閑話:強さの道標
実に良い休暇であったと、日が伸びてきたといえ暗くなってきた空を塔の窓から見上げて一つ息をつく。
今日は昼に鍛錬したこともあって疲れたのか、モーリーは事が終わるや否やふにゃんと溶けてしまった。
決して口には出さないし出すつもりもないのだが、実のところを言うと少し物足りなく思ってしまった。が、身近にグミさんという良い失敗例がいるので無茶はさせたくない。モーリーを使用人邸の自室へと寝かしつけ、私は私の日課である夜の見回りを始めることにした。
彼女が事前に用意してくれていたであろう軽食を感謝しながら一つ摘んだ後に糸を使い、塔と屋敷の屋根に張った綱の上から屋敷の外観を一望する。
寝物語のように彼女の腕の中で聞いたが、キルヴィの力は昼頃には戻っていたらしい。主人であり、我が生涯の友である彼なりに気を遣ってくれたのだろう。塔に誰かいる時は人の情事を見ないと言って範囲をかなり狭めているらしいが、屋敷の敷地に入った今頃はまたMAPとやらを使っているだろうから、私の見回りというのは警備的な意味合いでは薄い。
寧ろ異常がないかどうかが見えていても彼では察せない事を解決しようという意味合いの方が、人が増えてきた今強くなりつつある。彼は類稀なる才覚を持っているが、それ故に私のように持たざるものの気持ちに疎い所がある。私の力で少しでも補えるのであれば、そうしてあげたいのだ。
そんな事を考えながら目をやると、庭で1人、ひたすらに素振りをしているガトを見つける。長いことやっていたのだろう、春先のまだ肌寒い夜の中、蒸気を発し汗で濡れた上半身を月明かりが照らしていた。……もしや昼間塔に登る際に見かけた時から飯も食べずにずっとやっていたのだろうか。
「ガト、鍛錬に熱心なのは良いことだがもう暗くなってきている。その辺で切り上げたらどうだい?」
上から声をかけつつ、隣に降り立つ。ガトは振りかぶっていた手を止めて少しだけ驚いたようにこちらを見つめたが、もう屋敷の面々に感化されつつあるのだろう、すぐに平静を取り戻し、傍へと大剣を下ろした。
「はあ、わざわざすいやせん兄貴。でも、あと少しだけやらせちゃくれねェですかね」
手渡した布切れで汗を拭い、一つ息を吐きながら彼はそういった。……私には彼が焦っているのが手にとるようにわかる。これは、この葛藤こそ、恐らくキルヴィでは上手く読み取れない物だろう。事象として何かを焦っているのだと理解できても、その理由までは辿り着けないだろう。
男の性分というのもあるのだろうが、強さを求め先を走る者の背中が、身近にいるにも関わらず遠く、高く聳えるように見えてしまうのだ。先頭を走る者はその先に影が見えるまで知る手立てはないのだ。彼からしたら私とて背中が遠いのかもしれないが、それを越えた先の山まで見えてしまっているのだからたまったものではないのだろう。
「……そういえば、モーリーに聞いたが昼の稽古で皆と手合わせしたんだってね。どうかな、私ともしてみるかい?」
その手を掴んで引っ張り上げたくなったのはただの気まぐれなどではないだろう。一度は本気で殺してやろうと感じた奴ではあるが存外私は彼のことを気に入っているのかもしれない。あるいは、そんな理由に託けて私自身が稽古をしたいだけなのかもしれないが。
「兄貴と?確かにこのまま素振りしてるよかそうして貰えるとありがてェですが……良いんですかい?」
「私とてメンバーだ、勿論よいとも。それに……いや、いや。わざわざ言葉にはすまい。ともかく、今ならば時間はあるからね」
「んならばお願いしやす。木剣拾ってきますぜ」
「ああ、いや。君さえ構わなければそのままその大剣でやっても構わないが」
「確かにこいつの方が手に馴染んじゃいますが、刃引きもしてねェんであたりゃタダじゃすまんですよ?」
訂正しよう、昼の稽古を受けてなお私のことを心配するようでは、まだ馴染みきっていないようだ。
「心配せずとも大丈夫さ。君の攻撃は私には届かないからね……いつでもどうぞ」
「まァ、そう言うんなら行かせてもらいますぜ」
無手の状態で稽古開始を誘うと、渋々ながらもガトは応じて剣を構えた。突っ込んでくる様子はないので挨拶がわりに投石を行う。武器を構えた手を狙って放ったが、難なく弾かれる。
「石投げは旦那や奥方にやられやしたからね、兄貴もやってくるだろうと読めやしたぜ」
その読みは半分あっている。幼い頃に戦える手立てとしてスズと共にキルヴィに叩き込まれた。なおかつ様子見に持ってこいの技だ。その2人よりもスキル的には劣るが、それでも使わない手はないだろう。だがーー私のこれは様子見の為だけにした訳ではない。
「今度はこっちから攻めやすぜ!」
そう啖呵を切って彼は間合いを詰めようとしたが腕がついてこずにつんのめる。武器がその場に固定されてしまったかのようであった。というよりも糸によって本当に固定されているのだ。暗闇という事もあり、石にくくりつけられていた鉄線までは見破ることはできなかったようだ。
「相手の手の内を知っている物だと見誤るのは危ないぞガト。こんな風に対策の対策をされてるかもしれないからね」
そう言いつつ絡めた鉄線を引っ張りあげて、振らせないようにする。いつものよく切れる鋼糸であればこの段階で武器破壊まで済むのだが、稽古で流石にそれは可哀想だ。これでも手加減は心得ている。さて、武器を封じられたがガトはどうする?
