マを置いて
「いやはや、重ねてお恥ずかしい所をお見せしまして……」
「僕達の仲ですし、気にしないで寝ていて下さい」
当初は1人になるつもりで建てた塔であったが、今はセラーノさんも招き入れている。というのも、つい先程カシスさんが塔の下に訪れて地面に頭をつけながら「セラーノをこちらに匿って下さい」と懇願されてしまったのだ。
只事ではないとすぐに降り、カシスさんに顔を上げてもらう。乾いた涙の筋が残ったその顔にはいつものふざけた様子は微塵もなく、ただただセラーノさんの事を思っての行動であると理解する。
「すまない、そちらにも事情があるだろうに話を聞いてもらって」
ああ、僕はこの顔を知っている。知っているというより、忘れる事などできないだろう。
この顔は、僕が子供の頃に母さんが時折見せていた顔だ。大切なものを命に変えてでも守りたいという、そんな決意が宿った顔。想いの芯が通った優しい顔だ。
二つ返事で受け入れを認め、セラーノさんを搬入すると、彼女は再び深々と頭を下げて屋敷へと戻っていった。今からグミさん達の元へと向かうのだろう。
「まさかカシスさんがああなるとはねぇ」
「ふふ、キルヴィさんにとってはそんなに意外でしたか?」
思い返して漏れ出た独り言に、セラーノさんが苦笑して応える。「ええ、まあ」と正直に答えると、やはり困ったような笑顔を向けられた。
「彼女は自分よりも周りを想いやれる、優しい人なだけなんですよ。そのやり方がズレていただけで」
言われて振り返ってみる。初めて会った時は正義正義とことあるごとに言う変な人という印象だった。セラーノさんを魔物と間違えて、痴女のような振る舞いをしてたんだっけ。
「……その顔からあの時のことを思い出してるんでしょうけど、その時だって市民に逃げる事を勧告していたの覚えていませんか?」
そうだったっけ?そうだった気もする。むちゃくちゃやっている印象しかなかったが、その後罪滅ぼしと己の正義のためと、街の人を助けて回る行動もしているのだ。
「妊娠した事、結婚した事で、彼女の中の優先順位が変わったのかもしれませんね。でもその本質は変わってないんですよ」
キルヴィさんにも妻の事を理解して貰えたらと続けたセラーノさんは、本当に限界だったのだろう、言いかけのまま寝落ちてしまった。そんなセラーノさんに薄手の毛布をかけて、僕は自分の思考に沈んだ。
変わるもの、変わらないもの。変わろうとするもの、変わろうとしないもの。この短期間で僕も僕の周りも色々と見え方が変わったのだろう。
僕のつまらないいじけのせいで泣かせてしまったであろう2人に対して、自らの情けなさと謝りたい気持ちを認めていると、MAP上で動く影。やがて肉眼で見える範囲に来た彼は宙を歩いており、塔の窓を開けて入室をした。
「やぁ、珍しく喧嘩したんだって?とりあえずここで一夜を過ごすって聞いたから食事を届けにきたよ」
やってきたのはクロムであった。手には彼の言う通り、僕達2人が食べれるだけの軽食が入ったバスケットを持って、だ。
「……ああ、ありがとうクロム。いつの間に宙を歩くなんて芸当ができるようになったのさ」
「今、かな。いや、こうも上手くいくとは思わなかった」
そう言うと彼は種明かしをしてくれる。彼が辿ってきた所にはよく目を凝らすとキラリと光るものが風にたなびいていた。
「ちょっとバランス取るのが難しかったけれど、風魔法を纏わせた糸に対して操糸術を使えば空中でも歩けるってわかったんだ」
その糸を回収しながら事もなげに言うが、普通はそんな使い方をしないと思う。まして操糸術自体身につけてから半年も経ってないのにそこまで自由自在に操れるとは。
「それで、この塔は明日以降どうするつもりなんだい?残すにしても、人も寄せ付けない構造だし、アンちゃんの力が届かないならそうも持たないんじゃない?」
2人を泣かせた事で、てっきり怒られるかと思っていた僕はクロムの肩透かしの質問に驚いた。
「怒って、ないの?」
「ずっと泣きそうな顔してる、珍しく弱気なキルヴィなんて怒れないさ。それに、これに関してはキルヴィが悪いと言い切れないしね」
それでも責めてもらいたいと言うならと、トン、と胸を小突かれる。
