君はどこにいったんだい?」
「さあ、行先を存じてないので今の衝撃で死んだかもしれませんわね」
悪びれもせずしれっとそう答えたのでチェルノさんは頭を抱え込んでしまった。チェルノさんは性格が生真面目な分、幹部連中の中でも苦労が耐えなさそうである。
「それで、どうなんですの!私としましては是が非にも、今すぐにでも仕事に組み込んでいただきたいのですが!」
一拍挟んだ筈なのに未だ鼻息を荒くしながら詰め寄ってくるその姿は、とても淑女らしいとは言えないものであった。見習い組に悪影響になるのではと思わず懸念してしまうほどである。
「少しは落ち着きなよヨッカさん……いつからかはまだ決定していないけど、やってもらう事にはなりそうなんだから」
うわあ、人目も憚らず無言でグッと拳を握っている。そこに、さっきヨッカさんと一緒に奥にいった筈のラタン姉がゆらりと現れた。その服には朝屋敷から出た時にはなかった靴跡が見てとれる。
ヨッカさんはそれを見て、はしゃいでいた様子から一転しダラダラと汗を流し始めた。……まさか、そんな筈はないよね?たがが外れたとしても、流石に話をしていた目の前の人を踏み退けてまで質問にこないだろう。それはないと信じて、信じ……さっきの様子からしてもダメそうだなと投げだす。
「ヨッカ、そこになおるのです」
背筋を凍てつかせる冷たい声が響く。チェルノさんはひくついたような顔を貼り付けながら目線をラタン姉から離さずに少しずつヨッカさんから離れ中庭の方へとフェードアウトしていった。熊から逃げるような対応である。
「あ、あのですねラタンさん」
言い訳をしようとしたヨッカさんはしかし、目の前に突如現れた小さな火球によって前髪を焦がすことになった。
「次はないですよ?はやく、なおれ」
有無を言わせぬ声にただただ震えながら平伏するヨッカさん。
怒ったような仕草をすることは多々あるが、それはどこか芝居がかったような、可愛らしさすら感じるものが多い。だが、今回のラタン姉は相当にキレていた。ただ足蹴にされたとしてもここまでは怒らないだろう。
原因はなんだろうと思ってもう一度よく眺めると、足跡がついた位置はラタン姉がよくランタンをしまう場所に近かった。恐らくは当たってしまったのだろう。
彼女のランタンは今でこそ僕やスズちゃんにも触らせてくれるが、それでも快くという訳ではない。それ以外の人には、例え共に過ごした時間が長いクロムであっても触ろうと手を伸ばした時点でものすごく睨んでくる程だ。彼女にとって誰かに触って欲しくない逆鱗のようなものなのだ。
その逆鱗を、慰めようとしていたその相手から蹴られてしまった。相手が仲間ということもありなんとか手加減や話をすることができるほどの理性は残っているようだが、そうでなければ先程の火球は今この瞬間にもヨッカさんを燃やしていたであろう。
「さっきの受け答えといい貴女、最近ボク達との距離感をちょーっと間違えていないですかね?確かに組織としては幹部の1人として貴女を迎えましたし個人としては友人でもあるかもしれません。でも、メンバーの模範であるべき幹部がいたずらに主人を蔑ろにするとは何事ですか。そのようなうわついた人に重要な仕事を任せる気にはボクはなりませんね。キルヴィ、他のメンバーを募りましょう」
平伏した頭へと厳しい戒めの言葉を次々と投げかけ、とどめとしてヨッカさんにはこの仕事を任せられないとラタン姉は言い放つ。
馬車を操る事ができる経験者となるとヨッカさんを除くなら2名となる。が、安全地帯や平地での操縦しか経験した事がなかった筈で、ヨッカさんのように悪路でも走行できるかには不安があった。故にこれを仕事とするならば本来であれば半ばヨッカさん専用の仕事になりそうであった。が、それを差っ引いてでもヨッカさんに任せられないだろうとラタン姉は判断したのだ。
それに対して長として頷くか、たった一度の失敗に対してその判断はやりすぎだと言えば、これは簡単に解決するだろう。
だからこそどちらもせずに、僕は青い顔になってラタン姉に向き合いながらも時折こちらの顔色を窺っているヨッカさんを黙って見つめ返す。酷かもしれないが自分が招いたこの逆境に対してどう対応するのか、彼女の手腕と機転を見せてもらう事にした。
僕がすぐに決断を下さないのを察し、彼女が次にとった行動は身だしなみを整えることであった。そして片膝をつき、僕とラタン姉を見上げる形をとる。この辺りの臣下の礼の形であった。
「この度の我を忘れた失態、我が事ながら恐懼に堪えません。親しみ良くしていただくのに慣れ、いつの間にか甘えておりました。奥様のお怒りはもっともでございます」
「謝罪はボクだけにですか?」
「いえ、キルヴィ様……ひいてはグリムという組織へ深くお詫び申し上げたい所存、職を辞する事を覚悟の元深く反省致しております」
ふむ。元々商人という事もあってかヨッカさんの口はよく回った。ひたすら平伏しているように見えて、それで示すのは誠意だけではない。
今回、ラタン姉は怒りながらも「仕事を任せるに値しない」に留めた。幹部からの降格やグリムからの追放という手もあるのに、だ。これは勿論、情からの面もあるだろう。が、そうしなかった答えはもっと簡単な事だ。今の彼女のポジションを埋めれるだけの人員を他メンバーからまだ見出せていないからである。
では、その当事者から職を持する事も覚悟だと出られたならばどうなるか。
「……貴女の謝罪、受け止めました。ですがグリムの仕事はこれからが本番、その覚悟をするには早計だと思いますのです」
時間が経った事もあり、少し冷静になってきたラタン姉はこう返した。実際に辞められては困るので引き留めようと言葉を選ぶようになり、その結果として多少要望が通りやすくなるのだ。
「でしたらどうか仕事で挽回する機会をいただけませんでしょうか」
「ヨッカは今でも良くやってくれていますが、どう示すつもりなのか教えて下さいなのです」
ここまでもってこられれば、もうヨッカさんのペースである。悪路でも馬車を操る技量に加え屋敷までの道や森の魔物に対しての護身術などを自分は持ち合わせていると言葉巧みにアピールすればあら不思議、もう彼女には任せない予定だったこの仕事が彼女にしか任せられない仕事に見えてくるって寸法だ。
「キルヴィ、ヨッカにこの仕事を任せていいと思いますですか?」
気づいているかわからないがさっきとは打って変わってそう尋ねてくるラタン姉に、僕は静かに頷くのであった。