まず初めに力任せに引っ張ろうとしたようだったが、残念ながら私の方が強く、全然動かないようであった。それならばと手を離してこちらの体勢を崩せないかを試す。が、それくらいの抵抗が消えたところで崩れるほどヤワじゃない。結果としてガトは一方的に攻撃を受けて大剣を取り上げられただけになってしまった。
「続けるかい?」
「や、負けでさァ。糸に絡め取られちまえば力勝負に負けてた俺じゃもうどうしようもねえ」
手をあげて降参の意を示したので稽古は終了となった。良かった、これで続けると言ったなら戦力の差を理解できてないと言わざるを得ない。感情的には踏ん張りどころと言いたくなるが、ここは撤退を試みる場面である。
誰かを逃していて、時間稼ぎをしたい場合であれば突っ込んできてもいいのだが、ただでさえ力負けしているのに主要武器も取り上げられた後、果たしてどれだけ稼げるのだろうか。やはり距離を取るために少なくとも後退をすべき場面だ。それだけで生き延びる確率が断然に上がる。
「凄いな、糸は操り難い武具なのにそこまで使いこなせるなんて。この間教えてもらったばかりなのだろう?」
拘束を解いた大剣をガトに返すと、乾いた拍手と共にぬるりと建物の影からカシスさんが現れた。一体いつから見てたのか、ガトはともかく私にも全然気配を感じ取れてなかったので2人して驚く。
「昼間のも含めて稽古を遠目で見させてもらっていたが、君にはそもそも大剣という武器があってないのでは?その武器にどんな思い入れがあるかは知らんが、初動が遅く、振れたとしても大振りになるのでは命を落とすぞ」
そんなこちらの驚きに興味も持たず、彼女はガトに向かって早口で一方的にそう告げた。全部見ていたわけではないが、以前対峙した時確かに感じた事である。
「自身に合う武器がわからないか?そうだな、私の見立て通りならばこれを貸そう。私の剣だが身重の今使っているのを見られたらあの人が悲しむのでな」
そう言ってカシスさんから差し出されたのは細身の剣であった。切る、というよりは刺突する事を目的に作られたものに見える。これに対し、一方的に押し付けられたこともあってかガトは明らかに難色を示した。
「こだわりがあるわけじゃねェんですがコイツだってオメェには大剣が似合うって言われて使ってやす。この剣なら確かに早く振れるでしょうがね……しかし俺みたいな巨躯が突剣たァ、似合わんでしょう?」
そう言った途端に、チリチリと首筋を刺すような殺気が場を支配する。ガトに対し絶対零度の目線を向けている騎士がそこにいた。
「もっと強さに貪欲かと思っていたが貴様にはガッカリだ。見栄えに気を取られた挙句命を落とした数多の有象無象に続きたいのであれば、好きにすれば良いだろう」
そう吐き捨て身を翻し、怒りを露わに大股で去ろうとする。カシスさんのふざけた様子を見る機会が多いから忘れがちだが、なんだかんだであのオスロの娘。リリーさんからも戦う乙女と認められた事もあるのだから戦闘技能は高く、私では実際の戦闘を見たことがないのでなんともいえないが、恐らくは以前戦った騎士程には力量があると見て良いだろう。それこそこれまでの人生、戦いの道を歩いてきたのでいうならば、恐らくうちのメンバーの中で1番年数を重ねて尚死なずに生き延びてることになる。
それに、この間セラーノさんからも聞いたが彼女の行動は空回りする事も多いが善意から来るものが大半なのだと言う。自身との対面初手のアレですら、実力的に勝てないと悟った、話が通じるか怪しい相手(魔物とは思っていたらしい)の注意が少しでも自分に向くようにとした事らしいのだ。
彼女がしたガトに対しての見立ては恐らく間違っていないのだろう。
「ガト、すぐに謝った方がいい。彼女の意見をよく吟味した方が君はきっと強くなれる」
私はそう言ってガトの背を押したのであった。