「はい、これで終わり。前を見ようぜ兄弟」
「……ありがとう」
「ん。で、どうする?作っただけで用途が決まってない?」
「そうだね……明日以降は階段を作るつもりだけど、物置かな?それとも、ベットもあるからそういう部屋?」
僕の返しに理解が追いつかなかったのか、一拍あけてからクロムが噴き出した。
「キルヴィ、そんな真面目な顔して言うなんて!冗談なのか本気なのかわからないだろ」
腹を抱えて笑いながら、僕の顔を指さす。そのまま見つめていると、「あれ?」という顔になり、身を乗り出してきた。
「まさか本気なのかい?」
「ここなら余計な邪魔は入らないからね。明日から見習いの子達が来る事を考えると、屋敷内でのプライベートなんてあってないようなものになるし」
流石に夫婦の営みがすぐ近くに感じられるというのは、年下の子達には影響に悪い。かといって抑制が効くかというと、せっかく新婚なのにという気持ちもあって当然だ。そう伝えるとクロムも「ふむ」と真面目な顔で考え込む。
「他の人と居合わせる可能性はどうするんだい?」
「そうならないように、鍵を一つだけ用意しておけば、その鍵がなかったら誰か使ってるってわかるんじゃないかな」
「なるほど。一笑にふしてしまったけどなかなか合理的かもしれないね」
2人でどうするかを詰めた後、明日の準備もあるし私まで戻らないとモーリーが心配するからと、クロムは帰っていった。しばらくして起きたセラーノさんにも伝えると、いい案ですねと返される。
「少し遠いですが、誰が大体どこにいるかというのをキルヴィさん以外も把握できるのはいいと思います」
そんな感じに塔で過ごした一夜が明け、万全ではないものの回復したセラーノさんと2人、塔に階段を作って屋敷へと戻ると2人の妻達に泣きながら飛びつかれる。
「2人ともごめんね、おまたせ」
「ごべんなざいキルヴィ〜!」
「私達が間違っていました〜!」
泣き腫らした顔を他人に恥じる事なく全開にした2人を見て、妻になんて顔をさせてしまっているのだとつくづく自分が情けなくなる。2人の肩を抱き寄せて再度謝罪の声を漏らすと、2人はまた自分たちの方が悪かったと僕の非を認めてくれなかった。どうしたものかと考えていると、さらに小さな衝撃が加わる。
「あるじ、すてないで……」
「アンちゃん。不安にさせてごめん」
足にしがみついてくるアンちゃんの頭を撫でながら、謝罪する。
「ごめ、ごめんなさいセラーノ」
「抑えとして機能できずすまなかった。至らない2人だが、まだあなたは私達を妻として認めてくれるだろうか……?」
すぐ隣では僕達と似たような状況で、でもいつもと明らかに違う配役の謝罪が行われていた。
「こちらこそ未熟者ですみませんねグミ、カシス。まだ私と共に歩いて頂けるのであればそれほど嬉しいものはないですよ」
「……セラーノ!」
「ストップだグミっち!また気の昂るままに台無しになりたいのか?」
今にも押し倒さんとするグミさんを片腕で押し留め、正論をぶつけるカシスさん。昨日僕の元を訪れた時といい、誰だこの胸のあるイケメンは。こうして改めてみると、なるほどオスロと親子であるというのは納得ができる気がした。指摘されたグミさんはシュンとなって、長い耳が下がり気味になっていた。
「はいはい、感動の謝罪は程々にしようじゃないか。なにせ今日から人が増えるんだ、この問題はここでおしまい、良いね?」
パンパンと手を叩いて、クロムがこちらへとそう促す。僕のつまらないいじけのせいで一日を無駄にしてしまったのは痛かった。なにせグリムの子達を迎え入れる準備をほとんどクロムに任せてしまったのだから。
「苦労かけるな、兄弟」
「気にするな。ふふ、この主従の軽口も暫くはお預けだね」
そうだ。使用人見習いの手本となるべきクロムは、その辺を特に気をつけなければならないのか。少しだけ寂しさを覚えたが、我慢しなくては。
「じゃあ食事を取ってからスフェンに向かおう。行く人は?」
そう尋ねると妻2人とクロム、それからモーリーさんが手を挙げた。いつものメンバーだ。セラーノさんの方をチラリとみると、静かに首を振る。妻2人を宥めたいそうだ。
今日もまた、騒がしい日々が待っているのだろう。




